29 残り87日 魔王、辱められる
魔王ハルヒは、木の陰に隠れていた。
「いたぜ。あいつだ」
「わかっているわ。これで5回目ね」
視線の先に、黒い体をした馬がいる。目を凝らすと、頭部から短いが鋭い二本の角が突き出ていることがわかる。
「どうする? もっと近づくかい?」
魔王ハルヒの供として唯一残った、ドレス兎のコーデが尋ねた。
「いえ……あいつの感の良さは異常だわ。5回もそれで逃げられているのよ。ここから、なんとかしてみる」
「……なんとかって……どうやって?」
「見えているのなら……私の手の中も同然よ」
ハルヒは2角獣バイラコーンに向けて、手をかざした。
バイラコーンの黒い馬体を掴み上げるようにイメージしたところで、二本の角を持った黒い馬は地面を蹴った。
密集した木々をものともせず、軽快に逃げていく。
「……これで6回目め」
「どうします? もう日が暮れますぜ」
「もう一度だけやってみる。でも……失敗しても、明日もあるわ」
「まだ続けるんですか? いい加減、ノエルの旦那たちは町に着いちまいますよ」
「バイラコーンを捕まえれば追いつくはずでしょ」
森の中の動きを見る限り、体は小さいがかなりの跳躍力を持っている。足は早いのだろうと想像できた。
「捕まえられればでしょう」
コーデのつぶやきを無視して、捜索を再開する。
逃げたバイラコーンの痕跡を追うのは難しくない。瞳に意識を集中させることで、魔力の痕跡を観ることができると、半日前に気づいていた。
しばらくして再びバイラコーンを発見した。
「私に全く捕まる気はないけど、遠くにも逃げないって感じね。私と遊んでいるつもりなのかしら」
「魔王様が速いんですよ。バイラコーンは自分の縄張りの中を目一杯逃げ回っているのに、振れ切れないんですから。そろそろ、疲れてくるんじゃないですかね」
そういうコーデは、ハルヒの肩や頭にしがみ付いているので疲れてはいない。
「……ブラックドラゴンは簡単に従ったのにね」
「魔王様の召喚に応じた魔物が、従わないことなんてないみたいですぜ。それと……魔王様に従うことが、魔物としての存在に関わることもあるようですね。だから、おいらの親戚の時計兎は魔王様には従えないって言っていました。あいつは……10歳以下の女の子にしか従うことができないらしいですから」
ハルヒは、以前の世界の物語に出てくる、時計を持った兎を思い出した。幼女と出会うのは、たまたまではないらしい。
「変態兎のことなんて知らないわ。次は決めるわよ」
気配で気づかれる。魔力で追うこともできない。
ハルヒは再びバイラコーンを視界に治めた時、あえて追わずに足を止めた。全身に力をこめ、周囲一帯を自分の体に引きずり込むようにイメージをした。
バイラコーンが悲鳴にも似たいななきをあげる。
周囲の土が、木が、草が、魔王ハルヒに吸い寄せられる。
だが、そこまでだった。
一日中バイラコーンを探し続け、ハルヒも疲れていた。
バイラコーンごと、魔の山そのものを自分に吸いつけようとした魔力は、あまりにも無駄が多く、ハルヒの望む結果を出す前に霧散した。
荒い息を吐き、へたり込むハルヒの肩を誰かが叩いた。
「コーデ、疲れているの。少し休ませてよ」
ハルヒは肩を払った。
「おいらはこっちです」
ハルヒの魔力であちこち振り回されたコーデは、現在はハルヒの目の前にいた。
「じゃあ、誰なの?」
肩を叩いた者の正体を見るため、ハルヒは首を動かした。
端正な馬面が目に飛び込んできた。
バイラコーンではない。白い、美しい馬だった。
額に一本の角が突き出ている。
「こりゃ……驚いた。魔王様、ユニコーンです。魔の山にいたんですね」
「……ああ。別の馬ね。でも……バイラコーンじゃなけば、意味がないじゃない」
「いや、魔王様。ユニコーンが自分から近づいてきたってことは、バイラコーンは魔王様には捕まえられないはずです。何しろ、バイラコーンとは真逆で、ユニコーンは純潔な者にしか従わないって話です。おいらがさっき言った、種族の法則ってやつで、バイラコーンは不純、ユニコーンは純潔……ってことは、魔王様……純潔?」
コーデが笑いだす。
魔王ハルヒは憮然として言った。
「新婚旅行に出たばかりだったのよ。その日の夜……初夜を迎えるはずだったのに。私は……ずって守っているのに……アキヒコの奴……」
地面を指でほじくり返したハルヒを慰めるかのように、一本角の馬形の魔獣は、ハルヒの髪に頭をこすりつけた。




