第一章2 『胸の高鳴り』
ジークムント・シュトルムは生まれながらにして天から二物を与えられた男である、とラウルはそう評価している。
武の力で王国を支える御三家の一つ、シュトルム家の長男として生まれたジークムントは、ラウルと叙勲式で出会ったその時には既に突出した剣技を身につけていた。
その類稀なる端正な顔立ちと穏やかな性格から、王都の幅広い年齢層の女性から絶大的な人気を得ている。
騎士となった後、各地に出没する魔獣を次々と討伐していく中には、単独で討伐した強力な魔獣もいたというのは有名な話であり、ジークムントの実力を知る者はその話が真実である事を疑わない。
ラウルの同期であり、今では国王直属の近衛騎士団の中でも有数の実力を持つ若き俊英。
将来有望な青年を人々は希望を込めて――『英雄』と呼ぶ。
「――話が見えないからちゃんと説明してくれ、ジーク。俺がここに呼び出された理由を」
そんな『英雄』ジークムントのペースに乱されながらも、話を戻そうとする。
この男がラウルに対して気さくな態度をとるのは、同期の中で唯一交流があるからに違いない。
あるいは、かつて己を過信していたラウルがジークムントを好敵手として接していたからかもしれない。
ラウルにとって、思い出したくない愚かな自分を否が応にも想起させる存在なのだ、ジークムントは。
「ああ、そうだね。実は……ある御方の護衛につく任務を陛下から仰せつかってね。それでラウルも一緒にどうかなって思ってさ」
「護衛? それならお前だけでも事足りる――どころか十分すぎると思うんだが……というか、そんな軽い感じじゃないだろ、その任務」
国王陛下直々の命令とあらば、そのある御方というのも名のある人物なのだと容易に推測できる。
「あはは、そう言って貰えるのは光栄な事なんだけどね。僕一人だけじゃ手が回らない事もあるさ……そこで、もう一人僕が信頼を置ける者を連れていってもいいと陛下から許可を頂いた」
「信頼を置ける者って……俺、いつジークの信頼勝ち取っちゃったの? この際言っとくが、お前は俺を買い被り過ぎなんだよ。俺は自他共に認める『平凡騎士』だぜ?」
「君や他の者がどう評価しようと、僕は君が誇りある騎士である事を知っているよ。それに……君なら僕の足りない部分を補ってくれると信じている」
「お前の足りない部分はさしずめ、自分の実力が高すぎて下々の実力を正確に把握できないその節穴の目だな」
同期からの厚い信頼に気恥ずかしさを皮肉で誤魔化すラウルに、ジークムントは眩し気に眼を細めた。
ああ、くそ。そんな眼で見るな、とラウルは意識的にその視線から眼を逸らす。
「まあ……お前の推薦を陛下が御許しになられたのなら、それは陛下のご意向でもあるから俺が受けない理由もないな」
「君ならそう言ってくれると思っていたよ――改めてよろしく、ラウル」
ジークムントがそう嬉し気に差し出す手を、握るのではなく叩く事で面倒事に巻き込んでくれた溜飲を下げる事にした。
「ラウルよ、これでお前を呼び出した訳は分かっただろう」
玉座から重く威厳のある声が響き、ラウルはここがどこであるのか思い出して慌てて姿勢を正した。
「はい、ジークムントと共に護衛任務との事ですが……あー、その、肝心の護衛する御方というのは?」
「うむ、間もなくここに――」
厳かに頷くフォルス王の言葉の途中で、後ろから扉の開閉する音が辺りに響き渡った。
振り向いてこちらに向かってくる人物を視界に入れた瞬間、ラウルの心臓がどくん、と跳ねた。
そこに居たのは、下界に舞い降りた天使と見紛うような美しい少女だった。
柔らかな白に近い金糸の髪は歩く度に揺れて、キラキラと辺りを明るくするかのようで。
白磁のようにきめ細やかな肌に、白のローブから伸びるスラリと細い手足は儚げで。
その整い過ぎた可憐な顔は慈愛に満ちていて。
青碧の瞳に射抜かれたラウルは身動きが全くとれなかった。
ただただ、心臓だけが暴れ回り高鳴りの悲鳴を上げている。
「この方は聖マグナ教の『聖女』であらせられる、ユリア・エストル様――僕達が御守りする御方だよ」
「初めまして、ユリア・エストルです。よろしくお願いします」
ジークムントの紹介にペコリ、と頭を下げたユリアが微笑を浮かべ、
「ぐふぅ!」
ラウルは胸を押さえて膝をついた。
――か、可愛すぎる。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「……大丈夫と言えば大丈夫ですが、大丈夫じゃないと言われれば大丈夫ではないです」
「えっと……どっち、ですか?」
急に膝をつくラウルに驚き、駆け寄るユリアの眉が心配気に顰められている。
鳴り止まない心臓にできる限り意識を逸らし、立ち上がる。
「失礼致しました。私は第二騎士団所属二等騎士、ラウル・アルフィムです。以後、お見知り置きを」
「あ、はい、よろしくお願いします」
自己紹介の際に、先程の挙動を忘れたかのようにできる限りのいい顔をしようとキリッと顔を引き締めるのは男の性であろうか。
首を傾げながらも、困ったように微笑みを浮かべるユリアはなんとも可憐であり、ラウルの心を掴んで離さない。
パンパン、と手を叩く音が響く。
「さて、今回お前達には聖女であられるユリア殿の道中を護衛する事を命じたい。異議はあるか?」
「御心のままに」
「この命に代えましても御守りします」
ジークムント、ラウル両名の返事に満足そうに頷くフォルス王は、ユリアに目を向ける。
「ユリア殿、ジークムントはこの国を代表する優秀な騎士だ。ラウルはそのジークムントが信頼を置く騎士である。両名とも貴方を主だと思い護衛の任に就いてくれるだろう――道中、気を付けなされよ」
「ユーティリス陛下、過分なご配慮と共にお心遣い、感謝します。貴方にマグナの祝福があらんことを――」
両手を握り祈りを捧げるユリアを見届け、騎士二人に再び目を向けた。
「この方の身は何としても御守りしろ。それを成し遂げてくれる事を信じている……これで話は終わりだ。下がるがよい」
フォルス王が締め括った事で、ラウルはフォルス王に一礼をして、ジークムントとユリアと共に謁見の間から退出した。
「――シュトルム家の倅はともかく、あのような者に任せてよいので?」
そんな重鎮の懸念の声に、フォルス王は目を瞑って重々しく頷く。
「……もとよりジークムント一人に事を預けようとしていたのだ。ジークムントが信を置く男であれば特に問題はあるまい。それに――あ奴も我が国が誇る騎士団の一人なのだからな」
フォルス王は嘆息する。
本当ならば、ジークムントだけでなく我が精鋭を護衛としてつかせてやりたかった。
しかし事情が事情なだけに、目立つ人数になるのは避ける他ない。
「それよりも、奴らの情報を搔き集めるのだ――万が一、本当に動きがあるならば厄介な事になるのでな」
「はっ……御心のままに」
フォルス王の言葉に国の重鎮達も頷き、頭を垂れる。
国の難事とならなければいいが、とフォルス王は懸念を振り払う為に思考の海に潜る事にした。