憑き物落とし-2
「え・・・」
「・・・あ」
無意識に溢れた本音の言葉選びの悪さに、はたと気付くも時すでに遅し。
決して悪い意味で言ったのではない。だが澄江さんは水飴を持っていない左手で口元を抑え、大きな衝撃を受け止めきれていない表情をしていた。言葉を失い顔は青ざめ、震えている上に涙がうっすらと滲んでいる。
「申し訳ありません。私・・・わたし」
「あ、あのですね!不快とかじゃないですよ?何と言いますか、心苦しいって言うのかな。えぇと、澄江さんたちに非があるのではなくて。むしろ非の打ち所を探すのも洒落臭いぐらいで・・・とにかく澄江さんたちが悪いわけではないです!だから泣かないで!後生ですから!」
澄江さんは目元の涙をハンカチで拭い、口元を隠す。ハンカチの下からすんすんと鼻を啜っている。
このままでは本格的に泣き始めるのも時間の問題だ。同じ二の舞にならないよう、必死に当たり障りのない言葉を選ぶ。
「あの家にいると、自分の情けなさが痛感できてしまって辛いです。皆さんは誠心誠意の厚遇で自分を迎え入れてくれました。その上、高い技量で自分の世話をしてくれる。それを何のお返しもなく受け取るだけなんて、あんまりじゃないですか」
「そんな。お客様がそこまで深く考えずとも・・・」
「いいえ。自分は家の人たちの細やかな心遣いには助けられているんです。恩返しがしたいくらいに。だけど記憶も無く、他人の家に住まう自分が恩返しできることは限られています。と言うか皆さんには手助けができる隙が見当たらない」
口に運ぼうとしていたカルメ焼きを口元から遠ざけた。
「非の打ち所が無い技術を持っているのなら、自分が役に立てることなんて無い。むしろ手伝ったら迷惑なんじゃないかってくらいの次元ですよ。自分はもてなされる側の人間だって分かっている。でもね、こんなの自分が木偶の棒って証明しているようなものです」
紙芝居屋のおじさんが雄叫びを上げる。怪獣が打ち負かされる場面に移っていた。周りの子供たちは目が釘付けだ。少女も食べかけの梅ジャムせんべいを忘れて見入っている。
「あの子も澄江さんが助けてくれましたしね」
啜り泣く声が聞こえたあの時、自分は澄江さんたちに触発されて少女の力になろうとした。結局は自分の手に負えず、あの子も自分も澄江さんに助けられた。これがトドメだ。
「自分は何もできない。役立たずで、能無しで、のろまで。言いだしたらキリがないですね」
あの家にいるだけの自分が恥ずかしい。役に立てない自分なんて。
「はは、すみません。こんなのただの性分なだけですよね」
「・・・・・」
「自分が手伝っても足を引っ張るだけですし、やっぱりこのままが良さそうです」
「・・・・・」
「勝手なこと言っといて迷惑はなるべくかけたくないし、それに」
「そこまで!」
「ふぐっ!」
ぴしゃりと言い放たれた声と同時に、口に水飴が突っ込まれる。口にはまろやかな砂糖の味が広がり、頭には当惑一色に塗り変わった。
「ぶ、ふ、ふみえは」
白黒している目に映る澄江さんはどこかふくれっ面だ。うだうだと自己嫌悪に陥る愚痴が気に障ったのだろうか。きちんと謝ろうにも口の中の水飴で舌が回らない。
「それ以上のご自分を貶めるような発言は、この澄江が許しません。どうかご自重くださいませ」
自分がこくこくと頷いたのを確認すると水飴から手を離してくれた。水飴は何故かどけてくれない。
「お客様。貴方は義理堅いお方です。私たちの力になりたいというお気持ちは日頃の奉仕にご満足してくださっているという、お褒めの言葉として受け取りましょう」
元来の凛とした目を釣り上がらせている澄江さんは更に凛として見える。しかしやがてふくれっ面がしゅうしゅうと音を立ててしぼんでいく。最後には反省する子犬のように意気消沈としてしまう。
「お客様は今朝の食卓で手助けをと仰っておられましたね。それなのに私と来たら仕事に熱中するあまり、お客様を見ていなかった」
慌てて口から水飴を引っこ抜く。
「澄江さんは日頃の家事があるんですから、自分の言葉くらい見逃したってしょうがないですよ」
「お客様の小さな変化も見落とさずに対応するのが、私の頂いた役目の根幹です。お嬢様のお言葉に浮つく前からこの体たらくとは、己に失望せざるを得ません」
お返しを望んだだけなのに気まずい雰囲気になってしまった。やはり言わなければ良かったと心の底から過去の己を叱咤する。すると俯いていた澄江さんが再び膨れっ面でこちらをキッと睨む。
「今、心の中でご自身を謗りませんでしたか?」
「え?いや・・・あはは」
見る時は心の中を見透かすくらいにちゃんと見てる。これも憑き物落としの力なのか。いや、長年の家事の仕事で身につけた特性だろう。
長年、任されている仕事だからこそ彼女はこの仕事に真剣に向き合っている。自分の言葉を受け損ねたと悔やんでいるんだ。そんな人だからこそあんなに行き届いた仕事ができる。自分が恩義を感じる程に。
「私の未熟さを気付かせてくれたのは、お客様です。その上、私の至らぬ仕事にお返しを望まれる義理堅いお方。そんなにも素晴らしい貴方を、貴方自身が悪く言うようなことはあってはなりません」
怒られているような、褒められているような。どちらにせよ他人行儀じゃない気がして心は楽だ。はい、と素直に返事を返す。
澄江さんはよし!と決意を決めたように頷くとおもむろに立ち上がった。自分の目の前に立ちふさがり両手を広げる。
「・・・澄江さん?」
「どうぞお客様!今からお客様のお言葉を全て受け止めましょう!お怒りの言葉、ご要望、何でもお受けします!」
「あの」
「必要とあらば拳もお受けします!」
「拳はちょっと・・・」
「不肖この澄江!貴方のお言葉に真剣に答えます。さあ!どうぞ」
彼女がやると決めたら一色線な女性ということは分かった。紙芝居に夢中だった子供たちも何事かとこちらをチラチラと伺っている。その目さえ気付かない。自分の言葉が届かなかったのも澄江さんの真っ直ぐさが祟ったものだったのだろう。
唖然としていたが笑いがこみ上げる。澄江さんは真剣なのに、ここで笑ってはまた膨れっ面になってしまう。笑いを抑えながら立ち上がり、頭を下げた。
「皆さんの素敵なおもてなしにお返しがしたいです。どうかあの家で自分ができるお手伝いをさせてくれませんか?」
「・・・そのようなご要望で本当によろしいのですか?」
「はい」
「本当ですか?」
「本当です」
「本当に本当に?」
「本当に本当に」
「・・・・・」
「どうか、お願いします」
やがて、二人の沈黙は紙芝居の読み手の声音を変える咳払いに続いて破られる。
「・・・ありがたく、そのお気持ち頂戴致します」
澄江さんも頭を下げたようだ。そしてお互い同じ瞬間に顔を上げる。
自分はさあ自分をこき使ってくれ、と言わんばかりの笑顔で。澄江さんは自分の辞書に手加減なんて字はないぞ、と言わんばかりの笑顔だ。
「そうと決まれば早速、買い出しに行きましょう!」
「本当に早速ですね」
「よいですか、お客様!戦場に共に赴かれるのなら手加減致しません!買い出しはいつでも敵を見極める戦術眼を要します!血眼になる覚悟を召されませ!」
「ぎょ、御意」
「まずは家に戻って買い物かごとお財布を取りに行きましょう。ああ、その前にお嬢様に私の不手際を謝らなければ」
熱意がみなぎる澄江さんは神社の外へとずんずん進んでいく。慌てて続くと後ろで拍手喝采が起こった。紙芝居が主人公の勝利で幕を閉じていた。
そこには子供たちの後ろにいた少女の姿が無かった。代わりに梅ジャムせんべいを包んでいた紙がぽつんと落ちている。
少女を探す目には飛び跳ねる子供が映るばかり。その子供の面影に少女が重なる。大人しかった少女が最後のどんでん返しに感極まってガッツポースをする姿。消える前はそんな彼女がいたことだろう。
「みんなと楽しめて、よかったね」
面影は自分の言葉に気付き、にかっと笑ってみせた。
自分もへらっ、と顔が緩んだ。
「お客様!時は金なりです!買い出しは時間との戦いでもあるんですから!」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はい」
澄江さんは神社の入口前で大きな声を上げながら手を振っている。自分が駆け寄るとすぐに歩き出してしまう。苦笑いをしつつ小走りで追いかけた。
「今夜の献立は何ですか?」
「今日はカボチャの収穫日だそうなのでカボチャのコロッケです。あとは煮豆と、味噌汁。あとは・・・」
「盛りだくさんですね」
「頼もしいお手伝いさんがいますもの。たくさん買出しをしますよ?」
「勿論です。でも昨日はあまり味わえなかったので、その分も」
「望むところです。受けて立ちます!」
絹子さんと言い彼女と言い、あの家の女性は好戦的だ。
「ねえ、澄江さん」
「はい!なんでしょう」
「僕、今日はいっぱい食べますからね」
澄江さんは驚いてこちらに振り向いた。自分が照れくさくて笑うと彼女は嬉しそうに目を輝かせる。周りをよく見て、人の違いにも敏感な彼女はすぐに気付いてくれたようだ。
あの書物からは何も情報は無かったと自分でも思っていた。しかし思い返してみれば、あの日記は自分を『僕」と呼んでいたんだ。
一人称。
あの書物から得られた唯一の自分の情報だ。自我が曖昧故に、一人称が不確定な『自分』としか言えなかった。些細なこと過ぎて見落としていたが、これも大切な情報。
自分は、いや僕は。記憶を無くしたぼんやりとした存在だった。しかし、あの家で過ごしながら段々と色が付きつつある。
一つずつでいい。ゆっくりでいい。焦らなくていい。
「今日のコロッケは一人三つまで奮発しましょう。お祝いです!」
「何のですか」
「今日という日のお祝い!」
「あはははは」
のんびりと『僕』を思い起こしていけばいいんだ。




