107 残り48日 魔王、生贄を求めていたことにされる
魔王ハルヒは、ドレス兎のコーデを抱き、堕天使サキエルに寄り添われながら、ザラメ産地を超えて平原の町カバデールの上空に到達した。
「町の門から入らないと、みんな混乱するかしら?」
「こ、怖い、高い、寒い」
問いかけたはずのコーデは、ハルヒの胸に抱かれて恐慌に陥っていた。
「何が待ち構えているのかわからないのですから、不意を突いたほうがよろしいでしょう」
堕天使のサキエルが、自らの能力で空中に静止したまま告げた。魔王ハルヒは自分で加工した神殺しの剣に腰掛けている。
ハルヒがカバデールに戻ったのは、カバデールの町にハルヒと同じ姿の何者かがいると疑ったからだ。その原因がわからない。警戒すべきだとサキエルは言ったのだ。
「それもそうね」
ハルヒは同意すると、急降下を開始した。コーデの悲鳴がむしろ心地よい。
カバデールの元領主ドボネ・ド・ヘルビッチ男爵の邸宅中庭に下りる。
「ま、魔王様? 一体……どこからいらっしゃったのですか?」
中庭で花壇の手入れをしていた、森のクマさんチェリーが大声をあげた。
「上からよ。ところで……私は部屋にいるはずなのかしら?」
「ああ……魔王様なら、領主の部屋だった奥の部屋にいるよ、魔王様……えっ? じゃあ、この魔王様は誰なんだい?」
「私としては、私の部屋にいる魔王こそ、誰なのかと問いたいところね」
ハルヒは笑った。笑ったはずなのに、チェリーが腰を抜かして座り込んだ。
「ま、間違いない。魔王様だ……」
「当たり前だい」
地上に降りて元気を取り戻したコーデがいきり立つ。
「……どういう理由で私が本物だと確信したのかは、聞かないでおくわ」
ハルヒとしても、心踊る理由ではないだろうと感じていた。
「じゃあ、部屋にいるってのは何者なんだい?」
コーデが尋ねるが、先程まで屋敷にいるのが本物だと思っていたチェリーが知るはずもない。
「ま、待ってくれ。まだ、その子は3つなんだ」
突然、屋敷の敷地の外側から、悲痛な声がきこえていた。
「3つであれば、お前らの基準では大人ではないか。魔王様のご所望である。1日に一体、生贄を出す。種族間の持ちまわりで決めたことだ。逆らうと言うのなら、魔王様に対する叛逆とみなす」
声の主に心当たりがあった。正門の前で声を張り上げているネクロマンサーの背後に、ハルヒは移動した。
ネクロマンサー自身が死んだゴブリンの肉体を操っている状態である。眷属は死体ばかりなので、この役を担っているのだろうと推測できる。
ネクロマンサーに縋り付いていたのは、二足歩行の、言語を発達させたオオカミである。ケージの中に、がっくりとうなだれた若いオオカミがいた。
「ま、魔王様……」
オオカミ族を束ね、神獣とも呼ばれる魔物に、ハルヒはスモモと名付けていた。
「そうだ。魔王様のためなのだ。魔王様はご自分の部屋から出られない。お身体の具合が悪いようだ。魔王様に早く回復していただくためにも、若い獲物のエキスは必要なのだ」
背後にハルヒがいることに気付かず、ネクロマンサーは力説する。
「いや……要らないわ。魔物のエキスなんて」
ハルヒが言うと、ネクロマンサーは凄まじい速度で振り返った。ゴブリンの死体に表情を与える、珍しい奇跡が起こる。
「魔王様……お体はよろしいのですか?」
「私が病気だと、誰が言ったの?」
「いえ……あの……5日ほど前、山から戻られたとおっしゃって……人間の小娘を魔王の代理として任命するから、今後はその娘の言うことを聞くようにと……それ以来、魔王様は部屋からお出にならなくなりました」
「5日前ね……生贄を差し出すというのは?」
今から5日前といえば、勇者アキヒコと遭遇した頃だ。そのことについては何も言わず、ハルヒは生贄を差し出すという行為について尋ねた。
「……屋敷に使える人間が、1日に一人ずつ減っていることがわかりました。代理の小娘……ナタリーというらしいですが、ナタリーが言うには、魔王様は体調が悪く、栄養をつけなければならないと……1日に1頭、人間と同等の生命力を持つ生物の体液を飲み干す必要があるのだと。あの……カバデールの魔物たちで会議した結果、魔王様のお美しさは、人知れず人間の体液を飲み干していたからだという結論にいたり……ただ、人間たちから、自分たちだけでは賄いきれない。魔物たちも自分の王のことなのだから、生贄を選ぶべきだと……最初の犠牲が、オオカミ一族から出るはずでした」
「私を綺麗だと言ってくれたのが、死体だけという現実は置いておくわ。生き物の体液って……趣味悪いわよ。私がそんなもの、好んで飲むはずがないじゃない」
言いながら、ハルヒは若いオオカミが囚われていたゲージを破壊する。
「よ、よろしいのですか?」
神獣スモモが目を丸くする。
「生贄を要求したのは、少なくとも私じゃないわ。屋敷にいる奴が、人間の体液が欲しいというのなら……ここにいるじゃない」
ハルヒが自分を指差した。
「おいら?」
まだハルヒの胸に抱かれていたコーデが、著しく驚いた。
「違うわ。私よ。チェリー、案内しなさい。ナタリーとかいう人間と、魔王のところにね」
ハルヒが言うと、魔物たちが一斉にひれ伏した。




