総務課抜き打ち編③ 訳ありの組織
——人柄、ね。
いつもの桃子なら「ここで鬼だけど。」とツッコミを入れるところだが、そんな考えが微塵も浮かばないほど、冷月の姿に圧倒された。
どこまでもまっすぐな瞳は、桃子をじっと捉えていた。重たい雲の切れ目から光が差すかのような希望が、桃子の心をそっと照らす。
「人柄だけで採ったのか。」
放つオーラを一切変えない議長が月に雲を被せる。議長は白いグローブをはめた手を顔の前で組み、制帽から覗く瞳を鋭く輝かせて冷月を睨んでいる。
「ああ。」
嘘偽りのない、芯のある返答だった。桃子は、冷月がなぜそこまで自分の人柄が良いと太鼓判を押すのかわからなかった。厚生課のメンバーは今でやっと二人。人数集め、殺される鬼へ向けた憐憫、最初はそんなことを考えていた。それ以外に桃子を厚生課に引き入れるメリットがないと思ったから。
『——違うよ。』
過去に冷月に言われた言葉が桃子の考えを否定した。
『——お前は優しい奴だと思ったから。』
縋りたくような安心感を抱いたのは事実だった。根拠のなさに「嘘つけ。」と意を唱えたくなっても、それを上回る自信があった。冷月に言われると、嘘でも本当のように聞こえた。桃子が厚生課に入って半年。いまだに続けられている。あまり認めたくないが、彼の魅力に囚われてしまったのだろう。たまに馬が合わない時もあるが、それでも、厚生課を辞める選択肢は、今のところ桃子にはない。
頼もしい横顔を心丈夫に思っていると、
「大量殺人鬼のお前が言ったところでな。」
今までの思い出のフィルムを切り裂くような議長の声に、桃子は耳を疑った。
「おい、今その話は関係ないだろ!」
次に声を荒げたのは戌亥だった。
「え。」
——殺人鬼? 誰が?
理解が追いつかないまま、桃子は招集された役員の顔を見た。その誰とも微妙に目が合わなかった。メンバーの視線が一つに集まっていた。桃子の左隣の彼だけが、顔を俯かせていた。
「嘘、でしょ……?」
冷月からの返答はなかった。ただ机の上に置かれた拳の血管が、より浮き出るだけだった。彼の沈黙こそが無慈悲に桃子に現実を突きつけた。
「あー確かそうだったっけ。えー何、罪滅ぼし? もう改心したってこと? 過去は消えないのに?」
まるで子どもが親にどうして空が青いのかと聞くような無邪気な声で、山吹は冷月に話しかけた。
「殺人鬼と訳あり獄卒のチームか。」
「へー、なんでもありっスね。」
嘲弄されている対象は自分ではないのに、桃子はいてもたってもいられず、一喝しようとしたそのとき。
「……なあ、」
桃子が初めて聞く声。大きくはないがよく通った。
囀っていた役人たちが一斉に黙り込んだ。
「お前たちは、厚生課を糾弾するためにここに集まったのか?」
会議が始まってから沈黙を貫いてきた初老の男性が、鬱屈とした空気に耐えかねたのか、初めて口を開いた。
桃子の席からは冷月や自殺課と重なって顔は見えないが、大柄で和服を着ていることだけは確認できた。
「虚空蔵。」
戌亥に虚空蔵と呼ばれた男性は、声の調子を変えず、淡々と続けた。
「訳ありも何も、俺たちはそもそも罪人だろう。罪人が罪人を罵って、惨めだとは思わないか。」
先ほどまで冷月に非難を浴びせていた役人は目を伏せた。
「別に俺はそんなつもりなかったんスけど……。」
唇を尖らせて子供のように言い訳をするのは桃子の前に座る、上調子な福祉課の男だった。
「白檀。」
「へい。」
虚空蔵に名前を呼ばれた白檀は背筋を伸ばした。大人に怒られた子供のように白檀の眉が下がった。
桃子が会議に参加してから一つ分かったことは、組織のトップ同士でも上下関係があるということだった。議長席に座る治安維持課を一番として、上座に座る監察課と総務課にはその他の課は口を挟めないようだった。
「座らないか、冷月。」
「……。」
虚空蔵に促されるままに無言で冷月は席についた。前髪に隠れていたせいもあるが、桃子とは一切目が合なかった。
「お前たちがなぜここにいるのか、よく考えろ。」
彼岸省は過去に罪を犯した者の贖罪の場。机を囲む、涼しい顔をした役人たちも、皆何かしらの罪を犯したものなのだそう。
そうであるならば、余計に自分のことを棚に上げて冷月一人に集中砲火を行う人間が許せなかった。桃子はギリギリと奥歯を噛んだ。
「時代が違えば、環境が違えば人殺しだって認められた。それに、お前たちも何人も殺めてきただろう。」
「虚空蔵さんはそうでも、比較的新しい連中はどうだろうな。現代での殺人は最も忌むべき行為として扱われている。殺人が正当化されるなんて、正当防衛を除いて、珍しいと思いますぜ。」
監察課の独壇場になりそうな雰囲気を自殺課が切った。
「だったら誰も殺したことがないと。」
「ああ。強いて言うなら、自分を殺したことくらいか。」
「それも立派な殺人だ。」
「自殺とか贅沢よねー。」
桃子の左斜め前、背もたれに体重をかけた山吹が羨ましそうに正面に座る自殺課に声をかける。
「あ?」
「だってせっかく健康な体があるのに、わざわざ自分の身を投げちゃうとかさ。本当にもったいない。」
「お気楽娘にはわからんだろう。」
「わからないわよ。私死にたくなるほど苦しんだことないし。」
「貴様ら勝手がすぎるぞ。」
戌亥が空気をピリつかせるような威厳を放っているにもかかわらず、だんだん場に慣れてきたのか今度は白檀が口を挟んだ。
「虚空蔵サンの話で言うと、冷月センパイに殺意があったかどうかが問題になると思うんスけど、その辺どうなんスかね。」
「……。」
相変わらず桃子の隣にいる冷月は口をつぐんだままだった。桃子は、冷月の過去を知らない自分にも、何も喋らない冷月自身にも静かな怒りが積もっていった。
冷月は好き放題言われて、黙っているタチではないはずなのに、これと言って反論をすることもなかった。怒りを見せるどころか、どこか諦めるような、受け入れるような様子に、桃子が苛立った。
「なんか、なんか答えなさいよ。違うならちゃんと否定しなさいよ。」
ようやく顔を上げた冷月と目があった。反射的に「ごめん。」と謝る冷月の瞳は、いつもの青空色ではなく、灰色の雲が被ったようにくすんでいた。
「……確かに、俺は人を殺した。それも一人や二人じゃない。何度生まれ変わっても、人を殺める人生だった。だけど、それでも、」
桃子の隣で、目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。次に瞼を開けると、覚悟を決めたように言い放った。
「人を救いたいんだ。」
その発言を嗤うものはいなかった。何か言いたげな自殺課の男も、言葉を飲み込んだ代わりに降参するようなため息を吐いた。
「……立派だな。」
ただ、議長席に座る男にはいまひとつ響いていないようで、相変わらず冷たい視線を向けていた。
「もういいだろ。彼奴を彼岸で育てたのは私だ。文句があるなら私に言ったらどうだ、叢雲。」
「いいよ戌亥。ありがとな。」
冷月は背筋を正した。
「俺が、みんなの信頼を得られるように行動すればいいだけだから。まあ、期待してなって。」
いつもの調子となんら変わりないのに、桃子にはどうしても空元気に見えてしまった。自分が知らないだけでたくさん悩み、葛藤があったのかと思うと、心苦しかった。
「設立して一年だ。まだ実績はないから、これから彼岸省で名を挙げてみせるから。少し時間をくれ。絶対に応えるから。」
会議室内に一つ、パチパチと乾いた拍手が鳴った。
「かっこいい。いいんじゃないスか? 面白そうだし。」
白檀は冷月のことをセンパイと言いつつも、絶妙に上から目線で称えている。本人には茶化すような意図は全くないようだった。
「白檀。」
叢雲が名前を呼んでも、白檀が怯む様子はなかった。
「会議って一時間スよね? 俺このあと女の子と待ち合わせしてるんで、お先に失礼しまーす。」
「じゃあ私も帰るー。この椅子肩凝るし。」
次に席を立ったのは山吹だった。肩を鳴らしながら伸びをすると、議長に背を向けた。
「……まだ話は終わっていないぞ。」
「叢雲サン、これ以上何を話すことがあるんスか。」
出口の扉に手をかけた白檀が、叢雲に呆れた目を向けた。
「そんな身勝手が許されると思うか。あまりにも自由が過ぎると、福祉課に罰則を与えることだって、」
「それはうちのボスに言ってください。」
満面の笑みを向けた白檀は「じゃあ。」と手を振ると、会議室の扉を開けて出ていった。
白檀の退出を皮切りに、他メンバーもゾロゾロと帰り支度を整え出した。
すでに席を立っていた山吹は出口に向かうかと思いきや、Uターンをするように桃子の元へやってきた。
「運が良かったわね。」
「え。」
山吹はそれだけ言い残すと、艶のある黒髪を靡かせて会議室を後にした。
* * *
会議室を出て、事務所に戻る道中、気まずい空気の流れる中、話を切り出したのは冷月だった。
「ごめん。あいつら我が強くて、印象最悪だよな、ごめん……。」
「そうじゃなくて、」
よっぽど申し訳ないと思っているのか、二回謝った冷月は目を伏せた。
「基本いいやつらなんだけど、聞き分けはあんまりよくなくて。」
「ちょっと、」
「俺も含めて問題児ばっかでさ。」
「冷月!」
桃子は冷月の目の前に立ちはだかると、両手で肩を掴んだ。
「なんで、教えてくれなかったの?」
別に冷月に失望したわけではない。ただ、仲間だのいいやつだの言い張るのなら、もっと頼って欲しかった。
「ごめん。」
冷月を掴む手に力が入った。相手のことなど気にせず、爪を立てた。
——違う、聞かなかったのは私だ。
「……。」
桃子はそれ以上自分でもどう接したらいいか分からず、事務所があるビルへ駆けた。後ろから名前を呼ぶ声が聞こえたが、気付かないふりをした。
* * *
柔らかい風が凪いでいる。小高い丘から見える景色は、辺り一面の白だった。夕陽に照らされて、その白が少しオレンジがかっている。
一本の紅葉樹の影で膝を抱えて座る冷月は、どこまでも続く雲海をぼんやりと眺めた。
なんとなく、事務所へ帰る気にもなれず、この場所で少しの間感傷に浸ろうと思った。
「……。」
丘の先は岸壁が剥き出しになった崖があり、もう二、三歩前へ進めば落ちてしまいそうな場所だった。そんな危険な場所にわざわざ赴く人間もいなかった。
「やっぱりここにいたか。」
冷月と、もう一人を除いて。
冷月が顔を上げた先には、彼とは対照的な緋色の瞳の少女が佇んでいた。




