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おしまいへの逃げ道-2

 ドサッ


「いっ・・・!」


 全身の前面が硬い物に打ち付けられた。自分が思い描いていたものより温い衝撃だ。僕はこの衝撃で死ぬはずだったのに、まるで転んだような痛みじゃないか。

 目を開けると、そこには砂利があった。起き上がって周りを見回すと、後ろで列車が轟音を立てながらすごい速さで通過し、そのまま去ってしまった。僕は線路の脇に転がっていて呆然としていてしまう。ホームの上の牛頭も信じられないと片眉を上げている。


「どうゆうことだ・・・?」


 僕はそこまで飛んでしまったのか?でも僕の体は線路へと落ちていたはず。すぐ横には電車が迫っていた。あの状態でここまで移動するのは想像できない。


「地獄からの御足労、お疲れ様でございます」

「!!」


 耳に優しいあの声が静寂を切り裂く。牛頭が刀を抜いて後ろを振り向いた。刀を構えるその姿は肘や肩がガチガチに張っている。まさか恐れている?自己防衛に走るほどに殺気立っているのだろうか。

 牛頭の視線の先を辿ると、絹子さんがいつもの佇まいで微笑を浮かべていた。


「絹子さん・・・」


 絹子さんはこちらに笑顔を送ると、警戒する牛頭に向き合う。


「貴方の死者を一刻も早く裁きの元へ連れて行くべきと言うお考えは重々承知しております。ですがこのお方は、必ずや今日中に心の重荷を降ろします。貴方が刀を振るわずとも、ご自分の足で裁定の場に赴きますでしょう。どうかこの場はお引取り願えませんでしょうか」

「・・・・・・・・」


 牛頭の目には余裕の色が無い。刀を握る手が小刻みに揺れている。やがて無言で刀を納めると、踵を返して歩き出した。


「ご慈悲の心、ありがとうございます」

「・・・貴様の相手をする位なら、あの外道陰陽師と出来損ないをまとめて相手にした方がずっとましだ」

「お褒めの言葉としてお受け取り致します」


 地を這う牛頭の声に、絹子さんは何食わぬと言わんばかりだ。すると牛頭が徐に振り向く。その表情は僕も肩をびくりと揺らしてしまう気迫があった。


「貴様には極楽も地獄も輪廻転生も!どの道も用意されてはいない!重すぎる業を背負った貴様を十三仏は既に匙を投げている!判決を受けずに流れ着く貴様の魂が行き着く先は恐ろしい完全なる無の世界!忘れるな!貴様の末路に安寧など無い!」


 絹子さんは喚く牛頭を聞き分けのきかない子供を相手にするように目を細める。


「元より、私の居場所はこの生と死の境界線上でございますれば。この世界で役目を果たし、その過程で死んで行く。ただ、それだけのことです」

「勝手に作り上げた世界に随分とご執心だな。天上の神仏に与えられた力を我が物顔で乱用するなど厚顔無恥も甚だしい!」

「御仏に与えられたこの力を乱用したつもりはございません」

「笑わせるな!元ある役目を果たさず、この世界を誰の許しも得ずに創造した!そして神界にも帰らず、亡者の魂が行くべき道を悪戯に増やす!これでもまだ神々への不敬と認めないつもりか?」


「答えろ!道祖神、牡丹!」


「道祖神・・・?牡丹・・・?」


 本で少しだけ読んだ。道祖神とは子孫繁栄、旅、交通安全の神様だ。子孫繁栄祈願や厄災の侵入を阻むために、主に道の辻に祀られている民間信仰の石仏。自然石、もしくは石碑や石像等の形状だ。

 それが絹子さん?しかし牛頭は彼女を牡丹と呼んだ。絹子さんの名は偽名なのだろうか。額に汗を滲ませる牛頭が嘘をついているようには見えない。じゃあ、絹子さんは神様だと言うのか。


「私は神々への奉仕の意でこの世界に留まっています。今や現世に齎す未練の魂魄は増加の一途を辿り、現世の人々に害をなしている。それは人々の健やかな日々を願う御仏の本意ではありません。叱咤されようと、己の身がいかなる末路を迎えようと、私はこの行いを止めることはできません。全ては御仏と、御仏に愛された人々のためですもの」


 凛とした態度の絹子さんとは対照的に、牛頭は相変わらず切羽詰まった表情だ。強大な物を目の前にして、恐れ戰いているようだ。それでも牛頭は噛み付くことを止めない。口から絶えず怒声を上げる。


「神風情め・・・!路傍の石に常世、黄泉を分かつ大役を命じられたのだぞ!その恩恵を身の程知らずにも蔑ろにした貴様の愚行!天上の高みにおわす神々への冒涜以外の何物でもないわ!」

「貴方がいかに死の世界に尽くしたとしても、鬼と神の身の違いは明白です。どうか口を慎みあそばせくださいませ、獄卒衆の牛頭。これは道祖神としての言葉ということをお忘れなく」

 微笑みを崩さない絹子さんの表情に抑圧感が帯びた。微笑みと合わさって洪大な風格を感じさせる。

「くっ・・・!」


 忌々しげに顔を歪めると、牛頭は駅から去って行った。


「・・・・・・・」


 絹子さんに顔合わせできない。ホームに上がろうなんてことも勿論、無理だ。座り込んで黙って項垂れていると、僕の頬を何かが押さえる。ハンカチだ。ゆるゆると顔を上げると、目の前に絹子さんが膝をついていた。絹子さんが頬についた汚れを優しく拭き取る。しかし、その整った顔は怒っていた。いつも笑っている彼女が無表情だなんて怒っているとしか解釈できない。


「何も話さずに、こんなことをなさるなんて勝手が過ぎましょう」

「・・・・・すみません」

「何のために私共が、貴方のお側にいるのです。ここまで思いつめてらっしゃたのなら言って頂かなければ困ります」

「だって・・・言いたく」

「言いたくないではありません」

「う・・・」


 初めて聞く絹子さんの怒った声に思わず萎縮した。


「いつかのお客様はこう仰ったはずです。心の重荷を下ろすために、この家に世話になると。それがどうでしょう。和也さんは心の重荷を下ろさず、その際に私共の力添えも受けておりません。何一つ宣言なさったことを成し遂げてはないではありませんか」


 確かにそう言った。だけど、この問題は自分が向き合えていないことが原因だ。自分が変わらないとどうにもならない。自分の問題に誰かに迷惑をかけることはしたくないんだ。


「どうにも、ならないですよ・・・こんなの。自分がどうにかならなきゃ解決しない。自分の問題を他人がどうにかできるわけないじゃないですか・・・!」

「誰かと共に解決できない問題なんて聞いたことがありません。誰かにご自分の弱みを見せたくない一心で問題を隠されてしまうと、確かにどうしようもありませんが」


 胸にぐさりと刺さる。彼女が突きつける言葉はぐうの音も出ない正論だ。何も言い返せず肩を落とすと絹子さんに手を握られ、顔を上げた。


「和也様、貴方の背負ったものはご自覚なさる度に重みを増してしまいます。重くなっていく荷物を一人で抱えてしまえば、やがて押しつぶされますでしょう。更に、貴方のその荷物は心が背負っています。即ち、押しつぶされるのは貴方の心。心を押しつぶすことは想像できなほどの痛みを伴います。そんな末路を迎えて苦しむ和也様を・・・見たくはないのです」


 絹子さんの顔が悲しそうに歪む。ああ、僕が彼女をこんなに悲しませてしまったんだ。再び胸が痛み、頭がくらりと揺れた。そんな僕を支えるように絹子さんの手に力が入る。


「ですから、共に背負いましょう。貴方の荷物を分け合うだけで良いのです。どうか・・・どうか、これ以上抱え込まないでください。・・・心を、殺さないで」


 彼女の悲しみを滲ませた声に、僕がやってしまった愚行の数々が後悔の念になって胸にこみ上げる。

 大粒の涙が滝の如く流れ出る。ポロポロ落ちる涙が砂利を濡らした。目をきつく縛っても涙は止まらない。絹子さんはそっと瞼にハンカチを押し当て、涙を吸い取る。


「ごめっ、な・・・さ・・・。ご、め・・・なさい」


 何度も何度も謝り続けた。しゃくり上げた声ではまともに成り立っていなかったが、それでも子供のように謝った。

 後ろで電車が二本ほど通過した頃には涙も収まり始め、もう大丈夫ですと伝えた。すると絹子さんは立ち上がって手を差し出す。


「戻りましょう。家の者一同、貴方を待ち侘びています」


 残った涙をぬぐい、その手を取った。華の笑顔に負けじと笑ってみせる。


「はい・・・!」


 駅を出て沈みかける夕陽を背景に絹子さんと並んで帰路に着いた。今度こそ前を向いて。


「そう言えば、さっき僕が電車に撥ねられなかったのって絹子さんのおかげなんですか?」

「えぇ。これでも道祖神ですから」


 彼女は結構すごい神様だったんだ。今まで普通に接していたが、こうも近くにいると恐れ多く感じてしまう。さっきのは高位の鬼と神様だが、今は凡人と神様だ。


「助けてくれて、ありがとうございました。でも、あれはどうやって・・・」

「和也様の前の空間に、線路の外へ繋がる異空間を用意して通って頂いただけです」

「異空間、って・・・作れるんですか」

「旅を司る神ですもの。道ならどこにでも作れますよ」


 無邪気に得意気だが、とんでもないことをさらっと言われた。神格の貫禄を見た気がする。


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