世界でいちばん美しい人
「鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのはだぁれ?」
「それは、森で小人と一緒に暮らしている白雪姫です」
「なんですって! 白雪姫は生きているって言うの?」
世界でいちばん美しいのは、わたしじゃなくてはいけないわ。
白雪姫さえいなければ、わたしよりも美しい人なんて存在しないの。
殺させたはずだったのに、森で小人と一緒に暮らしている?
許せないわ。
もう信用ならない。
今度はわたしがわたしの手で、白雪姫を殺すとしましょう。
そのほうが確実だわ。
でも手段はどうしようかしら?
とてもわたしには、剣だとか銃だとか、そういうものは扱えないわよ。
だったらば、か弱いわたしにもできることって、どういう殺し方なの?
人の殺し方なんて、とてもだれにも相談はできないわよね。
だけどこのままいちばんになれずにいるなんて耐えられない。
「そうだわ! 毒にしましょ! 妙案ね、さすがわたし」
血も見なくて済むし、力だって必要ないわ。
毒を塗るか、食べさせるか、あとはどんなほう法があるかしら。
どうしたなら、疑われずに毒を盛れるのかがわからないわね。
このわたしが直々に行ったとなっては、それだけで奇妙だもの、怪しまれ疑われてしまうに違いないわね。
あっそうだわ!
以前、毒りんごのことを聞いた気がするのよね。
魔女の毒りんごの話!
城の書架にあったような本よね。
まだきっとあるでしょうから、早速、今から読んでみるとするかしら。
りんご♪ りんご♪ 毒りんご♬
わたしのお手製の毒りんごで、絶対に白雪姫を死なせてあげるわ。
そうしたら、だれよりも美しいのはわたしってことね。
わたしがいちばんになるのが待ち遠しいわ。
「まぁ、王妃さま、勉強熱心ですのね」
目当ての本を早々に見付けて、更に目当てのページを探していたところ、家庭教師がわたしのところへやって来た。
わたしが自分で白雪姫を殺しに行くって知ったら、きっと怒られてしまうわよね。
止められてしまうわよね。
魔法の授業は熱心に受けているほうだし、不審がられるとは思わないわ。
だけれど、それにしたって、理由くらい説明できなくちゃ駄目よね。
こんなことなら普段から書架へ来ておくんだったわ。
「え、えぇ、そうなの。不意に、調べ物がしたくなっちゃったのよ」
「ご褒美に、フルーツを持って来ましょうか? いま、ちょうど、オレンジが届いていますの。王妃さまが素敵だと仰っていた、あの王子の国ですわよ」
「あら、オレンジ? だけどいまは、オレンジじゃなくって、りんごがもらいたいわ。それもうんとたっぷりね」
ほんとなら、オレンジを食べたいところだけれど、そんなことをしている場合じゃないわ。
白雪姫に毒りんごを食べさせた後に、ゆっくりと食べるとしましょ。
そして、世界でいちばんの美となったわたしが、彼にお礼を言いに行くんだわ。そうしたなら、わたしの虜にならないはずがないもの。
わたしの邪魔をするものは、ひとりだっていなくなるんだわ。
「わかりましたわ。りんごですわね」
不思議そうにしながらも、りんごを取りに行ってくれる。
いないあいだに、調べ終えちゃうとしましょ。
そうして、りんごが届いたなら、実験を開始するとしなくっちゃ。
場所は……、わたしの部屋が確実かしら。
これがこうなって、それで、えっと……。
ふっふん、わたし魔法は得意なほうなの。
りんごもしっかり受け取って、実験を繰り返して、やっと完璧な毒りんごを完成させたわ。
忘れて自分で食べちゃったり、間違えてだれかが食べちゃったりしたなら、それは大変よね。
そうならないように、忘れないうちに白雪姫に届けなくちゃ。
うーんと、魔女の格好でもしたらいいかしら。
そうだ! 魔女に化けて行ったらいいのよ。
これで決定ね。
「ふっふんふー、らんらんらーん、ふっふんふふっふふん、らららららー」
適当な歌を口遊み、毒りんごをしっかりと手に持って、魔女に化けたわたしはスキップで城を出る。
りんごが余っているものだから、毒のないりんごもバスケットで持って、森へと向かう途中に食べたりなんかもした。
バスケットに入っているりんごは安全。
手に持っているりんごは毒りんご。
間違えないようにしながら、美味しいりんごを頬張る。
「白雪姫はいるかい?」
ふたつほどりんごを食べたところで、森の中、それらしき小さな家を見付けた。
魔女といったら老女なので、老女の話し方を意識しつつ、わたしは声を掛けてみる。
「私が白雪姫よ。私に用があるの?」
正解ね!
扉を開けて出てきたのは、紛れもなく白雪姫だった。
向こうはわたしがわかっていない様子ね。
「王妃さまがおまえを狙っているのじゃ。それを守るよう依頼されたもので、おまえを救うために、魔法のりんごを持って来たのじゃよ。さあお食べ、これを食べれば、王妃さまにおまえはわからなくなる……ひっひっひぃ」
どうやってりんごを食べさせようかと、ちゃんと考えてある。
「いやぁ、王妃さまが私を狙っているということは、薄々わかっていたの。でもね、私なら大丈夫だから、心配しなくていいわ」
殺されることはないと、高を括っているのかしら。
兵を向かわせたなら、簡単に殺せてしまいそうね。
女性兵なら、彼女の美しさから、わたしの命令に背くようなことはないわよね。
警戒さえしていないのなら、それで十分じゃないの。
「いいのかい? 王妃さまはおまえを殺す。きっとおまえを殺すぞ。おまえが生きていることも、おまえがここに隠れているということも、いずれ王妃さまは知る。小人たちに、迷惑が掛かることになるだろうに、それでもおまえはこのりんごを拒むのかい? さすがはお姫さま、自分勝手なお姫さま」
煽るようなことをしても、彼女はりんごを食べようとしない。
りんごに近付こうともしない。
わたしのことなど、気にも留めていないということ?
にばんはいちばんを意識する。
だけどいちばんにとっては、にばんなんてどうだっていい。
そうでしょう。そういうことなんでしょう。
引き攣る頬をどうにか抑えて、わたしは魔女を装う。
「小人さんたちに迷惑が掛かるのは、私だってわかるし、それは困るに決まっているわね。だけど、りんごを食べるくらいなら、いっそ死んでしまったほうがいいわ」
毒だってわかっているとでもいうのかしら。
どうして! どうしてなの!
りんごに毒を入れたなら、色だとか臭いだとか、気を付けないとバレてしまうって思った。
だからわたしは魔法を使って、毒の入ったりんごではなくて、毒りんごを作ったの。
それなのだから、わかってしまうはずがないのに。
わたしは不思議でならなかった。
「死んでしまったほうがいいと、そういうのなら、いまここで殺してあげようか。そのほうが小人たちは安全に違いない。迷惑は掛けたくないのだろう?」
「嫌よ。迷惑を掛けるのも嫌だけど、死ぬのも嫌。りんごを食べるのも嫌なのよ」
嫌だ嫌だと白雪姫は首を振り続ける。
たまにわたしだってわがままと言われることはあるけれど、少なくとも、ここまでのわがままではないと言い切れるわ。
ぜんぶが嫌だなんて、それで済むならみんな幸せね。
「どうしてそんなにりんごが嫌なのよ。食べやすいように、美味しいりんごを持って来たのに」
わたしの口調になってしまった。
気付かれるかもしれない。そう思ったけれど、白雪姫は口調が変わったことにすら気付いていないようだった。
にっこりと笑う。
「りんごは嫌なの。そうね、私、オレンジが食べたいわ。魔女さん、お願い、オレンジを持って来てはくれないかしら。りんごができたんだから、オレンジだってできるはずでしょ? ね、魔法のオレンジをちょうだい」
その笑顔は、とても可愛らしかった。
「そんなことを言われたって、オレンジなんて持ってないわよ。城に届いたって言うけど、オレンジじゃなくて、りんごを頼んだの。どうしてりんごが嫌なのよ。りんごが嫌いだなんて話、わたし、知らない聞いてないわ」
「りんごが嫌いなんだから、そんなの仕方がないじゃないの。いいわね。私も城に帰りたいわ。城に帰って、オレンジが食べたいわ。それに、王妃さまは私のことが嫌いみたいだけど、私は王妃さまのことが大好きなの。また一緒に遊びたいのに。どうして、お城に帰っちゃいけないの……?」
可愛らしい笑顔。
だけど切なげな、哀しそうな笑顔を浮かべる。
「森にもりんごはあるの。だけど私はりんごが嫌いだから、毎日毎日、きのことかばっかりなのよ。魔女さん聞いて! 私ね、オレンジも別に好きじゃなかったんだけど、お城が懐かしいの、オレンジが……オレンジが食べたいの。王妃さまのお美しい笑顔の隣で、私もティーパーティーを楽しみたいの」
訴え掛けてくる。
わたしのことを魔女だと信じて、その上でほんとうにそう言っているようだった。
こんなに素直な子だったのね。
どうして知らなかったのかしら。
どうして気が付かなかったのかしら。
恨むような子じゃないわ……。
「そう。だったら、王妃さまに直接、訴え掛けてみたらどうなの? 王妃さまの心も変わるかもしれないわよ」
思わず殺さずに逃げてしまった。
これでは、殺し損ねた兵を責めることもできないわね。
まさかこのわたしとしたことが、殺せないままに帰ってしまうとは。
これこそが白雪姫の魅力ということなのかしらね。
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「鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのはだぁれ?」
「それはあなたです、王妃さま。自分の想い人と白雪姫との結婚を、素直に祝福できるあなたが、だれよりも美しいのです」