目覚め / 環境把握
彼女が「気が付いた」時には、既に誰もいなかった。
そもそも何故、彼女が目覚めたのかすら分からない。
何かの拍子に予備回路が起動したようだが、そのあたりの記録が全く残っていないため、原因は想像するしかなかった。
想像、という言葉は適切ではないのだが。
彼女は、いわゆる「愛玩ロボット」と呼ばれる自律機械だったから。
正確な表現を使えば、「限りある現在情報と蓄積情報から、統合的に現象を推論し想定される、最も確率の高い事象」とでも言えばいいのか。
だが、どういう言葉を使ったとしても、それを問題視する存在はいない。
この世界には、彼女しか、いなかった。
「つまらんのう…」
その言葉が、彼女の唇から漏れる。
発声は、気道に仕込まれた振動薄膜および口腔、鼻腔の反響を制御し舌や唇で整形して行っているため、生身の人間のそれと違いは無い。
「結局、誰も居らぬ」
彼女が目覚めてから、5年という月日が流れていた。
初めて外界を認識したのは、今から40年ほど前の事か。
その時は、初期起動試験で、製造過程の途中だった。簡単な認識テストを行い、そして思考回路の電源を落とされ。
次に目が覚めると、既に誰もいなくなっていた。
長期保管・輸送用のコンテナから這い出し、最初に認識した世界は、廃墟。
自分を買ってくれたはずの主人はおらず、ただ、彼女だけが廃墟に取り残されていた。
取り残されていた、という表現のニュアンスが違ったことに気が付いたのは、数時間後のことだった。
廃墟を彷徨い、稼働する情報端末を見つけ、発電機を起動し、データを引き出した。
そこで知ったのは、世界が滅びに瀕しているということ。
いや、実際には、既に滅びていた。
彼女は、この世界にただ一体、取り残されていた。
彼女が製造・発送された直後、世界中が核戦争に巻き込まれた。
情報端末に残されていた新聞記事には、核戦争が始まったとされる日付の2日後以降が存在しなかった。
そこから引き出した情報をまとめると、こうだ。
最初に、とある大国の首都が、核攻撃により消滅した。
誰がやったのか。何のためにやったのか。それは分からない。もっとも、疑われたのはその大国と敵対する別の大国だったのだが。
数時間後、その敵対する大国の首都も、同じように核攻撃で消滅した。
もしかすると、それはテロだったのかもしれない。
いや、あるいは本当に、先制核攻撃と、報復核攻撃だったのかもしれない。
何が正しいのか、それはもう分からない。調べる術は、既に永遠に失われている。
これを機に始まった核戦争は、瞬く間に全地球上に拡大し、一瞬にしてあらゆる国家を消滅させ、短時間で終結した。
世界中を満たした電磁パルスは、電子機器および付随する電子的記録を壊滅させた。そして、荒れ狂った炎が物理的記録を焼き払った。
恐らく、残ったのは僅かにシェルターに避難できた人々と、地下に建設されたデータセンターくらいのものだろう。
だが、それも40年前の話だ。
彼女の活動するこの世界に、果たして生存者が残っているのか。
彼女が目覚めて最初にしたことは、主人を見つけることだった。
情報端末を起動し、記録されたデータをダウンロードし、それを解析し、そしてすぐに諦めることになったが。
どうやら、彼女の輸送中に輸送トラックがシェルターに避難したようだった。それは、輸送トラックの航法コンピュータに記録が残っていたから、間違いないだろう。
では、シェルターに避難した他の人々はどうなったのだろうか。
それは、探索を始めてすぐに発見することができた。
通路の脇に、ミイラ化した人間の遺体がいくつか転がっていた。服装からして、恐らくシェルターの管理兵だろう。武器も一緒に落ちていた。
通路の壁面には、多数の弾痕と、茶色く変色した血痕が残っていた。
さらに進むと、もっと多くの遺体を確認できた。
その向こう、完全密閉されているはずのシェルター内に、日の光が落ちていた。どうやら、何らかの爆発で大穴が開いたらしい。
違う場所では、隔壁の前にたくさんの遺体が折り重なっているのを発見した。隔壁は既に電源が切れており、開ける事が出来なかった。
そうやってシェルター内をさ迷い歩き、彼女はたくさんのものを発見した。
明らかに戦闘の痕と思われる弾痕、血痕、遺体が多く見られた。閉じられた隔壁の前には、多くの遺体が倒れていた。
爆撃の跡から、シェルターのさらに奥に入り込むことが出来た。
表側からは入ることが出来なかった隔壁の内側、そこに行くと、武器を携えたままの遺体が確認できた。壁にすがりつくようにして、倒れていた。
いくつか存在する部屋にも人が倒れており、一番奥の部屋には、すし詰めという表現がぴったりな状態で、たくさんの人間がミイラ化していた。
食糧庫も発見したが、中身は手付かずのようだった。もっとも、それを生物が食べることは出来ないだろうが。
まだ作動する放射線測定器を発見し起動したが、シェルター内はいまだ凄まじいレベルの放射線が飛び交っていることが判明した。
遺体が腐らずミイラ化しているのも、その影響だろう。肉を腐らせる微生物が、軒並み死滅してしまっているのだ。
このシェルターの中には、生物は1匹たりとも存在していない。
それが、数週間にわたり調査を続けた彼女の出した結論だった。
爆発により破壊されたシェルター内に高レベルの放射能に汚染された粉塵が入り込み、一瞬にして死の建物に変えてしまったのだろう。
隔壁内に収容できる人数には、限りがある。多数の避難民が詰め掛け、そこで戦闘が発生してしまった、ということは容易に想像できた。
そして、これも想像ではあるが。
隔壁を閉じられたことに業を煮やした誰か、あるいは集団が、隔壁を吹き飛ばそうと多量の爆薬を仕掛け、結果的に外装までも吹き飛ばしてしまったのではないか。そしてその衝撃により、シェルター内の殆どの人間が、死んでしまったのだろう。
さらに、例え生き残りがいたとしても、致死量の放射線に晒されては数週間と生き残れない。
「なんとも、醜いものよの…」
彼女は思わず呟き、そして呟いてしまったことに愕然とした。彼女に、独り言を呟くような設定はされていないはずだった。
しばし思考ログを洗い、さまざまな情報を短時間に記録・走査した影響と結論付けた。
そもそも、言葉遣いにも影響が出ている。無作為に情報収集し続けた代償だろう。初期設定であれば、もっと舌足らずな、外見にふさわしい6歳程度の言動しかできないはずなのに。
まともな初期起動ではなかった、ということも大いに影響しているのだろう。
何らかの外的要因により、彼女のコンテナの予備回路が誤作動、彼女は輸送用の省エネルギーモードから復帰することで、思考演算を開始したのだ。想定された起動手順とは、程遠い。
彼女は、その存在意義のまま、ただひたすらに主人を求めた。
「我が主人、我が主人様は…何処に」
壊れたテープレコーダーのように、という表現は、皮肉にも的を得た表現だった。
数ヶ月の間シェルターの中を彷徨い、部屋という部屋を片っ端から捜索し、あらゆる機器の状態を調べ上げ、外部との通信手段を求め、生存者を探した。
自らのエネルギー問題を自覚し、擬似生体パーツ維持のために食糧をかき集め、加工用の機械を起動させ、流動栄養剤を合成した。機械部品用のバッテリーパックを探し出し、充電用のソーラーパネルを露出させ、充電設備を稼動させた。
栄養剤は依然高濃度の放射能に汚染されていたようだが、純粋な生体パーツはなく、かつ元々幾重にも耐障害機能が用意されている彼女には、何の問題にもならなかった。
数十年分のエネルギーを用意し終わった頃、彼女は、外部への能動的な接触を諦めた。
「我が主人様は…居らぬか」
最終的に、彼女は最も現実的な回答を選択した。
「我が主人に成り得る人間は、どうやら、全滅したようじゃ」
シェルターから這い出し、傍に突き出していた半壊した通信塔によじのぼり、世界を眺めた彼女は、呟いた。
広がるのは、一面の荒野。
草木一本生えていない、赤茶けた死の世界。
どこまでもどこまでも、地平線の向こうまで続く、乾燥してひび割れた大地。
はるか遠くに見える、茶色い山脈。
吹き抜ける風に舞い上がる、赤い砂。
見上げると遠く、はるか上空に、鈍い輝きを見せる人工衛星。修理されることもなく、残骸となって軌道上を回り続けていた。