果物
最後の最後で恋愛要素あります。
しゃくっ、という林檎を齧る音が響いた。金色に輝くその実は、普通の林檎と比べるとかなり大きかった。断面まで黄色が強い冠と呼ばれるその品種は、両手にも余るほどのサイズを誇り、糖度も高く、時間が経ってもボケにくい特徴を持っている。市場には出回っていないのは、開発されて十年たっても作っている果樹園が世界に一つしかないからというのが最も大きな原因だろう。
「犬飼。今年の出来はどう?」
「猿滝……お前何処から入ってきた?」
「何を言ってるの。玄関の門が開きっぱなしだったよ? このご時世に、随分と間が抜けてるね」
「お前の家だって、使用人がいない日は管理が疎かになっているぞ」
犬飼と呼ばれた男は、一口齧った林檎をもう一人の男へ投げた。それを受け止めた青年は、少し果実を眺めた後、美しい表面に齧りついた。
「……普通の魔力がこもった実だね。今年の一本樹はどうなってるのかな」
「あの樹からはまだ収穫していない。この果樹園で唯一特殊な実をつける樹だからな」
「今年はどんな効果が発現したかな。分かったらまた教えて」
冠と同じ色の短髪を持つ青年は「僕の背じゃ届かないからさ」と言って笑った。中性的な顔立ちに男性としては少し低めな背丈の猿滝は、この果樹園を営む犬飼とはそこそこ長い付き合いになる。林檎の樹に魔力を与えて育てるためには、猿滝の魔力調律が必須だったのだ。
「しかしまぁ、君の樹木管理は素晴らしい果実を作るね」
「お前の魔力調律があってこそだがな」
「それにしても、この果実を求める人間、毎年ウジのように湧くけど。一体どこから冠の魔力保持を知ったんだろうね」
「さぁな。俺からすれば、果樹園自体の管理は徹底しているから盗まれることは無いし、どうでもいいと言えばどうでもいいんだが」
背も高く、魔力保持量が上位である証の茶髪を持つ犬飼にとって、広大な果樹園一つを守り抜くことくらいは容易い事だった。ずっと一人で守ってきた果樹園に人を入れたのは、猿滝が初めてだった程だ。
猿滝は犬飼が探していた条件にぴったりだった。医師にも殆どいないという貴重な魔力調律の能力を持ち、自分よりも若く、そして——男であること。
冠を作ってからというもの、犬飼の周りにはその魔力を持つ美しい実を手に入れようと、数多の女が近寄ってきた。冠には多少の差はあれど、魔力がこもっている。それを使えば望んだ容姿になれると噂が立ち、そうなってしまったのだ。その為、犬飼は女に辟易しているという事情があった。
「あ、そうだ。今日はミリーとお茶会があるんだった。僕はそろそろ行くね」
「お前……前回のお茶会で男に言い寄られたとか言ってなかったか? 本当に行くのか」
「犬飼は心配性だなぁ。大丈夫だよ、今日のお茶会はミリーの家でやるんだ」
「猿滝、お前非力なわりに顔は良いから、慰み者にされないように気を付けるんだぞ」
怖いこと言わないでよ、と言いつつ、猿滝は分かったと頷く。そのまま果樹園を去っていくのを、犬飼は心配げに見送るのだった。
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「そうだった……前回口が滑ってそんなようなこと言っちゃったんだったな。男のフリしてるのに」
そう、猿滝は実は女なのである。魔力調律を使える女というと、都合よく自分のために利用したい男に捕まる可能性があるから、家族以外には男だと思われるように生活しているのだった。
魔力調律は、この世界では万能な力とも呼ばれている。傷を癒すことも出来るし、魔力量を増大させることも、身体能力を上げることも可能だ。枯れた土地に魔力の流れを引っ張ってきて水を与えることも出来るし、逆に枯れさせることも出来る。人間を操ったり記憶を操作したりもできるが、禁忌の類なので誰もやろうとはしない。
「まぁいいか、取り敢えずミリーのお茶会に遅れないようにいかないと」
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「まぁ! 来てくれたの猿滝さん!」
「そりゃあ、折角誘ってもらったんだし。来るって言ってあったんだから来るよ」
「あらそう? じゃあ早速で悪いんだけど……」
「俺たちの話、聞いてもらおうか?」
「……うん?」
お茶会のために確保されたスペースには、出入り口が一つしかない。そして、今、屈強な男たちが、その唯一の出入り口を塞いだのだった。
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「あ? これ……猿滝の商売道具じゃねぇか」
一方犬飼は、猿滝の置いていったアタッシュケースを見つけ、溜息をついていたところだった。何を考えていたのか、彼は自分の最も大切であるはずの商売道具——尺八を果樹園に忘れていったのだ。
魔力を息に乗せて吹き込むことで音に力を込め、調律するのが彼のやり方。魔力を込められるなら楽器じゃなかろうがなんでもいいらしいのだが、彼は好んで尺八を使っていた。
「届けに行くか。最近仲良くなったとかいうミリーってやつの家にいるんなら、まぁ分かるだろ」
道すがら近くの住人達に話を聞きながら行けばいい。そんな単純な思考で、犬飼は果樹園を発った。
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「かはっ……これ、は、やりすぎ……でしょ、げほっ……」
「あらあら~、貴方が悪いんじゃない。ただちょっと、反乱を起こす為に人間たちを洗脳してくれって言ってるだけなのよ?」
「だ、から……僕は、禁忌は、やらない……って、ずっと、言って、る……」
「馬鹿ねぇ。死なない程度にもっと痛めつけて差し上げて」
(多少はこういう事もあるだろうとは思ってたけど、やっぱきついなぁ)
魔力調律を持つ人間は国家という法人に属し、基本的に女性は一人で行動することは無い。それはこのような危険なことが起こり得るからであり、貴重な能力を持つ人間を政府が野放しにしておきたくないからでもある。しかし人権尊重ということもあり、付き人を連れずに生活する調律師もいる。
そして、付き人を連れずに生活する調律師の中の一人が、猿滝であった。彼女は自分が今まで作り上げてきたコミュニティに知らない人間を入れようとしなかった。そして最も大きな理由は、彼女が聖女であることを隠すためでもある。
通常の人間は、一つの能力を持って生まれてくることが当たり前になっている。それが役に立とうが立たなかろうが、必ず一つだけ能力を持って生まれてくるのだ。しかし、その前提が覆される存在がある。聖女と呼ばれる存在だ。
彼らは聖女という一つの能力を持つことで、ほぼ万能ともいえる力を持つ。その内容は、底なしの魔力と全能力の開花である。そして、能力名から分かる通り、女性にしか発現しない能力でもある。
聖女だろうと魔力調律だろうと、女性には自由がない。それが理由で、猿滝は自分が女性であることや能力を隠しておきたいのだ。彼女が調律師なのは、最初に使った能力が魔力調律だったから、というだけの理由である。
「うっ……げほっ、ごほっ……そ、ろそろ、やめてくれない、かなぁ……? 痛い、ん、だけど」
「承諾して下さったら、後でお医者様にでも連れて行って差し上げますわ。というか……猿滝さんって女性でいらしたのね?」
「だったら、なんだって、いうの……さ」
「いいえ? 都合がいいと思ったまでですわ。ここには大の男が五人もいるんですもの……ねぇ?」
だから普通は付き人を連れるんですのよ、とミリーが高らかに笑い、男たちをけしかけようとした、その時。
「おらどけてめぇ死にてぇのか!」
「お待ちくだ……ぐっ」
「きゃあああ!」
「え……? 犬飼?」
ボロボロになった猿滝のいる屋敷へ乗り込んできたのは、犬飼だった。道すがらミリーの家やその話を聞く中で、魔力調律の能力を持つ人間をとらえることに成功したと言いふらす使用人が居たという話を聞いたのだ。確実に猿滝だろうと思い至った犬飼は、慌ててミリーの屋敷に駆け付けたのだ。
「猿滝は何処だ。あの中性的な顔立ちの美丈夫だ」
「そ、それなら……すぐそこの、角を曲がった、最初の部屋に……」
「そうか」
一つ頷くと、植物の種を2、3粒放り投げる。犬飼が魔力を込めると、急成長して大きな幹になり、壁を破壊した。ついでに壁際にいた三人の男を下敷きにすると、猿滝のもとへ駆け寄った。
「猿た——」
「来ないでっ!」
そこに居たのは、服を破られてほぼ何も身に纏っていない猿滝だった。それは、どう見ても男性特有のモノなど持っていなくて。男性にはないであろうふくらみがあった。
「さる、たき……?」
「犬飼……ごめん、僕、君のこと騙して——」
「傷だらけじゃねぇか! 血も出て……早くこれを着ろ、寒くないか?」
「へ……? えっと、ありがとう……」
犬飼は自分の纏っていたコートを猿滝に着せると、ミリーと周りの男たちを睨みつけた。猿滝を庇うように立ち上がると、敵意も丸出しで拳を構える。
「猿滝はなぁ。俺の大事な仕事のパートナーなんだよ。お前ら如きに渡してたまるか」
「……あら。これじゃ不利ね。いいわ、仕方が無いからその子は返してあげる。でも、隙を見せたら即刻奪って見せましてよ」
「俺から奪う? 冗談じゃねぇ。俺がお前らに負けるとでも思うか」
ミリーたちを鼻で笑うと、怪我や疲労で動けない猿滝を抱え、犬飼は屋敷を後にした。その抱え方は至極丁寧で、所謂『お姫様抱っこ』であった。猿滝は赤面したが、犬飼はそんなことはお構いなしである。
「帰ったら事情を聞こう」
「……はい」
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「で、お前は聖女であることと同時に、女だということも隠していたと」
「うん……ごめんね、犬飼。騙していて」
落ち込んだ猿滝が全てをカミングアウトした後、犬飼は溜息をついた。そのまま猿滝を抱きしめると、膝の上に座らせた。
「正直、安心した」
「え? どういう意味……?」
「俺は男に欲情するようになってしまったのかと悩んでいたところだったんだ。お前が女でよかった」
「よく……え???」
犬飼の表情がいたずらっ子のような笑みに変わり、猿滝はそれを見て戦慄した。
「お前が女なら、もう我慢する必要は無いな」
「ひぇ……」
「——覚悟しろよ」