76 残り63日 勇者、進化を得る
勇者アキヒコは、聖剣を担いだままザラメ山脈を下ろうとしていた。
幼い少女姿の、女神を名乗るセレスが、聖剣を持ち上げられる力をアキヒコに与えた。アキヒコは聖剣を持てるまでに進化したのだと、セレスは言う。
女神セレスは、進化と豊穣を司るのだ。
アキヒコには進化の自覚がなかったものの、できなかったことをできるようにしたセレスという少女を信じた。
「そんな剣、もう用済みでしょう」
アキヒコのやや前を歩きながら、少女セレスは言った。
「せっかく持てるようになったんだし……鍛錬にも丁度いい。もう少し持って歩くよ」
アキヒコは、聖剣を担ぎ上げてバランスを取りながら、慎重に山道を降る。
しばらくは筋力トレーニングだと、自分に言い聞かせた。
「アキヒコ……その剣は手放しちゃ駄目よ」
魔術師ペコが耳打ちする。
「どうしたんだ?」
せっかく持てるようになった剣だが、現在のところ、役には立たない。一度振り下ろせば、再び持ち上げる自信がないほどに重い。
「あの大岩を聖剣だとみんなが呼んでいたのは、伊達ではなかったのよ。伝承に、邪神を討ち亡ぼすために、天から巨大な剣が降り注いだというのがある。それが……巨大な岩に見えた剣なのかもしれない。もしそうであれば……セレスという子……もし邪神だったなら……過去の世界を混乱に陥れ、滅亡する寸前まで追い込んだ当人ということになるのよ」
「伝承では、討ち滅ぼされたんだろう? 本人も封印されていたことは認めているよ。司るのが、進化と豊穣と言っているし……邪神っていうことはないんじゃないか?」
「本当のことを言っているとは限らないわ」
「どっちに行くの?」
アキヒコの少し前を進んでいた少女が立ち止まった。聖剣が突き立っていた場所から、ほぼ尾根伝いに歩いてきた。
少女が立っていた場所で、道が分岐していた。
北に向かえば港町ラーファに、南ならば平原の町カバデールが近い。
「僕は、魔王を倒すために力をつけなければならない。その意味では……ラーファかな」
「魔王? そんなのがいるの?」
少女セレスは、目をきらきらと輝かせた。
「とても恐ろしい魔王よ。邪神といえど、滅ぼされるかもしれない。魔王を打ち果たせるのは、勇者アキヒコだけだもの」
「……へぇ。私……魔王を見てみたい」
少女セレスが、カバデールの方向を指差した。
「進化と豊穣を司るのじゃろう? 魔王と関係があるのか?」
毒ドワーフのギンタが、クモコに乗ったままアキヒコの背後から追いついてくる。クモコが狩りをしながらなので、歩みは自然に遅くなる。
「魔王に苦しめられる人々を見捨ててはおけません」
少女が胸の前で手を組み合わせ、突然厳かな口調になった。
「……ペコ、どうすればいいと思う?」
「カバデールはすでに魔王の支配地よ。勇者は戦争には参加しないといっても……魔王に苦しめられている人々を見殺しにはできないわ。冒険者たちにカバデールを目指すよう、高額の依頼がラーファの領主から出ているのよ。強くなるためだとすれば……ラーファに戻る理由がないわね。むしろ、カバデールに潜入して、強い魔物と戦うほうがいいでしょうね。魔王とは戦わないまでもね」
「……わかった。行こう。カバデールへ」
勇者アキヒコは、南に行くことを決意した。
※
勇者アキヒコが全身に汗を掻き、ついに足が止まった。
ザラメ山脈の尾根から南に進路をとり、30分とは歩いていない。
「アキヒコ、大丈夫?」
「……ああ」
アキヒコはゆっくりと、肩の聖剣を下ろした。大きく深呼吸を繰り返す。
「進化の力とやら、もう一度は使えんのか?」
ギンタは、クモコが狩りをして手に入れた小動物を分けてもらい、食事のしたくをしながら尋ねた。尋ねた相手は、進化の力を授けた少女セレスである。
「一度授けた進化は不可逆です。より先の進化をするためには、今の力を使いこなす必要があります。無計画に同じことを繰り返せば、勇者は人の姿ではなくなるかもしれない」
「ギンタ、僕は大丈夫」
「力の進化は今は限界だけど……魔力の進化を授けましょうか? 知恵も、運命も……他の進化なら、いくらでも授けられるのに」
「聖剣など、必要なくなるほど?」
「ええ」
聖剣など必要ない。そう言ったセレスの言葉をペコは覚えていたのだ。ペコの問いに、少女セレスがにまりと笑った。




