72 残り65日 勇者、聖剣を手に入れる
非常に臭い薬が1日かけて完成し、勇者アキヒコは自分にふりかけた。
材料が一人分しかなかったためである。
ドラゴンの五感は極めて優秀であり、鼻が曲がるような臭い相手に興味を持つとは思えない。そう魔術師ペコに説得され、アキヒコは臭い液体を自らにふりかけたのだ。
鼻をつまんで手を振るペコと毒ドワーフのギンタ、巨大蜘蛛のクモコに悪態をつきながら、勇者アキヒコはすくむ脚を押さえつけて、聖剣という名の岩とブラックドラゴンに挑んだ。
ブラックドラゴンの視線が痛い。明らかにアキヒコを見つけている。
鼻腔がヒクつき、非常に嫌そうに顔を背けた。
ドラゴンに嫌がられるのはショックではあったが、アキヒコを勇気付けた。
脚を速める。
「アキヒコ、来るわ!」
背後からペコの声が響き、アキヒコは火事場の盾に身を隠した。
ブラックドラゴンの頭部が迫る。
口が開く。アキヒコは、上半身を食い千切られた剣聖サルモネラを思い出す。
ドラゴンの牙がアキヒコに届く寸前、ドラゴンは長い首を曲げ、背後に逃げるように飛び上がり、聖剣である大岩の上に戻って留まった。
「いけるぞ。チャンスじゃ」
ギンタが叫ぶ。アキヒコは地面を蹴りたてた。聖剣は目の前だ。
再び、ブラックドラゴンが降りてきた。どうしてもアキヒコの邪魔をしたいようだ。今度はドラゴンは学習したらしく、牙がある首ではなく強大な前足を繰り出してきた。
「アキヒコ、涼風よ」
「わかっている。センプウキ」
アキヒコが唱えた魔術は、暑い日に涼を取る心地よい風を生む。
上空に風を送った。くさい臭いも巻き上がる。
ブラックドラゴンがもんどりうって倒れ、ごつい前足で鼻を抑えた。
アキヒコが巨大な岩そのものである聖剣に触れた。
「……何か、この岩に武器のヒントがあれば……」
アキヒコが目を凝らして巨石に顔を近づけた時、目の前の巨大な岩が消えた。
アキヒコが触れていたものは、岩ではなくなっていた。
細く、冷たい、一枚の岩から削り出したような灰色の剣が、アキヒコの手にあった。
「……これが、聖剣?」
アキヒコは聖剣を掴んだ。その途端、地面に引かれるかのように突っ伏した。
何事でもない。ただ、聖剣が重かったのだ。
「アキヒコ、凄いわ。やっぱり、ただの岩じゃなかった。勇者が触れたから、剣に戻ったのよ」
「お、重くて持ち上がらない」
「ひょっとして、形が変わっただけで、重さは岩のままなんじゃないかのう?」
ギンタの声が聞こえた。アキヒコは、巨大な岩の重量を想像する。
数万トンでは足りないかもしれない。剣の形からすると、大半はザラメ山脈の地中に埋まっていたことになる。
「……で、でも……」
ブラックドラゴンはまだ苦しんでいる。ペコが飛び出した。
「聖剣よ。軽くなれ。ヘリウムバルーン」
ペコが魔術を振るう。だが、ほとんど重さは変わらない。アキヒコも同じ呪文を唱えた。全く効果は感じない。
ブラックドラゴンが立ち直った。
「アキヒコ、食われるぞ」
「キシャー!」
ギンタとクモコの声に、アキヒコが全力を振り絞った。火事場の盾は名前の通り、火事場でしか発揮しないとされる隠れた力を引き出すのだ。
ブラックドラゴンの頭部が迫っていた。
勇者アキヒコは、巨大な岩そのもの質量を持つ聖剣を握り、わずかに、持ち上げた。
ドラゴンに食われる寸前、担ぎ上げ、振り下ろした。
ドラゴンが弾き飛ばされる。
空中に飛ばされたブラックドラゴンは、態勢を整えるが、再び戻ってはこなかった。ブラックドラゴンは、聖剣を根城とするよう命じられただけなので、聖剣がなくなった以上とどまる理由がなかったのだとは、アキヒコが知るところではない。
ブラックドラゴンが飛び去り、勇者アキヒコは、重すぎて振ることもままならない聖剣を自分のものとした。




