第一章23 『それぞれの戦場は』
同時刻、王都北門前は緊迫した空気に包まれていた。
外敵を知らせる鐘の音が鳴らされ、城壁の上に集まる兵士たち。
兵士たちは地平線から低空飛行で徐々に迫るモノを目視し、喉を鳴らした。
「なんだ、ありゃあ……」
「化け物かよ……気持ち悪りいな、くそ」
「あんなやつがなんだって王都に向かってきてるんだ!」
各々その異様な物体が近づいて来るのを慄きながら眺める。
それはどろどろに腐敗し、ぐずぐずに腐った肉を垂らしながら着実にこちらに向かってくるのだ。
巨体の所々から骨が見え隠れしていて、もはや原型を留めていない。
だから兵士たちはそれが元はなんだったのかは分からない。
だが、それが人間にとって害をなすモノだという事だけは、本能で分かっていた。
と、その時城門が開いた。
内側から外側へと、何百騎もの騎士が馬に乗って城門から離れていく。
その騎士達は灰色の騎士服を統一して纏っている。
「ありゃあ、第一騎士団だ! 迎撃に出ているぞ!」
「なんだ、第一騎士団が出てきたなら俺達の出る幕ないじゃないか」
「んなもんないに越した事ないだろうよ。しかしあれをどうやって止めるんだ?」
その兵士の疑問は、騎馬が横陣を作り出した事により氷解した。
馬上の騎士達は一斉に手を前にかざし、各々が得意とする属性の魔術の術式を展開していく。
そして、迫り来る巨体が射程範囲に入り込んだのを確認する。
「総員――撃てええええ!!」
第一騎士団団長――マクルス・ハーデルムの号令が辺りに響き渡る。
その瞬間、騎士達が展開した数多の術式から様々な魔術が巨体へと直撃した。
魔術を正面から食らった巨体は肉片を辺りに撒き散らし徐々に勢いが弱まり、ついにその動きが止まる。
「おお! やっぱ騎士団の一斉魔術は凄いな」
「ああ、壮観だ。あれをもろに食らったらいかな化け物でもひとたまりもないだろうよ」
城門の上に陣取った兵士達から歓声が上がる。
騎士団の強さは王国の象徴なのだ。
国王陛下の暗殺という大事件があったとはいえ、こうして王国の武を見せつけられて湧かないわけがない。
「総員、繰り返し――撃てええ!! よし! 誇り高き騎士達よ、剣を抜けぇい! 王国に仇なす化け物を王都に近づける訳にはいかぬ! 我らがここで何としても討ち取るのだ! ――突撃いい!!」
「おおおおおお!!!!」
騎士達は油断せずにもう一度一斉魔術を撃った後、全員が抜剣する。
団長の号令の後、巨体を囲むように突撃を開始した。
先頭にいるマクルスは、内心手応えが全くない事に違和感を覚えていた。
引き寄せられるように王都を目指して近づいてきていたのに、本当にこれだけで終わるのか。
そんな一抹の不安が胸を過ぎった時、マクルスは巨体の目と思わしきものがこちらを見ている事に気付いた。
ぞわり、と悪寒が全身を駆け巡る。奴は何かを待っているように、否、マクルス達がこちらに来るのを待っているように感じた。
一斉魔術を撃つ際に騎士団も同じく待ち構えていたのだから、相手もそうしないわけがないのだ。
その考えに至った直後、巨体の顎が大きく開かれるのを見たマクルスは直感で叫んだ。
「何か来るぞ! 総員――避けろおおおおッ!!」
マクルスの叫びが響き渡った瞬間、巨体の口から漆黒の霧のようなものが吐き出され――その範囲にいた後方の騎士達が次々と馬もろとも崩れ落ちていった。
霧に当たって落馬した騎士達は、口から血を吐き痙攣している。
「――毒か!? 奴の吐く黒い霧に当たらないように気を付けろ! 総員、負傷者をできる限り回収し離脱!」
巨体が霧を吐き出した後に動かなくなった隙に負傷者を回収して、第一騎士団が離脱していく。
兵士達は呆然とその様子をただただ見ていた。
「おいおい、第一騎士団が退いていくぞ……このままじゃ王都にあの怪物が来ちまうじゃねえか!」
「ど、どうすんだよ……騎士が敵わない相手に俺達がやれってのか!?」
「ふざけんじゃねえ! 騎士団は何やってんだよ!」
口々に不安を吐き出し始める兵士達の心の中に、王都が蹂躙される未来が浮かび始めていた。
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「ルミ・ラファル!」
詠唱を紡がれ鎌鼬が数体の骨体を切り刻む。
魔術の連発で息を上げているフィーネに、ユリアは負傷している一般人を治療しながら心配げに視線を送る。
「フィーネ、大丈夫?」
「ええ、少し辛いですが……まだいけます。ユリア様は?」
「うん、私は大丈夫。まだまだ魔力はあるし、治療しなくちゃならない人たちがたくさんいるから……」
広場から少し離れた大通り。
ユリアとフィーネは動く骨体に追いかけられながらも、同じく襲われている人々を助けながら移動していた。
骨体の群れの数は分からないが、広範囲に流れ出している事は間違いないだろう。
この大通りだけでも多数の骨体がいてこちらに向かってきている。
突然こんな惨事になり、ユリアは下唇を噛み締める。
ユリア達が来た時にはもう息絶えていて、助けられない人もいた。
罪のない人々の命が失われていく。
子供の泣き声があちこちから響いており、この凄惨な状況を物語っていた。
だが、立ち止まっている暇はないのだ。
一人でも多くの人を助けなければ、そうラウルに頼まれたのだから。
自分の力がこんな状況にこそ発揮できる事に皮肉を感じたが、役に立っている喜びはそれに勝っていた。
フィーネの言った通り、自分も人々を守る事が出来ているのだ。
「おお、傷が治っていく……聖女様、ありがとうございます」
治療されていた老人がユリアを崇めるように感謝の意を伝える。
「いいえ、当然の事をしただけですよ。さ、ここは危険です。逃げましょう」
老人に肩を貸し立ち上がろうとしたところで、背後の曲がり角から新たな骨体が現れ、ユリア達に剣を振り上げて襲いかかってきた。
「ユリア様! ――ヴァール!」
魔術の突風で骨体が弾き飛ばされる。
お礼を言おうとフィーネの方へと振り向くと、ユリアはその目を見開いた。
「ありがと――フィーネ?」
息を荒げて膝をつくフィーネが、虚ろな目で微笑を浮かべる。
度重なる魔術の行使による、体内魔力の著しい低下が引き起こす症状だ。
「申し訳ありません……どうやら、魔力が枯渇寸前のようです――先に逃げてください」
「そんな……置いていけるわけないじゃない!」
「ユリア様……」
「ダメ、絶対ダメ! フィーネが動けないならあたしが担ぐから、そんな悲しい事言わないで」
フィーネがそんな必死なユリアに対して、諦めたように苦笑を浮かべる。
「早くしないと、また新たな骨体に囲まれます。負担をかけますが、頼みますよ?」
「ええ――でも、もう遅いみたい……」
フィーネの背後に迫る骨体の群れを見て、ユリアは引きつった声を出す。
同じくフィーネもその光景を目の当たりにし、覚悟を決めた。
「前言撤回します。ここは私が引き受けますので、早く逃げて!」
決死の覚悟でなけなしの魔力を絞り出そうとした瞬間、フィーネの横を風が舞った。
そして目の前に迫る骨体を、黒い騎士服を纏う男が一閃。
その騎士服はフィーネにとっても随分と見慣れたものであったが、しかしそれを纏う男は別人だった。
「――ルッツさん!?」
その男は、国王暗殺の報をもたらしたラウルの同僚であるルッツ・ローエングラムだ。
周りを見渡してみれば同じ騎士服を着た騎士達が次々と骨体を殲滅し、辺りを制圧していた。
「どうやら間に合ったようですね! この辺りで異変が起きていると聞き、我ら第二騎士団は王都内の市民の救助と避難を先導しに来ました! もう、大丈夫です、ご安心を」
快活な笑顔で安心させようとするルッツに、ユリアは立ち上がって提案をする。
「助けて頂いてありがとうございます。あの、負傷者が多く出ているんです。私、治癒魔術が使えるので治療がしたいの。騎士団の救助に加わってもいいですか?」
「それはありがたい! 治癒魔術を扱える魔術師がいれば、多くの人が救えます! こちらからも是非お願いしたい!」
思わぬ手伝いの申し出に、願ってもない事だとルッツが快諾する。
「よかった……あの、フィーネとおじいさんを休ませてあげたいのです。避難所のような所までお願いします」
「ええ、ご案内します――あの、ところでラウルの奴は一緒じゃないみたいですが……」
聖女の護衛という立場であるのに、いるはずの同僚の姿が見当たらない事に眉を顰めルッツに、ユリアは微笑を浮かべる。
「私の騎士様は、今も人々を守る為に戦ってくれています。彼なら大丈夫です、きっと」
そう信じられるだけの何かが、ラウルにはあるのだ。
それは単純な強さではなく、魔剣の契約者だからではない。
ラウルという存在の在り方に、ユリアは信頼に足る何かを見出していた。
だから今は、自分が戦うべき事に集中するのだ。
全てが終わった後に、彼の功績に見合うだけの働きをする為に。
もう一度、無事を笑い合える時を楽しみにして。