第一章20 『憤怒と死霊術師』
エレノス山脈のとある山頂付近。
冷たい強風が吹き荒ぶ中、大小の二つの影があった。
「火竜ちゃんが殺られちゃったですッ! せっかく憤怒の感情を暴走させて手懐けたっていうのにぃ~! こんなあっさり倒されるなんて、あんまりですッ! ――ああああああああッッ!! イライラするですッ!! なんでッ、なんで火竜ちゃんが殺されなければならないですか!? ふっざけるな、ですッ!!」
片方の小さな影は赤銅の髪を短く切り揃えた幼く可愛らしい少女だった。
その可愛らしい愛嬌のある顔は憤怒に染まり、髪を振り乱しながら怒り狂っている。
「……んふふふふ、よいではぁ、ありませんか。火竜が屍となった事によりぃ、私の魔術が役に立つぅというものぉです」
怒り狂う少女にもう片方の大きな影の男が陽気な口調で返すが、その声色は陰鬱な響きに満ちていて口調が一致しない。
声色と一致しているのは、男の陰気な痩せこけた顔ぐらいだろう。
姿とは裏腹に口調や態度は陽気といっていいものであるからこそ、その男の気味悪さをより際立たせている。
黒のローブをはためかせながら、男は少女に更に言葉を重ねる。
「あなたが授かった加護はぁ、実に私の魔術と相性がいいぃ! とてもぉ、とても素晴らしいことでありますよぉ、ええ。……して、アウァリティア様が予定にない動きをされましたがぁ、いかがなさいますかぁ? ――『憤怒』の使徒、イラ様」
イラ、と呼ばれた少女は怒りを浮かべたままの表情で、陰気な男に向き直る。
「アウァちゃんも勝手な事をしてくれるですッ! どいつもこいつも、なんでイラの邪魔をするですかッ!? 火竜ちゃんを操ってこの地を血に染めるのはイラの役割のはずだったですッ! それを、それをオオオオオオッッ!! ああっ、イライラするですッ! ルドちゃん! こうなったらルドちゃんの得意な魔術で火竜ちゃんを動かすですッ! 竜種を操るのも簡単じゃないから致し方ないですッ!」
山の麓、火竜の屍がある方角へとイラが指を差す。
「んふふふふ、よいでしょうぅ。この世で最も恐ろしく、残酷で美しいものがなんであるかを世の人々に教えて差し上げようではぁありませんか――この死霊術師ルドラトが、ねぇ」
両手を広げ、大仰な物言いでルドラトは歓喜に満ち溢れた恍惚な表情を浮かべる。
イラはそんなルドラトを見て、憤怒を撒き散らしながらもその表情に嫌悪感を滲ませる。
「相変わらずルドちゃんは気持ち悪いです……まあでも、確かにイラが神から授かった加護とルドちゃんの死霊術があれば最強なのですッ! そして――火竜ちゃんを殺したあの騎士は絶対に許さないですッ! 」
「ほお……火竜を倒すほどの騎士とは珍しいぃですねぇ。それは是非とも、私の僕にしたいですねぇ」
「殺した後は勝手にするです! 火竜ちゃんの殺された相手に対する怒りは並大抵ではないのです! 王都に向かわせて、イラの憤怒を思い知らせてやるのですッ!」
「かしこまりました。んふふふふ、王都に渦巻く阿鼻叫喚。考えるだけでも楽しみですねぇ、ええ、ええ、わかっていますとも。私とイラ様で、かの地を血に染めようではありませんか――それが神の意思、なのでしょう?」
「そうなのですッ! ルドちゃんには分からないだろうけど、イラ達『大罪』の使徒は神の意思を受け継いでいるのです!」
「私は神に嫌われる性質でしてねぇ……信心深くはありませんが、あなた達と共に在ればぁとても美しい世界が見れそうですよ、ええ、ええ」
そんな会話が人が踏み入れられるはずのない領域で交わされた数刻後、『奈落の入り口』から蠢く巨体が瓦礫の中から這い出し、その巨体が空を舞って南西――王都の方角へと真っすぐに飛び立つ姿が近隣の村や街の人々の目に映った。
災厄は着々と迫りつつある。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――申し訳ありません。僕は王都に残ってオリヴィエ様を傍で御守りすることになりました」
翌日の朝、アルフィム家に訪れたジークムントが頭を下げて開口一番に発した言葉はそれだった。
ユリアとフィーネは顔を見合わせる。
状況を知っているだけに、ジークムントが告げた事は予想されていたので、大した驚きはない。
「しょうがないよ。こんな状況だもの。元々ジークムントさんは近衛騎士だし、王女様を守る事が本来のお仕事なわけでしょ? 私の護衛になってもらったのも、ユーティリス陛下のご厚意だったし……気にしないで? その、ラウルくんは魔剣の契約者でもあるから私の管理下、って形になるんだけど……それは問題ないのよね?」
「はい。その件に関しては僕から王国上層部に話は通しておきました。ラウルは引き続き、ユリア様の下で護衛役として付き従ってもらいます」
ユリアの問いに頷くジークムントが、ラウルの今後の身の振り方を告げた。
その答えにユリアは安堵の表情を浮かべる。
「まあ、うちの団長からそうなるだろうと聞いていたから大した驚きはないけどな。しかし、こうも簡単に勝手にどうぞと言われるとは思わなかったぜ」
「……正直な所、今はそれどころじゃないって感じだね。一国の主が暗殺されるなんてことになって、上層部はそれ以外の事に構っている余裕はないってことだよ」
そう言いながらジークムントは溜息をつき、苦笑を浮かべる。
ラウルには分からない名家ならではの苦労が垣間見えた。
「ま、ユリアさんの事は俺に任せておけよ。いざとなればティルだっているからな」
魔剣であるティルを撫でながら、ラウルが軽い調子でそう言った。
「……君は頼もしいな。その言葉を聞ければ、僕も躊躇わずに君に任せる事ができるよ……後は任せたよ、ラウル。――王女殿下とこの国は僕が守るさ、絶対に」
ジークムントにしては珍しいほど眼光が鋭く、並々ならぬ決意が灯っている。
その気迫に少々気圧されながらも、ラウルはジークムントの肩を叩く。
「あんまり気負い過ぎんなよ? お前が強いのは知ってるし、それは皆の認めるところだけどさ。この国にいる騎士はお前だけじゃない。第一騎士団も健在だし、うちの第二騎士団と団長もいる。みんなで守るんだぞ」
「……ああ、分かっているとも。僕の至らない所は他の人に任せるとしよう。僕は僕の出来る事を全力でやるさ」
「おお、その意気だ」
「――じゃあ、僕はこれで。もし御用があれば、王城へといらしてください」
そう言ってジークムントは馬に跨り、王城へと戻っていった。
それを見届けた後、ユリアがラウルの顔を上目遣いで覗き込む。
「ねえねえ、ラウルくん! お願いがあるんだけど……」
「ユリアさんからお願いだなんて初めてじゃないか? 出来る事なら何でもするぜ?」
お願い、という響きに気を良くしたラウルが安請け合いをする。
その快諾に目を輝かせたユリアが、お願いを口にする。
「えっとね……王都を見て回りたいの。一緒についてきてくれない?」
王都の大通りには、様々な店が立ち並んでいる。
武器屋や防具屋、装飾店などの他に、野菜や肉、日用品を取り扱っている店も豊富である。
何といってもユーティリス王国の王都だけあって、立ち並ぶ店と人の多さは壮観だ。
そんな中、ラウルは楽しそうにきょろきょろと店を見回すユリアの後ろをついて回っていた。
「わあ、すごいすごい! こんなにお店がいっぱい!」
「ユリアさん、ちょっとはしゃぎすぎ! そんな焦らなくても店は逃げないから!」
ついてきてほしいと言われて舞い上がったのも束の間、ユリアの行動力であちこちを歩き回りくたくたになっていたラウルは、ちっとも疲れを見せていない様子に驚きながら更に動き出そうとしているユリアに制止をかける。
「あ、ごめんごめん! なんだか楽しくって夢中になっちゃった……ラウルくん疲れちゃった?」
「ここは男として強がるべきなんだろうけど……ごめん、ちょっと休憩させてくれ」
「うふふ、素直でよろしい! じゃあ、そんなラウルくんに付き合ってもらったお礼に何か飲み物買ってくるね!」
広場のベンチに座り込み白旗を上げるラウルをくすくすと笑い、ユリアはそう言って飲み物を販売している店がどこにあるか辺りを見回す。
「あ、それなら俺も――」
「ラウルくんは座ってて。大丈夫だよ、そんなに遠くには行かないから!」
ついて行こうとしたラウルを手で制して、ユリアは見つけた店の方へと行ってしまった。
仕方ないので、ラウルはベンチに座ったまま彼女が戻ってくるのを待つことにした。
「ユリアさんがあんなに行動力があるとは意外だったな……」
『女の子なんだからお出かけが好きなのは当然よ。あんた女の子の扱いはまだまだみたいね』
「うるせえ、こちとら鬼教官の下で訓練に明け暮れてたんだ。女の子と縁なんかなかったんだよ」
ティルに反論しながらも、やはり音を上げたのは良くなかったかもしれない。
気を利かせて飲み物を用意するのも、本来ならばラウルがしなければならない所だ。
ジークムントならば、その辺りは気取らずにごく自然にこなしてしまうのだろう。
ユリアに気を遣わせてしまった自分に落胆しながらも、せっかくの二人きりの時間なのだから楽しまないと損だと気を持ち直す。
『あたしが居るのを忘れんじゃないわよ?』
「……人格があるって時として面倒な事もあるんだな」
『あんた呪い殺すわよ!?』
「冗談だよ。ていうかそのツッコミってシャレになってないよな」
魔剣が言うと本当に呪い殺されそうで怖い。
勿論ティルにそんなつもりがないのは承知の上なのだが。
『ふんっ、あんたがあたしを邪険にするような事言うからでしょうが』
「俺が本心で言ってると本当に思ってるのか?」
『それは別に思ってないけど……って何言わせんのよ! そういう問題じゃないでしょ!』
「ははは、やっぱティルをからかうのは楽しいな」
『あ、あんたねえ……いい加減にしないと――待ってラウル、何か禍々しいものを遠くから感じる』
急にティルの声が険しい声色に変化した事に、ラウルは眉を顰める。
「禍々しいもの?」
『ええ、それがこっちに向かってくるわ』
ティルがそう言った瞬間、けたたましい鐘の音が王都中に鳴り響いた。
この鐘の音の意味をラウルは知っている。
王都でこれが鳴らされる事は久しくなかった。
何故なら、これは外敵を知らす合図であったのだから。
「ティル、その禍々しいものってどんな奴だ」
『詳しくは分からないけど大きいわ。低いけど、空を飛んでる――待って! なに、これ……ありえない!』
「どうしたんだ?」
『王都の中に……すぐ近くに同じ禍々しい気を感じる! しかも数が多いわ、気を付けて!』
「そりゃ一体どういう――」
理解しきれないまま、ティルに説明を促そうとしたラウルの声は途中で途切れた。
ラウルの正面にある建物の屋根に、突然現れた黒のローブが視界に入ったからだ。
「んふふふふ、やぁっと見つけましたよぉ。あなたが、例の騎士ですねぇ」
不気味に笑う陰気で陰湿に濁った眼が、ラウルを見据えていた。