そうだ。ソロキャンプをしよう。
ワインバーで、なごやかに食事を終えたあと。
がっくんが送ってくれるというので、車に乗ったら、彼のマンションに到着した。
「あの、ここ、うちじゃないんだけど」
「あ、先にコンビニに寄ればよかったですね。ちかいし、あるいていきましょう」
なぜか、急に言葉が通じなくなった。
車から降りると、がっくんに手をつながれる。
やさしい力だけど、しっかりとつながれた感触が、くすぐったい。
夜道を、がっくんとふたりであるく。
彼は、にこにこと楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「せっかくなので、キャンプギア特集、見ていきますか?」
「滝本先輩、明日も仕事なんですけど」
わざと先輩呼びをして、平日の夜であることを強調する。
がっくんの足が、ぴたりと止まる。
外灯の真下だったので、おたがいの顔がよく見えた。
「宮崎さん」
「はい」
お返しのように名字を呼ばれ、返事をする。
がっくんが、つないだ手の力をこめる。
しばらく私を見つめたかと思うと、それとなく視線を逸らした。
「……背徳感で、ゾクゾクします」
そうつぶやいた彼は、目の下を赤く染める。
――なぜそこで照れるんだろう。
知沙さんが言っていた、がっくんにはよくわからないところがある、というのに、同意した瞬間だった。
3分ほど歩くと、コンビニの明るい光が見えてきた。
がっくんが、パッと手をはなす。
「マンションの人も、よく使うコンビニなので」
言い訳のようにいうのが、なんだかおかしかった。
月曜の夜ということもあり、店内は空いていた。
がっくんが、入り口のカゴを手にする。
「萌さん、なに買いますか?」
「ソーダ割の気分だから、梅酒と強炭酸水かな」
「まよわずお酒を選ぶところが、さすがですね」
がっくんがちいさく笑って、ちかくの棚に手をのばす。
カゴに入れたのは、てのひらサイズの四角い箱だった。
「が、がっくん、それ」
「だって、無いと困りませんか?」
「こ、こま!?」
挙動不審になった私を見て、がっくんが目を細めた。
「べつに今日使うなんて言ってませんよ? でも、ちゃんと準備しておいたほうが、萌さんも安心じゃないですか」
下心なんてまったくないような、さわやかな笑顔で言われる。
でも、下心があるから、それを買うわけで――。
つい、うかがうようにがっくんを見上げてしまう。
草食に見えて中身は肉食の、ロールキャベツ系男子だったのか。
視線に気づいた彼が、私を見つめかえす。
直後、グッと喉を鳴らしたかと思うと、いきなり笑いだした。
「がっくん!?」
「ははは、だめだ、萌さんが、かわいすぎて」
ようやく、からかわれたことに気づいた。
目が潤むほど爆笑する彼が憎らしく、その腕をはたく。
がっくんは、あっさり私の手をつかまえて、指を絡ませた。
「はあー、楽しい」
「え?」
「バカップルを見るたびにイラっとしてたんですけど、体験してみてわかりました。これ、楽しいです」
そういって、私の指先にかるく口づける。
あかるい店内でそんなことをされて、顔に熱が集まる。
とっさに指を引き抜こうとするが、びくともしない。
私のささやかな抵抗を、彼は余裕たっぷりに笑いとばした。
「萌さんの梅酒はどこかな~」
恋人つなぎのまま、店内を移動しようとするので、あわてて彼を呼びとめる。
「同じマンションの人に、見られるかもしれないよ?」
「それはもう、どうだっていいです」
心底どうでもよさそうに言われた。
入店前に恥ずかしがっていた彼は、どこに行った。
「俺は、かわいい彼女と、いちゃいちゃしたいんです」
彼がかがんで、私の目をのぞきこむ。
理知的な瞳はきらきらと輝いていて、きゅっとあがった口角には健康的な色気がある。
たのしそうな彼の笑顔に、たまらず目をすがめた。
まって、わたしの彼氏がかっこいい。
まちがいなくバカップルの思考だ、と自分にあきれながら、彼の提案を受け入れるように、はにかんだ。
恋人つなぎのまま、お酒コーナーにむかう。
日本酒がならぶ中に、紙パック入りの梅酒を見つけた。
デフォルメされた梅の花と、ロックグラスに入った梅酒のパッケージは、好感が持てる。
『和歌山県産・完熟南高梅100%使用』というパワーワードが、ぐっと目を引いた。
度数は8%。
PB商品だから、コスパもいい。
「梅酒、1リットルのにするね」
「1リットル!?」
がっくんが、今日一番の、おどろいた声を出した。
さては、いま全部飲むと思われているな?
「がっくんよく見て。残しても大丈夫なように、キャップが付いてるでしょ?」
商品を手にとり、解説する。
がっくんが、納得したようにうなずいた。
「俺の家に置いていく用ですか。野暮なことを聞いて、すみません」
「ふえ!?」
彼の斜め上の発想に、変な声がもれた。
「強炭酸水も、1Lにしましょう。2,3日なら、炭酸が生きているらしいですよ」
てきぱきとカゴに追加するがっくんを、見ていることしかできなかった。
「他になにか要りますか?」
「……だいじょうぶ」
「では、レジに行きましょう」
「あ、私もお金出すよ」
財布を取りだそうとした私の耳元で、彼がささやく。
「はやく、ふたりきりになりたいですね」
バカップル仕様の、彼が強すぎる。
かたまった私に、艶っぽい笑顔がむけられた。
そうこうしているうちに、いつのまにか会計が終わっていて、梅酒も四角い箱も、彼が手にするコンビニのふくろに収まった。
ふたりきりになったら、どうなってしまうんだろう。
そんなドキドキとはうらはらに、彼はいつもどおり紳士的だった。
ひろいリビングに通され、ソファに座る。
しばらくして、がっくんがグラスと氷をもってきてくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
にこりと笑った彼が、私のとなりに腰をおろす。
そうして、またキュッと私と手をつないだ。
片手をふさがれ、彼を見やる。
「がっくん、お酒がつくれません」
「手伝いましょうか?」
「ええ……おにいさん、マジで言っています?」
「じゃあ、キスしてくれたら離します」
そのセリフに、彼に聞きたいことを思い出した。
「あのさ、がっくん」
「なんですか?」
「ワインバーでのことなんだけど」
ピクリ、と彼の指がうごいた。
「なぜ、わざと誤解させるような、言い方をしたの?」
私の問いを、彼は静かに受け止める。
一瞬の静寂ののち、彼は覚悟を決めたかのように口を開いた。
「たとえ嘘でも、萌さんが俺以外の男を選んだことに、たえきれなかったからです」
潔く白状されたのは、思ってもみないことだった。
てっきり、私が困っていたから、助けてくれたのだとばかり。
それにしてはなんというか、がっくんの言葉を借りれば、詐欺師のような言動だったから、なぜという思いが強かった。
「嘘だって、わかってたんだよね?」
まばたきを繰りかえしながら、確認のような質問をする。
「もちろん」
彼は、力強くうなずいた。
「でも、気がついたら、萌さんは俺のものだって、さけんでいました」
つないだ手に、力がこもる。
ワインバーで、手をにぎられたときと、おなじくらいつよい力だった。
「自分がこんなに独占欲が強いとは、思いませんでした」
つぶやいた彼が、目を伏せる。
「玲於より、俺に頼ってほしかったです」
その表情は、あのときとおなじ、不機嫌なふくれ面だ。
拗ねたような態度に、ようやく彼の心情をあらわす言葉にたどりつく。
「もしかして、やきもち?」
「……そうとも、いいますね」
赤い顔で目を逸らしながら、言いにくそうに返答する。
「えーと、『がっくんしか勝たん!』とは思ってるよ?」
機嫌をとるように笑いかける。
彼がようやくこちらを向いた。
目が合った瞬間、いきなりわしゃわしゃと頭をかきまぜられた。
「が、がっくん!?」
「なんで萌さんはそんなにかわいいんですか!」
「か、かわ!?」
「あー、だめだ。キャンプギア特集でも見ましょう!」
体を180度方向転換させた彼が、テレビをつける。
さきほどから、がっくんの行動が予想外すぎる。
「もしかして、見たいの我慢してた?」
髪を手櫛で直しながら、がっくんに聞いてみる。
それなら悪かったなと思っていると、彼が私に背を向けたまま、何かをつぶやいた。
「我慢しているのは、別のことです」
「え?」
声がちいさくて、聞き取れなかった。
彼は振りかえり、私と目を合わせてから、苦笑した。
「これが終わったら、ちゃんと送りますから――あと1時間だけ、いっしょにいてください」
もうすこしいっしょに居たい気持ちは、私もおなじだ。
うなずくと、彼が安堵するような笑顔になった。
『国内だけでも100社以上のアウトドアメーカーから、最新の注目ギアが、ここに大集合!』
「100社もあるの!?」
「知りませんでしたね」
最新アウトドアギア特集は、冒頭のナレーションから衝撃的だった。
梅酒のソーダ割を堪能しながら、画面をながめる。
「おいしい」
「よかったです」
いま飲んでいるのは、がっくん作だ。
混ぜるだけだと言ったら、作ってみたいと言われたので、彼にまかせた。
てきとうでいいのに、律儀にきっちり1:1にしようとしているのが、はたから見ていておもしろかった。
テレビからは、MCのお笑い芸人の、明るい声が聞こえてくる。
「あのテント、すごく広いね」
「ワンポールテントは、高さがありますから」
「でも、下が地面のまま……天幕だけ?」
「テント部分を、あとから入れるタイプだと思います」
私の疑問に、がっくんがすかさず答えてくれる。
最新キャンプギアと言っても、基本は一緒らしい。
番組も終盤にさしかかると、薪ストーブでピザを焼きはじめた。
皆であつあつをほおばり、もりあがっている。
その楽しそうなようすに、自然に笑みがこぼれた。
「萌さん。キャンプに行きたくなりますね」
「私もちょうど、おなじことを思ってたよ」
同意すると、がっくんがパッと笑顔になった。
彼は、ほんとうにキャンプが好きだ。
その気持ちはよくわかる。
キャンプの楽しさをしってしまったら、知らない前にはもどれないというか。
「今週末も行こうかな」
「いいですね!」
肯定してくれる彼に、笑顔をかえす。
そうして私は、つづく希望を口にした。
「つぎはできると思う! ソロキャンプ!」
「……ここまできて、ソロにこだわっている」
「ん? なにか言った?」
がっくんを見ると、彼はさわやかに笑った。
「どこでやるんですか? ソロキャンプ」
「たぶん、前と同じところかな」
「そうですか。あ、テレビ終わりましたね。送ると約束したので、送ります」
立ちあがったがっくんが、車のキーを手にする。
「あれ、スマホがない」
独り言を言いながら、部屋をきょろきょろと見渡している。
「がっくんのスマホ、テーブルの上だよ」
「ありがとうございます」
ちょうど、コンビニの袋の影になっていて、がっくんの位置から見えなかったみたいだ。
がっくんがお礼を言いながらテーブルの方を見たかとおもったら、車のキーを取り落とした。
「がっくん?」
動きが止まった彼に呼びかける。
ハッとして車のキーをひろいながら、彼は唸るような声を出した。
「見える場所に置くとか、俺のバカ……」
がっくんが、機械的な動きでスマホをつかむ。
苦手な虫でも見つけたかのように、顔を引いて目をそらしている。
それを見た私は、スマホを見つけられなかったことがそんなに悔しいのかな、と小首をかしげた。
「滝本先輩、おはようございます」
「宮崎さん。おはようございます」
会社では名字で呼びあうと決めている私たちは、涼しい顔であいさつをかわす。
「宮崎さん、おはよう」
「大久保主任、おはようございます」
あれから、大久保主任は私のことを名字で呼んでくれるようになった。
私たちのことを言いふらすつもりは無いようで、仕事仲間として接してくれる。
ほんとうにいい上司だ。
「わるいんだけど、瀬戸さんがきたら、この書類を渡してもらえるかな? 俺は広報部にいそぎの用があって」
「いいですよ」
大久保主任はお礼を言うと、足早に経理部を出ていった。
「おつかれさまでーす!」
しばらくして、元気なあいさつとともに、瀬戸さんが現れた。
「瀬戸さん、大久保主任から書類を預かっています」
「ありがとう、宮崎さん!」
瀬戸さんが、笑顔でこちらに駆けてきた。
こうやって見ると、明るい犬系男子だ。
経理部の女性社員も、瀬戸さんにほほえましい視線を送っている。
天真爛漫な笑顔のまま、瀬戸さんが書類を受け取る。
パラパラとめくって、感心したような声をあげた。
「大久保さんすげぇ。おととしのデータまで集めてくれたんだ」
きらきらと目を輝かせている。
そのようすをながめていると、瀬戸さんがいきなりこちらを向いて、ニヤリと笑った。
「岳、週末はデート?」
「ソロキャンプです」
「ああ、キャンプデート……って、ソロ?」
瀬戸さんが聞き返す。
「滝本先輩も、週末はソロキャンプなんですね」
いっしょだ、と思って笑いかけると、彼がにこりと微笑んだ。
「そうですね。宮崎さんもソロキャンプ、楽しんでくださいね」
「はい!」
私たちの会話を聞いて、瀬戸さんがなぜかあきれたような顔をした。
「おまえらって、変わってるな」
「おつかれさまです」
涼やかな声とともに現れたのは、知沙さんだった。
今日もあいかわらず美人だ。
彼女はツカツカと瀬戸さんのそばまでやってきて、彼をじろりとにらんだ。
「玲於、唐沢部長を待たせて、なにをやっているの?」
「あ、やっべ! これから挨拶回りだった! じゃあな、岳、宮崎さん!」
来たときと同様に、元気なあいさつをのこして、瀬戸さんが去っていった。
知沙さんがあきれたように小さなため息をつく。
今日も色気がすごい。
美人は3日で飽きるというのは嘘だな、と思いながら見ていると、知沙さんがこちらを向いた。
「これ、杉山部長が戻ったら、渡してもらえる?」
「あ、はい!」
書類を受け取るときに、知沙さんからとてもいいにおいがした。
近くで見ても、安定の美人だ。
「なに?」
見過ぎたようで、知沙さんが小首をかしげた。
「今日も美人だなって思っていました」
「……そう。じゃ、たのんだわよ」
すこしだけ頬を染めた知沙さんが、平常心を装って去っていくのを、頬をゆるませて見送る。
美人の照れ顔とかSSRなんですけどごちそうさまですあとでみくに自慢しなくちゃ!!
「まさか、知沙さんに取られるってことはないですよね」
となりのがっくんが、ぶつぶつと何かをつぶやいている。
「滝本先輩、なにか言いました?」
「……ソロキャンプ、楽しみだなって言いました」
「晴れるといいですね」
わらいかけると、彼は虚をつかれたかのようにまばたきをして、それからフッと破顔した。
「そうですね」
おもわず笑ってしまった、というような笑顔がまぶしい。
がっくん好きの私にとっては、すばらしいファンサだ。
ものすごく元気がでてきて、今週も仕事をがんばろうと気合を入れた。
週末は快晴で、文句なしのキャンプ日和だった。
予約したのは、さいしょにソロキャンプをしたときと同じ区画だ。
車から、荷物を下ろす。
テントと焼き網。
最初は、これしか持っていなかった。
エアマットと寝袋と、くみたて式のチェア。
はじめて自分で買った、アウトドアギアだ。
「がっくんといっしょに買いに行って、そのあと知沙さんに会ったんだっけ」
あのとき感じたもやもやは、やきもちだと、今ならわかる。
「いつから好きだったのかな」
困ったときに優しくしてくれた相手に、好感をいだくまでは、ふつうだ。
それが恋に発展するきっかけは、あっただろうか。
「ギャップにやられたんだろうな」
なんでもできると思わせておいて、お酒に弱いとか、寝顔がかわいいとか。
かと思えば、細身のくせに、いい筋肉をかくしもっていたり、意外と力が強かったり。
いつから、ではなく、いつのまにか、好きになっていた。
「好きにならないほうが無理だ、あれは」
ちいさく笑いながら、クーラーボックスを下ろす。
中身はビールと高級黒毛和牛だ。
それから、がっくんが使っていたのと同じガスバーナーに、雪の結晶マークがついたOD缶。
大手通販サイトで、おとりよせをしたギアだ。
今日は彼もどこかで、ソロキャンプをしているのだろう。
おたがい楽しいキャンプになればいいね、と気持ちのいい青空をあおいだ。
投げるだけのポップアップ式のテントを設営し、ペグ打ちをする。
テントの中に、ふくらませたエアマットと、寝袋をひろげた。
木のテーブルに、クーラーボックスとガスバーナー、OD缶をならべる。
組みたてたチェアに座り、クーラーボックスから出した、冷えたビール缶を開けた。
目に映るのは、ながめていて楽しい、自分だけのアウトドアギア。
「圧巻……!」
それなのに、なにかが足りないような気がする。
不思議に思いながら、ビール缶をかたむけていると、黒のSUV車がやってきて、隣の区画に停まった。
あの車、ものすごく、見覚えがある気がする。
でも、まさかね、と思っていたら、運転席から若い男性が下りてきた。
「こんにちは!」
「こんにちは……って、がっくん!?」
「萌さん、偶然ですね!」
「ぐ、ぐうぜん……?」
私が困惑しているあいだに、彼は車から荷物を下ろしはじめた。
「まさかとなりが萌さんだとは思わなかったな~」
「あ……あの、がっくん?」
「俺もソロキャンプをしにきただけなので、おきづかいなく!」
そう言って、くるりと私に背をむける。
そのようすに、彼の言葉の信憑性が増す。
ほんとうにただの偶然かもしれない。
いや、でも……そんなこと、ある?
彼の言葉の真偽をたしかめているあいだに、彼は設営を完了させた。
おちついたブラウンのテントと、その上にピンと張られたタープは同色だ。
木の道具箱には、車輪と取っ手がついていて、テーブルがわりになっている。
使い込まれたおしゃれなキャンプギアは、彼がキャンプ慣れしている証拠だ。
ガスバーナーでお湯をわかし、コーヒーを入れる姿は、出会ったころを思い出す。
私の目線に気づいた彼が、パッと笑顔になった。
「萌さん、コーヒー飲みますか?」
「……飲むけど」
さしだされたステンレスのコップを受けとる。
「本当に、偶然なんだよね?」
「偶然じゃなかったら、運命ですね!」
彼がさわやかにそういうから、それ以上は、コーヒーと一緒に飲み込んだ。
野山が茜色に染まるころ、キャンプ場には、バーベキューの匂いがたちこめる。
私も、赤く焼ける炭を見ながら、プラのクリアカップに入った梅酒のソーダ割を飲んでいた。
「ねえがっくん」
「なんですか、萌さん」
ひとにつくってもらったお酒はおいしいな、という感想は、どこか現実逃避に似通う気持ちが混ざっていた。
「これ、ソロキャンプかな」
「りっぱなソロキャンプですよ。となりのソロキャンパーが、たまたま彼氏だっただけです」
私の皿に、焼けた牛タンが追加される。
私には、買った覚えがない。
そんなことを言ったら、いま飲んでいる梅酒と強炭酸も、持ってきた覚えがないんですけどね。
岩塩が効いた牛タンをかみしめる。
梅酒のソーダ割に、めちゃくちゃ合うな。
ではなく。
「私が思っているソロキャンプと、だいぶ違う気がするんだけど」
「気のせいじゃないですか? あ、こっちも焼けましたよ」
私の皿に追加されたのは、焦げ目と香ばしい匂いがたまらない骨付き肉だった。
「前日から漬け込んでおいたスペアリブです」
彼の言葉に、目を輝かせる。
「やったー! いただきまーす!」
口にふくんだ瞬間、コクのある甘味と、くどすぎない醤油の塩味が、ガツンときた。
口内に風味が残るうちに、梅酒のソーダ割を飲む。
あまりのおいしさに、こまかいことなど、どうでもよくなった。
夢中でほうばり、あっというまにたいらげる。
空の皿とコップをテーブルに置いて、しあわせなためいきをついた。
「おいしかった~。がっくんは天才だね!」
褒めたたえると、彼がなにかをひらめいた。
「それです、萌さん」
「どれ?」
「俺のことは、AI搭載の最新キャンプギアとでも思っていればいいんです」
がっくんが、キャンプギア?
「萌さんの好きなものや、好きなことを、たくさん教えてください。俺、ちゃんと学習します」
ほうけている私の両手をとって、彼が言いつのる。
「だから、萌さんのソロキャンプに、俺も忘れずに持って行ってください」
「そんな、がっくんがキャンプギアだなんて――」
アウトドアに強くて、私に甘い、至れり尽くせりのイケメン執事を連れていくようなものだ。
「――ハイスペックすぎる」
「決まりですね!」
「待って! がっくんはそれでいいの?」
彼は、便利な物あつかいになんか、していい人ではない。
そんな思いを込めた疑問にも、当の本人は、こだわりがなさそうに笑った。
「もちろんです。俺はもうとっくに、萌さんがいないとキャンプができませんから」
「どういうこと!?」
技術も経験値も低い私が、必要とされる意味がわからない。
混乱しながら聞きかえすと、彼がおだやかに口を開いた。
「ひとりが好きだったけど、それ以上に、萌さんのことを好きになってしまったので」
はにかむような笑顔で、それでも彼は、まっすぐに私をみつめた。
温厚なまなざしで、私にやさしく語りかける。
「ねえ萌さん。どうしてそんなにソロにこだわるんですか?」
「それは、最初にやったソロキャンプが楽しかったから」
「それって、俺もいましたよね?」
「え……?」
言われてみると、そうだ。
おもわず彼を見返す。
辺りはいつのまにか、夜の気配が濃厚になっていた。
「ランタン、つけますね」
がっくんが立ち上がり、道具箱のほうに歩いていく。
その背中をみつめ、ふいに気づく。
キャンプ場に着いたときに感じていた、なにかが足りない、という思いが消えていた。
満たしてくれたのは、増えた存在だとしたら。
そんなもの、ひとりしかいない。
もしかして、私が求めていたのは――。
出した答えは、いっしゅんで赤面するほどの威力をもっていた。
はじかれたように、立ちあがる。
薄暗い夕暮れ時は、群生するシロツメクサが、やけに目についた。
彼の背中に近づき、手を伸ばす。
その背に触れる直前、彼がランタンをつけて、一帯に光がもどった。
ランタンの光から、顔をかくすようにうつむく。
どう伝えればいいのかがわからなくて、彼の服のすそをつかんだ。
ふりかえったがっくんが、かがんで私と目を合わせた。
「どうしました?」
やわらかい声音で、問いかけられる。
愛おしげに私をみつめる瞳に、背中を押されて口を開いた。
「またいっしょに、ソロキャンプしてくれる?」
見上げた彼は、ふわりとほほえんだ。
「いいですよ。萌さんの『ソロキャンプ』は、俺がとなりにいることですから」
こつんと額をくっつけて、彼が笑う。
頬をほころばせるような笑顔から、彼のうれしさがつたわってくる。
このひとは、ほんとうに私のことが好きなんだ。
照れくさいような、あたたかな気持ちで見つめていると、ふと彼が顔をかたむけた。
誘うような瞳に、目を閉じる。
触れるだけのキスは、甘い余韻を残してはなれる。
彼と目を見合わせて、おたがいに照れ笑いをうかべた。
彼が腕を伸ばし、私の体を抱きしめる。
細いのに安定感のある腕の中で、彼の体温に酔いしれるように、うっとりと目を閉じた。
未来のことなんてわからない。
だけど、これだけはわかる。
私は、これからも、かぞえきれないほど彼に言うのだろう。
――そうだ。いっしょにソロキャンプをしよう。