116 残り43日 勇者、料理に挑む
勇者アキヒコは、点火の魔術でカマドに火を入れた。
覚えたての頃は巨大な種火を発生させて攻撃用の魔術かと言われたたが、魔力の制御を覚えたのか、意図した場所、意図した大きさに炎を生じさせることができるようになっていた。
ギンタがカマドに鍋を置く。
薪を焚べ、鍋に魔術ジャグチヒネリで水をはり、収穫してきたキノコや獣の肉を入れる。
ロンディーニャは、厨房の長でもある料理指南役の女性と並んで、2人の技を見守っていた。
アキヒコが蓋をする。
「これでいいはずじゃ」
毒ドワーフのギンタが、まるで一仕事終えたかのように汗を拭った。
「そうですか……では、もう食べられるのということですか?」
「はい。そうだと思います」
アキヒコは鍋の蓋を開け、木の椀に鍋の中の水炊きを注いだ。
ロンディーニャと料理指南の女に振る舞う。
「姫さま……私たちはこれを、口に入れなければいけないのですか?」
料理指南役の声が震えた。決して肯定的な評価ではないことは、アキヒコは感じていた。だが、まだ2人とも一口も食べていない。不味いとは限らない。アキヒコはそう思った。
「カバデールに向かった兵士たちのことを考えれば、贅沢は言えません」
「いかにカバデールに向かった兵士たちでも、ここまで酷い物を食べているとは思えませんが……」
「毒ではないのです。たとえ体に悪くても……直中毒くらいで済むはずですよ」
「姫さま……それは毒なのでは……」
ロンディーニャは目を瞑り、椀を口に運んだ。
傾ける。口の中に固形物が入ったのだろう。しばらく噛んでいた。
「わかりました……うげぇ」
料理指南役の女は、アキヒコやギンタとの付き合いはない。その差が出たともいえる。あるいは、料理指南役だけに味覚は鋭いのかもしれない。
ほんの一口含んだだけで、明らかに嘔吐した。
「姫さま! これはいけません。すぐに吐き出して下さい!」
「そんな……人前で……」
単に行儀作法が徹底的にしこまれていただけらしい。料理指南役の女は、慌てて空のツボを差し出した。
ツボを受け取ったロンディーニャは、しばらく顔を押し当て、王国の華と讃えられる姫にあるまじき声を発していた。
「まさか……不味かったのですか?」
アキヒコがロンディーニャの背を摩りながら尋ねる。料理指南役の女が目を剥いた。
「どうしてこの出来で、『まさか』という言葉が出てくるのかがわかりません。何のために鍋を置き、火を熾し、水を注いだのですか。これではただ、食材を洗った、ただの残り水を飲ませただけではありませんか。しかも、動物の内臓を血抜きもしないで入れるなんて……あなたたちは本当に、旅の途中でこんな物を食べていたのですか?」
「いや」
「そんなはずはあるまい」
アキヒコとギンタが口々に否定する。
「なら……なぜこんなものを……」
料理指南役の女がことばを切ったのは、ロンディーニャが止めたからだ。まだ口の端に吐瀉物が付着しているが、王族としての威厳は半分程度残っていた。
「ペコですね?」
ロンディーニャは、アキヒコと魔王ハルヒとの関係を聞いて以来、一度も姿を見せない魔術師の名を挙げた。
「旅の間は……食材の調達とキャンプの準備以外は、ずっとペコがやってくれていました」
「魔術師ペコ……生活魔術の達人と聞いていますが……」
料理指南役が首を傾げる。生活魔術の達人が勇者と旅をしていたことに、疑問を持ったのだろう。
「ラーファで師匠に会い、攻撃用の魔術も使えるようになりました」
「では、もはや敵なしではないですか?」
「それでも、魔王には勝てなかった……そうなのでしょう?」
首を傾げる指南役の疑問を、ロンディーニャが晴らした。料理指南役は顔を曇らせる。
「姫さま……料理というものをほとんどしたことがないこの唐変木に、仮にスイーツの作り方を伝授したとしても、魔王の近くで再現できるはずがありません」
「しかし……2人しか……あるいはアキヒコしかいないのです。魔王に近づき、甘味を作ると提案できる可能性のある者は。ペガサスを使役しています。魔の山まで2日あれば到着できるでしょう。2人を鍛えてください」
「あるいは……愁いの写しがあれば、ロンディーニャ姫が調理法を伝えてくれれば、再現することもできるはずです」
アキヒコは言ってから、指南役の表情が険しくなったのに気づいた。
「直接叩きこんでも不可能なのに、口頭で伝えただけで、再現できるほど料理が簡単だとお思いですか! だから、男というのは……」
料理指南役の怒りは治らない。だが、隣で聞いていたギンタが尋ねた。
「ペコはおらんのか? やはり、ペコの力無しでは……どうにもならんじゃろう」
ロンディーニャが深く息を吐き、首を振った。
「ふたりには黙っていましたが、ペコの行方はわかりません。アキヒコは信用できない、一人で魔王を倒す……そう私に言って、姿を消しました」
「ふむ……それは深刻じゃな。アキヒコ、愁いの写しのことを言っておったじゃろう。あれで探せんのか?
「愁いの写しは……強い絆がある者だけしか写しません。いくら旅の仲間だといっても難しいでしょう。たとえば、私のように……」
「ああ。まだ、ペコは子どもが出来ていないだろうしな」
アキヒコは、口に出してから失言に気がついた。今度はロンディーニャの視線が厳しい。その視線のまま、ロンディーニャは尋ねた。
「私とペコとの絆との違いは……子どもだけですか?」
「あっ、あの……はい」
アキヒコが答えた。その瞬間、ロンディーニャの腕が閃光となり、勇者の頬を叩いた。
「すぐにペコを探しなさい!」
「は、はいっ!」
勇者アキヒコを一括し、ロンディーニャは人生で出会った最も不味い鍋をひっくり返した。




