第一章5 『マイアトの街』
マイアトという都市を外から眺めてみれば、城壁はさほど高くなく、攻城を目的とすれば容易く落とされてしまうだろうという感想が出てくる。
道中の馬車で聖剣の話に触れた後、ジークムントは考え込むように黙り込み、ユリアも気まずげな雰囲気を出すので話は途切れてしまった。
ジークムントにとって触れられたくない話題だというのはその空気で容易に察する事が出来たから、ラウルも口を閉ざしたまま二日が過ぎ、御者台で馬を駆ってくれていたフィーネが到着の声を上げた事で少し息苦しかった馬車から降り立った。
王都の喧騒に慣れていると、交通の要衝と言えども田舎に思えてしまう。
落ち着いた雰囲気と、土地が豊かだからか空気も美味しく感じる。
「ん~、はあ、馬車に乗りっぱなしだと体が固くなるなあ」
「んっ、そうですねえ。座っているだけなのに疲れちゃいました」
伸びをして体をほぐしていると、横でユリアも同じように体を伸ばしている。
上半身を後ろに傾けた事で、服が胸の部分を形作る。
思わずそこに視線が釘付けになった所で、背後から濃密な殺気を感じた。
反射的に勢い良く振り向きざまに剣の柄に手をかけるが、怜悧な眼差しを向けるフィーネは動じた事もなく、ラウルに冷ややかな視線を向ける。
「殿方がどれだけいやらしい妄想に耽っていようとも激しくどうでもいいですが、その御方に対してだけは許しません」
「ははは、やだなあ。僕、そんなつもりは毛頭ございませぬゆえ、頼むからその術式解除してくれない!?」
本気だこの女、と冷や汗が湧き出る。
「フィーネ、何してるの?」
「いえ、何でもありません。日が暮れてきたので宿に入りましょう」
「そうね。疲れたからゆっくり体を休めなきゃね」
ユリアが振り向く寸前で術式を解除して、何事もなかったかのようにラウルの横を通り過ぎる瞬間――舌打ちが聞こえた。
こんな街中で本気で魔術を使おうとしていたフィーネに戦慄した。
「危なかったね。彼女、本気で魔術を放とうとしていた」
「……ありゃあ、ガードが固いな」
「一体何の話をしてるんだい?」
「……何でもない。それより俺たちも行くぞ」
男同士で噛み合わないやり取りをしつつ、女性陣の背中を追う。
宿に入ると、既に部屋を確保してくれていた。
フィーネの仕事の速さには脱帽する。
部屋は二階にあるようで、一階は食事処となっている。
四人は先に食事をする事にして、各々テーブルに着いた。
「しっかし、エレノス山脈のどこに魔剣があるっていうんだ? 山の中を虱潰しに探すっていうのは現実的じゃないよな」
食事が運ばれてくるのを待っている間、ラウルはその懸念を話す。
エレノス山脈は北から東へと曲がるように連なる山脈で、当然その範囲は広く標高も高い。
山脈を越えた人間はいない、というよりもわざわざ越えようと考える人間がいないの方が正しい。
それほどに危険極まりない領域なのだ。
「そうだね。エレノス山脈の標高が高い所には凶暴な魔獣、それに――竜種が生息していると言われている」
「それなんだよなあ……もし魔剣が化け物の巣窟の中に眠ってるなんて事なら、完全にジーク頼りになる。いや、そもそもジークだけに行ってもらった方がいいかもしんない」
「あはは、ラウルは冗談が上手いね」
「いや、割と本気で言ってるんだけど……」
ラウルも魔獣討伐はした事はあるが、それは騎士団としての話だ。
ジークムントのように単独で討伐を繰り返している程非常識ではない。
「ど、どうしましょう。文献には正確な位置までは記されていなくて……その、ラウルくんが仰っていたように虱潰し、のつもりでいました」
「いやいや! それが悪いなんて言ってないから大丈夫だよ! ただ、それはあくまで最終手段で考えるとして置いときたいんだ」
困ったように俯くユリアに慌てるラウルに冷たい視線が刺さる。
「結局の所、今俺たちに足りていないのは戦力でも知識でもない――情報だ、これが圧倒的に足りていない。そのまま山に入るのは得策じゃない」
「――では、どうしろと?」
ユリアの事となるとやたらと態度がキツくなるフィーネに対して、ラウルはにやりと笑みを浮かべた。
「決まってるじゃないか――情報を仕入れるなら、うってつけの場所があるだろ?」
「……ああ、そういう事ですか。なんともラウル様がなされると似合いそうな手段ですね」
「それ褒めてるの? 貶してるの? あ、いいや。もう雰囲気で察したわ」
明らかに人を馬鹿にしている顔だったから、こちらから遮った。
「あの、そのうってつけの場所とはどこなのですか?」
「ユリアさんには縁がない所かもしれないかな――冒険者や行商人が夜な夜な集まる酒場だよ」
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宿で食事を済ませた後、ユリアとフィーネには部屋でゆっくりとしてもらい、ラウルは宿から程近い場所にある酒場の前まで来ていた。
「……別にお前も来なくて良かったんだぞ」
「そんなわけにはいかないさ。情報収集をするなら一人より二人、だろ?」
「いやまあそうなんだけどさ……」
ぶっちゃけて言うと、ジークムントがいると目立ちすぎるのだ。
なまじ顔がいいのと強者のオーラが滲み出ているからか老若男女問わず視線を搔き集めるのをラウルは身に染みて知っているのだ。
昔いいな、と思っていた女の子も例に問わずジークムントに夢中だった。
「あまり、目立ちすぎるなよ? 悪目立ちすると欲しい情報が出なくなる事もあるからな」
「ああ、分かった。大人しくしておくよ」
自分の特性について少しは心当たりがあるのか、ジークムントは苦笑で応じた。
酒場に足を踏み入れると、その独特の喧騒がラウルの鼓膜を震わせた。
十六歳を越えてから飲酒を嗜むようになり酒場に足を運んだことはあるが、この独特の雰囲気はどこに行っても変わらないらしい。
ちょうど空いている二人掛けのテーブルに腰を下ろし、やってきた給仕の女性にエールを二つ注文する。
程なくやってきたエールの杯をジークムントの杯に打ち鳴らし、ぐい、と杯を傾かせて喉に流し込む。
「っっくぅ~、美味いなこのエール! 王都のと喉越しが全然違うぜ」
「ホントだね、凄く飲みやすい。あまりお酒は好んで飲まなかったが、これなら僕でも楽しみながら飲めるよ」
酒の飲み方も違う二人が揃って絶賛の声を上げると、エールを持ってきた給仕の女性が得意気に笑みを浮かべる。
「うふふ、美味しいでしょ? マイアトは王国有数の麦の生産地だから、ここで作られたエールは新鮮なの」
「ああ、だからこんなに美味いんだな。これを飲めたってだけで酒場に足を運んだ甲斐があるわ」
「ありがと。それは酒場で働く私にとって一番の褒め言葉よ。しかもカッコいい騎士様からだなんて」
女性が嬉しそうに頷くと、ジークムントにちらりと流しを送ったのをラウルは見逃さなかった。
女性相手ならなるほど、ジークムントの存在はかなり有効だ。
「じゃあ酒の肴に綺麗なお姉さんに聞きたいんだけど、この辺りで……特にエレノス山脈にまつわる噂とか、伝承みたいなものってあるかな? ジークも聞きたいよな?」
「ん? ああ、貴方の話が聞きたいな……聞かせてもらえるかな?」
エールを静かに楽しんでいたジークムントは、ラウルに相槌を打ち女性に視線を向けた。
「やぁん、もう何でも答えてあげるわ! えっと、エレノス山脈にまつわる話かあ。――あ、そういえばこの前来たお客さんが山脈に眠る宝の噂を話してたかしら」
「宝? へえ、それは面白そうだな。冒険者が食いつきそうな話題じゃん」
「あはは、それはないわよ。冒険者の人は山脈の恐ろしさを十二分に知ってるから、そんな話に食いつく冒険者なんてなり立ての新人かよほど食い詰めた人ぐらいよ」
「あー、確かにそうだな。それで、その宝って山脈のどこに眠るって話なの?」
「なんていって言ってたかなあ……確か、ここからテグス村を経由して、北の山を少し登った所に凄く大きい洞窟があるのよ。そこは『奈落の入り口』って呼ばれていて、入った人間が帰ってきた事はないって言われてるの。そのお客さんが言うには、洞窟の奥には凄い物が眠っているんだって……でも、おかしいわよね。入った人間が帰ってこないのに、なんでそんな話が出てくるのよって笑い飛ばしちゃった」
「ホントだな。いやあ、仕事の途中で面白い話を聞かせてくれてありがとう。これはほんのささやかなお礼だ」
けらけらと笑う女性の手に数枚の銅貨を握らせて、お礼を言う。
「ありがと。お兄さんもなかなかカッコイイじゃない」
「そういうお姉さんはなかなかどうして見る目があるじゃない」
お互いに気持ちよく話を終わらせ、ジークムントに向き直る。
「――今の話、どう思う?」
「……正直、噂を鵜呑みにするのは賢くないとは思うけど、情報が乏しい僕たちにとっては非常に興味深い話だったね。真偽を確かめる価値はあると思う」
「そうだな。俺もそう思う。帰ってユリアさんに話してみようか」
残ったエールを飲み干して、二人は立ち上がった。