80 残り61日 勇者、土砂崩れから逃げる
サルの魔物を蹴散らし、縛られていた冒険者を解放した時、勇者アキヒコは少女セレスがいないことに気づいた。
「セレスはどこだ?」
「すぐに合流するでしょう。なにしろ、進化と豊穣を司る女神様なんだから」
「進化と豊穣? 女神? 何それ」
アキヒコに助けられた冒険者の女は、仲間を失ったことに動揺するより、女神のことを知りたがった。
鎧を着ただけのサルに、人間を生け捕りにするために縛り上げるという知恵がある事にアキヒコは驚いたが、鎧を身につける知恵があるのだ。驚くことではないのだろう。
「聖剣に封印されていた女神だ。聖剣が無くなっていることには気づいたかい?」
女を縛っていた蔓を切ってから、アキヒコはザラメ山脈の剣ヶ峰を指差した。
「そうなの? ここからじゃ見えないけど……封印されていたって、どうして?」
仲間の生死を問わないのは、親しい仲間ではなかったのか、冒険者とはそういうものなのか、アキヒコにはわからなかった。
「分からないわ。でも、力は本物みたいね」
ペコが答える。ペコは、邪神が封印された理由を知っていた。言わなかったのは、冒険者の女を動揺させることはないと考えたのだろう。
アキヒコが聖剣を持てるまでに進化したのは、セレスの血を飲まされた後だ。ペコも、その力は否定しなかった。
「わ、私にも、進化の力を分けてもらえるかな?」
「苦労して強くなるほうがいいと思うけどね」
「初めから才能に恵まれた人はそうかもしれないけど、私は違う。私を仲間に入れてくれた人たちはいい人達だったけど、魔物とまともな戦闘をすれば、全滅するのは分かっていたわ。何とか領主の依頼をこなして、当面の生活費を稼いだら、抜けようと思っていた。だって、死にたくないもの。女神様に進化させてもらえれば……死ななくてもよくなるわよね?」
「……うん。まあ、お願いしてみたら? 私はあまり……好きじゃないから……」
ペコが言葉を濁した。
「遅いな。探してくる」
「子どもなのは見た目だけじゃ。心配はなかろう」
「奇跡の力があっても、戦う力はないかもしれない。それに……僕はセレスを守ると約束したんだ」
ギンタに対して、アキヒコは強く主張した。ギンタは呆れたように手を振った。
「好きにせい。わしも、探しに行く気にはなれん。クモコがあれを警戒しておるのでな」
「ああ。わかった」
アキヒコは、ひとりで森に戻ろとした。体が非常に軽く感じた。山を貫くような巨石の質量を持ち上げていたのだ。下ろせば軽くはなるだろう。だが、アキヒコには女神セレスの力だと感じられた。
轟音に、アキヒコの足が止まった。
先程、アキヒコが指差した方向、ザラメ山脈の剣ヶ峰があり、アキヒコたちが歩いてきた方向に、先程までは存在しなかった巨石が出現していた。
距離は、百歩も離れている。アキヒコは、その場所は、自分が聖剣を突き立てた位置だと理解していた。
発生した轟音は、聖剣が岩に戻ったときに押しのけた森の木々の悲鳴だろう。
「アキヒコ!」
森の中から、少女セレスが飛び出してきた。
今まではアキヒコに一定の距離をとっていたが、真っ直ぐに進んで勇者アキヒコの胸に飛び込んだ。
「セレス、どうに行っていた。心配したよ」
「うん。大丈夫。それよりアキヒコ、山崩れ」
「なに? 巻き込まれなかったか?」
「うん。これからだから」
「アキヒコ、逃げるわよ!」
魔術師ペコが叫んだ。少女セレスが逃げてきた方向、つまり巨石に戻った聖剣がある方角から、地割れが伸びてきていた。
ペコが浮遊の魔術を使用する。ギンタがクモコを走らせた。
「アキヒコ、その子をお願い」
「わかった」
アキヒコは少女セレスを小脇に、まだ地面にへたり込んでいた冒険者の女に手を伸ばした。
「……なんなの?」
「山が崩れる。走れ」
アキヒコが強引に引き立たせる。すぐ背後のまで、山が崩れてきた。
「む、無理無理無理……逃げられるはずない」
「わかった。ヘリウムバルーン」
アキヒコが魔術を行使する。
アキヒコの足元まで山崩れが達するのと、アキヒコと二人の女性が浮き上がるのが同時だった。
アキヒコが体をひねる。
聖剣が一部露出し、山の中腹に深々と刺さっているのが見えた。
巨大な楔が打ち込まれたも同然だ。山が崩れ、土石流となってカバデールに押し寄せた。それでもなお、聖剣は地下に深々と刺さったままだった。
「……しまった。カバデールが……」
「町までは届かないでしょう……というように祈りましょう」
自力の魔術で浮遊したペコが慰める。土石流がどこまで被害を及ぼしているか、上から眺めただけではわからなかった。




