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真実の記憶

 門をくぐると澄江さん、富雄さん、武之さんがが外で待っていてくれた。心配をかけてしまったことを謝ろうと口を開いたが、三人の声に遮られる。


「お客様!」

「おぉ、ご客人!」

「旦那ああぁああ!」

「ぐほっ」


 号泣する武之さんに抱き着かれた。巨躯が体全体に大きな衝撃を与える。首に屈強な腕を二本も回され、呼吸が塞き止められた。


「良かったあぁぁああ!ご無事で良かった!一度だけならず二度まで旦那をお守りできなかったなら、あっしぁ、あっしゃあぁぁああ・・・!」

「ちょ、ちょ・・・」


 感極まっていて力の制御ができていないのだろう。ありったけの腕力が喉を圧迫し、その力はどんどん強まっていく。


「えぇい!たった今よりお客様と使用人の立場は反古です!反古!このおにぎりを完食して貰うまで使用人、澄江の名は一切効きません!」

「うえっ」


 澄江さんは目尻に涙を携えていた。口の中に真っ白かつ熱々のおにぎりを突っ込まれる。熱さへの拒否反応と、酸素が取り入れられない苦しみが意識を朦朧とさせた。


「はっはっはっ。二日分の漬物がたんまりと残っておりますぞ、ご客人。この場で食わずして、どうしてくれましょう」

「ごぶっ」


 こめかみに青筋を浮かべつつも楽しそうな富助さんに唯一の酸素の取り入れ口だった僅かな隙間に沢庵をねじ込まれた。どうしよう、本当に呼吸ができなくて変な呻き声が出る。


「申し訳ありませんが、自業自得が故の待遇には口出しできかねます」


 三人を統括している絹子さんに助けを呼ぼうと思ったが、菩薩の笑顔で般若の怒りを滲み出す彼女に尻込みせざるを得ない。

 二人は怒り、二人は泣き叫ぶ。全員が好き勝手に喋ったり行動している光景は正に阿鼻叫喚。そして何もできない僕は拱手傍観、四面楚歌、焦眉之急。僕は何度この世界で死を身近に感じたことだろう。


「まあ、いけない。このままでは折角お戻りになった和也さんが旅立ってしまいますわ。皆さん、それくらいにしましょう」


 絹子さんの鶴の一声で三人は蜘蛛の子を散らすように離れていく。まるで示し合わせたような息の合わせ様だ。確信犯か、恐ろしい。とりあえず口に突っ込まれた沢庵とおにぎりを咀嚼した。


「さあ、和也さん。もう、何をすべきか。分かっていますね?」


 頷く意を表すため、口の中の物を一気に咀嚼する。そこまで細かく噛み砕けていないが、構わず飲み込んだ。颯爽と口元を拭い、書庫を見据えた。


「皆さん、お騒がせしました。僕は記憶を取り戻したせいで生前の自分と向き合えない問題を抱えました。何とか一人でどうにかしようと思って書庫に篭もりました。だけど・・・それもできなかったんです。向き合う勇気が持てなかった」


 そこまで言いかけると、吹っ切れた笑顔を振り向かせて四人に向き直る。


「でも、こんなに勇気を頂いたら怖いものなしです」


 痛いくらいの抱擁、熱いおにぎり、何にでも合う漬物、そして心を解してくれた優しい言葉。心強い勇気をいっぺんに貰った。勇気を貰った体は暖かい。


「大丈夫です。今度こそ、ちゃんと向き合いますから」


 そう絹子さんに言うと晴れやかな笑顔で頷いた。

 書庫に入り、地面に転がる日記を拾い上げる。日記を開くと所々のページに皺が目立つ。そう言えばさっき強く握りしめてたっけな。一杯一杯だったさっきの自分に呆れつつ、ページをめくっていく。やがて僕を生んだ日のページ一歩手前に手をかけた。しかしそのページを読む前に心臓の鼓動が高鳴る。その鼓動を抑えてページをめくった。


『何も不自由をさせない。弱音も吐かない。和也のためになることは何だってやってみせる。誰に何と言われようと、体が悲鳴を上げようと、血反吐を吐こうと、和也を立派に育ててみせる。和也を生んだ美幸のためにも』


 力強い字だった。今まで感じたことのなかった『父親』を感じる。

 父さんは僕を選んだと同時に、覚悟をしたんだ。僕を育てる揺るぎない覚悟。だけど立派に育てることに囚われ、僕の傍にいることは考えていなかったのだろう。

 日記は一度、そこで途切れていた。しかし白紙のページを一つ空けて、日記は再び綴られていた。


『和也が事故に遭った。集中治療室に入って何時間が経過しただろう』


 日付が書かれていない新たな日記が付けられている。文字は全体的に歪んでいた。この文体は母さんが衰弱していく時期に書かれた物と同じだ。不安で仕方なかった父さんの心境が見て取れる。その次からは手術はまだ終わらないかだとか、僕をひたすら心配する言葉が三ページほど続く。日付が書かれていないが、手術が継続していそうな様子から一度に書かれたものだろう。


『和也は事故に遭った時、こう言っていた。「言い過ぎたかな」――――と。小さな声で途切れとぎれだったから、確かではないけど僕にはそう聞こえた。和也と喧嘩したから、そうあって欲しいと望んで聞こえただけかもしれない。でも、あれがもしも聞き間違いじゃなければ、その時は――――僕も、同じ言葉で謝っても良いのだと思いたい』


 あの時、僕は口に出していたのか。

 車に撥ねられた直後、後を追いかけていた父さんはあの場に居合わせた。青ざめた顔で僕に駆け寄り、冷静さを欠いた声で救急車を呼んだ。


「和也ぁッ!!」

 父さんが今まで見たことのない切羽詰った表情で僕の名を呼ぶ。

「・・・・・う・・・・ぅう・・・」

「和也、もう喋るな!これ以上、体を動かさないでいるんだ!今、救急車を呼んだぞ!絶対に助かる!それまで・・・!」

「・・・・・・が、に・・・・・」

 虫の息で、か細く力の入らない声を繰り返す。

「和也・・・?」

 父さんは恐る恐る僕の口に耳を寄せた。

「い、ぃ・・・す・・・ぎ・・・た、か・・・なぁ・・・・・」


「・・・・ご・・・め・・・・・・ん、ね」


 記憶はそこまでだった。


「・・・謝ってたんだ」

 瀕死の状態でも無意識に口にした一言。例え今際の身でも、これだけは伝えたかった。今まで父さんを傷つけたこと。あの時の僕も謝りたいと思っていた。何だ、頭が冷えただけじゃなくて素直にもなれていたんだ。そして独り言のつもりが当の本人の前で伝わっていた。嬉しいような、恥ずかしいような、残念なような。

 続けて一字一句じっくりと読み進め、ようやく最後のページになった。自然な運びでページをめくって目を通す。


『僕は父親になれなかった。自分は父親のつもりでいたのに、和也にとって父親じゃない。そりゃそうか。息子を一人ぼっちにさせて何が父親か。僕は父親としての責務を怠った。和也とろくに触れ合うこともせず、生活費を与えて生活を成り立たせただけ。旅行に行ったこと、保護者同伴の式典に参加したこと、誕生日を祝ったこと、レジャー施設で遊んだこと、キャッチボールをしたこと、親子水入らずの相談事。どれも記憶に無い。だから和也は本当の両親を知らぬまま育ってしまった。父親として傍にいれなかった。不甲斐ない、情けない、美幸に顔向けできそうもない。すまない。すまない和也。いつの間にか父親になるためではなく、和也のためになることだけを考えていた。そんなのは父親ではない。遅いのは分かっている。今日からでも父親として一から始めてみようと思う。できる限り、お前の傍にいさせて欲しい』


 目頭がじわじわと熱くなる。瞼の裏に涙が溜まっていくのを感じた。


「ホント・・・頑固だよね。決めたことは、どうあっても成し遂げる。・・・融通が効かなくて仕方ないや」


 呆れて笑ってみせると雨のように涙が落ちていく。視界が揺れてよく見えないが、涙の受け皿となった日記は大層ふやけていることだろう。

 その時、啜った鼻腔をあの香りが擽った。


「あぁ」


 春が、迎えが来たようだ。


「これで仲直りできたってことで良いのか、僕達は・・・ははは」


 風に運ばれてきた一つの花びらが日記を飾る。


「もう一度、父親をさせてやれなかったのは残念だけど、親子の関係は修復できたみたいだし。御の字だよなぁ。父さん」


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