50 残り76日 勇者、平原の町カバデールの状況を知る
勇者アキヒコは、魔術師ペコを伴って王の執務室を訪れた。
普段の謁見の間ではない。それだけ重大な事態だということだろう。
ドワーフのギンタは、クモコと一緒に庭園で待たせることにした。勇者にしたがっているといっても、クモコは人間すら餌にする巨大蜘蛛である。
ギンタは、クモコが殺されないように説明役として残ったのだ。
「おお……勇者アキヒコじゃもん。これをみるんじゃもん」
王はアキヒコの顔を見ると、薄汚れた紙片を渡した。
「……王、僕は文字が……」
「あ……私が読みます」
ペコが読み上げる。アキヒコが戻ったと聞いたためか、ロンディーニャ姫が途中からやってきた。
ペコが読み上げた紙は、平原の町カバデールの領主ヘルゴビッチ男爵からの手紙だった。
男爵自身は戦場には出ていない。だから、戦闘の様子は書かれていない。
書かれていたのは、カバデールの防衛に当たった兵士たちは、徴兵された民兵に至っても、ほとんど被害は受けず、降伏したという事実である。
男爵は無傷で敗北したことにむしろ絶望し、抵抗を諦めたと書かれていた。
「カバデールの町は、どうなっているのでしょう……」
「その手紙しか来ていないから、わからないんだもん。でも、魔王のことだから、カバデールの民は皆殺しにされているかもしれないもん。町道添いに、死体を並べているかもしれないもん」
アキヒコは、ハルヒが魔王となったからといって、大量殺人を犯すとは思えなかった。
人間の兵士にほとんど死者がいなかったと聞いて、さすがハルヒだと感じたほどである。
「それで僕は……どうすればいいのですか?」
「平原の町カバデールの北には、ザラメ山脈があるんじゃもん。その北に、港町ラーファがあるんじゃもん。もしラーファが魔王軍に征服されることになれば、我が国の半分が魔王の手に落ちることになるんじゃもん」
「では……僕はすぐにでも、カバデールに行ったほうがいいんじゃないでしょうか?」
「いいや。手紙には、魔王自身が暴れまわったとは書いていないんじゃもん。我が国が全て魔王のものになっても、我慢できるんじゃもん。最後に、勇者が魔王を倒せば、人間の手に取り戻せるんじゃもん」
「……では、僕は表立って戦争に参加するより、魔王を討伐するために行動するということでしょうか」
「できるだけ力をつけることが肝心なんじゃもん。それから、魔王を倒す機会を伺うんじゃもん」
「……わかりました」
これから大規模な戦争が起こるかもしれない。だが、勇者アキヒコのいる場所は戦場ではない。とにかく、どんな機会でもいいから利用して、魔王を倒すことこそが勇者の勤めなのだ。
「現在の魔王の様子がわからないのでしょうか?」
「ふむ……それがわかれば、勇者が作戦を立てるのに役立つんじゃもん。魔術師ペコ、以前魔王が庭園の池から覗いていたんじゃもん。ロンディーニャの風呂を覗いたこともあったんじゃもん。同じ魔術は使えないんじゃもん?」
王に問いかけられ、ペコはやや緊張気味に口を開いた。
「父は宮廷魔術師です。父の方が詳しいでしょうけど……」
「魔術師団を率いて戦争の準備をしているんじゃもん。ただ意見を聞くために、呼びつけてはかわいそうじゃもん」
王の優しさか気の弱さかわからないが、臣下にも気遣うようだ。ペコは頷いて、考えをまとめるように口をひらいた。
「魔物の使う魔法と人間の魔術は全く違うものなので、同じ方法はできません。あの時は……魔王はしばらく池から城内の様子を見ていたようです。とすれば……おおよその位置を特定し、何がいるのかわからないで、ただ周囲を写すものの反対側から覗く……といった魔法でしょう。人間の魔術では、遠くの景色を観るのが限界で、同じことはできないと思います。マジックアイテムのようなものがあれば別ですが……」
「例えば、魔法の鏡ですか?」
ずっと黙って、アキヒコをにこにこしながら見つめていたロンディーニャ姫が口を開く。
「……鏡の性質にもよりますが」
「強い絆のある人の様子を見ることができる、『愁いの写し』が宝物庫にありますよ」
ロンディーニャ姫は強い口調で言った。
「……強い絆……そうですよね。私たち人間が使用する善の魔術には、人間が善とするものが鍵になることがほとんどです。絆や愛といったものですが、それですと……魔王と絆がある必要があります」
「魔王と強い絆がある者なんていないんじゃもん」
「王……僕に、試させてもらえませんか?」
勇者アキヒコは意を決して発言した。左手の薬指には、交換したばかりだった結婚指輪が今も光っていた。




