39 残り82日 魔王、自信喪失する
魔王ハルヒは、一般的な町娘の服装に着替えて、銅板を磨いた鏡に姿を写していた。
「うん、可愛いわ」
これまで着替えもなく、以前の世界で新婚旅行中だった時の服を着続けていた。借り物の服は、ハルヒの感覚からは田舎風の服装だと感じられたが、違和感はなかった。
「魔王様、護衛の準備ができています」
「……私、町に行くって言ったわよね?」
「はい。もちろん存じております」
ハルヒが自室と決めた場所から出ると、鬼族10人と猛獣10頭に加え、ゴーレム兵20体が整列していた。
ハルヒの前に膝をついたのは、赤鬼のノエルである。
「パレードしに行くんじゃないのよ。護衛はいらないわ」
「危険です。魔王様は、初めて町に出られるのです。万全の備えが必要です」
「人間の町に、どんな危険があるというの?」
「人間は油断なりません。魔王様が1人でいると知られたら、どんなことになるか」
「それを知られないために、1人で行くつもりなのだけど?」
ノエルは困って、隣で膝をつくチェリーを見た。チェリーはクマである。分厚い皮を、人間の指より長く太い爪で掻きながら言った。
「鬼を連れていけば、すぐに魔王様だってわかるな」
「そうでしょう」
ハルヒは頷き、チェリーがノエルに睨まれた。森のクマさんは物おじせずに言った。
「では、護衛はわしらでやりましょう」
「人間の町にクマや虎が歩いていて、騒ぎにならないと思うの?」
「……兎では?」
「喋る兎なんて、普通はいないのよ。あの子が黙っていられると思うの?」
「自信ないな」
小さいため目立たなかったが、肉食獣の群れに混ざって控えていた。
「鬼も動物もダメ。ゴーレムもダメ。死体もよ。私は、一般人の視点で調査をしたいの」
「……わかりました」
魔物たちが押し黙る。
「わかってくれてよかったわ。歩いていくのも面倒だし、馬を用意して。ユニコーンが乗りやすくていいわね」
「魔王様、人間の町にユニコーンはおりませんが」
「えっ……だって、普通の馬に乗ったことないもの。ユニコーンなら、人間の町にいても……」
ハルヒが繰り返し言おうとして、魔物たちの視線が自分に集まっていることに気づいた。
魔物たちにとっては、ユニコーンも魔物なのだ。自分たちの同行を一方的に拒否しておいて、ユニコーンを連れて来いというのは、ハルヒはどれだけ我儘な主人だと思われているだろう。
「……ユニコーンと他の馬との区別って……人間はできるのかしら?」
「角を見れば、わかると思いますが」
「……わかったわよ。歩いていく。付いてきたいなら……私と関係ないふりをして、遠くから見ているだけにすること。それならいいわ」
「承知しました」
ノエルたちが一斉に答える。ハルヒは嘆息した。
「統治者って難しい」
「統治の問題じゃないだろ」
ドレス兎のコーデの言葉に、ハルヒはあえて反論しなかった。
※
ハルヒが屋敷の玄関まで来た時、玄関ホールで元領主の人間に会った。
「これは魔王様、お出かけですか?」
二階から一階への階段の前で、ハルヒは固まった。
「私……魔王に見える?」
「魔王様以外のなんだというのですか?」
この時、ハルヒの命令どおり、集結していた護衛の魔物は解散していた。
ハルヒを離れて見守るため、ハルヒを囲むように遠巻きに展開していたのだ。
ハルヒの視界に入る魔物はいなかった。
ハルヒは、領主の隣に立つ婦人と10代半ばぐらいの娘に尋ねた。
「この格好……変かしら?」
「とてもお似合い……いえ……魔王様は何を着てもお似合いになります。決して安物が似合うとか、そんな意味ではございません」
元領主婦人は唾を飛ばして、慌てていた。
「魔王様は、何を着ても魔王様ですもの」
10代の娘が追い討ちをかけた。
魔王ハルヒは思い悩んだ。
「……今日は出かけるの、やめる。ねえ……その2人……」
ハルヒに指さされ、元領主婦人と娘が顔をひきつらせる。
「わ、我が妻と娘が、何か粗相をいたしましたでしょうか?」
元領主が、2人を庇うように前に出た。
「いいえ。そんなんじゃないわ。私の部屋に来て」
「わ、私……肉がぶよぶよで美味しくありませんわ」
「何言っているのよ。私は、ただの人として町を見たいのよ。どうすれば町に出て行って魔王とばれないかを研究するわ。だから、協力しなさい」
「お前たち……魔王様がこうおっしゃっている。くれぐれも、頼んだぞ」
「はい。任せてください」
娘が意気込んだ。
「聞いたわね。今日は解散」
「承知しました。魔王様」
返事と共に、玄関ホールの天井から大量の魔物が降りて膝を着いたため、意気込んでいたはずの元領主の娘まで卒倒してしまった。




