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お別れ-2

「お二人さん、こっちでさぁ。付いて来てくだせぇ」


 状況を理解できていない僕と陽太君は顔を見合わせる。とりあえず二人の後を付いて行く。

 玄関を出て庭を通る。庭の奥を右に進むと裏の庭に行ける細い道になっているはず。しかし奥の塀には見慣れない扉があった。ここに来てから一度も見た覚えはない。さっき洗濯物を取り込んだ時には確かに無かった。


「あの、ここに扉ってありましたか?ちょっと見覚えが無いんですけど・・・」

「ささ、この先になりますぞ」


 僕の言葉を華麗に無視して扉を開く。富助さんのこんな強引さは今まで見たことがないので衝撃を受けていると、目の前に更に衝撃的な光景が広がった。


「えっ・・・すご、えぇっ?」

「これって、花畑・・・!」


 扉の向こうには、いつか見た広大な花畑が遥か彼方の地平線まで続いている。初めて見た時から時間が経っているにも関わらず、その美しさは全く衰えていない。この色とりどりの花畑には一体、何種類の花があるのだろう。


「ここはご客人が心の重荷を下ろした際に現れる、死の世界によるお迎えの場所。あの先は完全な死の世界となります」

「前に見た花畑って、これだったのか・・・」

「おや、ご覧になられておられましたか。実はこの花畑は朝日を浴びるために、晴れの日の朝方にのみ例外で現れましてな。身共も合わせて水やりを行っているのですよ」


 なるほど。今まで富助さんの庭師の肩書きにしっくり来ていなかったが、ようやく分かった。畑で野菜を作る人の役職は庭師ではない。庭を整備してこそ庭師だが、その姿をほとんど見たことがなかった。本当は庭師の意味を履き違えているんじゃ?そんな疑問が何度も脳裏を過ぎった事があった。しかしそれは整備すべき庭が神出鬼没だからだったんだ。この花畑の手入れが本職で、野菜を作ったり縁側に面した庭の整備が副職。富助さんの本当の仕事はここにあったのか。

 勝手に一人で合点がついていると、後ろから聞き慣れた声がかかる。


「陽太さん!」


 薬を買いに行っていた絹子さんと澄江さんが戻ってきた。駆け足で花畑に足を踏み入れた二人は息も絶え絶え。特に着物姿の絹子さんは辛そうだ。息切れをする絹子さんの背中を澄江さんがさする。


「はぁー、良かった。お見送りに間に合いましたね。お客様もお変わりなく安心しました」

「ご心配をおかけしました。お陰様で傷一つありません」

「陽太さん、心の重荷を下ろすことができたのですね。でも、その時を見届けらなかったのは残念でした」

「安心しろぃ、澄江。心を下ろす瞬間ならあっしらがしかと見届けた」

「黙らっしゃい!お客様をお守りできずにいた木偶の坊が何を偉そうにしているの!私はまだ貴方を許した覚えはないわよ!」

「うっ・・・すまねぇ」


 これで家の者が全員集った。澄江さんと武之さんの喧嘩も収まり、改めて四人で陽太君に向き合う。


「本当に、皆さんにはお世話になりました。生前に思い悩んだことを、ようやく断ち切ることができた。これで心置きなく死を受け入れることができます。・・・ありがとうございました」


 深々とお辞儀をして、上げた顔は年相応の柔らかく幼い笑顔だった。


「坊ちゃん、この花畑が現れたことは貴方の心が晴れた何よりの証です。ついに、この日が来たのですな。おめでとうございます」

「はい。富助さんにはたくさんのことを学ばせて頂きました。向こうの世界でも、何かを学ぶ機会があれば積極的に行動しようと思います」

「久しぶりに遊びの指導に熱が入りましたぜ。他のガキ共とは純粋に遊ぶだけだったんでね。自分の手で精鋭を育てる喜びを改めて感じたもんでさぁ。楽しかったですぜ、坊ちゃん」

「武之さんのおかげで、本でしか見たことのない遊びを知ることができました。遊びを学ぶことも、また良い経験です。ベーゴマの試行錯誤、向こうでも続けますね」

「お夕飯を振る舞えずにお別れしてしまうのは少しだけ残念です。この先の世界でも、一日三食のきちんとした食事を忘れないでくださいね」

「美味しい食事をありがとうございました、澄江さん。貴女が一生懸命考えた献立は食の大切さを教えてくれました。この教えはいつまでも胸に刻みます」

「陽太さん、お疲れ様でした。これで問題なく成仏となります。どうかお気をつけてお進みくださいませ」

「この家に来ることができて本当に良かったです。ボクをこの家に迎え入れてくれた絹子さんたちには心より感謝しています」


 一人ひとりが別れの挨拶を交わす。最後は僕の番か。


「あはは。先を越されちゃったか。もう君に先輩風吹かせられないのが残念かな。でも、きちんとお別れができて、お婆さんも安心できたはずだよ。君も悩みが吹っ切れたみたいだし、これで悩み事はすっきり解決できたね」

「ありがとうございます、お兄さん。えへへ、先輩を追い越して卒業しちゃいました。でも、何だかんだ言ってもお兄さんは人生経験の先輩ですから。その辺は安心して先輩風吹かせてもいいですよ、お兄さん」

「お兄さんじゃないよ」

「え?」


「僕の名前は、お兄さんじゃなくて小川和也って言うんだ」


「!」

「お客様・・・!」


 五人が一様に息を飲んで驚く。

 思い出したんだ。僕の本当の名前を。そして忘れていた記憶も全部。それは三途の川で呼ばれた名前をきっかけに、全ての鍵が開錠された。


『それじゃあ、頑張ってね。和也君』


 僕はその人が呼んだ本当の名前で、忘れられた記憶を完全に取り戻した。どうして僕の名前を知っているのか。記憶を取り戻した今となっては、その理由も分かる。


「和也、さん」


 陽太君が確かめるように復唱する。驚きつつも嬉しそうだ。


「やっと思い出せたんですね、自分の本当の名前を」

「名前だけじゃないよ。記憶も取り戻せた」


 苦笑が表れた口からいとも簡単に思い起こした記憶が出てくる。


「僕は生まれた時に母を亡くした。体の弱い母で、僕を生んだショックで死んでしまったんだ。生まれてから暫くは父親に育てられたけど、急に仕事が忙しくなって直ぐに家政婦に子育てを任せた。両親がいない寂しさは小さい頃から強く感じたよ。母さんは死んでしまったから我慢できたけど、父さんは会える機会があるのに会ってくれないって毛嫌いし続けたなぁ。父さんは一緒に過ごせない代わりに不自由のない生活をさせてくれた。美味しい食事や、上等な服や道具。でもそれで誤魔化されている気がして余計に父さんが嫌いになったよ。それでも父さんの忙しさは変わらず、険悪な仲は二十五年にも渡ってさ。死ぬ前にも父さんと激しい喧嘩をしてしまってね。真夜中に家を飛び出した。自分でも驚く程に激しい喧嘩に心神喪失状態だったよ。そんなだから車に轢き逃げされたって今なら納得できる。頭を強く打ってしまって、その時に記憶を失ってしまったんだと思う。轢かれた後に少しだけ意識があったから、そこで記憶喪失は成立したんじゃないかな」


 一気に話し終えると、静まり返る周りに気が付いた。突然の告白ばかりで驚かせてしまったようだ。


「全部、思い出したよ。どうして記憶を失ったのか、どうして死んだのか、何が心残りだったのか、自分は何者だったのか」


 思い出したくて、あんなに頑張った。その記憶を取り戻せたのに、今は何も感じられない。顔には陽太君を祝福する笑顔が無作為に張り付いたままだ。折角の陽太君の門出に、こんな顔をしてはいけないのに。


「和也さん」


 陽太君が僕の手を握った。その拍子に顔に無意味に貼り付いた表情が剥がれ落ちる。


「僕は先にこの先の世界で待っています。そこで一刻も早く貴方の心が晴れることを祈っています。でも、決して焦らないで。時間が必要なら必要な分まで要すればいい。貴方を縛る時間の制限はここには無いはずです。ボクは今、とても安らかな気分でこの場にいます。心の重荷を抱えたまま先へ進もうなら、それは重苦しいものでしょう。経験していなくても分かります。この先へは心の重荷を背負ったまま進んではいけない」

「そう、だね」

「きっと降ろせます。大丈夫。だって、貴方は僕の心の重荷を下ろしてくれた方の一人なんですから。和也さんの心の重荷とも向き合えるはずです」


 そっと陽太君の手が離れた。


「さようなら。いつか、再びお目にかかれるその時まで。お互い元気な姿で会いましょう」


 眩しい笑顔で別れを告げると、陽太君は軽快に走り出した。その後ろ姿は本当に晴れやかな心だと分かる。まるで背中に羽が生えているようだ。

 僕は走って向こう側に行ってしまう陽太君を最後まで見届けた。名残惜しいとか、心配だとか、そうゆう意味でもずっと見続けていた。少し、羨ましくも思えた感情を心の死角に追いやって。


 やがて、地平線の彼方まで走る陽太君の姿は見えなくなった。


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