ビールジョッキと小さな疑問
「うわあ!!」
恒例のがっくんの大声は、めざましに最適だ。
「も、萌さん、なんで……俺、また……?」
「がっくん、おはよー。きのう、まちがえて高アルコールビール飲んでたよ」
おおきくのびをして、おきあがる。
テントを開けると、キャンプ場は、澄んだ空気と、太陽のひざしであふれていた。
「すみません。またご迷惑をおかけして」
「ぜんぜん迷惑じゃないよ」
律儀に頭を下げるがっくんに、わらいかける。
「顔、あらってくるね。いっしょにあさごはんつくろう!」
「今朝は、ホットサンドをつくります」
がっくんが、ホットサンドクッカーを上下にひらいて、こちらに向けてくれる。
鉄板には、対角線上に仕切りがついている。
しかくのパンが、さんかくのホットサンドになるのだろう。
まんなかにある、ブランドロゴのランタンマークがかわいい。
「たのしみ! なにを手伝えばいい?」
「では、ガスバーナーの点火をおねがいします」
彼の目が、いたずらっぽく弧をえがいた。
「やってやろうじゃない!」
挑むように返答する。
笑うがっくんから、ガスカートリッジとゴトクをうけとった。
このガスカートリッジはOD缶というらしい。
色は、金色にちかいベージュだ。
円柱形で、雪の結晶のマークがついている。
フタは、ちいさな帽子のような形だ。
ゆらすとちゃぷちゃぷと音がして、その液体が移動するたびに、缶が冷えていく。
底はゆるやかにへこんでいて、見れば見るほど、ふしぎだった。
「ガスなのに、液体なんだね」
「2種類のガスを、液化したものが入っています」
「液化って?」
「物質を液状にすることです。ガスならたしか、圧力を加えると液体になります」
「へえ」
がっくんはものしりだ。
彼の知識の豊富さに、おどろくことがよくある。
そのうえ、彼の性格は穏やかだ。
なにを聞いても、嫌な顔をせずに、わかりやすく説明してくれる。
アウトドアの先輩としても、仕事の先輩としても、とても信頼できる人だ。
彼におしえてもらったとおりにすれば、まちがいはない。
ちいさなゴトクの、4本の爪を起こしていく。
ガスカートリッジのフタを開け、ゴトクをネジのように、溝に沿ってまわしこんでいく。
深呼吸をしてから、ガス調整レバーに指をかけた。
左にまわすと、シューッとガスが噴出される。
あるていどレバーを回さないと点火できないのは、経験済みだ。
派手な音に負けない気持ちで、さらに回しこんでいく。
意を決して点火ボタンを押すと、ボッという音がして、火が円を描くようについた。
「萌さん、1回で点火できましたね!」
すぐにがっくんが褒めてくれる。
「そうでしょ?」
得意げに返すと、彼は、見守るような、やさしいまなざしをしていた。
その大人っぽい表情に、年上であることを思い出す。
彼みたいな人のことを、包容力があるというのかもしれない。
ガスバーナーの上に、ホットサンドクッカーをのせて、あたためる。
バターをひとかけら落とし、食パンをのせる。
ジュッという音とともに、香ばしい匂いがただよう。
「萌さん、好きな具材をのせてください」
「じゃあ、お肉とチーズ!」
具材をのせて、また食パンでサンドする。
上下の鉄板ではさむと、ジリジリと焼ける音がした。
持ち手の先についているリングで、2本の持ち手を固定する。
「片面を2分ぐらい炙れば、できあがりです」
「いいにおいがしてきた」
「ほんとうですね」
ホットサンドクッカーを見つめる彼の目は、伏せぎみになっていて、まつげが影を落としている。
口元がキュッと閉じていて、横顔からも知性がにじみでている。
いままで気づかなかったけど、あごのラインがとてもキレイだ。
――がっくんって、もしかして、かっこいい?
私の視線に気づいた彼が、目線をあげる。
「萌さん、おいしく焼けましたよ!」
満面の笑みで、キレイな焼き色がついたホットサンドを見せてくる。
そのようすは、どうひかえめに見ても、かわいい一択でしかなかった。
外はパリパリ、中はふっくら、具はジューシーなホットサンドのクオリティは、専門店がひらけそうなほどだった。
「おいしくて、たべすぎちゃった」
「萌さん、コーヒーをどうぞ」
「ありがとう!」
香りが立っていて、苦味と酸味のバランスがちょうどいい。
自然の中で、おいしいコーヒーを飲む。
とても贅沢な気分だ。
「じゃあ俺は、あとかたづけをしてきますね」
がっくんが、あまりにサラッというから、聞き逃すところだった。
「いや、私もやるよ!」
「食べすぎたときに動くのは、体にわるいですよ? 萌さんは、休憩係です」
なんだその係は。
「でも、キャンプ道具のかたづけができないと、ひとりのときに困るから」
「まだソロにこだわっている……」
「ん? なに?」
がっくんがなにかをつぶやいたので、聞きかえす。
なぜか彼は、にっこりとわらった。
「岡目八目という四字熟語をご存じですか?」
いきなりはじまった国語クイズに、首をかしげる。
「きいたことはあるけど、意味までは」
「はたから見ているほうが、客観的に物事を判断できるという意味です」
「へえ」
「つまり、かたづけを極めたければ、はたから見ているのが、一番の近道ということです」
「そうなの?」
「はい」
がっくんが、笑顔のまま、うなずく。
信頼できる人がそう言うのなら、そうなのかもしれない。
いわれたとおり、コーヒーを飲みながら、てぎわよく片付けをこなすがっくんをながめる。
しかし、だんだん自分だけ座っているのが、おちつかなくなってきた。
そわそわしだした私を見て、がっくんがちいさく笑った。
「どうしても暇でしたら、自分のチェアをかたづけてください。組み立てるのもかたづけるのも、やればやるほど、うまくなりますから」
「がっくん。さっきと言ってること、矛盾してない?」
「ははは。ちょっとなに言ってるのかわからないです」
「なんで!?」
いきなり言葉が通じなくなった。
ふしぎにおもいながらも、自分のチェアをたたむ。
せめて、荷物を運ぼうとクーラーボックスを持つと、がっくんにひょいと取り上げられた。
「俺いま荷物を運ぶことで、筋トレしているので、邪魔しないでください」
「ええ!?」
あのいい筋肉は、そうやって作りだされていたのか!?
そんな衝撃をうけながら、残った荷物を手に取る。
「軽い」
「あ、萌さん! それ、すごく大切なやつなので、ゆっくり、のんびり、時間をかけて、運んできてください」
「わかった。中身はなに?」
「……えーと、なんだっけ?」
「がっくん?」
「キャンプ道具って、どれも大切じゃないですかー」
だんだん、がっくんが適当になってきたような気がする。
くだけてきた、ととらえればいいのか、はなはだ疑問だ。
SUV車のトランクは広く、荷物をすべて積み込んでも、よゆうがあった。
「たのしかったね」
「はい。とても」
がっくんは、にこにこと笑顔をうかべながらハンドルをにぎる。
ほんとうにキャンプが好きなのだろう。
その気持ちは、よくわかる。
雄大な自然のなかでのんびり過ごすのはきもちいいし、外で食べるごはんはおいしい。
いまやったばかりだけど、すでにまた、キャンプがしたい。
つぎの土日もキャンプに行こうかなと考えていたとき、スマホに着信がきた。
画面に表示されるのは、アパートの管理会社だ。
がっくんにことわって、通話ボタンを押した。
「――はい、宮崎です。いまですか? 外出中ですが」
事務的なあいさつののち、管理会社のお姉さんが語ったのは、衝撃の事実だった。
『ただいま、アパート全戸が停電となっており、おわびとお知らせをしております』
「そうなんですか!? あの、復旧の見通しは……」
『原因が、クレーン車の接触事故による、電線の切断ですので、電力会社の作業が終わりしだい、ということになります』
「えーと、つまり、未定ということですか?」
『そうなります。ご迷惑をおかけして、まことに申し訳ございません』
そうはいっても、管理会社が悪いわけではない。
むしろ、知らせてくれて助かった。
「わかりました。ご連絡、ありがとうございます」
再度、丁重に謝罪され、それに恐縮しながら通話を終えた。
「萌さん、なにかトラブルですか?」
「アパートが、停電したみたい」
「そうなんですか!?」
「うん。クレーン車が、電線を切断したらしくて、復旧はいまのところ未定だって」
おもわず、ためいきが出てしまう。
停電ということは、お風呂にも入れないし、家電も使えないし、料理もできない。
電気のありがたさが身にしみる。
「ちかくに銭湯あったかな。あ、コインランドリーも。ごはんは外食するとして」
「……萌さん」
「なに?」
「いったん萌さんちに寄るので、必要なものを持ってきてください」
「必要なもの?」
「着替えとか、明日の出社の準備とか」
「出社の準備?」
「はい。そのあと、俺の家に行けばすべて解決です」
そういって、彼はさわやかに笑った。
「すきなだけ、泊まっていってください」
彼の言葉を、頭の中で反芻する。
アパートが停電したから、がっくんの家に泊まる。
その選択肢は、かんがえてなかった。
なにより、アウトドア用品の買い物にも付き合ってもらったうえに、キャンプ中にもいろいろとしてもらっている。
つまり、世話になりっぱなしだ。
「さすがに、もうしわけないよ」
そう断ると、がっくんが不思議そうな顔をした。
「いちばん合理的じゃないですか?」
「合理的?」
「萌さんの車は、俺のマンションの駐車場にありますし、俺の家からの方が会社に近いです。それに、部屋があまっているので」
「部屋が、あまる?」
そんなことある?
「知ってのとおり、むだにひろいので、昨日使わなかったエアマットを、ためすこともできます。もちろん、俺のベッドで寝てもいいです。えらびほうだいですよ」
「さすがに、家主のベッドをとるわけには」
「ウォーターベッドなので、寝心地いいですよ?」
「ウォーターベッド!!」
ゆらぐ私に、がっくんが笑いながら付け足す。
「部屋でキャンプ、やってみたくないですか?」
「それは楽しそう。バルコニーもあるし」
「ははは。バルコニーに出る必要性は、ゼロですね」
「高所恐怖症」
「ちがいます」
棒読みのがっくんのセリフがおもしろくて、わらってしまう。
つられて、がっくんが笑った。
「そうと決まれば、買い出しにいきましょう。俺、ふだん飲まないので、ビールはおいてないですし」
あれ? 決定した?
でも、いまの話の流れだと、そうなるのかな?
首をひねる間に、がっくんがハンドルを左に切る。
行きにも寄ったショッピングモールに入って、お酒やお惣菜を購入するころには、その疑問は、あとかたもなく消えていた。
それよりも。
あたりまえだが、今日は知沙さんには会わなかった。
それに安心している自分がいて、どうしてこんなにも知沙さんのことを気にしているんだろうという、残ったのは、ちいさな棘のような疑問だけだった。
「がっくんって、私に甘くない?」
「そうですか?」
お風呂から上がった私を待っていたのは、冷たいビールと温められたお惣菜だった。
テーブルには、箸に、取り皿に、ビールジョッキまでがならんでいる。
「んー、俺がやりたくてやっているので、いいんじゃないですか?」
「泊めてもらううえに、なにもしないって、だめ人間じゃない?」
「いいんですよ? だめ人間になっても」
がっくんがにやりと笑って、ビール缶をプシュッと開ける。
その音に、反射的に喉が鳴った。
「どうぞ、萌さん」
目線でビールジョッキを持つようにうながされ、ふろあがりのビールの魔力に逆らえず、空のジョッキを手にする。
そこにがっくんが、なみなみとビールを注いできた。
ジョッキは、350ml缶が、泡をふくめて、ちょうどおさまるサイズだった。
「いただきます!」
つがれたものは飲むしかない。
そう言い訳をしながら、ジョッキをかたむけた。
「おいっしー!」
「よかったです。俺もシャワーを浴びてくるので、えんりょせずに食べて飲んでくださいね」
そういって笑い、彼はバスルームに消えた。
せっかくだから、お言葉に甘えさせてもらおう。
総菜をつまみながら、ジョッキをあおる。
「やっぱビールはジョッキだよね~」
ひとりごとを言ったところで、ちいさな疑問がわいた。
ふだん飲まない人の家に、なぜビールジョッキがあるんだろう。
そこまで考えて、ふと浮かんだ都合のいい想像に、私は苦笑する。
「家族とか、友達とかが飲むのかもしれないし」
可能性をわざと声に出したのは、自分に言い聞かせるためだ。
私のために準備してくれたとか、そんなこと、あるわけがない。
「だって、出会ってまだ1週間だし……って、1週間しか経っていないの!?」
数え直してみるが、やはり1週間だ。
ジョッキが空になったので、あたらしい缶を開ける。
手酌でそそぎ、またジョッキをかたむけた。
「たった1週間で、こんなに仲良くなるとは思わなかった」
そして気づく。
職場も同じだから、出会った日から、ずっと一緒にいることに。
「毎日会ってるって、すごいな」
それが嫌じゃないところも、すごいと思う。
がっくんの隣は、居心地がいい。
先輩としても、ソロキャン仲間としても、相性がいいのかもしれない。
「これは早々に、がっくんと知沙さんが会ってきた時間を、超えるのではないでしょうか」
ふひひ、と笑ったところで、がっくんがでてきた。
ビールジョッキをかたむける私をみて、どこか満足気な表情をしているのが、おかしい。
ふろあがりのがっくんを2回も見ていることを知ったら、知沙さんは悔しがるかな。
そんなことを思いながら、2杯目のジョッキを飲みほした。
「萌さん、貰い物ですが、ワインはいかがですか?」
「ワイン?」
「これです」
冷えたワインボトルを手渡される。
なにげなくラベルを見た私は、固まった。
「がっくん、これ、シャンパン!」
「え? だめでしたか?」
「いやむしろ美味しいやつ! ほんとうにいいの!?」
「はい。俺は飲めないので」
「そっか、じゃあ飲むわ!」
「では、グラスを出しますね。あ、シャンパンだから、シャンパングラスか」
そういいながら、彼は造りつけのカップボードの扉を開ける。
そこには、ワイングラスやシャンパングラスはもちろん、ゴブレットやロックグラス、とっくりとおちょこまで並んでいた。
「がっくん」
「はい」
「ふだん飲まないのに、どうしてそんなにお酒に特化したグラスがならんでいるの?」
あまりの品揃えのよさに、おもわず聞いてしまった。
彼の動きが止まる。
フルート型シャンパングラスの、ステムを指でもてあそびながら、伏せた目を、こちらに向けた。
背中をカップボードにあずけ、上目づかいで、じっと私を見つめる。
湯あがりの上気した頬や、ぬれた髪が、いつもの彼らしからぬ雰囲気だ。
「どうしてだと思います?」
そういって、ゆったりと近づいてくる。
ちいさな音をたてて、私の前にシャンパングラスが置かれる。
せっけんのいい香りがして、なぜだか彼を直視できなかった。
シャンパングラスが、照明を反射している
その煌きを見つめながら、口を開いた。
「お酒を飲む人が、遊びに来たときのため、かな?」
「ええ」
彼が肯定するのを聞いて、ホッとした自分におどろいた。
「まあ、俺の家に来るお酒を飲む人って、萌さんしかいないですけどね」
その言葉に、おもわず顔をあげた。
彼と視線がからみ、そらすタイミングを見失う。
おおきな手が、こちらにのびてくる。
それに、ビクリと反応してしまった。
彼の手が、一瞬とまる。
ぜったいに気付いたはずなのに、彼はなにごとも無かったかのように、テーブルのシャンパンを手に取った。
ラベルを見て、ちいさく小首をかしげる。
そのようすは、いつものがっくんだった。
「シャンパンって、どうやって開けるんですか?」
「あ、私がやるよ」
「おねがいします」
彼は笑顔で、私にシャンパンをさしだす。
うけとるときに指がふれ、すこしだけ緊張してしまったのは、きづかないふりをした。
頭がふわふわする。
シャンパンの口当たりがよくて、飲みすぎてしまったようだ。
「萌さん?」
「おみず、ほしい」
「あ、はい!」
がっくんが水を入れたグラスを持ってきてくれる。
それをうけとろうとして、頭がぐらりと後ろにたおれた。
「だいじょうぶですか!?」
「がっくん……?」
がっくんの声が、耳元で聞こえる。
ふりあおぐと、すぐそばに彼の顔があった。
背中で感じるあたたかさは、彼の体温だったのか。
「なんか、ちかいね」
「う……萌さんが、もたれかかってきたんですからね」
「なんで、あっちを向くの?」
「……緊張するからです」
「そうなんだぁ」
「そうなんですよ」
がっくんの手が、うろうろと迷い、私の肩におりた。
「かお、あかいよ?」
「しりません」
「ねむくなってきた」
「えーと、どこで寝ます?」
「ここでいい」
「床なので却下です。……ベッドにいきませんか?」
「うん?」
「い、いかがわしい言い方になって、すみません! 床だと体が痛くなるし、明日に支障が出るとまずいかなっていう、それだけで、なにもするつもりはないです、けど」
「うん」
「……俺もとなりで、いっしょに寝てもいいですか?」
「うん……」
「本気ですか!? いえ、聞いたの俺なんですけど、なにもしないつもりでも即答されると意志がゆらぐというか、男として期待してしまうというか……萌さん? もしかしてもう寝てます?」
がっくんが、なにかたくさんしゃべっているな、ということしか理解できなかった。
彼に抱きかかえられて、移動する。
安定感がすごい。
やはり彼は、いい筋肉を隠しもっている。
寝心地のいい場所におろされ、これがウォーターベッドか、と感動する間もなくまどろみに落ちていく。
「そんな安心しきった顔で寝られると、手が出せないじゃないですか」
ささやかれ、くすぐったさに身じろぎをする。
「萌さん? ……やっぱり寝てるのか。かわいいなぁ」
すこしの肌寒さをかんじて、ちかくにあった、あたたかいものに擦り寄る。
頭が、ちょうどいい高さのものに乗って、寝やすくなった。
「え、うでまくらとか、ごほうびなんですけど。あ、だめだ俺、寝られる気がしない」
がっくんの声を子守唄に、意識を手放していく。
現実と夢とのはざまで、私の頬に、やさしくなにかが触れた気がした。