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そうだ。ソロキャンプをしよう。

 ワインバーで、なごやかに食事を終えたあと。

 がっくんが送ってくれるというので、車に乗ったら、彼のマンションに到着した。


「あの、ここ、うちじゃないんだけど」

「あ、先にコンビニに寄ればよかったですね。ちかいし、あるいていきましょう」


 なぜか、急に言葉が通じなくなった。


 車から降りると、がっくんに手をつながれる。

 やさしい力だけど、しっかりとつながれた感触が、くすぐったい。


 夜道を、がっくんとふたりであるく。

 彼は、にこにこと楽しそうな笑顔を浮かべていた。


「せっかくなので、キャンプギア特集、見ていきますか?」

「滝本先輩、明日も仕事なんですけど」


 わざと先輩呼びをして、平日の夜であることを強調する。


 がっくんの足が、ぴたりと止まる。

 外灯の真下(ました)だったので、おたがいの顔がよく見えた。

 

「宮崎さん」

「はい」


 お返しのように名字を呼ばれ、返事をする。

 がっくんが、つないだ手の力をこめる。

 しばらく私を見つめたかと思うと、それとなく視線を()らした。


「……背徳感(はいとくかん)で、ゾクゾクします」


 そうつぶやいた彼は、目の下を赤く染める。


 ――なぜそこで照れるんだろう。


 知沙さんが言っていた、がっくんにはよくわからないところがある、というのに、同意した瞬間だった。




 3分ほど歩くと、コンビニの明るい光が見えてきた。

 がっくんが、パッと手をはなす。


「マンションの人も、よく使うコンビニなので」


 言い訳のようにいうのが、なんだかおかしかった。


 月曜の夜ということもあり、店内は空いていた。

 がっくんが、入り口のカゴを手にする。


「萌さん、なに買いますか?」

「ソーダ割の気分だから、梅酒と強炭酸水かな」

「まよわずお酒を選ぶところが、さすがですね」


 がっくんがちいさく笑って、ちかくの(たな)に手をのばす。

 カゴに入れたのは、てのひらサイズの四角い箱だった。

 

「が、がっくん、それ」

「だって、無いと困りませんか?」

「こ、こま!?」


 挙動不審(きょどうふしん)になった私を見て、がっくんが目を細めた。


「べつに今日使うなんて言ってませんよ? でも、ちゃんと準備しておいたほうが、萌さんも安心じゃないですか」


 下心なんてまったくないような、さわやかな笑顔で言われる。

 でも、下心があるから、それを買うわけで――。


 つい、うかがうようにがっくんを見上げてしまう。

 草食に見えて中身は肉食の、ロールキャベツ系男子だったのか。


 視線に気づいた彼が、私を見つめかえす。

 直後、グッと(のど)を鳴らしたかと思うと、いきなり笑いだした。


「がっくん!?」

「ははは、だめだ、萌さんが、かわいすぎて」


 ようやく、からかわれたことに気づいた。

 目が(うる)むほど爆笑する彼が(にく)らしく、その腕をはたく。

 

 がっくんは、あっさり私の手をつかまえて、指を(から)ませた。


「はあー、楽しい」

「え?」

「バカップルを見るたびにイラっとしてたんですけど、体験してみてわかりました。これ、楽しいです」


 そういって、私の指先にかるく口づける。

 あかるい店内でそんなことをされて、顔に熱が集まる。

 とっさに指を引き抜こうとするが、びくともしない。

 私のささやかな抵抗を、彼は余裕(よゆう)たっぷりに笑いとばした。


「萌さんの梅酒はどこかな~」


 恋人つなぎのまま、店内を移動しようとするので、あわてて彼を呼びとめる。


「同じマンションの人に、見られるかもしれないよ?」

「それはもう、どうだっていいです」


 心底どうでもよさそうに言われた。

 入店前に恥ずかしがっていた彼は、どこに行った。


「俺は、かわいい彼女と、いちゃいちゃしたいんです」


 彼がかがんで、私の目をのぞきこむ。

 理知的(りちてき)な瞳はきらきらと輝いていて、きゅっとあがった口角には健康的な色気がある。

 たのしそうな彼の笑顔に、たまらず目をすがめた。


 まって、わたしの彼氏がかっこいい。


 まちがいなくバカップルの思考だ、と自分にあきれながら、彼の提案を受け入れるように、はにかんだ。




 恋人つなぎのまま、お酒コーナーにむかう。

 日本酒がならぶ中に、紙パック入りの梅酒を見つけた。


 デフォルメされた梅の花と、ロックグラスに入った梅酒のパッケージは、好感が持てる。

 『和歌山県産・完熟南高梅100%使用』というパワーワードが、ぐっと目を引いた。

 度数は8%。

 PB商品だから、コスパもいい。

 

「梅酒、1リットルのにするね」

「1リットル!?」


 がっくんが、今日一番の、おどろいた声を出した。

 さては、いま全部飲むと思われているな?


「がっくんよく見て。残しても大丈夫なように、キャップが付いてるでしょ?」


 商品を手にとり、解説する。

 がっくんが、納得したようにうなずいた。


「俺の家に置いていく用ですか。野暮(やぼ)なことを聞いて、すみません」

「ふえ!?」


 彼の(なな)(うえ)の発想に、変な声がもれた。

 

「強炭酸水も、1Lにしましょう。2,3日なら、炭酸が生きているらしいですよ」


 てきぱきとカゴに追加するがっくんを、見ていることしかできなかった。


「他になにか要りますか?」

「……だいじょうぶ」

「では、レジに行きましょう」

「あ、私もお金出すよ」


 財布を取りだそうとした私の耳元で、彼がささやく。


「はやく、ふたりきりになりたいですね」 


 バカップル仕様(しよう)の、彼が強すぎる。

 かたまった私に、(つや)っぽい笑顔がむけられた。


 そうこうしているうちに、いつのまにか会計が終わっていて、梅酒も四角い箱も、彼が手にするコンビニのふくろに収まった。

 





 ふたりきりになったら、どうなってしまうんだろう。

 そんなドキドキとはうらはらに、彼はいつもどおり紳士的(しんしてき)だった。

 ひろいリビングに通され、ソファに座る。

 しばらくして、がっくんがグラスと氷をもってきてくれた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 にこりと笑った彼が、私のとなりに腰をおろす。

 そうして、またキュッと私と手をつないだ。


 片手をふさがれ、彼を見やる。

 

「がっくん、お酒がつくれません」

「手伝いましょうか?」

「ええ……おにいさん、マジで言っています?」

「じゃあ、キスしてくれたら離します」


 そのセリフに、彼に聞きたいことを思い出した。


「あのさ、がっくん」

「なんですか?」

「ワインバーでのことなんだけど」


 ピクリ、と彼の指がうごいた。


「なぜ、わざと誤解(ごかい)させるような、言い方をしたの?」


 私の問いを、彼は静かに受け止める。

 一瞬の静寂ののち、彼は覚悟を決めたかのように口を開いた。


「たとえ(うそ)でも、萌さんが俺以外の男を選んだことに、たえきれなかったからです」


 (いさぎよ)白状(はくじょう)されたのは、思ってもみないことだった。


 てっきり、私が困っていたから、助けてくれたのだとばかり。 

 それにしてはなんというか、がっくんの言葉を借りれば、詐欺師(さぎし)のような言動だったから、なぜという思いが強かった。


「嘘だって、わかってたんだよね?」


 まばたきを繰りかえしながら、確認のような質問をする。


「もちろん」


 彼は、力強くうなずいた。


「でも、気がついたら、萌さんは俺のものだって、さけんでいました」

 

 つないだ手に、力がこもる。

 ワインバーで、手をにぎられたときと、おなじくらいつよい力だった。


「自分がこんなに独占欲(どくせんよく)が強いとは、思いませんでした」


 つぶやいた彼が、目を伏せる。

 

玲於(れお)より、俺に頼ってほしかったです」


 その表情は、あのときとおなじ、不機嫌なふくれ面だ。

 ()ねたような態度に、ようやく彼の心情をあらわす言葉にたどりつく。


「もしかして、やきもち?」

「……そうとも、いいますね」


 赤い顔で目を()らしながら、言いにくそうに返答する。


「えーと、『がっくんしか勝たん!』とは思ってるよ?」


 機嫌(きげん)をとるように笑いかける。

 彼がようやくこちらを向いた。

 目が合った瞬間、いきなりわしゃわしゃと頭をかきまぜられた。


「が、がっくん!?」

「なんで萌さんはそんなにかわいいんですか!」

「か、かわ!?」

「あー、だめだ。キャンプギア特集でも見ましょう!」


 体を180度方向転換させた彼が、テレビをつける。

 さきほどから、がっくんの行動が予想外すぎる。


「もしかして、見たいの我慢(がまん)してた?」


 髪を手櫛(てぐし)で直しながら、がっくんに聞いてみる。

 それなら悪かったなと思っていると、彼が私に背を向けたまま、何かをつぶやいた。


「我慢しているのは、別のことです」

「え?」


 声がちいさくて、聞き取れなかった。

 彼は振りかえり、私と目を合わせてから、苦笑した。


「これが終わったら、ちゃんと送りますから――あと1時間だけ、いっしょにいてください」


 もうすこしいっしょに居たい気持ちは、私もおなじだ。

 うなずくと、彼が安堵(あんど)するような笑顔になった。





『国内だけでも100社以上のアウトドアメーカーから、最新の注目ギアが、ここに大集合!』


「100社もあるの!?」

「知りませんでしたね」


 最新アウトドアギア特集は、冒頭(ぼうとう)のナレーションから衝撃的(しょうげきてき)だった。


 梅酒のソーダ割を堪能(たんのう)しながら、画面をながめる。

 

「おいしい」

「よかったです」


 いま飲んでいるのは、がっくん作だ。

 混ぜるだけだと言ったら、作ってみたいと言われたので、彼にまかせた。

 てきとうでいいのに、律儀(りちぎ)にきっちり1:1にしようとしているのが、はたから見ていておもしろかった。


 テレビからは、MCのお笑い芸人の、明るい声が聞こえてくる。


「あのテント、すごく広いね」

「ワンポールテントは、高さがありますから」

「でも、下が地面のまま……天幕(てんまく)だけ?」

「テント部分を、あとから入れるタイプだと思います」


 私の疑問に、がっくんがすかさず答えてくれる。

 最新キャンプギアと言っても、基本は一緒らしい。


 番組も終盤にさしかかると、薪ストーブでピザを焼きはじめた。

 皆であつあつをほおばり、もりあがっている。

 その楽しそうなようすに、自然に笑みがこぼれた。


「萌さん。キャンプに行きたくなりますね」

「私もちょうど、おなじことを思ってたよ」


 同意すると、がっくんがパッと笑顔になった。

 彼は、ほんとうにキャンプが好きだ。

 その気持ちはよくわかる。

 キャンプの楽しさをしってしまったら、知らない前にはもどれないというか。

 

「今週末も行こうかな」

「いいですね!」


 肯定(こうてい)してくれる彼に、笑顔をかえす。

 そうして私は、つづく希望を口にした。


「つぎはできると思う! ソロキャンプ!」

「……ここまできて、ソロにこだわっている」

「ん? なにか言った?」

 

 がっくんを見ると、彼はさわやかに笑った。


「どこでやるんですか? ソロキャンプ」

「たぶん、前と同じところかな」

「そうですか。あ、テレビ終わりましたね。送ると約束したので、送ります」


 立ちあがったがっくんが、車のキーを手にする。

 

「あれ、スマホがない」


 独り言を言いながら、部屋をきょろきょろと見渡している。


「がっくんのスマホ、テーブルの上だよ」

「ありがとうございます」

 

 ちょうど、コンビニの袋の影になっていて、がっくんの位置から見えなかったみたいだ。

 がっくんがお礼を言いながらテーブルの方を見たかとおもったら、車のキーを取り落とした。


「がっくん?」


 動きが止まった彼に呼びかける。

 ハッとして車のキーをひろいながら、彼は(うな)るような声を出した。


「見える場所に置くとか、俺のバカ……」


 がっくんが、機械的な動きでスマホをつかむ。

 苦手な虫でも見つけたかのように、顔を引いて目をそらしている。


 それを見た私は、スマホを見つけられなかったことがそんなに悔しいのかな、と小首をかしげた。





 

滝本先輩(たきもとせんぱい)、おはようございます」

宮崎(みやざき)さん。おはようございます」


 会社では名字(みょうじ)で呼びあうと決めている私たちは、涼しい顔であいさつをかわす。


「宮崎さん、おはよう」

大久保主任(おおくぼしゅにん)、おはようございます」


 あれから、大久保主任は私のことを名字で呼んでくれるようになった。

 私たちのことを言いふらすつもりは無いようで、仕事仲間として接してくれる。

 ほんとうにいい上司だ。


「わるいんだけど、瀬戸さんがきたら、この書類を渡してもらえるかな? 俺は広報部にいそぎの用があって」

「いいですよ」


 大久保主任はお礼を言うと、足早に経理部を出ていった。


「おつかれさまでーす!」


 しばらくして、元気なあいさつとともに、瀬戸さんが現れた。


「瀬戸さん、大久保主任から書類を預かっています」

「ありがとう、宮崎さん!」


 瀬戸さんが、笑顔でこちらに駆けてきた。

 こうやって見ると、明るい犬系男子だ。

 経理部の女性社員も、瀬戸さんにほほえましい視線を送っている。


 天真爛漫な笑顔のまま、瀬戸さんが書類を受け取る。

 パラパラとめくって、感心したような声をあげた。


「大久保さんすげぇ。おととしのデータまで集めてくれたんだ」


 きらきらと目を輝かせている。

 そのようすをながめていると、瀬戸さんがいきなりこちらを向いて、ニヤリと笑った。


(がく)、週末はデート?」

「ソロキャンプです」

「ああ、キャンプデート……って、ソロ?」


 瀬戸さんが聞き返す。


「滝本先輩()、週末はソロキャンプなんですね」


 いっしょだ、と思って笑いかけると、彼がにこりと微笑んだ。


「そうですね。宮崎さん()ソロキャンプ、楽しんでくださいね」

「はい!」


 私たちの会話を聞いて、瀬戸さんがなぜかあきれたような顔をした。


「おまえらって、変わってるな」


「おつかれさまです」


 涼やかな声とともに現れたのは、知沙さんだった。

 今日もあいかわらず美人だ。

 彼女はツカツカと瀬戸さんのそばまでやってきて、彼をじろりとにらんだ。


玲於(れお)、唐沢部長を待たせて、なにをやっているの?」

「あ、やっべ! これから挨拶回りだった! じゃあな、岳、宮崎さん!」


 来たときと同様に、元気なあいさつをのこして、瀬戸さんが去っていった。

 知沙さんがあきれたように小さなため息をつく。

 今日も色気がすごい。


 美人は3日で飽きるというのは嘘だな、と思いながら見ていると、知沙さんがこちらを向いた。


「これ、杉山部長が戻ったら、渡してもらえる?」

「あ、はい!」


 書類を受け取るときに、知沙さんからとてもいいにおいがした。

 近くで見ても、安定の美人だ。

 

「なに?」


 見過ぎたようで、知沙さんが小首をかしげた。


「今日も美人だなって思っていました」

「……そう。じゃ、たのんだわよ」


 すこしだけ頬を染めた知沙さんが、平常心を装って去っていくのを、頬をゆるませて見送る。

 美人の照れ顔とかSSRなんですけどごちそうさまですあとでみくに自慢しなくちゃ!!


「まさか、知沙さんに取られるってことはないですよね」


 となりのがっくんが、ぶつぶつと何かをつぶやいている。


「滝本先輩、なにか言いました?」

「……ソロキャンプ、楽しみだなって言いました」

「晴れるといいですね」


 わらいかけると、彼は虚をつかれたかのようにまばたきをして、それからフッと破顔した。


「そうですね」


 おもわず笑ってしまった、というような笑顔がまぶしい。

 がっくん好きの私にとっては、すばらしいファンサだ。

 ものすごく元気がでてきて、今週も仕事をがんばろうと気合を入れた。

 





 週末は快晴で、文句なしのキャンプ日和だった。

 

 予約したのは、さいしょにソロキャンプをしたときと同じ区画だ。


 車から、荷物を下ろす。


 テントと()(あみ)

 最初は、これしか持っていなかった。


 エアマットと寝袋と、くみたて式のチェア。

 はじめて自分で買った、アウトドアギアだ。


「がっくんといっしょに買いに行って、そのあと知沙さんに会ったんだっけ」


 あのとき感じたもやもやは、やきもちだと、今ならわかる。


「いつから好きだったのかな」


 困ったときに優しくしてくれた相手に、好感をいだくまでは、ふつうだ。

 それが恋に発展するきっかけは、あっただろうか。


「ギャップにやられたんだろうな」


 なんでもできると思わせておいて、お酒に弱いとか、寝顔がかわいいとか。

 かと思えば、細身のくせに、いい筋肉をかくしもっていたり、意外と力が強かったり。


 いつから、ではなく、いつのまにか、好きになっていた。


「好きにならないほうが無理だ、あれは」


 ちいさく笑いながら、クーラーボックスを下ろす。

 中身はビールと高級黒毛和牛だ。

 それから、がっくんが使っていたのと同じガスバーナーに、雪の結晶マークがついたOD缶。

 大手通販サイトで、おとりよせをしたギアだ。


 今日は彼もどこかで、ソロキャンプをしているのだろう。

 おたがい楽しいキャンプになればいいね、と気持ちのいい青空をあおいだ。




 投げるだけのポップアップ式のテントを設営し、ペグ打ちをする。

 テントの中に、ふくらませたエアマットと、寝袋をひろげた。


 木のテーブルに、クーラーボックスとガスバーナー、OD缶をならべる。


 組みたてたチェアに座り、クーラーボックスから出した、冷えたビール缶を開けた。

 目に映るのは、ながめていて楽しい、自分だけのアウトドアギア。


「圧巻……!」


 それなのに、なにかが足りないような気がする。

 不思議に思いながら、ビール缶をかたむけていると、黒のSUV車がやってきて、隣の区画に停まった。


 あの車、ものすごく、見覚えがある気がする。

 でも、まさかね、と思っていたら、運転席から若い男性が下りてきた。


「こんにちは!」

「こんにちは……って、がっくん!?」

「萌さん、偶然ですね!」

「ぐ、ぐうぜん……?」


 私が困惑しているあいだに、彼は車から荷物を下ろしはじめた。


「まさかとなりが萌さんだとは思わなかったな~」

「あ……あの、がっくん?」

「俺もソロキャンプをしにきただけなので、おきづかいなく!」


 そう言って、くるりと私に背をむける。

 そのようすに、彼の言葉の信憑性(しんぴょうせい)が増す。


 ほんとうにただの偶然かもしれない。

 いや、でも……そんなこと、ある?


 彼の言葉の真偽をたしかめているあいだに、彼は設営を完了させた。


 おちついたブラウンのテントと、その上にピンと張られたタープは同色だ。

 木の道具箱には、車輪と取っ手がついていて、テーブルがわりになっている。

 使い込まれたおしゃれなキャンプギアは、彼がキャンプ慣れしている証拠だ。


 ガスバーナーでお湯をわかし、コーヒーを入れる姿は、出会ったころを思い出す。


 私の目線に気づいた彼が、パッと笑顔になった。


「萌さん、コーヒー飲みますか?」

「……飲むけど」


 さしだされたステンレスのコップを受けとる。


「本当に、偶然なんだよね?」

「偶然じゃなかったら、運命ですね!」


 彼がさわやかにそういうから、それ以上は、コーヒーと一緒に飲み込んだ。




 野山が茜色(あかねいろ)に染まるころ、キャンプ場には、バーベキューの匂いがたちこめる。

 私も、赤く焼ける炭を見ながら、プラのクリアカップに入った梅酒のソーダ割を飲んでいた。


「ねえがっくん」

「なんですか、萌さん」


 ひとにつくってもらったお酒はおいしいな、という感想は、どこか現実逃避(げんじつとうひ)に似通う気持ちが混ざっていた。

 

「これ、ソロキャンプかな」

「りっぱなソロキャンプですよ。となりのソロキャンパーが、たまたま彼氏だっただけです」


 私の皿に、焼けた牛タンが追加される。

 私には、買った覚えがない。

 そんなことを言ったら、いま飲んでいる梅酒と強炭酸も、持ってきた覚えがないんですけどね。

 

 岩塩が効いた牛タンをかみしめる。

 梅酒のソーダ割に、めちゃくちゃ合うな。

 ではなく。


「私が思っているソロキャンプと、だいぶ違う気がするんだけど」

「気のせいじゃないですか? あ、こっちも焼けましたよ」


 私の皿に追加されたのは、焦げ目と香ばしい匂いがたまらない骨付き肉だった。


「前日から漬け込んでおいたスペアリブです」


 彼の言葉に、目を輝かせる。


「やったー! いただきまーす!」


 口にふくんだ瞬間、コクのある甘味と、くどすぎない醤油の塩味が、ガツンときた。

 口内に風味が残るうちに、梅酒のソーダ割を飲む。

 あまりのおいしさに、こまかいことなど、どうでもよくなった。

 夢中でほうばり、あっというまにたいらげる。

 空の皿とコップをテーブルに置いて、しあわせなためいきをついた。


「おいしかった~。がっくんは天才だね!」


 褒めたたえると、彼がなにかをひらめいた。


「それです、萌さん」

「どれ?」

「俺のことは、AI搭載(とうさい)の最新キャンプギアとでも思っていればいいんです」


 がっくんが、キャンプギア?


「萌さんの好きなものや、好きなことを、たくさん教えてください。俺、ちゃんと学習します」


 ほうけている私の両手をとって、彼が言いつのる。

 

「だから、萌さんのソロキャンプに、俺も忘れずに持って行ってください」

「そんな、がっくんがキャンプギアだなんて――」


 アウトドアに強くて、私に甘い、(いた)れり()くせりのイケメン執事(しつじ)を連れていくようなものだ。


「――ハイスペックすぎる」

「決まりですね!」

「待って! がっくんはそれでいいの?」


 彼は、便利な物あつかいになんか、していい人ではない。

 そんな思いを込めた疑問にも、当の本人は、こだわりがなさそうに笑った。


「もちろんです。俺はもうとっくに、萌さんがいないとキャンプができませんから」

「どういうこと!?」


 技術も経験値も(ひく)い私が、必要とされる意味がわからない。

 混乱しながら聞きかえすと、彼がおだやかに口を開いた。


「ひとりが好きだったけど、それ以上に、萌さんのことを好きになってしまったので」

 

 はにかむような笑顔で、それでも彼は、まっすぐに私をみつめた。

 温厚なまなざしで、私にやさしく語りかける。


「ねえ萌さん。どうしてそんなにソロにこだわるんですか?」

「それは、最初にやったソロキャンプが楽しかったから」

「それって、俺もいましたよね?」

「え……?」


 言われてみると、そうだ。

 

 おもわず彼を見返す。

 辺りはいつのまにか、夜の気配が濃厚になっていた。


「ランタン、つけますね」


 がっくんが立ち上がり、道具箱のほうに歩いていく。

 その背中をみつめ、ふいに気づく。

 

 キャンプ場に着いたときに感じていた、なにかが足りない、という思いが消えていた。

 満たしてくれたのは、増えた存在だとしたら。

 そんなもの、ひとりしかいない。


 もしかして、私が求めていたのは――。


 出した答えは、いっしゅんで赤面するほどの威力(いりょく)をもっていた。


 はじかれたように、立ちあがる。

 薄暗い夕暮れ時は、群生するシロツメクサが、やけに目についた。


 彼の背中に近づき、手を伸ばす。

 その背に触れる直前、彼がランタンをつけて、一帯に光がもどった。


 ランタンの光から、顔をかくすようにうつむく。

 どう伝えればいいのかがわからなくて、彼の服のすそをつかんだ。


 ふりかえったがっくんが、かがんで私と目を合わせた。


「どうしました?」


 やわらかい声音で、問いかけられる。

 愛おしげに私をみつめる瞳に、背中を押されて口を開いた。


「またいっしょに、ソロキャンプしてくれる?」


 見上げた彼は、ふわりとほほえんだ。


「いいですよ。萌さんの『ソロキャンプ』は、俺がとなりにいることですから」

 

 こつんと額をくっつけて、彼が笑う。

 頬をほころばせるような笑顔から、彼のうれしさがつたわってくる。


 このひとは、ほんとうに私のことが好きなんだ。 

 照れくさいような、あたたかな気持ちで見つめていると、ふと彼が顔をかたむけた。

 誘うような瞳に、目を閉じる。

 

 触れるだけのキスは、甘い余韻(よいん)を残してはなれる。

 彼と目を見合わせて、おたがいに照れ笑いをうかべた。


 彼が腕を伸ばし、私の体を抱きしめる。

 細いのに安定感のある腕の中で、彼の体温に酔いしれるように、うっとりと目を閉じた。



 未来のことなんてわからない。

 だけど、これだけはわかる。


 私は、これからも、かぞえきれないほど彼に言うのだろう。




――そうだ。いっしょにソロキャンプをしよう。

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