おっさんて、悲しい生き物ね
「え!?」
次の瞬間、わたしの視界に入ったのは、猛然と迫ってくる地面だった。
「わたし、落ちてる!?」
すばやく腕を前に突き出す。考える前に体が動いた。
「エアーブラスター!」
目の前に怒涛の風の波が現れる。それは迫りくる地面を押し返し、わたしを再び空へと押し上げた。
「え・・えええ・・!?」
放物線を描いて、わたしはそのまま空中を飛んでいく。
「あわわわ!!」
再び地面が迫る。
「エアーブラスター!!!」
今度は威力の調整がうまくいった!
地面への軟着陸に成功・・・
どかっ!
「痛っ!」
思いっきり尻もちをついてしまった。
「もう、痛いじゃない!」
わたしは、痛む腰をさする。
・・・あれ?
腰に当てている自分の手を、わたしは凝視した。
「これ、わたしの手?」
6歳の子供の手にしては、ずいぶんと大きい。どう見ても、大人の女性の手だ。
わたしはいったい・・・?
・・・いや
今はそんなことを考えている場合じゃない!
あの冒険者はどうなったんだろう?
崖から落ちるところまでは、見ていた気がするんだど・・・
わたしは周囲を見回す。
目の前には、そびえ立つ崖がある。崖は左右にどこまでも続いていて、その上には木々が生い茂っているのが見える。その崖の下は、乾いた岩場になっていて、ところどころ濡れている場所がある。
さらに、後ろを振り返ってみると・・・
「湖?」
そこには、広大な水面が広がっていた。その遥か向こうには、高い山々が見えている。水面はおだやかで、波ひとつない。
今、自分がいるのは、どうやらその池の水が引いたあとの底の部分のようだった。
この場所、明らかに見覚えがある。
「ここって、さっきあのおっさんが落ちた場所だよね・・・?」
わたしは立ち上がろうとする。
ごつ!
「いたっ!!」
頭に何か硬い物が当たった。
「キイイイイッ!!」
叫び声に気が付いて見上げると、崖の上に緑色の生物がたくさん並んでいる。そしてその生物は、わたしに向かって石を投げつけていた。
「なにすんのよ!」
わたしはすぐさま立ち上がる。そして、崖の方向へ向かって大きく腕を突き出した。
「くらいなさい、ファイアーボルト!」
目前に大きな火の玉が出現する。それは大きな放物線を描いて飛んでいき、崖の上に着弾した。
ズガーーーーン!!!
巨大な火柱が立ち上る。
崖の上は猛火の嵐につつまれた。粉々になった大木の破片や、元が何か分からないほどに焦げた真っ黒な黒い物体が炎に巻き上げられる。大量のすすが崖下へも降り注いだ。
「ちょっと、やりすぎたかも・・・」
火が消えた後、ぶすぶすと黒い煙が立ち上る様子を見て、わたしは思わずつぶやいた。
魔法の威力があまりにも強力で、森の木々が吹き飛んだだけでなく、崖の一部も崩れ落ちていた。もちろん、崖の上にいたはずの緑色の生物など、その痕跡すら見当たらない。
「あれて、ゴブリンだったよね・・・?」
わたしは、石を投げつけてきた生物のことを思い出そうとしていた。緑色をしたその生物は、人間と同じように二本足で立ち、武器を手に持って振り回していた。尖った鼻と耳、毛のないつるっとした頭、粗末な装備・・・
やっぱり、間違いない。
冒険者の男の人を追いかけていた、ゴブリンっぽい生物にちがいない。
でも、なぜ?
ゴブリンは男の人を追いかけていたはず。だというのに、わたしを攻撃してきた。
いや、まって。
それよりも、もっと大きな疑問がある。
「・・・わたし、どうなったの?」
改めて自分の手を見る。
それは、見慣れた六歳児のふっくらした小さい手ではなかった。大人の女性の大きさの、すらりとした美しい手だ。
続いて、自分の足元を見ようとする。
そこで気が付いた。
「これは!?」
真下を向いたとき、わたしの視界にはありえないものが入った。それは、六歳の女の子では絶対にありえない、ふくよかな二つの丘だった。その「丘」は、サイズの合っていない防具におしつぶされ、微妙に平たくはなっていた。
しかし、これはまぎれもなくアレだ。
「胸が・・・胸がある!!」
あわてて、腰や足も触ってみる。
「体が大きくなってる!!」
腕や足の長さから考えると、身長は大人の女性に近いサイズになっているようだ。
「いったい、何がどうなって・・・」
わたしは、すぐ近くにあった水たまりへと走る。それを覗き込んだとき、わたしは自分の姿に驚愕した。
「大人になってる・・・ってか、これってわたしなの!?」
草色の長い髪、母親譲りの大きな瞳と長いまつ毛、ふっくらとした頬・・・たしかに、見慣れた自分の六歳児の特徴は残っている。ただ、年齢だけが大きく違っていた。
「お母様が16歳なら、こんな感じなのかな・・・」
わたしは水に映る自分の姿をまじまじと眺めた。
そのとき、別のことにも気が付いた。
「この金属の盾、あの冒険者の人がつけていたものと同じよね?」
右手の腕の外側には、使い古された金属の小さな盾がついていた。使い古されてはいるが、表面には錆のひとつもない。薄っすらと表面が虹色に見えるのは、錆止めの油のようなものが塗られているからだろう。
この盾は、あの男の人がゴブリンの矢を弾いたときに使ったものとよく似ている。
いや、それだけじゃない。
「このボウガンも、あの人が使ってたよね?」
右の腰のベルトに、小さなボウガンがセットされている。片手で矢をセットできる機構が組み込まれた優れモノだった。これなら、反対の手が塞がっていても撃つことができる。大きなダメージは与えられないが、急所にあてることができれば命を奪うこともできそうだ。
ボウガンには伸び縮みする紐でベルトと繋がっていて、もしボウガンから手をはなしても、ベルトの位置へと自動的に戻るようになっていた。これならボウガンを撃った直後に、隙を作らず次の行動に移ることができる。
実によく工夫されてるなあ・・・
「このポーチの中身はなんだろう?」
わたしは、腰にいくつも付けられているポーチの一つを開けようとして、思わず我に返った。
「ちがう、ちがう!」
そんなことをしている場合じゃなかった。
ボウガンとこの盾は、あの冒険者が身に着けていたものだ。それなのに、今はわたしがつけている。そして、わたしは何故かゴブリンに攻撃されて、崖から落下していた。
これらの事実から導きだされる答えは、ひとつしかない。
「わたし、あの人と入れ替わった・・・!?」
そのとき、突然わたしは眩暈を覚えた。
「あれ・・?」
ぐにゃりと視界が崩れる。
たまらず、その場にひざをつく。
「・・・、・・・・!」
遠くで、誰かの声がした気がした。
でも、わたしはそれを確かめるだけの余裕がなかった。
「・・・!」
誰かが呼んでいる。
誰かが、わたしのことを・・・・
◆
「・・・ヴィア、ちょっと、タヴィアちゃん!」
「!!」
わたしは椅子から飛び起きた。
「タヴィアちゃん、だめでしょ、こんなところで寝たら。風邪ひくよ?」
「・・・姉様」
わたしの名前を呼んでいたのは、フィアナ姉様だった。
体を起こし、周囲を見回す。
そこは、いつも見慣れた王立図書館の一角だった。わたしは、椅子にもたれかかって、うたた寝をしていたらしい。
「・・・あれは夢だったの?」
ゴブリンに追いかけられ、崖から落ちた冒険者。そして、その冒険者と入れ替わり、魔法でゴブリンを焼き尽くすわたし。
全部、夢だったのだろうか?
「悪い夢でも見てたの?なんだか、ぶつぶつ言っていたようだけど」
姉様の栗色の瞳が、わたしを心配そうにのぞき込む、
「うん、ちょっとね。でも大丈夫」
そのときのわたしは半分ほっとしていた。でも、半分は落胆していた。
「きっと疲れているのよ。今日はもう帰りましょう」
・・・やっぱり、夢だったんだ。
そうだよね。
だって、わたしは呪いで魔法を使えないんだもの。崖の上を焼き尽くすようなすごい火魔法とか、使えるはずがない。
どうして、あんな夢をみたのだろう?
魔法を使いたいというわたしの強い願望が、あんな夢を見せたのだろうか。
あの冒険者に不思議と共感を覚えたことも気になる。あの人が、転生する直前の自分に、どことなく似ていたからかもしれない。もちろん、自分はあの人のような卓越した戦闘能力はもっていなかったけど。
「ひとりで黙々と仕事を続け、ある日突然居場所を失った」
考えれば考えるほど、あの冒険者は自分に似ている気がしてきた。あれは、もし自分がこの世界で「おっさん」として生きていたら、ああだったというイメージだったのかもしれない。そのイメージが、夢として具現化したと思えば納得できる。
誰に褒められるでもなく、誰かに必要とされるでもなく。ただひたすら、生きるためにだけに生きてきた。
そんなおっさんが、最後の最後に一回だけ美少女に変身して、思う存分チート能力を使う。
まさに夢のようじゃない?
孤独に生きてきたおっさんの、ささやかな夢。
「おっさんて、悲しい生き物ね」
「・・・タヴィアちゃん、何か言った?」
「ううん、何も」
わたしは姉に手を引かれ、図書館を後にした。