金曜日の歓迎会
「宮崎君、経理部へようこそ! 若い力に期待しているよ。それでは、かんぱーい!」
『かんぱーい!!』
金曜日。
私の歓迎会をひらいてもらった。
市街地の、創作料理の居酒屋だ。
店内の照明は明るすぎず、大人の隠れ家という感じだ。
ちょっといい服を着てきてよかった。
男性はスーツだから、服をえらぶ必要が無くて、うらやましい。
経理部は私を入れて、ちょうど10人。
ゆったりとした個室は掘りごたつで、くつろげそうだ。
「おいしそう!」
前菜は、地魚の刺身盛りに、旬野菜のシーザーサラダ。
この時期しか食べられない、ホタルイカの酢味噌和えまでついている。
「ビールに合う~!」
「宮崎君、いい飲みっぷりだね」
「部長! おつかれさまです」
乾杯の挨拶を終えた部長が、ビール瓶を両手にもって、私の右隣に座った。
「ささ、好きなだけ飲みたまえ」
「ありがとうございます! いただきます!」
ビールグラスが小さいので、グイッといけてしまう。
「部長もどうぞ!」
一杯飲むたびに、部長にも勧める。
「部長、ビールだけでいいんですか? 飲み放題メニューに、各種日本酒もありましたよ?」
「おお、そうかね」
部長にメニューを手わたす。
彼がしげしげとメニューを眺めている隙をついて、左隣に座る、滝本 岳先輩――通称がっくんの、グラスのビールを飲み干した。
部長はけっきょく、他の人のグラスにビールを注ぎに行った。
「萌さん、ありがとうございます」
「密約どおり、がっくんのお酒は、すべて私が飲み干します」
「心強いです」
お酒に弱いがっくんは、そういって、ひかえめにほほえんだ。
きょうの彼は、スーツを着た眼鏡男子 だ。
細身の体躯に、よく似合っている。
「あ、そうだ、がっくん」
「なんですか?」
「キャンプ道具って、どこでそろうの?」
枝豆をつまみながら、がっくんに問う。
「スポーツ用品店や、登山用品店はもちろん、ホームセンターや、100円ショップにも置いてあります」
「100円ショップにも!?」
「はい。100円ショップのヘッドライトは、おすすめですよ」
がっくんは、キレイな箸づかいで、だし巻玉子を口にはこんだ。
「萌さんは、何をお探しですか?」
「うーん。何が必要だと思う?」
「では、逆に何を持っていますか?」
「テントと焼き網。以上です」
「……なるほど」
がっくんの戸惑いの表情は「それでよくソロキャンプをやろうと思いましたね」と語っている。
「よければ、俺が着いていきましょうか?」
「いいの!? ぜひ!」
「はい。いつにします?」
「土日は基本的にひまなんだけど。明日はがっくん、キャンプに行く?」
「いえ。飲み会がある週の土日は、あけてあります。二日酔いで、行けない時が多いので」
がっくんが遠くを見ている。
「じゃあ、明日は?」
「いいですよ」
「やったー! あ、この焼き鳥おいしいよ」
がっくんを元気づけようと、おいしかった焼き鳥を差しだす。
「も、萌さん! 自分で食べられます!」
すこししか飲んでないはずなのに、がっくんの顔はすでに真っ赤だった。
ほんとうにお酒が弱いんだな、と同情した。
次に出てきた料理は、おでん盛りあわせと、タレ唐揚げだ。
「大根の味が染みてる~!」
「宮崎さん、なんでも美味しそうに食べるね」
おでんとビールに舌鼓をうっていると、ストライプのスーツが決まっている男性に話しかけられた。
ええっと、名前はたしか――。
「大久保主任! おつかれさまです!」
セーフ。
間一髪、思い出した。
大久保主任はにっこりと笑うと、私の隣にすわった。
宴会がすすむと、あいている席にてきとうに座るのがあたりまえだ。
トイレに行って戻ってくると、誰かが座っているのは、宴会あるあるだ。
私は、がっくんのビールを飲み干すという使命があるため、なんとか、彼の隣を死守している。
「宮崎さん、萌って名前、かわいいね」
「ありがとうございます。私も気に入っているんですよ」
「萌ちゃんって呼んでもいい?」
「いいですよ」
なぜか隣のがっくんがむせた。
「だいじょうぶ? がっくん」
「だ、いじょう、ぶ」
がっくんの背中をさする私を見て、主任がポカンと口を開けた。
「え? まさか、そういう仲なの?」
「はい! ソロキャン仲間です!」
「ソロキャン……ああ、キャンプか。びっくりした」
おおきな寿司桶が運ばれてきた。
魚介の寿司はもちろん、手まり寿司や炙り肉寿司までならんでいる。
「主任、このお店、当たりですね」
「萌ちゃん、真顔になってる。あ、ビール飲む?」
「いただきます」
主任からビールをついでもらう。
お返しに、主任のグラスにもビールをついだ。
『かんぱーい』
ふたりでグラスを鳴らし、同時にあおった。
「あー。おいしー」
「萌ちゃん、お酒つよいんだね」
「ふつうですよー」
目の前に寿司桶があるので、てきとうに返事をしながら寿司を皿に盛っていく。
ツブ貝をおおきな口でほおばる。
ワサビが効いていて、鼻にツーンときた。
「滝本くん、飲んでるかね」
がっくんの方向から、部長の声がした。
大久保主任が、部長から逃げるように、しれっと席を立つ。
まあ、上司と飲みたい人なんて、少数派か。
「はい。じゅうぶんいただいています」
「グラスが空じゃないか」
部長が、がっくんのグラスになみなみ注いでいく。
がっくんの顔が、めちゃくちゃ引きつっている。
私は、ツブ貝をビールで流し込んだ。
「部長! さきほど部長に注いでいただいたビールの味が忘れられません!」
そういって、空のグラスを突きだす。
「宮崎君! そうかそうか!」
部長は嬉しそうに腹をゆすって、私のグラスにビールを注いでいく。
グラスに半分注いだところで、瓶が空になった。
「お、すまんな、ちょうど無くなったみたいだ」
「いえいえ、ありがとうございます」
「おーい、どこかに入っているビール瓶はあるか?」
そういいながら、部長は他の席にむかう。
そこで、別の社員につかまっていたので、隙を見て、がっくんのグラスのビールを飲み干した。
「二次会行く人ー!」
宴もたけなわ、一次会も無事に終了し、なんとかがっくんの酒を飲み干しきった私は、かるい達成感をおぼえていた。
「萌ちゃん、二次会カラオケだって。一緒に行こうよ」
「大久保主任」
カラオケかー。そんなに好きじゃないんだよね。
そう思っていたが、主任の手が腰にまわり、強引に幹事のもとに連れていかれた。
しゃーない。
私の歓迎会だし、一曲歌ったら帰らせてもらおう。
メンバーは、幹事の佐々木さんと、原さん、それに大久保主任と私だ。
全員男性で、女性は一次会で帰るそうだ。
マジか。
じゃあ私も帰って寝たい。
そんな思いが顔に出ていたんだろう。
主任が、クスクスと笑いながら、私の頬に手を伸ばした。
「萌ちゃん、眠い? 目が開いてないよ?」
「だ、だいじょうぶですー」
距離の近さに、おもわず後ずさる。
そのひらいた距離を、主任がつめてくる。
主任、かなり飲んでるっぽいけど、振りはらったら角が立つかな。
迷っていると、主任の手を、横から掴む手があった。
「大久保さん、飲みすぎですよ」
「滝本。はなせ」
がっくんの背中で主任が見えなくなり、私はおおきく安堵した。
そして、ここぞとばかりに声を張り上げた。
「みなさん、今日はありがとうございました! 明日キャンプに行きたいので、私はここで失礼します! 来週からまた、よろしくお願いいたします!」
そして、全方向にペコペコと頭を下げた。
「大久保主任、私のことは気になさらずに、カラオケでそのイケボを響かせてきてください! 私は滝本先輩に送ってもらいますので! ではさようなら!」
言うが早いか、がっくんの腕をつかみ、私は小走りでその場を去った。
「がっくん、マジ助かった。ありがとう」
「いえ、いいんですけど……帰らないんですか?」
がっくんが聞くのも当然で、私は駅とは反対方向の、飲み屋街を物色するように歩いていた。
「だって、会社の飲み会って、飲んだ気がしないじゃん」
「あれだけ飲んで!?」
「それとこれとは別」
「別、かなぁ」
「あ、ここにしよ」
串カツ屋を見つけ、がっくんの腕をはなす。
「じゃあがっくん、気をつけて帰ってね」
「まってください萌さん。ひとりは危ないので、俺もつきあいます」
「え? 帰るときは店の前にタクシーを呼ぶから、だいじょうぶだよ」
「えーと、俺、急に串カツが食べたくなりました!」
「そうなの? じゃあ一緒に入ろうか」
「はい……」
明るい店内は、活気にあふれている。
がっくんとならんで、カウンターにすわった。
「生中ひとつ!」
「俺は、ウーロン茶で」
注文すると、すぐに飲み物が出てきた。
「じゃ、あらためてかんぱーい!」
「おつかれさまでした」
がっくんとグラスを鳴らし、ジョッキをかたむける。
「ぷはぁ。やっぱビールっていったらジョッキだよね」
「ふふ、そうですか」
がっくんが笑う。
もっとよくみたいのに、眼鏡がじゃまだな、と思った。
「がっくん、キャンプのときは、眼鏡してなかったよね」
「はい。直火のそばは、眼鏡が熱で変形するおそれがあるので、コンタクトにしています」
「なんでいつもコンタクトじゃないの?」
「こまかい数字をながめていると、目が乾燥してくるので」
「へえー。まあ、どっちもかっこいいけど」
がっくんがむせた。
「だいじょうぶ? がっくん」
「だ、いじょう、ぶ」
がっくんの背中をさする。
「あれ、そういえば串カツ食べたかったんでしょ? なに注文する?」
「えっと……なにが、ある?」
「いろいろあるよ。肉、海鮮、野菜、あ、モチとかチーズとかも」
「そっかぁ……」
がっくんの受け答えがおかしい。
横をみると、彼の頭がふらふらしていた。
「がっくん。ちょっとそのウーロン茶、ひとくちちょうだい」
「はい」
ひとくち飲んで、確信した。
「がっくん。これウーロンハイだわ」
「そうなんだ……」
「そうなんだよね……」
これはこれでかわいいけど、本格的につぶれてしまったら、私では支えきれない。
とりあえずジョッキを飲み干してから、店の人にタクシーを呼んでもらうことにした。
がっくんと一緒にタクシーに乗りこむ。
すでに彼の足元はやばかった。
「がっくん、家どこだっけ? 住所言える?」
「△市〇町2-358-7」
「おお、えらい……ってそれ会社の住所!」
あぶない。
私が気付かなかったら、大惨事だぞ、がっくん。
「どうしますか?」
タクシーの運転手さんに聞かれる。
しかたない。
「とりあえず、私のアパートでいっか」
タクシーの運転手さんはいい人で、アパートの部屋の前まで、がっくんを支えるのを手伝ってくれた。
「がっくん、靴ぬげる?」
「うん……」
がっくんは、ふらふらしながらも、言えば、その通りにしてくれる。
「はい、あるくよー。ストップ。そこすわって。上着だけ脱ごう。はい、寝ころがって。おやすみー」
最終的には、がっくんをベッドに押し倒すかたちになった。
ひとしごと終えて、息をつく。
彼の眼鏡を外して、テーブルの上に置いた。
「ダブルベッドでよかった」
私は寝相が悪いので、ベッドは大きいのを買う派だ。
シャワーを浴びて、パジャマがわりのスエットに着替える。
「やっぱり、寝顔かわいいな」
がっくんの顔をのぞきこむ。
彼はぐっすりと眠っていた。
「起きてるときは、童顔じゃないって、ふしぎ」
ほっぺをつつこうが、頭を撫でようが、彼は起きなかった。
「そうだ、待ち受けにしよう」
スマホのカメラを起動させ、彼の寝顔を連写する。
「かーわーいいー!!」
いちばんいい写真を、スマホの待ち受け画像に設定する。
「なんか眠くなってきた」
前もテントで一緒に寝たし、いまさらか。
そう思い、がっくんの隣にもぐりこんだ。
「うわあ!!」
大声で目が覚めた。
「も、萌さん、なんで……ここ、どこ……?」
「がっくん、おはよー。ここ、わたしんち」
「えっ!?」
がっくんが固まった。
「あ、眼鏡はそこのテーブルにあるよ。いまなんじー?」
あくびをしながら、スマホを手にとる。
「わっ!?」
待ち受けががっくんの寝顔になってる!!
「萌さん、どうし……てそんな写真が!?」
「あはは。私も昨日は酔ってたみたい」
「消してくださいすぐに!」
「わかったわかった。消すから……めっちゃ連写 してる」
サムネイルががっくんの寝顔でいっぱいだ。
うーん、かわいいな。
でもこの量を消去しつづけるのは、たいへんだな。
「あとで消すね」
「あきらめないでくださいね!?」
笑ってごまかすと、がっくんがため息をついた。
「がっくん、あさごはん食べられる? あとで車で送ってあげるよ」
「さすがにそれはもうしわけないです」
「ここ、バス停も駅も遠いから。それに、キャンプ道具そろえるの、つきあってくれるんでしょ?」
「はい」
「じゃあ、お礼に送らせて」
「いえ、泊めてもらった恩があります。というか、ほんとうにご迷惑をおかけして」
がっくんが、深々と頭を下げる。
律儀だな。
「じゃあ、道具を買ったあとに、キャンプに行こう! 使い方、教えてよ」
「わかりました。じゃあ、キャンプ場までは、俺が車を出します」
「え?」
「え?」
おたがいに首をかしげあう。
ふしぎそうながっくんに、私は問いかけた。
「だってソロキャンプは、ひとり一台、車がいるでしょ?」
「本気でソロにこだわっている……」
がっくんが唖然としたまま、なにかをつぶやく。
「なに?」
「なんでもない」
「そう? あ、がっくんパンでいい?」
「俺も手伝います!」
家にがっくんが居て、いっしょにあさごはんの準備をしている。
なんだか、くすぐったいような気持ちだ。
キャンプに行ったら、また彼とこうして、一緒にあさごはんを作るのだろう。
それが楽しみだと言ったら、がっくんはどんな顔をするかな。
そんなことを思いながら、私は彼の横顔をながめて、こっそりとわらった。