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一日目

ふわっと春の香りが鼻腔を擽った。

鼻先を風に撫でられて目が覚める。朝を告げる雀の声が聞こえ、窓に首を回す。外には入道雲が伸び伸びと壮観な晴天に広がっていた。窓のそばには蚊取り線香の燃えカスが残っている。

昨日は確かこの部屋で夜を泣き明かし、眠りにつくまで絹子さんについてもらっていた。そこから記憶は無いが、自分は敷布団の上に横になっている。頭の下には蕎麦殻枕、体にはタオルケットがかけられていた。武之さんあたりに布団の上に転がされたらしい。

さっき感じた春の香りは何だ?この蒸し暑さと蝉のけたたましさは夏の中でおかしなものが混じっている。微かな風を纏った香りを辿ると、頭上の丸窓障子の隙間から漂う。タオルケットから這い出て窓に近付き、そっと障子を開けて顔を覗かせた。

外から髪を靡かせる柔らかな風が吹き込んだ。


「―――――え・・・」


窓の外は鮮やかな色彩が広がる花畑があった。

多種多様な色が自然に隣合い、お互いの色を邪魔し合うことなく映えている。こうも花々で埋め尽くされていると、少し色が食い違うところもありそうだが全く見つからない。完璧な花畑だ。その花の群れが、この家の裏に果てしなく広がっていた。


「すごい・・・」


思わず感嘆のため息と声が溢れた。感動のあまり息が震える。この家にこんな場所があったなんて驚きだ。その時、花畑の中に動く人影が頭を出した。あの頭の麦わら帽子に見覚えがあった。


「富助さん?」


富助さんと思わしき人影はせっせと水を撒いている。花に輝きが加わり、更に美しくなっていく。水の重みでゆらゆらと揺れる様は無邪気に喜んでいるようだ。

そう言えば彼は役職を庭師と言っていた。縁側の庭を任されているとばかり思っていたが、こちらも任されているのか。いや、もしかしたらこっちの花畑の手入れの方が本職かもしれない。


「お客様、お目覚めですか」


外に目を奪われていると、襖の向こうから声がかかった。澄江さんだ。


「起きてます。おはようございます」

「おはようございます。朝餉の準備が整いました。居間の方へ降りてきてください。お召し物は枕元に置いてありますので、そちらに着替えてくださいね」

「はい、分かりました」


忙しそうに階段を降りる足音が遠ざかって行った。枕元にはカッターシャツと、少し色褪せた黒のズボン。着替えを済ませて、早急に昨日のことを謝らなければならない。自分は手早く帯を解いた。


 階段を降りると朝食の香りが迎えてくれた。優しくて暖かい。香ばしくも甘い。顔も覚えていない母を懐かしんでいると、早歩きで台所に向う澄江さんと出くわす。昨日のことを謝ろうと口を開いた途端、まあ!と大きな声で遮られてしまう。


「大変!目元が真っ赤」


 見事に泣き腫らしてしまったようだ。大の大人が少女の手のひらで随分と涙を流した。


「すぐ冷やさないと!冷やした手ぬぐいをお持ちします」

「いや、今は朝食の準備でお忙しいでしょう。特に痛みを感じませんし、大丈夫です」

「そうはいきません。腫れは早く引くに越したことはありませんからね。居間で待っていてください」


気迫のある澄江さんに頷かざるを得ない。台所の暖簾を潜っていく彼女を見送り、居間に向う。すると、暖簾から顔だけ出した澄江さんに呼び止められた。


「そうそう。今朝お届け物が送られてきましたよ」

「お届け物?自分にですか?」

「はい。他の者は誰も心当たりがないそうなので、恐らくお客様への物かと。座卓の上に置いてありますからね」


記憶もない自分に物を届ける人が存在するものか?疑問に思いながら居間に入る。座卓の上には人数分の伏せられた茶碗とコップと箸、そしてもう一つ。


「眼鏡・・・」


なんの変哲もない黒縁眼鏡が一つ。これが贈り物?まさか隣の食器が贈り物なわけがない。なら何故、眼鏡が送られてきたのだろう。


「それは落し物ですよ」


庭から富助さんがジョウロを右手に立っている。もう片方の手は手ぬぐいで汗を拭っている。


「おはようございます。良い朝ですねぇ」

「おはようございます。これは自分の?」

「恐らく清水の辺りで落とされたのでしょう。現世とこの世界を繋ぐ道中で落とした物が翌日に玄関の前に置いてあるのです」


 それはありがたい話だ。自分はあの空間にもう一度行くことは、きっとできない。あそこで忘れ物をしようものなら、その人がいない限り諦めるしかない。


「そんな親切な方が・・・一体どんな方が送ってくれるんですか?」

「さあー?」


富助さんが不思議そうに首を傾ける。


「え?さあ、って」

「朝起きたら置いてあるだけで、誰もそこにはいらっしゃらないもので。それがお客様の私物だったこと以外無いのですよ。で、無条件にお客様の落とし物と」


届けてくれる人が誰かも分からないのに、すんなりと受け取ってしまうようだ。それが客のものであるなら受け取らざるを得ないのは分かるが、あっさりしすぎじゃないか。だってその人は普通じゃないだろう。


「送ってくる人がいるなら、あの空間に出入りできる人ってことになりますよね」

「身共らには真似できない技ですなぁ。これは誰かが送ってくれるのか、勝手に送られてくるのか、それすらも分からんもので。そんな人が存在するかも不明です」

「どっちにしろ、とてつもない謎では・・・」

「はっはっはっ!ごもっとも」


陽気に笑っているが、こちらは口の端がヒクつく笑いしかできない。異空間を行き来できるなんて次元違いすぎる。


「落し物は身につけないのですか?折角ですし、かけてみては?」


自分の物かも不確かだが、奨められるまま眼鏡をかけてみる。


「あれ」

「おや?」


眼鏡をかけても、かけなくても視界は同じだ。


「これ、度が入ってないみたいで・・・」

「ほほう、伊達眼鏡ですか」


考えてみたら、今まで自分の視界は特にぼやけていない。当然と言えば当然か。


「あっても無くても支障がないなら、かける必要は見当たらないでしょうが・・・如何なさるおつもりで?」

「かけておきます。これを付けておけば思い出すことがあるかもしれませんし」

「えぇ、えぇ。それがようござんしょう」


どこか慣れ親しんだ眼鏡に早くも愛着が沸き始めていると、澄江さんがパタパタと足音を立てて居間に入ってきた。水を適度に含んだ手ぬぐいと朝食のおかずを乗せたお盆を手にしている。後ろには手伝わされているらしい、不服そうな武之さんが御櫃を手にしていた。昨日とは違って、ワイシャツと黒のスーツズボンを着ている。つなぎを着てくると思っていたのに、彼は肉体労働者じゃなかったのか?


「おはようございます。武之さん」

「おはようございやす。しけた面お見せして申し訳ありやせんが、何分こいつは朝から人使いが荒くって仕方ねぇもんで」

「男子のくせに、だらしがない。食事の配膳を手伝う力も無いのかしら」

「寝起きは頭がちゃんと働いてねぇんだ。うっかり飯をぶちまけても寝起きのあっしに任せたおめぇの責任だからな」

「その時は私と貴方の朝食が抜きになるだけよ」


また一悶着起こりそう。この短期間で二人の争いを察せるようになるとは自分も慣れたものだ。


「自分も手伝いましょう。ご飯よそいますよ」

「おぉ、そいつぁ助かり、あでっ!」

「お気遣いは大変嬉しいのですが、まずは目元を冷やしてくださいな。どうぞ、手ぬぐいです」

「あ、ありがとうございます」


 優しい笑顔が気の強い表情に変わってキッと武之さんに向けられる。


「ご飯をよそうのは貴方の役目よ。サボりも手抜きも許しませんからね。きちんと均等によそいなさい」

「へーへー。だから一々頭を叩くなっての」

「富助さんはお漬物をお願いします」

「はいはい、ただいま」


澄江さんの指示に各々が従っている。自分も目元を冷やすようにという指示の通りに。でも寂しいような、落ち着かないような。この中で自分だけが仕事をせずに自分の目を癒している。他の人は任された仕事をこなしている中で、自分は何の仕事もしていない。それだけで胸がもやもやする。

濡れた手ぬぐいで視界を覆う。それでも忙しそうに動く音や声が聞こえる。どこか肩身の狭さを感じて目元を抑える手に力を入れる。


「強く押し当てては腫れが引きませんよ?」


清らかな声音と共に、手ぬぐいを抑える手を絹のような柔らかい何かが添えられた。そしてゆっくりと手を顔から離される。開け放たれた眼前に、視界いっぱいの絹子さんの整った顔が広がっていた。


「き、きぬ、こ、さん」

「はい」


寝起きにこの美しい少女の眼差しを一身に受けるのは心臓に悪い。今すぐにでも意識を手放して休んでしまいそうだ。


「お。おは、おは、おはよう、ご、ござい、ます」

「おはようございます。よくお休みになられたようでなによりです」


 昨日の夜、眠りにつく前の光景が脳裏で蘇る。一回りも年下の少女にあやされる自分が、その姿を全てこの美しい少女に間近で見られてしまったことが凄く恥ずかしい。


「冷えた手ぬぐいとはいえ、強く押し付けては目を痛めてしまいます。程々になさってください」

「は、は、は、はい」


このままでは目元だけでなく、顔全体が真っ赤になって不審がられてしまう。返事を終える前に手ぬぐいを顔全体に押し当てた。みるみる手ぬぐいが温まる。彼女の美しさに慣れるのはまだ先になりそうだ。いや、これは突然、顔を近づけられた不意打ちだから。普通に顔を合わせればこうはならなかった。強く自分に言い聞かせるも、今度は全身の温度が上がっていく。絹子さんが心配そうに声をかけてくれるが、顔を合わせられそうもない。震える声でつっかえながら大丈夫ですと伝えるのが精一杯だ。

目元を冷やすつもりが、全身を冷ましている間に食事の準備が整っていた。麦の少し入ったご飯、わかめと豆腐の味噌汁、鮭の切り身、だし巻き卵焼き、ほうれん草のおひたし、そしてきゅうりと大根の漬物。

きちんと揃えられた食卓を見て、すっきりしない感情が心をつっつく。それを振り払い、背筋を正した。三人と絹子さんは既に席についている。


「それでは皆さん。おはようございます」


絹子さんの声に、全員が乱れなく異口同音で挨拶を返す。自分も勿論、同じく挨拶をした。


「昨晩言ったとおり、お客様の記憶は不安定なようです。心の重荷とはお客様ご自身でも見つけるのは難しいもの。記憶が失われている状態で心の重荷を下ろすことは大変難しいでしょう。今回は今までより長く時間を要することになるかもしれません。ですが貴方たちはいつでもお客様の心を軽やかにする仕事に全力で勤めています。変わらない方法で接することを心がけましょう。今回も同様にお客様のお力になれるよう尽力してください」


 使用人の三人は大きく頷く。


「確かに。記憶喪失でこの家に来られたお客様は初めてでも、心の荷物の降ろし方はいつだって同じようなものです。いつもよりのんびり、気長にやれば良い」

「そうですね。あとは蔵の棚が記憶を取り戻す手段になります。ただ、記憶を失われた状態の蔵はどうなっているのかしら。変わらずにあると良いのですが・・・」

「あっても数は雀の涙ほどだろうよ。そこから記憶を辿って、本題の心の重荷の話に入るなら、やっぱ長く時間はかかるが」


今後の方針で四人の話は続く。こうも真剣に話し合ってくれているところを見ると、昨晩の罪悪感が自分をちくりと刺す。


「あの」


控えめに右手を挙げると、全員がぴたりと話を止めてこちらに顔を向けてくれた。


「少し、良いですか?皆さんにお話したいことがあります」


ひと呼吸おいて膝に両手を付き、頭を下げる。


「昨日は取り乱して申し訳ありませんでした。初対面であんなに良くしてもらったのに、つい頭に血が上ってしまって・・・」

「こちらこそお客様にはあまりにも心のない言葉でございました。ご客人のお怒りは当然のことと身共らは存じ上げます」

「いいえ。皆さんは記憶を失って右も左も分からなかった自分を迎え入れてくださった。それがどんなに救いになったことか・・・。あのままいたら自分は心が壊れていたでしょう。皆さんのお心遣いが自分を助けてくれました。だから、あの態度は自分が許せない。ありがとう。それと・・・ごめんなさい」


朝から温めていた言葉がようやく言えた。心に安堵が染み渡る。


「ご客人、どうか頭をお上げください。では、こうしましょう。ご客人が昨日のことを反省してらっしゃるように、身共らも昨日のことは反省しております。ですからここは一つ穏便に、お相子と」

「・・・それなら心が幾分か楽です」

「そう言って頂けると、身共らも心が幾分か楽です」


頭を上げて子供っぽく微笑む富助さんに、こちらも口元が緩む。すると武之さんが自分と同じように右手を挙げる。


「旦那。ってぇと、あっしらの話を信じてくださるんですかぃ」

「正直、半信半疑です。でも、その判断は記憶を取り戻してからが確実でしょう。記憶を取り戻せば自分の生死も信じられる。皆さんが仰る心の重荷も、取り戻す過程で分かるはず。だから、今は自分は死んでいると仮定します。その上で心に抱えた重荷を降ろすためのこの家に、お世話になりたいと思います」


ここはもう一度頭を下げる場面なのかもしれないが、今度は下げない。力強く家の人たちを見つめる。強く決めた決意を零さないように、背筋にも力を入れた。


「これから、よろしくお願いします」


少しの間を置くと全員が体をこちらに向けた。絹子さんと澄江さんは両手を畳につき、武之さんと富助さんは自分と同じように両手を膝に付ける。


「家の者一同、貴方の助けとなれるよう誠心誠意のご奉仕をさせて頂きます。快適な生活も、記憶を取り戻すお手伝いも、心の重荷を降ろす力添えも、全力で。こちらこそ、よろしくお願い致します」


お願いします、と三人が力強く続く。自分も力強く返事を返した。


「さあさ、朝食が冷めてしまいますよ」


 絹子さんが明るく手を合わせるように促す。


「では皆さん、お手を合わせて。いただきます」

『いただきます』


昨日と同じく、一番初めに箸をつけたのは武之さんだ。澄江さんが冷ややかな視線で咎め、それを見守る富助さん。ようやく、この食事の風景に自分もとけ込めた気がする。昨日はあまり味わえなかった、この食卓の味はどんなものだろう。まずは暖かい味噌汁を啜った。


「おいしい・・・」

「まあっ!本当ですか?」


つい溢れた言葉に澄江さんが嬉しそうに反応する。


「は、はい」

「ありがとうございます。そう言って頂けると作った甲斐があります」


昨日の夕食は混乱ばかりで味わうことに頭が行かずにいた。澄江さんの笑顔を見ると、丹精込めて作った食事なのだと思い知らされる。こんなに暖かくて美味しい食事を味あわなかった昨日の自分に意地悪く自慢してやりたい気分だ。


「安心しました。お顔が浮かばれなかったのでお口に合わなかったらどうしようかと・・・」

「すみません。昨日はそんなつもりじゃ・・・」

「でしたら言って頂かないと困ります!食を安心して楽しんで頂けるよう、努力し、研究し、試行錯誤を重ねることこそ私の使命!何かご要望がありましたら遠慮なく!必ず仰ってくださいな!」


身を乗り出す勢いで熱弁する澄江さんに後ずさる。自分の心配は杞憂だったようで、ほっと胸をなで下ろす。富助さんが笑いながら話に入ってきた。


「澄江さんの料理はいつでも極上の味なんですがね、次の日の食事は必ず味が上達しているんですよ。きっと極上の味の概念を上書きしてくれているのでしょう」

「いやですわ。富助さんのおいしい漬物にも助けられているのですよ。この方はいつも料理に合った漬物を出してくださいます。私の料理は富助さんの漬物があって初めて成立するんですから」

「ははは、これは照れてしまいますなぁ」

「誰かさんなんて何も言わずに食べるだけですもの。味に無頓着なのかしら」


 ちらりと横目でご飯をかき込む武之さんを見る。


「あぁ?一心不乱にがっついているだろ。味に満足している以外の何だってんでぇ」

「そう思っているなら美味しいって言ってくれても良いじゃない。言葉に表さないと伝わらないわ」

「察しが悪ぃな。言葉にする時間も惜しいくらい病みつきになる味ってことの表れだ」

「もう。調子のいいことばかり言って」


自分の隣にいる絹子さんも味噌汁を啜ると満足そうに頷く。


「澄江の料理に富助の漬物が必要不可欠なら、洋食にあった漬物も作り始めないといけませんね」

「えぇ、身共も極上の漬物を目指しましょうかねぇ」

「洋食も作るんですか。すごいですね」

「お恥ずかしながら発展途上中です。手を出し始めたばかりの未熟者ですよ」

「謙遜が過ぎますよ、澄江。当初に比べて洋食の腕も大変様になってきています。先日のオムレツは素晴らしい出来でした。とても美味しかったですよ」


絹子さんの賞賛に、言葉にならない感嘆が澄江さんを震わせている。瞳の中の星が微かに揺れている。これ以上ない感動と言わんばかりの嬉しそうな顔だ。


「食に携わる者にとって『おいしい』は最高の誉れ・・・そのお言葉を他の誰でもないお嬢様より頂けただけで澄江は幸せでございます!勿論、気を抜くことなく精進を続けます」


頼もしい言葉に絹子さんは微笑みを絶やさない。


「立派な心がけです。今後も安心して貴女に食事を任せられます」

「ありがとうございます、お嬢様」


この二人は、上下關係がなければ姉妹にも見えてくる。二人してこの美しさだ。親類くらいには誤解されるだろう。二人の会話に和みながら、ほうれん草のおひたしに箸を伸ばした。

それから一品と残らず食べ終えていく。最後の卵焼きを咀嚼し終えると両手を合わせて、ごちそうさま、と頭を下げる。


「お粗末様です」

「ややっ。米粒一つ残さず完食ですな」

「はい、とても美味しかったです」

「ありがとうございます。一つひとつ丁寧に召し上がってくださったので嬉しいです」

「確かにご客人はお箸の持ち方もお手本のようで。礼儀正しい所作でしたね」

「どっかの誰かに小言言われる前に退散、退散、ごっそさーん」


 既に食事を終えた武之さんは後ろに置いてあったカバンを肩にかけて立ち上がる。仕事に行くのだろうか。そのまま立ち去ろうとするのを澄江さんが止める。


「待ちなさい、お弁当を忘れているわよ」

「おっと、いけねぇ」


座卓の近くに用意してあった弁当と水筒を武之さんに渡す。弁当は紫の無地の手ぬぐいで包まれている。


「これでお昼もしっかり務めを果たしなさい。真面目に取り組むのよ」

「元より承知だ」

「今日も日差しが強い日になりましょう。どうか冷たいお水を忘れずに」

「抜かりなく、水筒は準備万端ですぜ」

「くれぐれも怪我には気をつけるんですよ」

「お気遣いありがとうございやす、奥様」

「い、行ってらっしゃい」

「へい、行ってまいります」


弁当と水筒をカバンに入れながら頭を下げ、人懐っこい笑顔で家から出ていった。彼は何の仕事をしているのだろう。昨日の様子から肉体労働だとは思うのだが。


「さてと、私も後片付けに取り掛かりますね」


武之さんを見送ると、澄江さんは間髪入れずにお盆を取り寄せて食器を乗せていく。隙間なく多くの食器を運べるようにと心がけた手つき、実に効率的な積み方だ。


「あ、後片付けなら自分が」

「いえ、こちらは私にお任せください」

「でも何もしないわけには・・・」

「お客様にはこれからお嬢様の案内がありますので、どうぞそちらへ」

「案内?」

「お嬢様、お願いします」


既に後片付けに取り掛かりながら絹子さんを目で示す。二度もやんわりと手伝いを断られてしまった。ちょっとへこむ。そんな自分の背後から絹子さんが声をかける。


「それでは、お客様。これより貴方の記憶を取り戻す有効な手段をご紹介いたします」

「記憶、ですか」


 死ぬ前に全て抜け落ちてしまった奇妙な自分の記憶。現状をややこしくしている大きな一因でもある。何があって自分は死んでしまったのか。知りたい反面、少し怖い。だが、このまま停滞したままでいるのはもっと嫌だ。これから助力してくれるこの人たちのためにも、進めるときに進みたい。


「よろしくお願いします」

「はい。まずはそのための場所にご案内いたしましょう」


彼女の先導で富助さんに見送られながら居間を出て、何度か廊下を曲がる。絹子さんはしずしずと足音を立てずに廊下を歩く。つられて自分も極力、音を立てないよう後に続いた。

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