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アンビバレント・ヘブン  作者: 落水彩
総務課抜き打ち編
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総務課抜き打ち編① 来訪者

「……暇だな。」


「……暇ね。」


 厚生課の事務所は彼岸のとある雑居ビルの中に入っている。総務課や監察課などの本部が置かれている場所からは少し離れており、厚生課だけ隔離されたような扱いを受けている。彼岸の秩序を維持するための役人がいるには、少し似合わない場所だった。

 冷月(れいげつ)は、メガネをかけたまま事務机に突っ伏している。かけたメガネは若干ズレている。そんな様子をぼうっと眺めながら、桃子は応接間のソファに全体重をかけた。そのままずり落ちそうになりながら、目に下半月を作っている。一つに束ねたピンク色の髪の毛がソファの背もたれに引っかかり、不快そうな表情を見せた。

 少し年季の入った事務所の一室で、冷月と桃子は次の依頼を告げるファックスを待った。


「全ッ然依頼がこない。」


「そうね。」


 が、しかし、何も起こらない。室内には空調を一定に保つためのエアコンの音が微かに聞こえるだけだった。

 厚生課の主な仕事は生死を彷徨う魂を、更生させて現世に返すこと。依頼されてくる魂は多感な中高生が多いのだが、そのほとんどが希死念慮を抱いている。昨今の若者の死亡者を減らすべく新設された厚生課に、新たな依頼が来ないというのは、ある意味現世である此岸が平和な証拠でもあるのだが。


「結構立て続けに入ってたよな??」


「先週はね。」


「なんなんだよぉ、で、また急にどどっと忙しくなるんだぜ? これが。」


「前までがおかしかったのよ、全然休みなかったし。」


 二人の会話のキャッチボールは遅く、気の入らないものだった。フライのボールを投げるようで、飛距離が全く伸びない。それから、受け取る前に地面に落ちてしまいそうな、そんな声だった。


「休みってったって、することないしなぁ。体が鈍ったあとの仕事の方が憂鬱だ。それならずっと仕事していたい。」


「うわ……。」


 冷月は突っ伏したまま眉をひそめている。その様子を見て桃子はドン引きした。どうしてここまで仕事熱心なのかわからないといったふうに、うっすらと軽蔑の念すら覚えた。


「引くなよ。」


 口を尖らせた冷月が、反論すると、ピンポーン、と、来客を知らせるインターホンが鳴り響いた。


「お? 今日来客の予定なんてあったか?」


「いいえ、聞いてないけど。」


「なんだろう、郵便かな。」


 ピンポーン。出迎えを催促するようにもう一度鳴った。


「はーい、今行きますよっと。」


 重い体を起こして、椅子から立ち上がった冷月は軽く身なりを整えて玄関を開けた。


「やあ、久しいな。」


 バタン。


「え?」


 桃子からは客の顔が見えなかったが、光のような反射速度で冷月は扉を閉めた。

 ドアノブに手をかけたまま、桃子の方を振り返る冷月は、貼り付けたような笑顔で答えた。


「間違いだったみたいだ。」


 ピンポンピンポーン。冷月の発言を指摘するように、後ろでずっとチャイムが鳴っている。電子音が鳴り止むと、今度はガチャガチャと開かない扉のドアノブを無理に捻る音が桃子の耳に届いた。

 

「おい、開けろ。締め出す理由がわからん!」


「不法侵入だぞ、お偉いさんがそんなことしていいのかよっ!」


「偉いからできるんだ、いいから大人しく中に入れろ。」


 内側から鍵をかけられない仕様の扉では、侵入を力で抑えるのがやっとだった。桃子もようやく立ち上がると、冷月の様子を後ろから見守った。

 開いた扉の隙間からわずかに人の顔が覗いている。

 ショートボブに切り揃えられた黒髪と、緋色の瞳が特徴的な低身長の少女が、顔を強張らせて冷月との攻防を続けていた。


「あ。」


 その少女には桃子も見覚えがあった。確か冷月の元上司だかなんだかだ。初めて会ったのは純蓮(すみれ)を引き連れた商店街の真ん中だ。小柄な割に態度が大きかったような。いやこれは彼女を慕わない冷月が悪いのだろう。過去に色々あったようだが、桃子は詳しく知らなかった。

 

「いやだ! どうせ戌亥(いぬい)は碌な話しないからな!」


「なんだ、やましいことでもあるからそうやって抵抗するんだ、ろっ!」


「あう。」


 見た目からして負けるはずがないのに、後方に吹っ飛んだのは冷月だった。盛大に尻餅をついた冷月は疎ましそうに戌亥を睨んだ。


「てんめ、今どきそういうの好かれないぞ!」


「結構だ。貴様になんぞ好かれたところで、毛ほども嬉しくないからな。」


 ずけずけと中に入る戌亥と、尻をさすりながら立ち上がる冷月は、いまだに言い争いを続けている。


「……。」

 

 そんな戌亥の後ろに、もう一人、身長の割には存在感の薄い男が立っている。目には光がない。左目の泣きぼくろ以外に突出した特徴はなかった。


「……。」


 ハイライトのない瞳が桃子を捉えた。すると男は軽く会釈をした。若干下がり眉の彼は幸薄そうな顔をしている。海や山に入ったら、そのまま帰ってこなさそうな不安定さをはらんでいると、桃子は思った。


「紅茶淹れるわね。」


 桃子は早歩きで簡易キッチンへ向かうと、ケトルに水を入れて湯を沸かした。キッチンに備え付けられた引き出しから紅茶のティーバッグを取り出した。薄ピンクのパッケージのスチール缶に入った紅茶は、桃子のお気に入りのピーチティーだった。

 四人分の紅茶を用意すると、木のトレーに乗せて騒がしい方へ持って行った。


「俺の方が好かれてんじゃねーの?」


「貴様顔だけだろ。」


「そういうお前はいつも顔こえーんだよ。」


「誰のせいだ!」


「戌亥、その辺で……、」


 男が止めに入ろうにも、口喧(くちやかま)しい声にかき消されてしまう。この男、なんという名前だっただろうか。


「嘘でしょまだやってんの。」


 二人きりにすると一生喧嘩が止まないような勢いだ。桃子は、二人が改めて似たもの同士なのだと感じた。

 

「はぁ、此奴といるとストレスが溜まるな。」


「なら早く帰ればいいだろ。」


 膝下くらいの位置にあるテーブルを挟んだソファが二脚。桃子の隣には冷月が座った。相変わらず悪態をつく冷月を、桃子は横から小突いた。


(たつみ)も腹立たしいと思わんか。」


 桃子の向かい側に座る戌亥が隣の男——巽に声をかける。

 巽は名前を呼ばれてようやく顔を上げた。そうだ巽だ。すっかり桃子の頭からは彼の名前が抜け落ちていた。


「……そうだな。」


 巽は特別関心があるようには見えなかった。心底どうでも良さそうに、けれども状況を読むように戌亥に加勢した。

 

「ほれ。」「誘導尋問だろ!」


「で、お偉いさんが何の用?」


 口論を断ち切るように桃子は話題を変えた。これ以上、子どものような二人のやり取りを聞いていられなかった。


「ああ、」と戌亥は視線を桃子に移すと、本題に入った。


「近年、セクハラ、パワハラというものが現世で問題になっているらしくてな。彼岸でもそのようなハラスメントがないかを調査し、該当するような言動を見直し、より良い環境づくりに努めるべく、総務課は抜き打ちでいろんな課を見に行っているんだ。」


「え、それも総務の仕事なの。」


 名前からしてデスクワークを行うイメージのあった総務課は、桃子が思うよりオールラウンダーのようだった。

 

「だから暇ではないんだ。それに、冷月。貴様は、考え方が古い。偏見も目に余る。セクハラも無意識にやっていそうだ。」


 桃子は「ちょっとわかるかも。」とは声に出さなかったが、心で頷きながら冷月のターンを待った。


「なんだよそれ、お前の方がよっぽど偏見——「黙れ。」


 腕と足を組んだ戌亥が冷月の言葉を遮る。冷月の態度が目に余るのもわかるが、もう少しだけ優しくしてやってもいいんじゃないかと思う桃子だった。


「でも、見にきたって、今は依頼もない状態だし、それだけ多忙ならここにいる時間がもったいないんじゃないの?」


 見られて困るような業務は行なっていないが、依頼がないと厚生課の本領は発揮できない。冷月の様子もこのままだと面倒臭いので、桃子はぶぶ漬けを出すように……そこまで捻くれてはいないが、帰るようにそっと促した。


「そうだぞ、また呼んでやるからさっさと帰れ。」


 このバカ、せっかく言葉を包んだのに。桃子は舌打ちが出そうになるのを必死に抑えて、冷月を軽く睨んだ。


「確かに、一刻も早く本部に帰って別の業務をこなしたいところではあるが、厚生課の活動報告をするためには手ぶらでは帰れん。依頼が来るまで待たせてもらうぞ。」


「なんと非効率な。」


 桃子は軽い目眩を覚えた。別に厚生課以外の人物が居座ることはどうでも良いが、この程度の低い喧嘩を四六時中続けられるとなるとゲンナリした。テコでも動かないような戌亥には、どんな言葉をかけてもここから出ていくことはないのだろう。桃子は巽に目をやった。彼は戌亥の言うことを全肯定するロボットのようだが、心の中では早くこの場を後にしたいと思っているのではないだろうか。助け舟を求めるようにじっと見つめているが、

 ズズッ——。

 そんな願いを込めた視線には気づかず、桃子の淹れたピーチティーを啜るばかりだった。マイペースか!

 

「なあ、戌亥。ハラスメントがどうとかいってたけどよ。」


 冷月は何かを思い出すように上を見ながら顎に手を当てて戌亥に話しかけた。


「うん?」


「泣いてる女の子の肩ポンポンしたり、頬っぺた触って涙拭うのって、アウト?」


「え、あんたそんなことしたの?」


「いや、ちょっと気になっただけで俺は……。」


 冷月はしてないとは言わなかった。桃子から目を逸らす様子を見ると、事実なのだろう。桃子は呆れたようにため息をついた。


「その女の子が嫌がっていないなら問題ないと思うが、」


「よっしゃっ!」


「言い出せなかっただけで、心の中で嫌だと思っていたら、即地獄行きだぞ。」


「ねぇーー。」


 本当に表情がよく変わる、この男は。見ていて愉快ではあるが少々騒がしい。しかし、この表情の豊かさが、割と誰からも好かれる所以なのだろうと、桃子はそう感じた。自分にはない長所だった。


「貴様、そういうの顔で許されている節あるからな。気をつけろよ。」


「は、はい。」


 女子にどうこうというより、男子に男らしくないと言い放ち、あからさまに悪態をつく方がナンセンスだと感じた桃子であったが、これは黙っておくことにした。


「……で、本当に居座る気なの?」


 沈黙を破るように、桃子は戌亥に尋ねた。


「ああ、そのつもりだ。安心しろ、こんなこともあろうかとノートパソコンは持ってきている。」


「え、まじ。受験生の追い込みかよ。」


 ——受験生ってパソコン使うっけ。


 桃子は、冷月の例えがたまにわからない時がある。しかし、別にいちいち反応するほどでもないので、最近はスルーしている。


「まあ、私は使えんがな。」


「は、じゃあ何、お前後輩にやらすの?」


「部下だ。」


「だったらなんでもやらせていいわけじゃないぞ⁇」


「ん? 上司の仕事は部下の仕事、部下の手柄は上司の名誉だろ。」


「お前がいっちゃんコンプラやべーよ!」


 戌亥に言われるがままに巽はノートパソコンを開くと、事務仕事をし始めた。相変わらずの仏頂面だが、下がっていた眉毛がほんのり平行になっている。少しだけ口周りの筋肉に力が入っていることから、巽は喜んでいるようだった。その様子を側から見ている分には仕事ができそうだが、キーボードを叩くテンポは遅かった。


「まあそうカリカリするな。問題がないと判断すれば、言われなくてもすぐ帰るさ。」


 背もたれに全体重をかける戌亥は眠ってしまいそうな声を発した。


「……あと、貴様、今月の定例会、ちゃんと出席しろよ。」


「ゔっ。」


 冷月の顔つきが変わった。


「なんなら、そこの鬼の娘も来るか?」


「え、私行ってもいいの?」


 定例会、なんとも役人らしい響きだと思った。冷月は毎回出席している。「イッテキマス。」としわくちゃした顔で、事務所を嫌々出ていくのを何度も見たことがあった。その度に彼も一応厚生課のトップだったと再認識させられた。


「やめとけ、つまらんぞ。」


「貴様はもう喋るな。」


 まあ、事務所にいてもやることがないし、と桃子は暇つぶし感覚で誘いに乗ることにした。

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