52 残り75日 勇者、『愁いの写し』を得る
勇者アキヒコは、魔術師ペコとともに、ロンディーニャ姫に連れられて王宮の宝物庫に入っていた。
まるで博物館のように綺麗に陳列されていたのは、国宝級の品々である。
見た目が美しいのはただの工芸品である場合もあるが、ごく普通の作りのものには、宝物庫に陳列されるだけの意味があるのだと、ロンディーニャは語った。
「『愁いの写し』は、こちらです」
宝物庫には、ロンディーニャが一緒でなければ入れなかった。入った後も、ロンディーニャは宝物庫を知り尽くしているらしく、迷わず進んでいく。
「姫、王は僕に、魔王を倒せとおっしゃいました」
宝物庫の道すがら、アキヒコは姫に尋ねた。
「ええ。私も聞いていました。当初は、勇者を戦争に参加させようという考えもあったようです。ですが……最近登場した魔王は、どんな手段を使ってくるかわからない。父である王だけでなく、大臣たちもそう考えているようです。たとえ、勇者が参加して戦力は上回っても、大局を見れば負けているかもしれない。勇者を参加させた戦争を負け戦にしてはならない。それこそ、人々は王に対する信頼を失うでしょう。何より、魔王が自ら人間を殺していないというのが厄介なのです。ならば、勇者はむしろ、戦争に参加させてはならない。それが、王と大臣たちの判断なのです」
「姫さま、体調はどうですか?」
「特に変わりはありませんよ、ペコ……あの話、本当なのですか?」
ロンディーニャが魔術師を見る。アキヒコも、つい視線がロンディーニャの下腹部に向かってしまった。
腹が出てきているということはない。
「間違いはないはずなのですが……」
「時々、食事を吐いてしまうことがあるぐらいでしょうか。変ですね。食べている量は増えているのに……」
以前の世界で、アキヒコが父であったことはない。聞いたことしかない。だが、聞いたことのある症状だ。
「ペコ……それ……」
「……うん。典医様には、あのことは申し伝えてあるのですか?」
「まさか……たった一度で出来たなど……そのたった一度を、勇者様がいらした初日に済ませたなど……どうして言えましょう」
「……わかりました。私から、侍女たちに気をつけるよう言っておきます」
「ありがとう」
ロンディーニャはにこやかに笑い、足を止めた。
「こちらが、『愁いの写し』です」
ロンディーニャが指し示したのは、複雑な図形が描かれた金属の枠に縁取られた、丸い銀盤だった。
「触ってもいいですか?」
「もちろんです。そのために来たのですから」
アキヒコが銀盤を持ち上げる。吸い付くような滑らかな手触りだった。
「……どうやって使うのですか?」
「覗き込み、語りかけるようです。ただし、それほど便利なものではありません。強い絆で結ばれている相手と、気まぐれにつながります。しかも、繋がった相手のそばに、同じように像を反射するものがなければ意味をなしません。力は確かにあり、繋がることができるのに、望んだ相手とは滅多に会うことができない。だからこそ、『愁いの写し』と呼ばれているのです」
アキヒコは『愁いの写し』を受け取り、小声で語りかけていた。
だが、銀盤は何も映さなかった。
「……しばらくお借りすることは可能でしょうか?」
「ええ……わかっています。アキヒコ……あなたはいつ何時でも、私と会えないのは耐えられないというのでしょう? 魔王の様子など、知ることができるはずがありません。勇者様は、魔王とは対極にあるのです。勇者と魔王に絆があるはずもありません。わかっていますよ。私との連絡手段が欲しいというアキヒコの我儘……王の娘という立場を利用して、許しましょう」
「さすが姫さま、迷いがありませんね」
アキヒコが『愁いの写し』を求めた理由が自分だと信じて疑わないロンディーニャに、ペコは呆れもし、感心してもいた。ロンディーニャは笑った。
「当然のことです。ねっ? アキヒコ」
「はい」
勇者アキヒコの返事として、ほかの選択肢はありえないのだと思われた。




