自分だけのアウトドアギア
職場の先輩の家におじゃまする。
これだけ聞くと、とてつもなく気をつかう、ハードルが高いイベントのように思われるだろう。
しかし、私、宮崎萌にとって、滝本岳先輩――通称がっくんの家に行けるのは、楽しみ一択でしかなかった。
ふたりであさごはんを食べたあと、車でがっくんを送る。
「つぎの信号を、左に曲がってください」
「はーい」
「そこの黒いマンションです。入口に来客用の駐車場があるので、そこに停めてください」
「りょうかいです」
アスファルトに白文字で「来客用」と書かれた場所に駐車する。
そういう設備がある時点で予想はついていたが、がっくんと一緒にエントランスに入って、確信した。
大理石の床に、エアコンつき応接スペース。
奥には自動販売機が4台もあるし、男女別のトイレまである。
コンシェルジュがいるだろう受付は、土日のためか閉まっている。
ひろいエントランスをぬけて、2基あるうちの、左側のエレベーターに乗りこんだ。
「がっくん……高級マンションじゃん……」
うちの会社って、そんなに給料よかったっけ?
「親戚が購入したんですけど、すぐに海外転勤になってしまって。管理をするかわりに格安で貸してもらっています」
「ありそうでなさそうな話のやつ!」
そんなことを話しているうちに、エレベーターは8階についた。
「最上階!!」
「地上から、離れすぎていますよね」
「がっくん、高所恐怖症?」
「ちがいますけど、バルコニーに出る用事はないです」
長い通路を、つきあたりまで歩く。
最上階の角部屋とか、ぜったいいい部屋じゃん……。
鍵を開けたがっくんが、扉を開けてくれた。
「ちらかっていますけど、どうぞ」
「おじゃまします」
内装までが高級感にあふれている。
うながされるまま、ひろいリビングに通される。
ブラウンのソファに座りながら、ついきょろきょろと見渡してしまう。
部屋の角には、小上がりの座敷まであった。
そんななか、キャンプ道具がリビングのすみに積まれているのを見つけ、頬がゆるんだ。
まえにキャンプ場で見た、車輪と取っ手がついた木の箱もある。
がっくんがコーヒーを入れてくれたので、お礼をいって受けとる。
「あの箱の中、見てもいい?」
「いいですよ。俺、シャワー浴びてきますね」
「はーい、ごゆっくり」
木箱を開け、まず目についたのはランタンだった。
カンテラのような形で、かわいい。
ボタンで点灯するので、光源は電気のようだ。
つぎに、黒っぽい筒のようなものを出してみる。
フタと本体に、それぞれ折りたたまれた取っ手がついている。
取っ手を引きおこして、ならべてみる。
「フライパンとナベだ!」
ナベの中には、ベージュのガス缶が入っていた。
「なるほど。調理用品が、ひとつにまとまっているのか」
このガスバーナーは便利そうなので、あとでがっくんに使いかたを教えてもらおうと思った。
そのとなりに、両手に乗る大きさの、真四角の黒いカバンがあった。
コーヒーのイラストのロゴがついている。
「コーヒーセットかな」
ジッパーの付きかたが独特だ。
正面はまっすぐだけど、左右の面までくると、対角線のようにななめについている。
ためしに、開けてみる。
「すごい! 長方形のトレーになるんだ!」
おおきくひらくから、ものの出し入れがしやすい。
よく考えてあるな。
キャンプ用品をつくるひとは、頭がやわらかい。
「それにしても、本格的だな」
コーヒー豆に、コーヒーミル、ケトルにドリッパー、フィルターがそろったセットをしげしげとながめる。
私だったら、どんなにがんばっても、ドリップパック止まりだ。
そういえば、さっきがっくんがコーヒーを入れてくれたんだっけ。
ソファにすわり、すこしさめたコーヒーを飲む。
「……おいしい」
クセがない味は、とても飲みやすかった。
「おまたせしました」
コーヒーを飲み終え、ふたたびキャンプ道具をさわっていると、がっくんが髪をふきながら出てきた。
キャンプにぴったりの、動きやすそうな服装だ。
「キャンプ道具っておもしろいね」
「ええ」
「ちいさいフライパン」
「スキレットといいます。熱伝導性が高いので、なんでもおいしくできますよ」
「鉄なべ」
「ダッチオーブンです。焼く・炒める・煮る・蒸す・揚げるまでできる、アウトドアの万能鍋です」
「取っ手つきプリンカップ」
「ふふ、シエラカップです。直火にかけられるので、便利ですよ」
となりにすわるがっくんの髪から、まだ雫が落ちている。
「がっくん、髪ぬれてるよ」
「すぐに乾きます」
「もー」
がっくんの首からタオルをとって、彼の頭をガシガシとふいた。
「も、もえさっ」
頭が揺れるからか、がっくんがうまくしゃべれていない。
「今日はコンタクト?」
「は、はい」
顔をのぞきこんで聞くと、彼がはげしくまたたいた。
コンタクトは目が乾くといっていたから、ドライアイ気味なのかも、と同情した。
「萌さん、キャンプ場は、前回とおなじ場所でだいじょうぶですか?」
がっくんが、キャンプ用品をまとめながら聞いてくる。
「うん。そこしか知らないし」
「では、とちゅうにホームセンターとショッピングモールがありますので、そこでキャンプ用品を買いましょう」
「りょうかいです! あ、私の車、ナビがないから、がっくんの車に後ろからついていくね」
パッキングを終えたがっくんが、私の方をふりむいた。
「……それなんですが、萌さん」
「はい」
「俺が運転をするので、助手席に乗ってもらえませんか?」
「どうして?」
「時短です」
「時短」
くりかえすと、がっくんがうなずいた。
「萌さん。助手席でしたら、買ったものの説明書を読むことができます。わからなければ、俺に聞いてくれたらすぐに答えます。俺は運転するのが好きですが、萌さんは?」
「好きです!」
「う……セリフによろこんでいる場合じゃ……」
「がっくん?」
呼ぶと、彼が軽いせきばらいをした。
「知らない道を運転して気力を削るより、体力を温存してキャンプを満喫したほうが合理的だとはおもいませんか?」
「たしかに。でも、ソロキャン――」
「2区画、予約しましょう!」
「なるほど!」
そんな会話ののち、がっくんのSUV車に、乗せてもらうことにした。
艶のあるブラックのボディは、品格のあるフォルムをしている。
街乗りに適したオフロード、という感じだ。
車内はひろく、足元もゆったりしている。
「エアコンの吹き出し口までかっこいい」
「あはは」
「マニュアル車? めずらしいね」
助手席と運転席のあいだにMTシフトがある。
さいきんAT車しか見ていないから、新鮮だ。
「運転、好きなので」
「いろいろなボタンがついてる。このイスのマークはなに?」
「シートヒーターと、シートベンチレーターです。シートが温かくなったり、涼しくなったりします」
「すごっ!!」
そんな最先端の車は、発進もスムーズだった。
揺れがすくなく、乗り心地がとてもいい。
「最初はホームセンターに行きましょう。萌さん、なにか気になっているキャンプ用品はありますか?」
「そうだなー。寝る時のマットは欲しいかな」
マットの存在は、がっくんのテントで知った。
ふつうに考えて、地面にテントだけじゃ痛そうだ。
「マットは、大きく分けて2種類。発泡マットと、エアマットです」
信号が赤になり、車が停まったので、くわしく聞いてみる。
「はっぽうって?」
「折りたたみ式の、銀マットです」
「ああ、見たことあるかも」
「かさばりますが、断熱性とコスパはいいです」
「断熱性が、ひつようなの?」
「はい。夜の地面は、底冷えするので」
「そうなんだ」
勉強になるな、と思いながら前をむく。
信号が、青に変わった。
「前回はがっくんにひっついて寝たから、わからなかったな」
ガクンッと車がエンストした。
「すっ、すみません! クラッチ操作を、まちがえて!」
すぐさまエンジンをかけ直し、車が再発進した。
「……はずかしい」
赤い顔でつぶやくがっくんは、かわいかった。
でも、はずかしがっている人に言うことではないので、胸に秘めておくことにした。
ホームセンターの一画に、キャンプコーナーができていた。
「おおきなテントが張ってある」
「コットもありますね」
「コットって?」
「これです」
がっくんが指したのは、布でできたベンチだった。
「マットのかわりに、コットで寝る方もいます。寝心地はいいそうですよ」
「いわれてみると、簡易ベッドみたい」
「ベンチにもなるし、足の高さも変えられる。ただ」
「ただ?」
「かさばるし、重いし、設営に力がいるメーカーがほとんどです。軽量でかんたんに組みたてられるものもありますが、4万円ほどします」
「4万円!?」
置いてあるコットの値札を見る。
「3,980円」
「これは、半分に折りたたむタイプですね。しかも、重い。5kg以上あるな」
がっくんは、コットを床からすこし浮かせて、確認している。
「4万円のは、軽いの?」
「たしか、長辺が55cmぐらいで、重量も2kgほどです」
がっくんが両手でしめした長さは、おもったよりも短い。
「一流のメーカー品がよければ、登山用品店か、ネット注文ですね。ちなみに萌さん。失礼を承知でおうかがいしますが、ご予算は?」
「すくないのを承知でお教えしますが、1万円です」
「じゅうぶんですよ? では、そのなかで、マットをえらびましょう」
ちかくに人はいなかったのに、内緒話をするようにコソコソと話す。
それがおかしくて、がっくんと小さくわらいあった。
「エアマットは、エアポンプが内蔵されているものが、おすすめです」
「どういうこと?」
「本体の隅にあるエアポンプを踏めば、空気が入ります」
「べんり!」
「しかも、さいきんのエアマットは、収納サイズがコンパクトで、軽いです」
そういって、がっくんが棚につりさげてある商品を手にとった。
「これです」
「これ!? 500mlのペットボトルぐらいじゃん!」
「重さも、それぐらいですよ」
がっくんから受けとる。
片手で楽々もてる軽さだ。
しかも。
「2,980円」
「安いですね」
「これにします」
即決した。
「萌さん、夜は冷えるので、寝袋もあった方がいいですよ」
「あはは。毎回がっくんのとなりで寝れば、要らないけどね」
「そ……それは……その、どういう……」
「あ! がっくん寝袋あったよ!」
「萌さんっ……そうですよね! ちょっとわかってきました!」
がっくんの、しぼりだすような声音への疑問は、寝袋の種類の多さへの疑問にすぐさま切りかわる。
「形も値段もいろいろだね」
「形は、マミー型と封筒型があります。保温性が高いのはマミー型で、ひろげて布団のようにも使えるのが、封筒型です」
収納サイズは、どちらもおなじぐらいだった。
「おなじかたちでも、値段がちがうのはどうして?」
「対応している気温の差です。タグに書いてある温度は、快適に眠れる気温です」
「ほんとうだ。5℃、10℃、15℃」
「夏だけでしたら、10℃のもので充分だと思います」
「10℃は、3,480円! オレンジがいいから、封筒型にしようかな」
でも、色で選んでいいのかな。
そんな疑問が顔に出ていたのか、がっくんが言い足す。
「性能に不足がなければ、見た目でえらぶのは正しいです」
「そうなの?」
「せっかくなら、ながめていて楽しい方がいいじゃないですか」
そういって、本当にがっくんは、たのしそうに笑った。
それを見て、私は、オレンジの寝袋を買うことに決めた。
「あとは、何があったら便利?」
「アウトドアチェアですね」
「あっちにならんでる!」
チェアは、たくさんの商品が置いてあった。
気になったものに、かたっぱしから座ってみる。
「萌さん。収納サイズと、設営の手間だったら、どちらを重視しますか?」
「持ち運びしやすくて、楽なのがいい」
「まあ、そうですよね」
がっくんが、笑ってうなずく。
「チェアは、折りたたみ式と、組みたて式があります」
そういうと、彼は白いチェアに手をかける。
「うすくなるように折りたたむタイプと」
座面と背面を、パタパタと折りたたむ。
「傘のように、閉じるタイプ」
つぎは、青いチェアを、しぼるようにたたむ。
「どちらも、設営は楽ですが、かさばります」
「なるほど」
そうして、赤いチェアを手にとった。
「こちらは、組みたて式です。骨組みと布にばらけます」
力を入れて布をひっぱり、四隅をはずしていく。
骨組みと布が、かんたんに分かれた。
骨組みの関節部をひっぱると、みじかい棒の束になった。
それぞれゴム紐 のようなものでつながっているので、まよわず組みたてられそうだ。
「骨はアルミなので、軽いです。付属の収納袋に入るサイズになります」
「2Lのペットボトルくらいだね」
「はい。ばらける方が、洗うときに楽ですね」
「しかも、2,480円。これにする!」
「デザインが5種類あります」
「どれにしよう」
「ゆっくり選んでください」
そういいながら、がっくんは、たたんだチェアを、もとに戻していく。
律儀だな、と感心しながら、チェアはナバホ柄のレッドをえらんだ。
「萌さんは、決断力がありますね」
「がっくんの説明がわかりやすかったからだよ」
「お役に立てて、よかったです」
ふたりでレジにならびながら、とりとめないことを話す。
お会計も1万円以内におさまり、大満足だった。
ショッピングモールで、食材を調達することにした。
「お肉とお酒~♪」
「萌さん、これをスキレットで焼くとおいしいですよ」
がっくんが手に取ったのは、肉コーナーにあった、成形されたハンバーグだ。
「チェダーチーズをのせて、ホイル焼きにしましょう」
「お酒に合いそう!」
「萌さんは、どんな肉が好きですか?」
「牛タンと骨付きカルビ。がっくんは?」
「俺は豚バラです」
「よし、ぜんぶ買おう。あ、ヒツジがある! 鶏せせりも!」
がっくんが持ってくれるカゴに、ぽいぽい入れていく。
やさい売り場にさしかかり、がっくんが足を止めた。
「萌さん、じゃがバターとやきいも、どちらが好きですか?」
「どっちも!」
「ふふ、わかりました」
カゴに、ジャガイモとサツマイモが追加された。
酒コーナーでは、まよわずビールの6缶入りを手にとる。
「がっくんは、なに飲む?」
「調理器具の使いかたをお教えしたいので、きょうはやめておきます」
苦笑するがっくんに、ひとつ提案をする。
「私に教えおわってから、いっしょに飲むのは? ふたりでいるのに、ひとりで飲むのは寂しいかも。まあ無理にとは言わな――」
「1缶だけですよ!」
「がっくん、男前!」
「う……でも、アルコール度数が低いやつにします」
「じゃあ、がっくん用に、お酒つくってあげるよ。ビールとジンジャーエールを1:1で割った、シャンディガフ!」
「なるほど。ビールの度数が5%だから、単純計算で2.5%ですね」
ジンジャーエールと、ついでに気になっていた高アルコールビールをカゴに追加した。
「がっくん、重くない? カートもってこようか?」
「だいじょうぶです」
ひょいとかごをかかげるから、その細い体のどこにそんな力があるのか、と驚く。
そして、引き寄せられるように、がっくんの二の腕をつかんだ。
「けっこう、筋肉がある」
「萌さん、ちょ、萌さん」
「もしかして、着やせするタイプ?」
彼の二の腕を撫でまわしていると、いきなり手首をつかまれた。
「萌さん。それ以上さわったら、俺もさわりますよ」
ひとことずつ区切るように言われ、がっくんの顔を見ると、彼の目は据わっていた。
あ、これは本気でやばいやつ。
「ごめんなさい。セクハラでした。反省しています」
「わかればいいんです」
彼は拗ねたように言うと、私の手首をパッとはなした。
「もうレジに行ってもだいじょうぶですか?」
「はい」
「俺、いちおう先輩ですからね?」
「はい」
「というわけで、ここは俺が出します」
「はい?」
がっくんと目が合い、彼がにやりとわらった。
「私も出す!」
「俺の方が給料が高いです。それに萌さん。アウトドア用の調理器具も、けっこういい値段しますよ」
「そうなんだ」
「きょう使ってみて、気に入ったものがあれば、またいっしょに買いに行きましょう」
いつもどおりの、やわらかい口調に、ものすごく安堵した。
「ありがとう」
おれいを言うと、がっくんは優しい表情を浮かべて、うなずいた。
買い物袋を、手分けして持つ。
そうはいっても、いちばん軽い袋しか持たせてもらえなかった。
「キャンプ場の受付、何時までだっけ」
「17時までなので、じゅうぶん間にあいますよ」
「――岳?」
うしろから掛けられた声に、がっくんが振りかえる。
「知沙さん」
「奇遇ね」
知沙と呼ばれた女性は、華やぐような笑顔で、がっくんに近寄った。
色気のある美人で、彼女が動くたびに、いい香りがした。
「そのかっこ、またキャンプ? 本当に好きなんだから」
彼女はくすくすと笑い、がっくんの二の腕に手をそえる。
そして、私の方をみた。
「こちらは? 岳、紹介して?」
彼女は、かわいらしく小首をかしげた。
ネイルのきらめく指先が、ずっと、がっくんの腕に触れている。
「俺の後輩です」
「あら、じゃあ私の後輩でもあるのね。はじめまして。営業部の星野知沙です」
そういって彼女は、ゆるく巻いた髪を耳にかけた。
「はじめまして。 経理部の宮崎萌です」
「あなたも、キャンプが趣味なの?」
「はい。はじめたばかりなので、滝本先輩に、ご教授いただいているところです」
「そう。野性的で、ステキね」
にっこりと笑う彼女に、ひかえめな笑顔を返す。
苦手なタイプだ。
彼女とがっくんは、また二、三言、会話を交わす。
そのあいだも、彼女はがっくんに触れたままで、がっくんもそれを当たり前のように受けいれている。
見ていたくなくて顔をさげると、色気もくそもない、欠けた自分の爪が目に入った。
「じゃ、岳。またね」
その言葉に、ホッと顔をあげる。
彼女は去りぎわ、勝ち誇ったかのような笑みを、私にむけた。
意味がわからず、立ちつくしたまま、彼女の背中を見送る。
でも、あの顔をする時、彼女は。
がっくんから見えない位置を、計算しやがった。
その事実に、胸やけが起こった。
「萌さん?」
「がっくん。あのステキ女子は、どういった方なんでしょうか」
ああいうタイプは、女子力の高さで人間のレベルが決まると思っているに違いない。
わるかったな、野性的で。
「俺の同期です」
「仲が、よろしいようで」
「ふつうですよ」
ふつう。
ふつうとは。
どうしてあの人はがっくんにさわっても良くて、私はダメなの。
そんな子供のわがままみたいなことを言いそうになって、あわてて唇を噛んだ。
「萌さん、なにか怒ってます?」
がっくんが、運転をしながら聞いてくる。
「べつに。……ちょっと、つかれただけ!」
感じのわるい返事をしてしまい、あわてて付け足す。
「着くまで、寝ていてもいいですよ」
「あー、うん。そうしようかな」
ごめん、がっくん。
実はまったく眠くない。
そう思いながらも、目をつむる。
なぜだか今は、がっくんと会話をする気になれなかった。
目を閉じると、車のエンジン音や、鳥の声がよく聞こえる。
あけた窓から入ってくる風が、ここちいい。
車の揺れに身をまかせているうちに、いつのまにか本当に眠ってしまった。
「萌さん」
とおくで名前をよばれる。
まだ眠いな、と固まった首を、反対の方にたおす。
「ええ……かわいい……」
手の甲に、誰かが触れる気配がした。
あたたかい手が、やさしく、なでるように、二の腕まで上がっていく。
「萌さん、起きないと、たいへんなことになりますよ」
耳元でささやかれ、ふわりと意識が浮上する。
目をあけると、がっくんの顔が近くにあって、いっしゅん、状況がわからなかった。
「……がっくん?」
「おはようございます。キャンプ場に着きました」
彼はいつもどおりにほほえんで、私から離れた。
いまのは、夢?
首をひねりながら、うながされるまま、車をおりた。
「今回は、フリーサイトを、2区画予約しました」
「フリーサイトって?」
「どこでも好きな場所にテントが立てられます」
言われて、フリーサイトをみわたす。
林のなかに、地面がむきだしになった平らな場所が、いくつか見える。
起伏があるので、おおきな階段のようだ。
「上のほうが、見晴らしがよさそうだね」
「ええ。そのかわり、炊事棟やトイレからは遠くなります」
「そっか。じゃあ、下のほうは?」
「利便性はあがりますが、人の行き来が多くなります」
「なるほど。がっくんは、どこがいいと思う?」
「そうですね……」
がっくんが、サイトの入り口にある案内板にあゆみよる。
しばらくながめてから、スッと人差し指をあげた。
「このあたりは、静かそうです」
さしたのは、中段の、はしだった。
水場は遠すぎず、近すぎない。
はしの方なら、他人を気にせず、のんびりできそうだ。
「じゃあ、そこにしよう」
「何往復かしますが、だいじょうぶですか?」
「もちろん!」
即答すると、がっくんが笑ったので、首をかしげた。
「萌さんが元気になって、よかったなって、思いました」
いわれてみると、いまは楽しみな気持ちでいっぱいだ。
すこし寝て、すっきりしたからかもしれない。
そう結論づけて、車から荷物をおろすがっくんに駆け寄った。
テントの設営が、無事に完了した。
こんどはペグ打ちを忘れなかった。
エアマットや寝袋をテントに敷くと、ベテランキャンパーになった気分だ。
エアマットをふくらますのに手こずって、結局がっくんに手伝ってもらったけど。
足で踏むだけなのに、コツがあるみたいだ。
明るいうちに、調理にとりかかる。
フリーサイトにはU字溝がないので、がっくんが持ってきたバーベキューコンロを使うことにした。
「では、炭火を起こしましょう。着火剤・新聞や枯れ木・ガスバーナーなど、いろいろな方法があります」
「ガスバーナーを使ってみたいです!」
「わかりました」
がっくんから、白い小箱とガス缶を渡される。
「あけてみてください」
箱をあけると、金具のようなものがでてきた。
「ガスカートリッジのゴトクです」
「すごく、ちいさい」
「それ、じつは登山用品なので、ちいさくなるように作ってあるんです。その4本の爪を、ひろげてください」
「できた」
「ガスカートリッジのフタをとって、まわしこめば、準備完了です」
いわれたとおりにやってみる。
「このつまみは、ガス調節レバーです。左にまわせばガスが出るので、そのあとに黒いボタンを押せば点火します」
つまみを右にまわすと、ガスが噴出する音がした。
「シューッていってる!」
音にビビりながら、点火ボタンを押す。
「あれ、つかない」
「もうすこしつまみを回して、ガスの量を増やしてください」
「もっと!?」
「音が派手なだけです。そもそも、野外なので安全ですよ」
覚悟を決めて、つまみを回す。
片目をつぶりながら、点火ボタンを押した。
「ついた!」
「おめでとうございます」
「はあ、緊張した」
「次からは、俺がつけましょうか?」
がっくんが、火おこし鍋に炭を入れながら、聞いてくる。
申し出はありがたかったが、断腸の思いで断る。
「甘やかさないで」
「どうしてですか?」
がっくんが、本気で不思議そうに聞いてくる。
どうしてって、決まっているじゃないか。
「だって私、達人ソロキャンパーをめざしているんだよ? がっくんがいないとキャンプができなくなったら、どうするの?」
がっくんは、ぱちくりとまたたいた。
「……萌さん」
「なに?」
「俺が全部やるので、心配しないでください」
「話きいてた!?」
がっくんが、真剣な表情でうなずく。
「いいですか、萌さん。あせらずに、すこしずつ慣れていくほうが、結果的には近道という場合があります」
「そうなの?」
「はい。今日は、アウトドアチェアを組みたてたら、終わりにしましょう。新しいチェアに座って飲むビールは、きっとおいしいですよ」
「でも、今日は調理器具の使いかたを教えてくれるって」
言ったよね?
そんな思いをこめ、がっくんを見ると、彼はさわやかに笑った。
「飲みながら、俺がやるのをながめていればいいじゃないですか」
「ええ!? でも、それって」
「俺が炭火をおこすのと、萌さんがアウトドアチェアを組みたてるの、どっちが早いか競争しましょう! よーいどん!」
「あ、まって! ずるい!」
すでに火おこし鍋はバーナーの上にあったため、結果はがっくんの大勝だった。
いろいろと流された気がするが、自分で組みたてたチェアに座って飲むビールは、さいこうだった。
がっくんが、食材を焼いて、私の皿に入れてくれる。
前もこんなだったな、と思いながらも、牛タンをかみしめる。
ビールが進む!
スキレットで焼いた、ホイル焼きハンバーグチェダーチーズのせは、ハンバーグ専門店がひらけそうなほどおいしかった。
ラム焼肉用はタレ漬けだったので、完成された味だった。
鶏せせりに、がっくんが岩塩を振ってくれて、その塩梅が絶妙で最高だった。
「時間があれば、スペアリブを前日から漬け込めたんですけど」
焼けた豚バラを私の皿に入れながら、がっくんが悔しそうに言った。
「そんなにおいしいの?」
「ぜったいビールに合うと思います。次回のときに、持っていきますね」
「やったあ!」
3本目に、気になっていた高アルコールビールを飲むことにした。
クーラーボックスから、高アルコールビールを取り出すと、となりのジンジャーエールが目に入った。
そこでようやく、がっくんのお酒をつくるという約束を思い出した。
見た目も大事だからと、一緒にプラのクリアカップまで買ったくせに、忘れるとはなにごとだ。
自分にあきれながら、ジンジャーエールを手にとった。
「がっくんの、シャンディガフを作ります」
胸をそらせて宣言すると、がっくんがふきだした。
「おぼえていたんですね」
「も、もちろん!」
がっくんの笑い声を聞きながら、シャンディガフにとりかかる。
「ジンジャーエールを入れて、同量のビールをしずかにそそぐ。完成!」
「ありがとうございます」
「こちらこそ! がっくんのおかげで、いいアウトドア用品が買えたよ。達人ソロキャンパーに、一歩近づいた気がする!」
「やっぱりソロにこだわっている……」
「え?」
「あ! せっかくなので、萌さんのお酒も注ぎますよ」
「そう? じゃあおねがいしようかな」
クリアカップをもうひとつ出して、高アルコールビールを注いでもらう。
『かんぱい!』
プラスチックとはいえ、コップに注いで飲むビールはおいしかった。
半分ぐらい飲むと、すぐにがっくんが注ぎ足してくれる。
それを見ていると、そんなにも尽くしてくれるのに腑に落ちない、と忘れたはずの疑問がわいてきた。
「今日会った営業部の女性だけど」
「知沙さんですか?」
「それ」
「はい?」
「なんで名前呼びなんですか?」
「同期は全員、名前呼びで定着しているからです」
「ふーん」
高アルコールビールは、ふつうのビールよりも、舌に苦かった。
「萌さん?」
「もうひとつ、聞きたいことがあります」
がっくんをまっすぐ見つめる。
彼は澄んだ瞳で、私を見返した。
「なんでしょうか」
「がっくんの二の腕は、あの人のものなんですか?」
「…………はい?」
肯定か否定か、判断がつかない返答に、じれた私は立ちあがる。
「あの人のものなんですか!?」
「まって、なに、え? にのうで?」
「このいい筋肉がついた二の腕の話だってば!」
じゃまなコップをテーブルにたたきつけて、がっくんの二の腕をわしづかみにする。
ほんとうにいい筋肉がついてるな!?
「ちょ、あぶない! 萌さん!?」
シャンディガフがこぼれそうになり、彼はあわててコップをテーブルに避難させた。
「ちかい……! というか、揉まないでください!」
「あのひとはいいのに、なんで私はダメなの!?」
言わないでおこうと決めたはずの言葉が、するりと口からとびだした。
子供じみたわがままに、がっくんがポカンとしている。
そして、しばらく考えこんだかと思うと、おもむろに切りだした。
「知沙さんは、誰に対してもああいう感じなので」
「んん?」
異議あり。
営業職らしく、相手によって、態度を使いわけられる器用な人だと思う。
しかし、どう伝えても悪口のようになってしまうので、黙ったままでいた。
「それに、萌さんから言われるまで、知沙さんに会ったことすら忘れてました」
「え!?」
「このキャンプが楽しみすぎて、というか、いまもめちゃくちゃ楽しいんですけど、正直ほかのことなんか、どうだっていいです」
そう言い切ったがっくんが、シャンディガフをあおる。
アルコール度数は2.5%だけど、がっくんのお酒の弱さをしっているから、ハラハラしてしまう。
「俺が、さわるなと言った理由ですが」
そして、強い瞳で、私を射抜いた。
「萌さんにさわられると、俺も萌さんにさわりたくなるからです」
こんどは、私がポカンとする番だった。
「さわったら、さわりかえすって、いったよね?」
「え!?」
止める間もなく、がっくんが私の二の腕をつかんだ。
「ま、まって」
「またない」
「いや、でも、そういう意味だとは」
「どういういみだと、おもったの? ……おしえてよ」
ささやかれ、パニックになった私は、テーブルのビールを一気飲みする。
そして気付く。
「こっちがシャンディガフだ!?」
つまり、がっくんが飲んだ方が高アルコールビールだ。
がっくんの顔をのぞきこむと、彼の目はとろりととけていた。
「……ねむい」
「だろうね!?」
いったん彼をチェアにすわらせ、自分のテントから寝袋を持ってくる。
エアマットは無理でも、せめて寝袋ぐらいはためしてみたい。
「がっくん、テントいこう」
「うん……」
彼をテントに押しこみ、ころがす。
すぐに規則ただしい寝息が聞こえてきて、肩の力をぬいた。
いろいろなことが一気に起きて、正直キャパオーバーだ。
よくわからないこともあったが、要するに。
「男性特有の、いろいろな事情があるから、むやみやたらにさわるなってことだよね?」
女性なら慎みをもて、と説教をされたんだと思う。
「ほんとうに面倒見がいいな、この人」
それはずっと思っていたことだけど、改めてそうおもう。
「明日おきたら、あやまろう」
そう決めてしまえば、心はかるくなった。
「よし。じゃあ寝袋をひろげてみよう」
ジッパーを全開放すると、おとなふたりは、寝られそうな大きさになった。
ためしに、がっくんに掛けてみる。
ぐっすりと寝入る彼の横顔は、やはり幼く見えて、かわいかった。
「成人男性のくせに、私や知沙さんより、ぶっちぎりでかわいいな」
寝ている彼に、話しかける。
「今日はありがとう。遠くない未来に、ソロキャンプできそうだよ。まだまだ、買わなきゃいけないものはありそうだけど」
――せっかくなら、ながめていて楽しい方がいいじゃないですか。
迷っていた私にかけられた、彼の言葉がよみがえる。
「いちばんながめていて楽しいのは、がっくんかも」
ちいさく笑い、がっくんをながめる。
もっと近くで見たくて、となりに寝転んだ。
「このかわいい寝顔、あと何回、見られるのかな」
寝るのがもったいないと思ったけど、アルコールがふわふわとした眠気をつれてくる。
――俺が全部やるので、心配しないでください。
うとうととまどろみながら、思い出す彼は、まるで私の願望を見透かしたみたいに笑っていた。