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国譲りの顛末  作者:
番外編
9/10

花盗人・4

中納言が小姫を連れ出した日の夜から翌朝にかけての、大納言邸での出来事。一言で言えば中務の宮メイン回です←


 それは、寝殿の一角に用意された寝所で、中務の宮が横になっていた時のことだった。


 ──きぃ、と妻戸(つまど)()の子と(ひさし)を繋ぐ両開きの扉)の開く音がして、微かな衣擦れの響きとともに、それなりに品は良いが少々きつい香りをまとった、明らかに女性と知れる人影が、御簾をくぐってしずしずと近づいてきた。


 部屋の隅にある灯台の微かな光の中、人影は背を向けている男の傍らに膝をつき、覆い被さるように身を乗り出し──


『──これはこれは。斎宮(いつきのみや)様のご訪問ですか?』

『──!?』


 寝ているはずの相手に急に声をかけられたことに加え、目当ての男とは明らかに違う声音だったために、人影は驚きのあまりに跳ね上がるようにしてのけぞり、情けなくも尻餅をついてしまった。

 そのままずりずりと後退しながら、動揺しきりの声を上げる。


『な、な、なっ……!?』

『おやおや、それほどまでに厭われてしまうとは。如何に勘違いなさった結果とは言えど、流石の私でも傷つくというものですよ、斎宮様。いや、ここは素直に大姫様とお呼びすべきかな?』


 おもむろに起き上がりつつぬけぬけと言えば、訪問者の口から金切り声に近い問いが投げかけられる。


『──な、何故、中務の宮様がこちらにおいでなのです!? 中納言様がお(やす)みのはずの場所に、どうして──それに、中納言様はどちらに!?』

『さて。何せ私も、貴女と同じく中納言と夜を過ごすために来たのですが、生憎と不在のようでしてね』


 冗談を真に受けたらしい大姫の、十分に美人の範疇に入るが気の強さが全面に出た顔立ちが、ほのかな灯りのもとでも明らかなほどに蒼白になった。


『……まあ戯れ言はともかく。私は中納言に頼まれてここにいるのですよ。望みもしない縁談の相手が忍んでくるかもしれないから、念のために寝所を交換してほしいと言われたのでね。……正直なところ、大納言家の姫ともあろう御方が夜這いを仕掛けてくるなどというのは、杞憂以外の何物でもないと思っていたのですが……』


 殊更に意外そうに言い、まじまじと大姫を見つめてやると、自らの大胆すぎる行動への恥じらいか、はたまた想い人とその友人の二人がかりで恥をかかされたと思ったためか、白かった顔がいっそ心配になるほどの勢いで真っ赤に染まる。


 このまま爆発されて騒ぎになってはあらぬ噂が立ちかねないので、中務の宮はあえて優しく微笑み、子供に言い聞かせるように気遣いをこめて大姫へ忠告をした。


『私個人としては積極的な女性も嫌いではありませんが、中納言の好みはそうではないようですからね。『狩の使い』ごっこを仕掛けるには向かない男です。──このことは秘密にしておきますので、ひとまず今日のところは、大人しくご自分の寝所に戻り、朝まで休むのがよろしいでしょう』

『…………っ! 失礼いたしますわ!』


『伊勢物語』を気取った、姫君らしからぬ行動を黙っていてほしければ、素直に一晩は自室に閉じ籠っていろ──そんな真意に気づいたのかそうでないのか、眠りを邪魔したことへの詫びも何もなく、滑稽なほどに堂々と背を伸ばした態度で、大姫は足音高く母屋を出ていった。

 それから夜が明けるまでは、一仕事を終えた中務の宮の安眠を妨げるものが現れることはなかった。




「……そんなことがあったのですね。確かに大姫様ならば、それくらいはなさってもおかしくないかもしれませんが……でも、秘密にすると仰りながら、翌日早々にこうして中納言様にお明かしになるのは如何なものなのでしょう」

「おや、私は『誰に』秘密にするかは明言していないよ? 大体、あのような行動をとったことを、実の妹にも納得されてしまうこと自体が根本的な問題なのではないかな。昨日の中納言の判断は大正解だったというわけだ」

「結果としては早々に小姫を連れ出せていたので、宮に代わりを頼まなくとも問題はありませんでしたね。ただ、私がいないことに気づいた大姫が大騒ぎをして、大納言邸の皆の安眠が盛大に妨害されるのを防げたのは良かったと言えますが」

「それはそれで、大姫が男に夜這いを仕掛けるような女性だという評判が大っぴらに立ち、更に興味深いことになったかもしれないな。もっとも、どのみち我々は今朝、大姫の怒りの悲鳴で早くに起こされてしまったのだから、快い目覚めではなかったことには変わりないけれどね」

「怒りの悲鳴……ですか。それはやはり、中納言様とわたくしの不在に大姫様が気づかれたせいでしょうか?」

「そうだね。私が東の対に着いた時には、こんなことを叫んでいたよ」




『──あの、泥棒猫!! さてはわたくしの中納言様を誑かして、この家から逃げるために利用したのね!? 局からは出るなとあれほど言ったのに……! 何の見所もない卑しい小娘のくせに、絶対に許さないわ!! 見つけ出したら、今度は髪を丸ごと剃り落として丸坊主にしてやる!!』

『お、落ち着きなさい大姫! まだ中務の宮様がお休みなのだから、少し声を落として──』

『生憎ですが、目は既に覚めてしまいましたよ。昨夜は皆様遅かったというのに、姫君は朝から随分とお元気のようですね』


 扇の陰で欠伸を噛み殺しつつ、先制攻撃代わりに軽い皮肉を飛ばせば、大姫は血が上った顔に更に赤みを加え、対照的にその父の源大納言(げんのだいなごん)は見事なまでに真っ青になった。

 屋敷の主人と一緒になっていきり立つ大姫を止めようとしていた女房たちは、烏帽子(えぼし)こそ被っているものの、寝起きで(うちぎ)と袴を羽織っただけの、無尽蔵な色気を漂わせる宮の姿に骨抜きにされて見とれている。


 この場の女性で唯一、宮の魅力など眼中にない大姫は、姫君らしい振る舞いなどどこへやら、ずかずかと彼に詰め寄り、事の次第を問い質そうとしてきた。


『中務の宮様! 中納言様は一体どちらにいらっしゃるのです!? 我が家の女房が姿を消したことと、無関係だとは仰いませんわよね!?』

『そのようなことを聞かれても、私は彼からは、『急な用件で実家より呼び出しがあった』としか聞いていませんよ。お寝みのところにお伝えするのも申し訳ないので、こんな風に起こされなければ、大納言殿には朝一番で伝言を頼もうと思っていたのですがね』


 流れるように虚言(そらごと)を口にして、はふ、ともう一つ欠伸をしてから続ける。


『──そもそもその女房とやらは、何という名でどこの出身なのです? 貴女の物言いからして、女房と中納言には何らかの接点があったのだとは思いますが、具体的にどういったものかも分からないことには、中納言の思惑も推測しようがないというものだ』

『それは……!』

『大姫、いい加減にせよ!……申し訳ございません、中務の宮様。我が娘が大変無礼な真似を……』


 遅まきながら割って入ってきた母方の叔父に、中務の宮は無関心を極めた目を向け尋ねてみる。


『私には無関係のことなので、どうでもいい話ではありますが。どうやら姫君は、その女房の髪を手ずから切り落としたことがあるかのような口ぶりでしたね? 大納言殿はそのことをご存知だったのですか?』

『!! そ、それはその……どうやらその女房は、大姫の機嫌をたいそう損ねるような真似をしたようで。ですからあくまでも、大姫は主人として、女房へきちんと教育をしたということなのですよ、ええ』

『ほう。女房への教育が髪を切ることだとは、初耳もよいところですね。我が家は当然として、大臣家や他の公卿の屋敷でもそのような話は聞いたことがありませんよ。暴挙に等しい行為を『きちんとした教育』などと言い張る主人のいる屋敷は、女房の勤め先としては間違いなく最悪の部類でしょう。仮にその女房がよほど問題のあることをしでかしたのだとしても、髪を切り落とされるなどという恐ろしい体験をしてしまったのなら、この屋敷から逃げ出したくなるのも仕方のないことではありませんか? 妙齢の姫君に『小娘』と呼ばれるほど若い女性ならば尚更です』

『う……で、ですが……!』

『何もご存知ではないのに、余計なことを仰らないでください! あの小娘は身の程知らずにも、お父様に誉められて有頂天になり、姫であるわたくしを主人とも思わずに我が物顔で振る舞っていたのですわ! わたくしなどこの数年、お父様にまともに誉めていただいたことなどありませんのに!』


 往生際悪く食い下がろうとする大納言と、自分勝手にもほどがある理論と偏見を振りかざして食って掛かる大姫。

 そんな主人父娘(おやこ)を、恐らくは妹姫が受けた被害について知らなかったであろう女房たちが、恐れと不信を宿した表情で遠巻きに見ているが、当の二人は一切気づいていない。それとも、気づいてはいても気にしていないだけなのか。


 その二人を相手取る中務の宮は、ふう……と細く長い溜め息をつき、最早呆れを隠そうともせず、さりげなく弱いところを抉っていく。


『……貴方がたの父娘関係には大いに問題があるようですが、それを女房にぶつけるなどという、見苦しいことはやめた方がよろしい。確かこの屋敷には、もうひとり姫君がいらっしゃいましたね? この際、女房の扱いに関して、彼女の意見も聞いてみたいものですが如何なものでしょう』

『ぐっ、いえ、あの娘は──』

『そんな()()はこの家にはおりません! ええ、我が家にはわたくし以外の姫など存在しないのです!』


 ──はっ、と。

 父親の言葉を遮り、髪を振り乱す勢いで声を張り上げた大姫に、周囲の女房たちが揃って息を呑んだ。

 察するところ、ここまであからさまに大姫が異母妹の存在を否定したのは初めてなのだろう。

 それを咎めようともしない大納言の態度も含めて考えれば、薄々感づいてはいたものの、妹姫はやはり、「源大納言家の一員」では既にないということだ。

 ならば何を憚る必要もないと結論付けた宮は、そろそろ立ち去り時と判断して、血の繋がった親戚とは思わないことにした叔父と上の従妹へ、痛烈な一撃を放つことにする。


『これはまた、凄まじい剣幕ですね。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の姿を見ているようだ』


 意味深な言葉と微笑に、大姫の顔が気持ちいいほどあからさまに引きつった。


『なっ──い、一体何を仰りたいのですか、中務の宮様!』

『ご想像にお任せしますよ。──さて、私がこちらで出来ることは何もないでしょうから、そろそろお暇するとしましょう。朝食は帰宅後に摂るので結構です』


 立ち去る背中に、大姫からであろう視線が射抜きかねない強さで突き刺さってきたが、実害そのものは皆無なので、中務の宮は気にせず寝所へ戻っていった。


 身支度を整えてから車寄せ(牛車に乗るための場所)に向かうと、やけにおどおどした様子の大納言が見送りに来ていた。当然ながら大姫の姿はない。

 さりげなく口止めをしようとする大納言を適当にかわし、別れの言葉を述べてから車に乗り込もうとして、ふと気づいたように足を止め口を開く。


『ああ、そう言えば。実は私は、中納言に頼まれていたことがありまして』

『──中納言殿に、ですか。はて、それはどのような?』


 唐突な話に首を捻る大納言に、宮はおもむろに振り向いてにっこりと極上の笑みを見せた。


『何でも中納言には、元服前から心にかけている姫君がいるとのことでしてね。その姫君がこのたび年頃を迎えたはいいものの、生憎と()()()()()()()()()()()()()そうなのです。幸い、()()()()()()()()()()()()()ので、後見人となってくれないかとの話をされたのですよ』

『……は、い? あの、宮様……それは一体、どういう……』


 宮が何を言いたいか、()()()()()()()()()()()()理解したのだろう。大納言の顔からみるみるうちに血の気が引き、額に冷や汗が滲んでいる。


『どうもこうも、申し上げた通りのことです』

『さ、左様ですか。……ですが、その後見人のお話は、まだお受けにはなっていないのでしょう?」

『確かにまだ返事はしておりませんが、()()()()()()()()、引き受ける決心がつきました。()()()()()()()()()()()()()、大納言殿』

『──お、お待ち下さい! では、あの娘は、小姫はっ──!』

『はて、何のことでしょう? 私はこちらの妹姫には、一度たりともお会いしたことはありませんが』


 この時点では何の偽りもない事実である。

 声もなく口を開け閉めするしかない大納言へ、中務の宮はとどめの一撃を発する。


『そういうわけで、右大臣殿の方からも近くお話があるとは思いますが、中納言と上の姫君との縁談は、是非ともなかったことにしていただきたい。──これは、中納言本人の希望でもあるとご理解くださるように』

『そ、そんな──! 何故です、宮様! 何故貴方がこのような……! 貴方様は、私の血の繋がった甥のはず! 大姫も実の従妹であるのに、我が娘を傷つけたり、この家を害するようなことなど──!』


 恥も外聞もない、血を吐くような訴えに、しかし宮の態度が変化することはない。


『血の繋がりを主張するつもりなら、もっと早く、それに相応しい接し方をしてくださるべきでしたね。私や妹にだけではなく、下の姫君に対しても』

『っ──!!』


 絶句する大納言を身長差で見下ろしながら、中務の宮は至極爽やかに微笑み、今度こそ別れを告げた。


『では改めて、失礼いたしますよ、大納言殿。──こうして私的な場でお会いすることはもうないでしょうが、お元気で』


 事実上の決別宣言を残し、屋敷を出ていく宮の牛車を、大納言はひとり、後悔に満ちた心のまま見送ることしかできなかった。




 以上のことについて、大姫の発言は小姫を傷つけかねないのであえてぼかしたものの、他は概ね正確に伝えた中務の宮である。


「──というわけだ。このようなことで感謝するのもおかしなことかもしれないが、源大納言に言いたいことを言える機会を作ってくれた君たち二人には、お礼を言わせてほしい」

「お役に立てたなら何よりですよ。私個人としても、宮には今回のことを含め、数知れずお世話になっていますからね」

「わたくしの方こそ、厄介な()家族に対して矢面に立っていただいたのですから、どれほどお礼と謝罪の言葉を申し上げても足りないほどですわ。中務の宮様には、このたびは大変お手数をおかけいたしました」


 頭を下げたと分かる淑やかな衣擦れの音に、宮はただ苦笑するしかない。


「……こんなにもきちんとした振る舞いができる姫君がいる一方で、何故に父親と姉君は()()なのだろうね? 仮にも血縁があって同じ家に暮らしていながら、実に不思議なことだよ」

「ああいった二人が主人であれば、仕える者たちも気苦労が酷いでしょうね。もし小姫が望むなら、源大納言家の女房を何人か、この家に引き抜いても構わないが」

「まあ、よろしいのですか? 表立ってではなくとも、よくしてくれた者たちもおりますので嬉しいですわ。ありがとうございます、中納言様」

「これくらいは当然のことだよ。そんな風に小姫が笑ってくれるのが、何より俺は嬉しい」

「……中納言様……」


 コホン


 無粋と知りつつも、咳払いをして盛り上がりかけていた二人の注意を引く。


「邪魔をしてすまないが、お暇する前にいくつか。中納言は明日は、間違いなく参内するようにとの帝のお言葉が一つ。それから、姫君をいずれ我が家にお招きしたいので、都合をつけていただければありがたいな。何せ私の妻と妹が、是非とも姫君に会ってみたいと目を輝かせているものでね」

「……北の方はまだしも、前斎宮もですか。私としては構いませんが、小姫はどうしたい? 北の方はとてもお優しいし、前斎宮は兄宮によく似た気さくな御方だよ」

「そう、ですね……確かにお二人には、わたくしはきちんとご挨拶をしなければいけない立場ですし。ただ、こちらの屋敷に入ったばかりで、まだ慣れてはいない身ですので、今少しご猶予をいただければと存じます」

「確かにそうだね。まだ結婚したばかりでもあることだし?」

「宮。小姫をからかうのはやめてください」

「おや、嫉妬かい?」

「と言うより、小姫の恥じらう顔が可愛らしくて、他の誰かの相手をする気が失せてしまうので」


 おふざけを惚気でそのまま打ち返されてしまい、流石の宮もしばし絶句してしまった。


「……そうか。まあ、気持ちは分かるよ。姫君には、いずれ妻たちから文が届くだろうから、交流を深めてくれると嬉しく思う」

「はい。楽しみにしておりますとお伝えくださいませ」

「ああ。では失礼するよ」


 主に中納言の醸し出す新婚夫婦の空気にやや当てられてしまった宮だが、彼もまた妻と結ばれてから一年も経っていない。

 今夜は愛しい妻と楽しく時を過ごそうと心に決め、中務の宮はいそいそと帰途につくのだった。




書いてて楽しかった中務の宮無双ですが、源大納言は自分が設定したキャラながら、どうにもイライラしました。宮にへいこらしたり被害者面したりしてるけど、諸悪の根源はあんただろう、と。

この人が父親としてしっかりしていれば、大姫が歪むことも小姫への冷遇もなかったはずです。まあ、それでも大姫の行動は擁護できないレベルですけどね。

今回のことで大納言もようやく、家の存続自体に大変な影響が出そうだと気づき、長女に厳しく接するようになりますが、当然ながら既に手遅れです。


彼ら父娘への本格的なざまぁは次回、中納言がきっちり行います。

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