第一章19 『それぞれの男女は』
王城の奥にある王女殿下の私室にて、二人の男女が向かい合っていた。
男は片膝を床に着いて騎士の礼をとり、女は椅子に座り、男を見つめている。
輝くほど眩い金髪の男――ジークムント・シュトルムは、顔を伏せながら口を開く。
「王女殿下――ジークムント・シュトルム、只今帰還致しました」
帰還を伝える臣下を見つめる王女殿下と呼ばれた女――オリヴィエ・ヴァン・ユーティリス。
光沢を帯びた銀色の長い髪と、淡い青に彩られた双眼に見惚れる者は数多く、端正な顔をより一層高めるものとなっている。
王族としての威厳はまだ足りていないが、それでもその高貴なる容貌に畏敬の念を抱くのは当然の事と言える。
「ジーク……顔を上げて? 礼儀など不要です。私達しかいないのだから、気にすることはありません」
「しかし……僕は貴方の臣下です」
「そうだけれど、私達は幼い頃からの間柄じゃない。昔はよく一緒に遊んだでしょう? 私がお転婆でジークを連れ回して困らせて、その度にお父様に怒られてたわね……」
「オリヴィエ様……」
オリヴィエは窓の外に視線を向け、かつてあった出来事を思い出す。
しかしその楽しかった思い出を彩っていた父は、もう居ない。
端正な顔を悲しげに歪め、オリヴィエは悲痛な声を絞り出す。
「ねえ、ジーク……お父様は何故、命を奪われなければならなかったのかしら……私は、これからどうしていけばいいの……」
「申し訳ありません。我ら臣下が至らぬばかりに陛下を御守りする事が出来ず……」
「そうね。あなたが城に居てくれればもしかすれば……なんて事を考えてしまうわ。でも、そんな事を考えてももうお父様は帰って来ない!」
その悲痛な嘆きに、ジークムントは苦しげに顔を歪める。
そんな顔は、見たくはなかった。
主であり、幼馴染である女の子にこんな顔をさせた奴に、怒りを覚える。
聞く限りでは、王城の警備をものともしない相手だ。
これからいつ、オリヴィエにもその危険が迫るか分からない。
ならば、ジークムントが取るべき選択は一つしかない。
「オリヴィエ様。陛下を御守り出来なかった不甲斐ない臣下ですが、どうか貴方を御守りする事を僕に命じてはくれませんか? そうすれば僕は――」
「ッ! そう……あなたは命じれば、私を守ってくれるというのね」
「はい。この命に代えても、傍で貴方を御守りします――それが、臣下共の一致した意見でもありますので」
「……分かりました。ジーク、あなたは今を以って、王女専属の近衛を命じます」
「御心のままに……」
オリヴィエが瞑目してそう命じた事に、ジークムントは安堵した。
これで、人目を憚らずに彼女の傍に居られる。
陛下の二の舞にならぬように、彼女を守る事に集中できる。
陛下から命じられた聖女の護衛に関しては中途半端な事になってしまったが、事態が事態なだけに納得してもらう他ない。
それにジークムントがいなくても、友人がその命は全うしてくれるだろう。
取り繕う事のない態度で接してくれる友人は、ジークムントにとって信頼に足る騎士である事を知っている。
魔剣に認められた彼は、英雄などと囁かれる自分よりもよほど英雄らしさがあるのだ。
勇気と決断力がある彼がいればユリアは安全であると、ジークムントは信じていた。
そうして自分の行動に正当化をつけているジークムントには、オリヴィエの表情に悲しみが広がっている事には気付いていなかった。
それが決して父の死の悲しみだけではない事も――気付いていなかった。
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静けさが肌寒さを増長させるような夜。
夕食を家族とユリア達で囲み終わってから、自室に戻り横になったもののどうにも寝付けなかったラウルは、外の空気を吸おうとバルコニーに出ていた。
夜の空に浮かぶ星が輝き、その中で一際大きい月が夜の闇を照らしている。
ティルに言われた、守りたい人を守れる力。
その力には、自身の力だとか借り物の力だとかは関係がない。
それはラウルの心にすっと染み渡り、自分がいかに自分本位な考えをしていたかを知った。
結局の所、力というのはどの力、どんな力なのかではなく、その力をどう使うか、何の為に使うのかが重要なのだと。
そこに自分の力なのかどうかなんて、ラウルの我がままでしかない。
守れる力があるのならば、それがどんな力でもいいではないか。
結果守りたいものを守れるなら、例えその力を他者が持っていても構わないのだ。
それが自分の下に転がり込んできた以上、自分の意思通りに使えるなら使うだけだ。
とはいえ、代償なんて脅しがついてるのでそう易々と使う気はないが。
ラウルが自分の決意を改めて固めたところで、背後から扉が開く音がした。
「――ラウルくん?」
バルコニーはラウルの自室と客間とで繋がっており、客間の扉から顔を覗かせたのはユリアだった。
ラウルの姿を認めると、扉を閉めてその全身を外にさらけ出す。
純白の寝間着に身を纏い、夜風にたなびく白金の髪を耳にかける姿は、月から舞い降りた妖精のようだった。
そのなんとも可憐な姿に目を奪われるラウルは、ユリアが傍まで来てようやく反応を返す。
「あ、ああ。ユリアさんも寝付けなかったのか?」
「うん。なんか、目が冴えちゃって……も、ってことはラウルくんも?」
「まあ、そんなとこかな。自宅に帰ってきて落ち着けたと思ったんだけどな……」
「そっか……なんだか、ラウルくんを巻き込んでしまってごめんなさい」
「そんな事ないさ。そもそも巻き込んだのはジークであって、君じゃない」
「でも……」
ラウルの身に起こった事に少なからず責任を感じていたユリアが言い募るが、ラウルはそれを手で制した。
「でもじゃない。俺は俺の意思で君の護衛を引き受けたし、火竜との戦いもティルとの契約も、その選択を選んだのは俺の意思なんだ。ユリアさんが気に病むことなんかないんだよ」
「どうして……ラウルくんはあの時火竜に一人で立ち向かえたの?」
それは、ラウルが生きて戻ってきたら聞こうと思っていた事。
何故、彼は自分の身の丈を知っていながら無謀とも言える判断を下せたのか。
自分は何も出来なかったのに、自分に自信がないという点である種の共感を覚えていた相手の事を知りたいと思った。
「あの時は……ジークがやられて自分がやるしかないんだって思ったんだよ。倒せるなんて大層な事は考えちゃいなかった。ただ、時間稼ぎぐらいなら……仲間を逃がす事なら、俺にもできると思った。――いや、違うな。一番最初に脳裏に浮かんだのは、君だったんだよ。君を守らなきゃ、って思った」
「私……? え、な、なんで?」
ユリアが少し動揺したように、髪を撫でつけながら視線を泳がせた。
その動揺が伝染して、ラウルもまた目を彷徨わせながら誤魔化そうとする。
「そりゃあ……その、あれだ、護衛対象だし。ほら、女の子は俺にとって守るべきものだから!」
「……ふーん、ずっと思ってたけどラウルくんって女の子が好きだよね。誰にでもそんなこと言ってるといつか痛い目見ちゃうんだからねっ」
ラウルのその言葉にユリアは頬を膨らまし、子供のように怒る。
それを失敗を悟ったラウルは肩を落とし、苦笑を浮かべた。
「――でも、ありがとう。ラウルくんの勇気に私も元気貰っちゃった」
「元気?」
「そう、元気! 私ね、ラウルくんにどこか自分を重ねてたところあったんだよね。でも、あの時のラウルくんは私なんかよりもずっと勇気があって、かっこよかった」
「そ、そうか?」
かっこよかったと言われて照れるラウルに、ユリアは微笑を浮かべる。
「そうだよ。だから、ラウルくんはすごいなって、ラウルくんが頑張ってるんだから私も頑張らなきゃーって思ったの」
「そっか……ユリアさんは強いな」
ジークムントという才能の塊のような男が目の前にいて、次々と同期や後輩に追い抜かれていったラウルは、いつしかそんな風に思えなくなっていた。
勿論鍛錬は続けてはいたが、一向に上達しない自分をどこか諦観していたのは事実だ。
だからなのか、他者を見て前向きに考えられるユリアが、ラウルには眩しく見えた。
「そうかな? でも、実はそうなる前に自分に嫌気が差していたの」
「そうなのか?」
「うん、それでフィーネに叱られちゃった」
叱られたという割には嬉しそうな表情でいうので、ユリアとフィーネとの間にしか分からない信頼関係があるのだろう。
「二人は仲がいいんだな」
「私もフィーネも、孤児院出身だから。フィーネとは幼い頃からの間柄だし、私にとって姉みたいな存在、なのかな」
「そうだったんだ。道理でリリーを見た時の反応の息が合ってると思ったよ」
「あ、あれはリリーちゃんを見たら誰でもああなっちゃうでしょ!」
「ははは、そうだな。うちの妹の可愛さは半端ないから」
「うわぁ……ラウルくんの妹愛も相当だよね」
若干引き気味のユリアの反応に心外だと思いながらも、言われてみればここまで肉親にに親愛を表しているのは珍しいのかもしれない。
「なんか、家族っていいよね」
ユリアは手すりに手をかけ、夜空を見上げながらぽつりと呟く。
寂しげなようで、しかし憧れるような瞳に、ラウルは魅入られる。
「ラウルくんの家族は、すごく温かくてホッとする。肉親がいたらこんな感じなのかなって、なんか憧れちゃった」
「そう、だな。きっとユリアさんもいつか家族をもつ時がくるよ。その時、ユリアさんが望む家族になればいいな」
「……うん、そっか。未来の楽しみだねっ!」
「ッ……ああ、未来の楽しみだ」
そう言って満面の笑みを浮かべるユリアに、喉まで出かかった言葉を飲み込み、気恥ずかしさから空を見上げる。
夜空の星達は、ラウルのヘタレ具合を嘲笑うかのように爛々と輝いていた。