第一章17 『滞在先は自宅』
「ユリアさん?」
ユミル教、という単語に反応を見せたユリアは、しばし考え込んだ後、顔を上げた。
「――ユミル教。聖マグナ教と対立する宗教組織、として伝えられているけれど、その実態は不明なまま。かつての聖魔戦争で魔族側についたと言われている、巨神ユミルを信仰しているらしいの。でも、教会に排斥されていなくなったって聞いていたのになんで陛下は……」
「……確かに、教会からの排斥により表舞台からは姿を消しました。ですが、裏では未だ暗躍している……というのが、この国の御偉いさん方の見解だったという事です。もしかすると、今回の暗殺は奴らの仕業ではないかと、俺は睨んでいるんですが――聖女様は、どう思いますか?」
「そんな……! もし、そうであるなら、ユーティリス陛下の死の原因は……私のせいではありませんか」
フォルス王がユミル教について調べていたのは、間違いなく神託に関しての事だろう。
それを調べるといった行動に出たから、消された?
ならば、フォルス王に事情を話し、援助を願ったユリアに責があるのではないか。
ユリアはそう考え、顔を青褪めさせた。
「推測の域は出ませんが……もしそうであったとしても、聖女様の責任ではありません。どこまでいっても、陛下を御守りすることができなかった我ら臣下の責。そして……陛下の御命を奪った下郎にはなんとしても自らの行いの罰を受けさせてやる!」
激高したケルヴィンの机を叩く音が部屋中に鳴り響く。
荒い息が次第に落ち着いていく頃を見計らって、ラウルは口を開いた。
「……ユミル教の仕業であるなら、今後ユリアさんにもその魔の手が忍び寄る可能性がある。だから、団長は俺達を呼び戻した――そういうことですね?」
「ああ。確証はないが、可能性がゼロじゃない限り警戒するに越したことはないからな。お前とジークムントが王国騎士だからこそというのも勿論あるが、理由の半分はそれだ」
ユミル教というのが何を目的にしているのかは分からないが、陛下を襲撃した以上はユリアの存在どころか、神託の情報も掴んでいてもおかしくはない。
「それなら、俺はこのままユリアさんの護衛から外れる訳にはいけませんね。それに……」
ラウルはそう言いながら、腰に差した魔剣を撫でる。
その手の動きをケルヴィンが目で追う。
「ラウル。その剣はなんだ? 王国で使われている騎士剣とは違うようだが……」
「それも、団長には話しておこうと思っていました。実は――」
魔剣契約と、その事によってユリアの監視下にいる体である事を話した。
「魔剣と契約……その、お前が、か?」
「正常な反応をありがとうございますと言えばいいんですかね……まあ、成り行き上仕方なくといいますか、契約をしなければ俺は死んでましたし」
「そうか……まあ、そういう事情なら仕方がない、引き続き聖女様の護衛をしてもらうか。しかし、ジークムントはそうはいかんだろうな」
「そうでしょうね。あいつは王国になくてはならない存在ですし、何よりあいつ自身が国を離れたがらないでしょう」
「王女殿下か……陛下を襲撃したにも関わらず、王女殿下には危害を加えなかった事は気にかかるが、今後王女殿下にも魔の手が忍び寄るかもしれんからな。上層部もジークムントを野放しにはせんだろう――お前達はどうするんだ?」
ジークムントは恐らく国に残る。
そうなると、ラウル達だけでは戦力が心許ないのは事実である。
今の状態で、国を離れて次の魔剣を探しに行くのは得策なのだろうか。
そんなラウルの思考を読み取ったかのように、ユリアが口を開く。
「陛下がお亡くなりになった事は少なからず私達にも関係のある事です。状況が落ち着くまでは、私達も王都に留まろうと思っています」
「そうですか……相手は王城の警備さえいとも簡単に潜り抜ける輩です――くれぐれもお気を付けください」
ケルヴィンの忠告に、ラウル達は頷く。
とはいえ、そんな輩に標的にされれば気を付けようもないのだが。
ケルヴィンへの報告を終え、退室した三人は駐屯地を後にした。
王都の大通りを歩きながら、フィーネが溜息をつく。
「よりによってユミル教に狙われているかもしれないなんて、冗談にしては笑えませんね」
「ユミル教かどうかはさておき、陛下の御命を奪う程の強者がいるというのは事実だ。それが俺たちの前に現れるかもしれないって事を頭の片隅に入れておくぐらいはしておこう」
目的が分からない以上、過度な警戒は足枷にしかならないだろう。
ラウル達の目的は魔剣探索なのだから、その妨害にならなければユリアに危険が迫る事ないはずだ。
「――ところで、宿泊先はどうしよう?」
そんな心配をよそに、ユリアが目下の心配事を口にした。
それに対して、フィーネが難しい表情を浮かべる。
「そうですね……教会から援助されたお金も心許なくもありますし、極力出費は控えていきたいところです」
「そうだよねえ――ううっ、教義で清貧であれとされているといっても、こう使えるお金が限られてると困っちゃうよ」
教会の遠回しな愚痴をこぼす二人を見て、ラウルは苦笑を浮かべた。
とはいえ、ここに留まる事になった事に責任を感じないわけではなかったので、ラウルは思いついたことを提案してみる事にした。
「――じゃあ、俺の家に来るか?」
ラウルの家は王都の北に位置する比較的閑静な住宅街の中にある。
大通りから少し逸れた所で、人通りもまばらなラウルの家の前に三人は居た。
「思っていたよりも大きいお宅なのですね」
「あんた一体どんな家を想像していたんだよ……ごく一般的な家だよ。豪邸じゃなくて悪かったな」
「ううん、私はそんなの気にしないから大丈夫だよ?」
「さすがユリアさん……君が女神に見えるよ」
「そ、そんなことで女神だなんて……ラウルくんって周りからいい扱い受けてないの?」
そんな軽口を叩きつつ、門を開いて中に入る。
すると、庭で土いじりをしている暗い茶髪の中年の男が視界に入った。
その男は顔を上げてこちらを見るや、血相を変えて走ってくる。
そして間合いに入るや否や、ラウルに飛び蹴りをかましてきた。
もろに鳩尾に入ったラウルが吹っ飛ぶのを見届け、男は表情に怒りを浮かべ口を開く。
「ラウルッ!! お前こんな可愛らしいお嬢さん方を攫ってきて一体どういうつもりだ! 父さん、そんな風に育てた覚えはないぞ!」
「――こんのクソ親父! 帰ってきて早々飛び蹴り食らわす親がどこに居やがる!」
「はっはっは、ここにいるだろうが愚息め。さあ、このお嬢さん方を連れ攫った罪、詰所にてしっかり話をしに行かねばな」
「待て、そもそもなんで俺がユリアさん達を攫った犯罪者になってるんだよ!」
「ん? お前がこんな美しい女子を二人も連れてくるなぞ、天変地異が起こったとしてもあり得んだろう」
「否定しきれないのがムカつくぜこんちくしょう!」
そうのたまう男――ラウルの父親であるガイル・アルフィムは、さも当然の事を言っただけという表情でラウルを見つめている。
「あー、こちらのお美しい方々は、聖女ユリア様と、その御供のフィーネさんだよ。ほら、出立する前に護衛の話はしただろ?」
ガイルの悪い意味での息子への信頼に肩を落としながら、ラウルは二人の紹介をした。
当の二人はアルフィム親子の荒っぽいやり取りに面食らいながら、ガイルに会釈をする。
「なんと、確かにこの美貌たるや聖女様にふさわしくある! すると、お前は我が家にお二人を招待したという事か?」
「むしろそれ以外にどう見えたんだよ……息子を犯罪者扱いする前に考えろよクソ親父め」
「ふん、お客人を招くのなら事前に言っとくべきだろう。それを怠ったお前にも責任はあるわ愚息め」
「ぐっ……それは悪かったよ。色々立て込んでたんだ」
色々な事が起こりすぎて、少し気が抜けたのか配慮が足らなかったのは事実だ。
しかし、それにしては扱いが酷すぎる。いつもの事ではあるが、それ故にラウルは久しぶりに日常に戻ってきた感覚を覚えた。
「しかしこうしてはおれん。ラウル、お客人の案内はしっかりやるんだぞ。――おーい、母さん! ラウルがお客人を連れて帰ってきたぞ!」
家の中にいるであろう母に声をかけながら家に入るガイルを見届け、ラウルは溜息をついた。
唖然としている二人に視線を向け、気恥ずかしさを感じながら家の方向に手を向ける。
「いやあ、騒々しくて悪いな。――ようこそ、アルフィム家へ」