第一章14 『度が過ぎる謙遜は嫌味になる』
テグス村までの道中、行きと同じく魔獣と遭遇する事もなかったラウルは難なく森を抜け、村まではもう目と鼻の先、という所まで来ていた。
人里というものはなんとも人に安心感を与える物で、終始辺りを警戒しながら歩いていたラウルもそれを目にした時は、自然と肩の力が抜けた。
「ようやく戻ってきたって感じするなあ。行きと帰りとじゃ、心持ちがかなり変わった気がするけど」
『ね、ねえ。あたし、あんた以外の人間久しぶりに見るんだけど……突然変異して羽が生えてたり目がもう一つあったりとかしないわよね?』
「しねえよ! なんだそのトンデモ進化は。第一、そうなってたら俺にもついてなきゃおかしいだろうよ」
『あ、確かにそうね』
なんともくだらない進化説を想像しているティルは、どうやらラウル以外の人間を見るのが興味半分、怖さ半分、といったところだろうか。
そもそも他人から見ればただの剣なのだから、そう身構えなくてもいいはずなのだが、ティルにとってはそうでないらしい。
「なあ、冷静に考えてみたらさ……俺に構わず逃げろって体で囮役引き受けた奴がひょっこり帰ってくるのって、なんか締まらなくない?」
『はあ? 何くだらない心配してんのよ……命あっての物種でしょうが。――死んでから美しく語られたって、本人からすればどうでもいい事よ』
「まあ、確かにそうか。……それに、ティルの事も俺が契約しちまったことも話さなきゃならないしな」
先程のティルと全く同じ反応を返すラウルは、剣の柄をポンポンと優しく叩きながら言う。
魔剣の紫に煌めく宝石が陽の光の反射によって一際輝いた。
村に入ると、村の人がこちらに気付いて寄ってきた。
山に向かうラウル達を奇妙なものを見る目で見ていた中年の男だ。
「騎士様じゃないか! 一人足らねえって思ってたが無事だったんだなあ」
「ああ、おかげさまでね。他の三人が戻ってきてると思うんだけど……」
「戻ってきてるよ。えれえカッコイイ方の騎士様の治療が必要ってんで村長の家に居るはずだ」
「あははは、カッコイイ方の騎士様ね。知ってた知ってた……じゃあ、案内してもらっていいかな?」
「お安い御用よ!」
軽く請け負ってくれた村人の後ろをついていく。
村人の案内によって村長宅の前まで来た。
村といえども村一番の家だけあって、そこそこ大きい。
家の周りには煉瓦が積み重ねられていて中は見えないが。
「村長を呼んでくるからちょっと待っててくれ」
「何から何まで悪いね」
気にするな、という風に手を上げて村人が中に入っていくのを見届け、ラウルは敷地の中側の煉瓦の壁に背を預ける。
契約の事を何と説明しようか。そもそも、教会が魔剣に対してどのような扱いをするのかが分からない。
ティルという人格を知ってしまった以上、魔剣の扱いが酷い物になるのは避けたい。
ユリアなら話せば分かってくれるとは思いたいが、彼女も教会の人間である事には変わらない。
もし魔剣を教会で管理させろなんて事になれば、ラウルは抵抗するだろう――ティルとの約束を破りたくない一心で。
そう考えているところで、村長宅の扉が勢いよく開き――金糸のような髪が舞った。
「ラウルくんっ!」
「や、やあ。あなたの騎士が只今帰還致しましたよ――うおっ!」
再会の挨拶もままならず、ラウルは胸に飛び込んできた少女に驚く。
異性に抱き着かれるのは初めてではないが、その相手が惚れた女の子だというのはラウルにとって初めてだった。
「どどど、どうしたの? ユ、ユリアさん?」
「よかった……生きてた。本当に、生きてるよね?」
心配気に怪我がないか確認しているのか、ペタペタと体のあちこちに触れてくるユリアの柔らかな手に鼓動が跳ねる。
心臓に悪いその動きを名残惜しいがやんわりと止める。
「さすがに死んでまでこうして動いてたらヤバいだろ? まあ、死にかけたのは本当だけど……ユリアさんが無事でよかったよ。ジークとフィーネさんも無事か?」
「うん、二人とも無事。ジークムントさんの傷もよくなってきたから、そろそろここを発とうと話をしてた所なの」
「それはすれ違わなくてよかった。色々話さなきゃならない事があるんだ」
「そうね。何があったか私も聞かせてほしい」
こくりと頷くユリアは、ラウルの家の中に案内した。
途中で家主である村長に挨拶を済まし、借りている客間へ向かう。
「あなた、誰ですか? ラウル様に変装するなんて、随分と手の込んだ事をするものですね」
「開口一番がそれかよ!? あんたもしかして俺に死んでいてほしかったの? もう悪意しか伝わってこないんだけど……」
「冗談です」
「冗談にしては辛辣すぎんだろうよ……」
相変わらずなフィーネの態度にげんなりする。
教会の神官なのだから、ユリアみたいにまでとは言わないがもう少し慈愛を持てないのだろうか。
「もう、フィーネったらなんでラウルくんの前だと素直じゃないの? さっきまであんなにラウル様は無事でしょうか、って心配してたくせに」
「え、そうなの?」
「……身に覚えのない事です。ユリア様、後でお話をしましょう」
「ひっ!」
珍しくフィーネの怜悧な鋭い視線でユリアを睨んでいるのに、口元には笑みが浮かんでいるのだからなお怖い。
フィーネにとっては幸い、その頬に僅かな赤みが差している事にラウルは気付かなかった。
そして、奥の寝床に横たわっている男に視線を向けた。
「ラウル……無事だったんだね」
「おう、なんとかな。ジークも思ったより元気そうじゃねえか」
「ああ、ユリア様のおかげだよ……ラウル、君に迷惑をかけてしまってすまない」
「よせよ。お前が不覚を取るなんて予想外だったけど、相手が相手だったんだから仕方ない。むしろお前じゃなかったら即死してたかもしれないしな」
それほどに、あの瞬間の火竜の動きは異常だったのだ。
ジークムントは端正な顔に苦笑を浮かべる。
「そう言ってくれると、僕もやられた甲斐があったと思えるかな。――ラウル、火竜はどうなったんだい?」
「ああ、それも含めて起こった事を話すから聞いてくれ」
ラウルは三人に火竜と対峙した顛末と、死の淵に立った事でやむを得ず魔剣と契約した経緯を語った。
ユリアは目を見開き驚いた表情を、フィーネは普段と変わらず怜悧な表情を、そしてジークムントは瞑目したまま考え込んでいる。
「――と、まあこんな感じで目を覚まして生き長らえた俺は、同じく死にかけていた火竜に止めを刺して無事帰還してきたってとこかな」
「火竜を、倒しちゃったの? ……一人で?」
「いやいや、それは語弊がある。ジークが弱らせたのと、自然の脅威に頼った結果だよ。まぐれというか、運が良かったんだよ。あ、そういう意味では俺の幸運の象徴であるユリアさんの貢献度もかなり高いな!」
「どういう経緯であれ、ラウルが一人で火竜を討伐した事実は変わらないさ。もっと誇っていい事だよ、ラウル」
「そ、そうだよ! ラウルくん、凄いよ! って私が幸運の象徴ってどういうこと?」
二人が持ち上げるので、手持ち無沙汰に手を彷徨わせながら視線を逸らした先に、フィーネの目が合った。
「……ラウル様、これは卑下などせず、ありのままの結果を受け止めるべきだと思いますが。度が過ぎる謙遜は嫌味にもなりますよ?」
「フィーネさんまで……あー、もう分かったよ! 俺が火竜を討伐した。死体は奈落の入り口にある。――そして、魔剣の契約者になった」
ラウルの視線が中央に置かれた魔剣へと向くと、三人の視線もそちらに集まる。
「魔剣と契約した事で、その、呪いとかはなかったの?」
「それは大丈夫、とハッキリは言えないけど、契約するだけなら問題はないらしい――で、実は魔剣には驚くべき事実があってだな……ティル、起きてるか?」
『お、起きてるわよ……ちょっとラウル! あんたこんな注目の浴びるタイミングで呼びかけないでよ!』
「う、嘘……」
「魔剣が……」
「喋った……」
村に入ってから無言だったティルが、ラウルの呼びかけに応える。
その魔剣から発せられる透き通る美しい声に、三人揃って驚愕に固まるのは当然の反応と言えた。