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書庫-1

 また角を曲がると、裏口の扉に辿り着く。ドアノブを回して扉を開けると短い渡り廊下に繋がっていた。用意されているサンダルを履いて渡り廊下を歩く。しっかりとした木の柱と屋根、簀子が敷かれた道。渡り廊下は蔵に続いている。

 ふと、朝のことを思い出す。二階から見えた花畑は、庭を仕切る柵の向こうにあったはず。隣の敷地はてっきり他所の土地と思っていたが、あそこも絹子さんの家の土地に含まれていたようだ。しかし、そこに繋がる扉は見つからない。花の香りも感じない。おかしいな、寝ぼけ眼とはいえ確かに見たはずなのに。

 花畑を探していると既に蔵の前に来ていた。瓦の屋根が被せられた木造建築の大きな蔵だ。絹子さんはよいしょ、と引き戸を開ける。

 蔵の中は広く、多くの本棚が並べられていた。蔵の中央には左右に寄せられた二列の本棚。壁は隙間なく本棚が並び、脚立も幾つか立てかけられている。そのせいか、ここの窓は少し高い位置に作られている。窓から差し込む光で明るいが電気も備え付けられている。

 驚くことに、こんなにも本棚があるのに棚には本がほとんど入っていない。一つも本が入っていない棚もあった。


「書庫があったんですね」

「えぇ。本来はここまで本は少なくないのですが・・・やはりこうなってしまいますか」


 絹子さんが困ったように眉尻を下げる。


「どうゆうことです?」

「この蔵には本来、生前にお客様が触れた書物が全て集まっています」

「触れた書物が、全部・・・?」


 生きている間に触れた書物は計り知れない程あるだろう。本を読まないと豪語する人でも、雑誌やノートという書物はきっと触れている。これだけ大きな本棚一つ位でもとても足りないはずだ。


「絵本、小説、ノート、教科書、参考書、雑誌、漫画、日記、歴史書、メモ、詩集。文字が書かれた紙はおおよそ。一文でも読んだことのある書物が例外なく本棚に並びます」

「どうやって集まる、なんて聞くのは野暮なんでしょうね」

「聞かないお約束です、とだけ言っておきましょう」


 謎の多い女性は魅力が増すという。なればこそ、深追いはナンセンスなのだ。


「本来これらの書物は生前のご自分を見つめ直したり、過去の思い出に浸ったり、ご自分でも忘れかけている大切なものを見つけ出すきっかけを作るために使われていました。日記やメモといった個人的な書物も並んでおりますので、心の重荷を降ろす重要な役割を果たしています。今までここの書物がお客様の記憶に関連していることに深く考えたことは無かったのですが・・・やはり通じるものはあるようです」

「少ない方ですか、これは」

「長くこの家におりますが、これ程の数を見るのは初めてですね」


 お互い苦笑してしまう。せっかく教えてくれた手段も鬼門のようだ。出鼻をくじかれてうなだれる。


「ですが書物が全く無いわけではありません。少ない情報でも確かな物です。そこから導き出される記憶は、何であろうと重要ではございませんか」

「それは、まあ、そうですが」

「この場にある書物はお客様の物だけではありません。気分転換に読書に興じられるよう、こちらで用意した本を並べた棚もございます。息抜きがてら楽しんで頂ければ幸いです」


 そうそう、と嬉々とした表情で思い出した絹子さんは蔵の奥を示した。一つだけ不自然に本で埋まった棚があった。すると絹子さんがはっ、と口を押さえ申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「あ・・・申し訳ありません。記憶を探す真剣な時に息抜きなんて・・・」

「いいえ、是非とも後で読ませてもらいます。とりあえず、まずは書物を調べてみますね」

「はい、ご武運を」

「戦うわけじゃないのですが」

「険しい道のりに挑む戦いでございます」


 ふわっと微笑んだ絹子さんは可愛らしく両手で手のひらを握り締めてみせる。ガツンと気合が入った手応えを全身に感じた。彼女からの応援で得た気合を相応の全精力で使い切ってみせる。これだけの書物なら、今日中に読み終えることが出来るだろう。じっくり隅々まで読み尽くす。読み落としなんて許さないくらいに。


「それでは、私はこれで」

「え?中に入らないのですか」


 せっかくの気合が一気に拍子抜けてしまう。


「家の者は蔵に入ることは控えています。ここはお客様の秘密なども含まれている可能性があるのです。ここの書物の内容を知るには、お客様自身の口からお伝え頂くか、お客様にこの書庫に立ち入る許可を頂く必要があります」

「そうですか・・・じゃあ、何か分かり次第お話します」


 にこっ、と笑顔を見せると扉を閉めて絹子さんは出て行った。彼女を見送り本棚を調べ始める。

 初めに目に付いたのは正面から右手の本棚にあった。スカスカの本棚に寂しそうに置かれている横たわったノート。使い古されているようだが、綺麗に使われている。まさかこれは日記かもしれない。それなら自分の日常が分かるはずだ。初手で大当たりを引いたか?騒ぎ始めた心臓を抑えてノートを開いた。


「・・・白紙?」


 まっさらで何も刻まれていないページが続いている。消しゴムで消した跡も筆跡の後もない。自分はひどい三日坊主だったのだろうか。呆れて最初のページに戻ると、一行の文が書かれているのを見つけた。見落としていたようだ。


『十二月八日 僕は日記を付け始めることにした。』


 簡素に縦書きで、それだけ書かれていた。万年筆で書かれたらしい。インクの滲みが見える。

 結局、日記から分かったのは自分が日記を付けていたことだけ。肩を落として元の場所に戻す。

 次に見つけたのは他の本棚にあったクリアファイル。中に入っていたのは、膨大な正方形の付箋だった。『あと三ヶ月と二十六日』、『あと二ヶ月と一週間』、『あと一ヶ月と三日』、『あと三日』、そして最後に『明日』と書かれた付箋。謎の日数は飛び飛びで書かれている。中には何も書かれていない付箋も入っていた。書かれた付箋と書かれていない付箋、全て合わせると百二十二枚。四ヶ月の日数に相当する数だ。日記もそうだが、ここにある書物はひょっとして。


「中身が消えてる。記憶を失っているから?」


 大部分が失われた書物、それが自分の記憶の状態を表しているのなら納得がつく。欠けている箇所は本当に思い出せない記憶として、残っている箇所は思い出すことができる記憶がまだ残っている手がかり。しかしこれじゃあ思い出すのは難しい。


「この筆跡、さっきの日記と同じだ」


 どちらも決して子供の時に書いたものではない。滑らかな文体や万年筆で書かれたようなところを見ると、大人の字。自分の姿から推定すると二十代後半から三十代後半の年代といったところだが、立派な大人であることは火を見るより明らか。

 ある程度成長してから書き始めたものだと分かった以上、日記と付箋から分かることは無さそうだ。クリアファイルも元の場所に戻す。


「参ったな。中身まで消えているなんて」


 ぼやきながら他の棚を探すと教科書と参考書を見つけた。国語、数学、英語。学校で習う教科があらかた揃っている。こちらは中身が欠けていることは無かった。学生時代に蓄えた知識はきちんと頭に入っているらしい。アンダーラインやメモもしっかり残っている。教科書の近くには教科ごとのノートが揃っていた。幼さが残る文体のものから、小難しい計算が書かれているものまで。恐らく自分の学生生活における全てのノートが揃っている。十二年、または十六年の集大成が軽く四十冊を超えていた。

 その他は絵本や小説等が数冊見つかった。内容は読まずにパラ見程度の確認だったが、中身は何の変哲もない本だ。手がかりらしきものは見つからない。

 この少ない手がかりから記憶を思い出せと言うのも無理な話だ。白紙になっていない箇所と睨めっこを続けて、延々と思い出せないか頭を捻るのも時間の無駄。何せ日記を始める宣言と、四ヶ月の日にちが書かれた付箋しか無いのだから。


「早速行き詰まった。・・・どうしよう」


 頭を掻いていると絹子さんの言葉を思い出した。息抜き用の本を用意しています、と。息抜きしてもいいタイミングとは言い難いが、行き詰まっている時のために用意したと言っていた。とりあえず息抜きをして、もう一度調べ直し、それでまた行き詰まったら家の人たちに相談しよう。

 奥の本棚に近づき、並べられた本の背表紙を見てみた。文学小説や写真集、歴史書、詩集、料理本、漫画など。内容や本自体は古いが多種多様な本が並べられている。


「夏目漱石、森鴎外、太宰治。あとは与謝野晶子と中原中也と川端康成と・・・」


 本を選ぶ指は自然と小説に向いていた。代表作の内容を覚えている作家や、名前だけ聞いたことがある作家、初めて名前を知った作家。こちらも多種多様に揃えられている。どれを読もうか迷う手を一つの本に定めた。


「宮沢賢治か」


 背表紙に作家名、宮沢賢治と書かれた本を手に取る。その場に座り込み、棚を背にして本を開く。作品はさっきの国語の資料集で見かけた『注文の多い料理店』を選んだ。学校で覚えたのか、自分で読んだのか。内容はぼんやりとしか覚えていない。だが今ばかりはそれでいい。思い出してしまえばこの本の楽しみが半減してしまう。

 イギリス兵の格好に鉄砲を担いだ二人の若い紳士が、白熊のような二匹の犬と共に山奥の落ち葉を歩きながら会話をする。そんな始めの一文を読み始めて、自分の意識は目の前の本に吸い込まれていった。


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