未来へ向けて / 希望
なんだか、うずうずする。
そんな情動を彼女が感じ始めたのは、何故なのか。
彼女が活動を開始して、8年ほどの月日が流れた。
相変わらず、放射線量は落ちる気配はない。
何十年も前に撒き散らされた放射能が、未だにあらゆる生命活動を停止させようと猛威を振るっていた。
「知識不足…かのう。核兵器の放射線が、それほど長く残留するという記事は読んだことがないが…」
あるいは。
通常の核兵器ではなかったのかもしれない。
放射性物質そのものを広範囲にばら撒くような、破滅的な兵器が使用されたのかもしれなかった。
「もしそういう類ものもなら…使った奴は相当狂っておるな。半減期が何年か知らぬが…何百年もかかるなら、もう何も生きてはいけぬのじゃが」
まあ、過ぎたことは仕方がない。
それよりも。
彼女は、一度食糧を探しに足を運んだ倉庫へ再び訪れていた。
「確か、この辺りに…」
ごそごそと荷物を漁り、ジュラルミンケースをいくつか見つけ出す。
「これか…。随分堅牢な作りにしておるのう。まぁ、そうでないと意味は無かろうが」
そこには、黄色の背景に黒の文字で、「取扱注意・生体種子保存」と書かれていた。
「はて、中身はどうなっておるのか」
放射線を防げるタイプの包装がしてあれば、中には健全な種子が残っている。さて、と呟き、彼女はそれらのジュラルミンケースを運搬用のキャリアーに放り込み始めた。
「量だけはだくさんあるのう…。他の倉庫にもあったしの。放射線の落ちた後に農耕でもする予定じゃったか」
そのうちの一部くらい、使うのは問題ないだろう。
「この体で、どこまでできるやら」
自らの頭を軽く叩き、彼女は移動を始めた。
地面を、耕す。
なんとかまだ稼動する機械を持ってきて、固く乾燥した地面を掘り返す。
地下水をシェルターから運び、地面に撒く。
そのうち、地下水を汲み上げる施設でも作ろう。だが、今はとりあえず、ジョウロを使って地面を濡らす。
1m四方の、小さな畑。
「こんな感じかの」
土に汚れた手をエプロンに擦り付けながら、彼女は呟いた。
「酸性濃度も問題ない。肥料も撒いた。後は、種子が耐えられるかだけじゃな」
彼女の発掘したケースは、耐放射線の装備はされていなかった。中の種子は、もう死んでいるのかもしれない。
あるいは、生きていたとしても、今この大地に持ってきた事で死んでしまったかもしれなかった。
「どちらでも、よい。こういうことじゃのう…わしがしたいのは」
目を細め、黒く濡れた「畑」を眺める。
「あの探査機を見つけてから、どうも落ち着かんでの。同じ機械として、わしにできることが無いか…そう思っておった」
彼女の生体脳は、極限の体験を積みすぎた。補助記憶に多量に溜め込まれた記録と、目覚めてからの地獄のような光景。そして、いかなるときも暴走しないよう、厳重にも縛られた自意識。
正確には、多種多様な障害回避策を埋め込まれたニューロコンピュータだが。
そのトラップが、良いように、あるいは悪いように、働いたのだ。
元々想定されていた限界を越え、彼女の生体脳は成長している。網の目のように張り巡らされたニューロネットワークが、彼女に人間並みの、あるいは人間を越えた発想力を与えていた。
「それを自覚できるというのが、一番想定外じゃが」
そして、彼女は自分の変化を、最も正確に把握・自覚している。そんな状態で、ただ受身にいるというのが我慢できなくなった。
そんなところだろう。
引き金は、やはりあの探査機だった。
「少なくとも、わしの知識ではこの種子たちは…既に死んでおる」
手に持った袋の中に、たくさんの種子が保存されている。マメ科の何か。名前までは見ていない。
「じゃが、植物というのは存外に生命力が強い。あるいは、この死の大地でも芽吹くことができるかもしれぬと思ってな」
畝に等間隔に穴を開け、そこに干からびた種子を入れていく。土をかぶせ、その上に再び水を撒く。
「とりあえず、あとはなるべく乾燥させないようにすればよいか」
周りに板でも埋めて、水分が逃げにくくするか。
芽が出たときのために、周囲に遮蔽物も作らなければならない。
「…ふむ。やることがあるというのは、なかなか良いものじゃ」
彼女は満足そうに、頷いた。
そうやって、彼女は少しづつ畑を増やしていった。
使えそうな機械を修理し、大規模な耕作を行う…ことも計画したが、どう考えても世話する手が足りないのでやめた。
彼女個人で使える程度の機械を導入し、耕作面積を増やす。
周囲に、風避けのためにたくさんの廃材を突き刺した。
「なんか、戦場の弾避けみたいになってしもうたのう…」
それも一興。
雨が降って土が逃げるのを防ぐため、整地をする。
周囲に水が拡散しないよう、板を埋めたりもした。結局、下に流れるようなので諦めた。
水は、シェルターからパイプを引っ張ってきた。
「まあ、ここまでやって、まだひとつも芽を吹かないというのは…無理じゃったかのう」
溜息をつき、彼女は空を見上げる。
ここは、いつもの通信塔。
彼女が畑を耕し始めてから、1年が経った。
それは即ち、今年、例の探査機が地球への帰還を果たすということだ。
「どこからどう帰ってくるかは分からんのじゃが、な。落ちるなら、大洋上か。砂漠か。どっちにしろ、ここからは少々遠いか」
それまでには、少しでも緑を作れないかと思っていたのだ。
「儚い希望じゃが」
まあ、まだ時間はある。
ゆっくりとやっていこう。
彼女の住まうシェルターには、とても使いきれない量の種子が眠っている。
いつか、もしかしたら、その中から芽を出すものがあるかもしれない。
彼女の機能が停止する前に――
「――わしの、証を」
彼女が、ここで活動していたという証を。
「残したいものじゃ」
それも、できれば、前向きな証を。
「意地汚く生き足掻こうとした、証を残してやろうと思っておるのじゃ」
ぷらぷらと足を揺らしながら、小さな彼女は、大地に視線を落とした。
そこには、ささやかに、彼女が耕した畑が見える。
周囲と違い、黒く濡れた土。
そこに緑が加わることを夢見て、彼女は今日も、外に出る。