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アンビバレント・ヘブン  作者: 落水彩
総務課抜き打ち編
22/27

総務課抜き打ち編② 懐疑

「で、その定例会っていつあるの?」


 桃子は琥珀色の液体の入ったティーカップを持ち上げて聞いた。


「今日。」


「え。」


 即答だった。


「あんたそれ本当なの?」


 あまりにも急なスケジュールに驚いた桃子は、隣で伸びている冷月に尋ねると「ラシイデスネ。」と他人事のような返答をした。こんないい加減な男が一組織のトップをやっていることに桃子は頭を抱えた。


「本当は貴様ら厚生課の業務を調査して、その足で会議室に向かう算段だったが、仕方あるまい。」


 対面に座る戌亥があくびを噛み殺すように両手をあげてぐっと伸びをすると、腕組みをしたまま目を閉じた。


「定例会は午後五時からだ。四時半になったら起こしてくれ。」


 大きく息を吐くとソファに腰掛けたまま戌亥は眠りについた。


「自由ね。」


 ここまで戌亥の自由奔放な様子を見せられると、冷月もなるべくしてこの性格になったのだろうと考えた。


「置いていってやろうかな。」


「仮にも上司なのよね。」


「元な、元。」


 桃子は自身と出会う前の冷月の話を聞いたことがなかった。底抜けに明るいように見える冷月だが、それが彼の本来の姿なのかはわからない。厚生課設立前は戌亥の下で厳しい訓練(?)を受けてきたようだが、その頃の話はあまりしたがらなかった。よほどキツかったのだろうか。そんなことを考えていると、再び口を開いたのは冷月の方だった。


「……戌亥が誘ったんだよ。彼岸省で働かないかって。俺にチャンスを与えてくれたんだ。」


 いつもより少し小さな声だった。冷月の方から昔話をすることなど、今までほとんどなかった。桃子が聞いてもはぐらかされるし、そんな話題ならわざわざ深掘りして聞く必要もないと思った。


「ふーん、いい人じゃない。」


「いやまあ、はい、そうなんですけど……。」


 尻すぼみに小さくなっていく声はまるで反抗期の子供のようだった。何か言いたげな冷月に話を振ると、募った不満が返ってきた。


「だって戌亥のやつ、マジで容赦ないんだよ。死んでるのをいいことに、平気で骨折ってくるし、身体は貫かれるしで痛くて痛くて……。」


 古傷が痛むように冷月は腹部をさすってみせた。すやすやと眠る戌亥の寝顔を見ると純粋無垢な子供のようだが、先ほど冷月を押し負かして事務所に入ってきた時といい、見た目より剛腕のようだった。


「でもあんた、それくらいやられないと応えなさそう。」


「な、桃子……。」


 ここでかわいそうだとか、辛かったねと同情するのも何か違うと思った。と、いうより、桃子がなかなか素直になれない性格からか、ひねくれた言葉しか出てこなかった。


「巽は? 戌亥と一緒にいて大変じゃないか?」


「別に。」


 冷月に話を振られた巽はパソコンに目を落としつつも、キーボードを叩く手はすっかり止まっていた。


「……戌亥のこと好きなの?」


「は!?」


「おお、やっと顔上げた。」


 「冗談だよ、ごめんごめん。」と謝りつつも、冷月に反省の色は見えなかった。どちらかというと、巽に興味があるようで、背もたれにくっつけていた背中を起こし、前のめりになって更に話しかけた。


「俺が戌亥の話題出したときから巽の手止まってたからそうなのかなって。」


 桃子は全く気が付かなかったが、巽が俯いて否定しないということはそうなのだろう。冷月は人のことをよく見ている。怖いくらいに。きっと些細な心の動きにも気づけるのだろう。そんな観察眼があれば、自分がいなくても厚生課は冷月一人の力で存続させられそうだ。そもそもあの時死ぬはずだったのだ。今ここにいるのだって、冷月が桃子の手を引いたから——。

 これ以上自分の存在意義について考え出したら、憂鬱な気分になりそうだった。桃子がため息を吐くのと同じタイミングで巽もため息を吐いた。


「逆に……どうなんだ?」


「何が?」


「……戌亥のこと。」


 怪訝な顔をしたまま冷月に質問をする巽だが、主語がないせいで会話のテンポが悪い。


「どうって? 好きとかそういう話?」


 巽の気持ちを汲んだ上での発言なら、心底意地悪だ。さすがに桃子も巽に憐れみの目を向けた。


「ずるい。」


 目を伏せた巽が呟いた言葉は、含むところがあるようで、白を基調とする事務所内に黒点を作るように溶け落ちた。


「巽、会話下手だな。」


 巽の言う「ずるい。」の言葉の意味を知りたくて尋ねようとしたが、冷月に先を越されてしまった。冷月に「ごめん、なんか言おうとしてた?」と顔を覗かれても、桃子は咄嗟に「いや別に。」と返してしまった。


「……悪かったな。」


「いや悪くないけど。」


「……。」


「……。」


 二人のやりとりを見て、純蓮と話したときに同じようなテンポの悪さを感じた桃子だったが、それ以上に巽はアクが強いと感じた。会話が噛み合わないのは、冷月にとってもストレスなのではないかと横を見やると、


「巽って面白いな。」


 そんな心配など皆無だったように、朗らかな表情を浮かべていた。


「なっ。」


 予想外の反応に巽は頭に疑問符を一つ、二つと増やすように瞬きをした。


「大丈夫、本人には言わないから。」


「何をだ……⁉︎」


 巽はテーブルの上に手を置いて、立ち上がる勢いで冷月に迫った。その巽の声は桃子が今まで聞いた中で一番大きな声だった。

 眉を顰めながら、ほんのり顔を赤らめている様子から、ようやく巽に人間味を感じた。

 その後も冷月は巽を揶揄い続けたが、「貴様らうるさいぞ。」と目を擦る戌亥がゆっくりと体を起こすと、自然と会話が止んだ。


「今何時だ?」


 壁にかかった時計を見ると四時四十五分を回っていた。


「貴様、半に起こせといっただろう!」


「いや知らんわ! アラームかけとけよ!」


 飛び起きた戌亥はすぐさま身支度を整えると「いくぞ。」と怒号に近い声で呼びかけた。小さいのに背筋が伸びるような凛とした声に惹かれるまま、桃子も立ち上がって戌亥の後に着いて行った。


「あ、おい待てって。巽どうすんだよ。」


 扉を出たところで、後ろから冷月の声がした。


「巽、留守番任せたぞー!」


 戌亥は後ろを振り向かずに叫んだ。廊下では彼女の声がよく響いた。


「そんな……。」


 巽の心境を代弁するように桃子の口から感嘆の声が漏れた。


「あ、トイレそこのドア開けてな。冷蔵庫のモンは自由に食べていいから、じゃ。」


 扉を閉めると冷月も桃子たちの後を追ってきた。


 * * *


「ふぅ、間に合ったか。」


 道中、三人は彼岸省の本部へと続く隠し扉を通り、十分で会議室へ到着した。どう頑張っても十分の距離ではないが、不思議な扉の力で瞬間移動も可能らしい。これも門番(アウラ)様様だと感じながら、大理石のロビーを足音を響かせながら駆けた。

 目の前に佇む両開きの扉を、戌亥がゆっくりと開けると、充満していた冷気が我先にと逃げていった。

 会議室は薄暗く、空調のせいもあってかかなり冷たく感じた。思わず身震いさせた桃子は二の腕をさすった。

 角形の長机と、それに沿って並べられたレザーの椅子が並べられている。

 もうすでに点呼を終えたような空気に、気まずさを感じた桃子は、空いている席を探した。


「へぇ、戌亥ちゃんがギリギリに来るの珍しいー。」

 

 椅子に腰掛けている一人、艶のあるストレートの黒髪をまっすぐに伸ばした女性が、頬杖をつきながら、微笑を浮かべている。


「ああ、冷月くんはいつもだよねー。」


「いつもじゃねぇよ。」

 

 緊張感が漂う会議室で、彼女の振る舞いは異彩を放っていた。


「あれ? その子は? お客さんー?」


「山吹、もう一つ椅子あるか。」


「あーはいはーいっ。」


 戌亥に山吹と呼ばれた黒髪ロングの女性は、椅子から立ち上がると後方にある折れ戸を開けた。その中にあった椅子をコロコロと転がしながら、出入り口の近くの空席の隣に設置した。

 ふと顔を上げた彼女と目が合った桃子は、どうも、と一礼をした。近くで見ると、金色の瞳の吊り目と、垂れた眉が印象的だった。服装はストライプのシャツに、ベストといった、まるでカジノのディーラーのような服に身を包んでいた。

 山吹も桃子を見つめると、フッと笑ってやがて元の席に戻った。しかしその笑顔は決して快いものではなく、仄かに陰険さを含んでいた。

 戌亥は山吹の隣、議長席の右隣に当たる席に着いた。

 桃子たちも席に着くと、議長席に座る長髪の男がおもむろに口を開けた。


「集まったか。」


 自然と他の職員の背筋も伸びるような威厳のある低い声だった。桃子は辺りの空気がグッと重くなるような気がした。


「あ、すんません。福祉課はボスが二日酔いなんで、今日はオレが代理で参加してます。」


 手を挙げたのは冷月の真向いに座る男性だった。せっかく整った緊張感を壊すような明るい声に、何人かの職員がため息を吐いた。


「またか。」


「何だその体たらくは。」


 呆れた戌亥の声に、もう一つ、男性の声が重なった。

 声の主を探すと、冷月の左隣に腰掛ける人影が桃子の目に入った。喪服を彷彿とさせる漆黒のジャケットを着た彼も、巽と同じように死んだ魚のような目をしていた。ただ、巽と違うのは水気を含んだ新聞紙のようにくたびれた壮年男性だということ。乱れた七三分けで出席している様子を見ると、彼も重労働を強いられているようだった。


「いやぁ申し訳ないっス。帰ったら言っとくんでー。」


 頭を掻きながらヘラヘラと謝る様子は冷月よりも陽気だった。


「……では、総務課、今月の報告を。」


 議長が戌亥の方へ顔を向けると、彼女ははその場で立ち上がり、資料を広げ、各課の調査結果を読み上げた。


「ではまず自殺課から。特に目立ったハラスメントはなかったな。セクハラもパワハラもなく、職員同士のコミュニケーションも取れていたように見えた。自殺者の魂とも真摯に向き合っていたと思うが……全体的に暗い。暗すぎる。」


「そりゃ、自殺した魂と真正面から向き合うと気も滅入る。明るく振る舞う方が変だろ。」


 冷月の隣、死んだ魚の目をした壮年男性が口を挟んだ。彼が自殺課を統べる人物のようだ。


「それはそうなんだが、事務所の電気まで消す必要あるか?」


「節電だ。」


「だとしてもだ! キノコ生えそうなくらい鬱々としてるぞ自殺課は。」


「あっはは、キノコですって!」


 山吹は手を叩きながら快活に笑った。桃子は厳かな雰囲気があまり好きではないが、会議という場でここまで空気を乱す人物がいるのも少々不快だった。

 その後も、監察課、財務課、福祉課、とそれぞれの調査結果が読み上げられた。

 組織の話をほとんど冷月から聞かない桃子は、他の課が具体的にどのような活動を行なっているのか、この場で初めて知った。


「厚生課については、現在進行形で調査中だ。以上が今月の報告——」


「間に合わなかったのか?」


 戌亥が言い終わらないうちに、議長が割って入った。


「間に合わないも何も、総務課に何でもかんでも押し付けすぎだ。全課を回るなんぞ無理がある。気になるなら治安維持課も協力しろ。」


「えーでも、戌亥ちゃん厚生課に甘くない? というより、冷月くんに甘いのか。」


 弟子だもんねー、とケラケラ笑いながら山吹は戌亥に顔を向けた。初めて会う女性だが、桃子は山吹に対して苦手意識を持った。


「あと、ずっと気になってたんスけど、その子誰っスか? めっちゃかわいいんスけど。」


 桃子は目の前に座る福祉課の代理と目が合った。


「あぁ、それは——。」


「半年前から厚生課に所属することになった桃子だ。鬼だけど、いいやつなんだ、みんなよろしく。」


 戌亥が答えるより早く、冷月が座ったまま得意気に答えた。一斉に桃子に注目が集まり、どうにも居心地が悪かった。桃子は軽く礼をすると、

 

「鬼に人の気持ちがわかるのか?」


 冷たい言葉が耳に入った。


「わからないでしょ。鬼なんだもん。あ、でも獄卒でいられないってことは、なんか訳あり? 冷月くん博愛主義だねー。」


 桃子は手のひらに爪が食い込むことも気に留めず、拳を握った。自分のことをなんと言われても構わなかったが、なんとなく冷月を嘲るような物言いに我慢ならなかった。


「風の噂で聞いた話だが、罪人を逃そうとした獄卒がいたとか。まさか。」


 自殺課の男性が桃子を見る目を変えた。確証もないのに、軽蔑するような表情だった。


「待て貴様ら、ここへ連れてきたのは私の判断だ。紹介も含めて、少しは話を——。」


「聞く必要があるか? 仕事のできない鬼に何ができる?」


「厚生課なんでしょ? イメージって大事だと思うっスよ。」


「貴様ら、よってたかって、」


 次の瞬間、桃子の目の端に映る白い影が動いた。机を囲んで漂う嫌な雰囲気を断ち切るように、机を強く叩く音がした。


「おい、冷月……!」


 なだめるように戌亥は声をかけるが、勢いで立ち上がり、顔を伏せたままの冷月には届いていないようだった。


「お前ら、桃子の何を知ってんだよ。」


 桃子がこの会議室へ入って、一番空気が張り詰めた。しんと静まり返る会議室に、冷月の声が響く。静かに、けれども底に怒りを含んだ声。前髪とメガネに隠れた横顔からは、細かな表情まで読み取れないが、その声色からは真剣さが窺えた。

 依頼人を更生させる際に、本気で向き合うときの雰囲気に似ていた。桃子に対して向けられた懐疑の念を払いのける冷月の姿は頼もしかった。


「俺が選んだんだ。桃子の人柄に惹かれて。」


 顔を上げた冷月がふと桃子に目線を移した。薄暗い会議室で、冷月の瞳には光が宿っている気がした。

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