第一章27 『予定調和よ、予定調和』
夢から現実に引き戻される感覚は、一瞬のように感じられた。
しかし現実は非常なもので、ラウルの意識が覚醒した瞬間体中を駆け巡ったのは耐え難い激痛だった。
これはティルと契約した後に目が覚めた時と同じような感覚で、もちろん死にかけていた最初の方が辛かったが、それに比肩する激痛なのは確かだ。
「痛ってえ……」
思わず声を漏らすが、その声は自分のものとは思えないほど掠れた声だった。
長い間目を閉じたままだったせいか、視界がはっきりしない。
次第に視界が鮮明になってきたのを確認して、辺りを見渡してみる。
今ラウルが横たわっているのは簡易的な白いベッド。
ラウルの足がある辺りで椅子に座ったままベッドにもたれかかり寝ているユリアがいた。
部屋は個室になっているようで、ラウルとユリアしかいない。
否、魔剣ティルフィングが部屋の隅に立てかけられているのが視界に入った。
ティルが言ってた通り、ここは治療院らしい。
これといって特筆するような部屋ではなく、椅子とベッド以外に置いてあるものはなかった。
不意に、開け放たれていた窓から風が吹き込み、カーテンを揺らす。
その風の余韻でユリアの髪が舞い、その顔をくすぐる。
「ん……」
閉じた瞼が震え、ゆっくりと開いていく。
体をゆっくりと起こし、小さな手で目を擦る。
そしてその青碧の瞳が、ラウルを捉えて大きく見開いた。
「――おはよう、ユリアさん。いい朝だね……ん? 今って朝なのか?」
そんな能天気な言葉を投げるラウルを見て、ユリアの瞳にじわりと涙が浮かんだ。
「……ばか。やっと目が覚めたのに第一声がそれなの?」
「あはは、ごめんごめん。あ、痛ててて……」
「だ、大丈夫? 傷は治したんだけど、ラウルくんのそれは身体を酷使しすぎた筋肉痛の最たるものってティルちゃんが言ってたの。だから私にも治せないの、ごめんね?」
「あぁ、言われてみればそんな感じするな。団長のしごきの後の筋肉痛を何倍も濃くしたような感じだ……」
「もう……ホントに心配したんだから……」
「……うん、心配してくれてありがとう。なんでも、泣き喚くぐらい心配かけたみたいで――」
「ッ! ち、ちょっと待って! それ、いつ誰から聞いたの!?」
「え? ああ、寝ている間にティルから聞いたよ」
「ティ、ティルちゃんっ!」
ユリアがキッ、と目尻を吊り上げて立てかけているティルを睨みつけた。
だが、都合の悪い事には反応しないようでティルの声は聞こえない。
行き場のない視線を彷徨わせ、ユリアは背を向けて顔を手で覆い隠してしゃがみ込む。
「もうっ、言っちゃダメって言ってたのに……」
「ユ、ユリアさん?」
「待って! 今はダメ。顔見ないで」
背を向けながら後ろ手に制される。
そんなに恥ずかしかったのだろうか。
ユリアがそういう面を恥ずかしがるとは、意外だった。
案外子供っぽい一面もあるのだな、とその様子を微笑ましく眺める。
「はあ……違うの。ラウルくんの状態が余りにも酷かったからびっくりしただけなの。ホントよ?」
「うんうん、分かってる分かってる」
「それ分かってない時の態度じゃないっ、もう……でも、ほんとに良かった。全然目を覚まさないから不安だったんだからね?」
「俺、どのぐらい寝てたんだ?」
「えっと、ここに運び込まれてから五日経った、かな?」
「そんなに寝てたのか……」
思っていたよりも重傷だったらしい。
意識がなかったせいか、感覚は火竜を消し飛ばした時からあまり経っていないのだが。
「ラウルくんが運び込まれて、状況が落ち着いてから聞いたよ。あの死霊術師を倒して、その後操られていた火竜までまた倒しちゃったんだって。大活躍だね、ホントすごいよ」
「あー、うん、まあ、あれだ。無我夢中ってやつさ。しかし、改めて聞くと俺かなり頑張ってるな……」
「そうだよ! ラウルくんは頑張った! それは、みんなの目にもちゃんと映ってるよ。私もね、自分の出来る事を全力で頑張ったの。ラウルくんがきっと頑張ってるから私も頑張るんだって。でもいざ中身を開けてみたらラウルくんの成し遂げた事に驚いちゃった、うふふ」
ラウルを褒めちぎって笑うユリアを見ていると、なんだかむず痒い感覚がする。
ティルにしても、ユリアにしてもラウルを買い被り過ぎだ。
そんな褒めちぎられると、正直どうしたらいいか分からなくなる。
ラウルにとって褒め言葉というのは、それだけ縁のなかったものなのだ。
ただ、今回ばかりは少しだけ、ほんの少しだけ自分を褒めてやりたいと思った。
それは、ユリアが今まさに笑顔でいる事に。その笑顔を見れただけでも、ラウルが成し遂げた事を誇っていいと、そう思う。
「ユリアさんも、頑張ってたんだろ? 俺もユリアさん達がが住民の人達を助けてくれるだろうって信じてたから、安心して戦えたんだ。頑張る事に、人の為に何かをする事に大きいとか小さいとか関係ないんだよ。だから俺もユリアさんも頑張った!」
ラウルが笑顔を見せると、ユリアもつられて笑ってくれた。
それでいいのだ。生きて笑顔を見せる事以上に幸福な事はないと、ラウルはそう思う。
「そうよね。うふふ、やっぱりラウルくんはすごい」
「よせよ、あんまり言われると照れる」
そんな会話をしていると、扉が開く音がした。
そこから顔を覗かせたのは、フィーネだ。
「お、フィーネさんおはよう」
「はあ……お元気そうで何よりです――ちっ」
「ねえ、今舌打ちしたよね? 俺に聞こえるようにしたよね!?」
通常運転のフィーネに肩を落とす。
これがなければ非常に魅力的な美人のお姉さんなのだが、しかしこれがなければフィーネじゃない気もする。
いつも通りのフィーネの態度に安心感を覚えている事に、ラウルはそれが良い事なのかどうかはわからなかった。
「フィーネ、どうしたの?」
「お客様がいらっしゃいましたので、お連れしました」
客人の来訪を告げるフィーネの後ろに、見知った顔が二つ現れた。
ユーティリス王国騎士にとって知らない者はいない。
第一騎士団団長マクルス・ハーデルムとラウルの所属する第二騎士団団長ケルヴィン・ローレンツ。
そんな大物が二人もわざわざここに足を運ぶなど、ラウルにとって胃が痛くなる光景だった。
しかしラウルは怪我人なので体を動かす事ができない。
失礼ではあるが、ベッドの上から会釈をする。
「マクルス騎士団長と団長……寝床の上から失礼します」
「ああ、気にしなくていい。というかお前怪我人だろうが。大人しくしておけ」
「ようやく目を覚ましたようだな……肝を冷やしたぞ、アルフィムの倅」
老練な騎士と強面の騎士が揃うと、迫力がより増している。
とはいえ、そんな二人に気を遣わせるわけにもいかず、ラウルは必死の思いで上体を起こす。
「まあ、なんとか生き長らえたみたいです。ところで、俺に何か御用がありましたか?」
考える限り、騎士団を率いる二人が自分に用があるとは思えなかったのだが。
そんなラウルの思考を読み取ったように、二人揃って苦笑を浮かべる。
「あのなあ、お前自分がした事本当に分かってて言ってんのか?」
「はあ……まあ一応分かってるつもりですけど」
「いーや、分かってねえよ。お前が死霊術師と火竜を倒した事でどれだけの人の命が救われたと思ってんだ。いや、人だけじゃない。王都そのものを守ったんだよ――ラウル・アルフィム。他の誰でもない、お前がだ」
「――そういう事だ。死霊術師の遺体は確認済みであり、貴公が火竜を討伐した瞬間は我ら第一騎士団がこの目でしかと見届けさせてもらった。勇敢であったぞ、ラウルよ」
「あ、ありがとうございます」
思わぬところから評価され、驚きを隠せない。
しかし、それを言う為だけにわざわざここを訪れたのだろうか。
それはいささかしっくりこない。
「そこで、だ。オリヴィエ王女殿下から謁見を賜ることとなった。殿下が此度の功労者を労いたいと仰せだ。まあ、まだ体が本調子ではないだろうから日取りは改めて連絡する。いいな?」
「え、あ……はい」
「しっかりせんか。貴公の偉業は正当な評価を受けて然るべき事なのだぞ。なれば、貴公がそんな呆けた顔をしてどうする。堂々としていればいいのだ。誰も貴公の成した事を疑ってはおらん」
「は、はい」
その返事や良し、とマクルスは頷くと、もう用は済んだと背を向けた。
その後ろをケルヴィンがついて行き、部屋から出る前にラウルの方へと振り返る。
「あー、ラウル。良くやったな。お前が成し遂げた事は、俺も自分の事のように嬉しいぞ。今はゆっくり休め」
そう言い残し、ケルヴィンも部屋から出て行った。
扉が閉じたのを確認し、ラウルは脱力してベッドに身を預けた。
「はああぁ、なんかとんでもない事になってる気がする……」
「当然でしょう。ラウル様がした事はそういう事です」
フィーネの身も蓋もない物言いに、珍しくユリアも賛同した。
「そうよ。正当な評価を受けられるなら、それは良い事じゃない?」
「いやまあ、そうなんだけど……」
『いい加減諦めなさい、ラウル。あんたはあたしと契約した時から遅かれ早かれこうなる運命なんだから。予定調和よ、予定調和』
「これ以上ない正論をありがとう!」
唐突なティルの、しかし存外的を射た言葉にラウルが思わず唸る。
やはりティルと契約した時からラウルの運命は変わったのだ。
そうでなければ、自他共に認める『平凡騎士』がこんな評価を受けることはなかった。
ティルはラウルが平凡である事を許してはくれないらしい。
その期待には応えたいとは思うが、出来れば身の丈に合う程度の期待に抑えてほしいものだ。
あまり期待が過ぎると、ラウルの身が持たなくなってしまいそうな不安が過ぎる。
「まあまあ、とにかく今は休んでなきゃ。ガイルさん達にもラウルくんが目覚めた事を知らせなきゃね」
「……なんか疲れたから、悪いけど横になるよ。親父達によろしく言っておいてくれ」
そう言ってラウルは目を閉じて横になる。
家族は何と言うだろうか。心配をかけてしまっただろうか。それとも喜んでくれるだろうか。
後者であればいいと思いながら、ラウルは再び眠りについた。