お別れ
「お兄さん!」
大きな声が頭を揺らし、目を開けた。
「おぉ!お目覚めになられましたぞ!」
「旦那!」
目の前に陽太君と武之さん、そして富助さんが心配そうな顔で覗き込んでいる。
「ここは・・・?」
寝かせた体を起こし、周りを見渡す。ここはいつも食事をする居間の隣の部屋だ。どうやらこの家に戻れたらしい。開け放たれた障子の向こうには夏空が広がっている。先ほどの雨は既に収まり、空は澄み切っていた。そろそろ夕刻なのだろう。青い空に朱色がかかり始めている。
「ご客人、ご気分は?今、お嬢と澄江さんが薬を買ってきています。それまでの辛抱ですぞ」
「いえ・・・特に、変わったところは・・・無いです」
「ははぁ。魂を刈り取られて普通でいられるなんて大したもんですよ」
「魂?」
手渡された伊達眼鏡をかけながら聞き返す。
「奴らが持つ刀は封魔の力が込められていてね。対象の息の根を止めれば問答無用で魂が刈り取れる代物でさぁ」
「刀はご客人の喉を一突きでしたよ。鬼の執念を見誤っていました。死の直前にまで目的を果たそうとするなんて」
「全く申し訳ねぇ。敵に大手をかけられるわ、旦那を危ない目に遭わせるわ。用心棒の名が大泣きでさぁ。こりゃ奥様と澄江のお叱りを受けても、あっしの気が済まねぇ。旦那、いっそ気が済むまでぶん殴ってくれちゃあ・・・」
武之さんは澄江さんと同じことを言って迫る。本当に似た者同士だ、と苦笑しながら宥めた。
「まあまあ、武之殿。この通り、ご客人の体には傷一つとありませんぞ」
「えぇ、本当に大丈夫ですから。刺し傷は・・・え?」
風穴が空いてるはずの喉を触ってみるが、刀で刺されたような跡は無い。
「本来の力ではないのですが、傷を治癒できる式神と契約をしております。それを使って傷穴を塞がせて頂きました。いやあ、こんなこともあろうかと碌でなし共の生命力をしこたま吸い取っておいて良かった。式神に溜め込ませておいて正解でしたな」
「え?あ、ありがとう、ございます」
「いえいえ!どういたしまして」
好奇心は猫をも殺す、と誰かが囁く。聞かなかったことにしよう。この人はやはりどエラい裏の顔を持っているに違いない。
「お兄さん、起きてますか?ボーッとしているような」
「いや、三途の川を初めて見てきたから混乱してるだけ」
「えぇッ!三途の川って・・・」
「うん。でも心の重荷も降ろせてないし、無理矢理連れて来られたならってことで見逃してもらったんだ。あそこまで行ったら本物の死を感じたね」
そこまで言いかけてはた、と口を止めた。まだこの子は心の重荷に苦しんでいるのに、死後の世界を感じさせるのは酷だ。変に考え事を増やすことは避けるべきだろう。
「ごめん。あまりこの世界の先について言うものじゃないよね。まだ心の重荷で悩んでいるのに」
「いいえ。むしろタイムリーな話題ですよ」
「タイムリー?」
返事の意味を理解できずにいると、陽太君は徐に立ち上がった。
「お兄さん。帰ったら言うつもりだったのですが・・・ボクは今日、お婆さんにお別れの挨拶をしようと思います」
「!」
陽太君の言葉に声も出せず驚く。
「ここ数日、富助さんと相談したり、自分自身でも考えました。色々と悩んで、話す内容をきちんと決めたんです。後悔の無いように、お別れを言って心の重荷を降ろします」
幼い目には変わりないのに、揺るぎない熱意が写っていた。初めて会った時の無表情な顔とはまるで想像できない。緊張、不安、期待などの感情が入り混じった多彩な顔をしている。この子は変わったと言うよりも、たくさんの新しい物を得たんだ。
「・・・そっか。決めたんだね」
「はい」
家族が新たな進路へと歩み始めたような感動を覚え、感無量と頷く。
「僕も付いて行って良いかな」
「でも、お兄さんは体調が・・・」
「大丈夫、大丈夫。傷も癒えてるし」
得意げに喉元を見せる。陽太君は困ったように笑って納得してくれた。
「そんじゃ、男四人衆で一世一代の覚悟を遂げに参りましょうや!」
「あ、皆で行くつもりだったんですか」
「勿論、ご客人の心の重荷を降ろす瞬間を見届けずしてどうしますか」
二人の張り切り様に思わず笑ってしまう。陽太君も同様だ。これからたくさん悩んだことを成し遂げようとしているのに、心は穏やかそうだ。
「それで、話をする方法はどんなものなんですか?現世と繋がるってことは、やっぱり大掛かりな術とかが必要なんじゃ・・・」
「そんな難しいことではありません。方法はただ一つ。ある物を媒介に話をする、アレを使うだけでございます」
「物を媒介に話をする、アレ?」
「ええ。現世の方と話すには、あれを使うだけです」
皺が刻まれた人差し指がゆったりと廊下を示す。釣られて僕と陽太君も目を向けた。
「電話・・・?」
廊下に置かれていた黒電話だ。電話帳などが入った、ちょうど陽太君の半分位の大きさの棚の上に置かれている。受話器と本体には緑色の下地に花柄のカバーが取り付けられていた。
まさかこんなに近くに、その方法があったとは思わなかった。廊下を歩く時は、あれをいつも横目に見ながら通っていただけに驚きだ。
「あの電話は現世に微弱な電波を放っています。あまりにも微弱が故に、電話の性能は脆弱。現世との通話となると、時間は三分持つかどうか・・・」
「それと現世での混乱を防ぐために一度きりの通話で勘弁くだせぇ。それも含めると、話せる時間は大きく限られますぜ」
言ってしまえば三分間で心の重荷を下ろさなければ、この手は二度と使えない。ここの人たちなら、電話の方法が失敗に終わっても他の方法を探すだろう。でも、これは陽太君自身のけじめを付けるためでもある。願わくば失敗で終わらせたくないはず。
「長くて三分みたいだけど・・・大丈夫?」
「話せるだけありがたいです。贅沢は言えません。それに、もう伝えたいことは決めてありますから」
心配する僕を逆に励ますように、陽太君お得意の大人びた表情で笑ってみせる。意外にもしっかりした足取りで一直線に電話へ向かった。電話の前で立ち止まると、大きく深呼吸を始める。やっぱり緊張するよなぁ、と苦笑いが溢れる。深呼吸を三度ほどやると、恐る恐る受話器に手をかける。本体から受話器を取り外すと、ゆっくりと一つ一つダイヤルを回していく。何度か回して、名残惜しそうにダイヤルから指を離した。そして震える手で受話器を耳に当てた。
「・・・・・・・・・・」
呼び出し中なのか、微動だにしない。
暫くして陽太君の肩がビクッと震えた。どうやらお婆さんの電話に繋がったようだ。しかし陽太君は何も喋らない。中々話出せず、本人ももどかしいのだろう。受話器のカバーが形を歪む。声をかけたいのは山々だが、こればかりは何があっても口出し無用と暗黙の空気が漂っている。僕たちは心の中から応援することしかできない。
「・・・もしもし」
ようやく蚊の鳴くような声で話し出した。
「・・・・・そうです。陽太です。・・・あぁ、良かった。信じてくれるんですね。・・・お婆さん、僕がいなくなって体調を崩してないですか。・・・そうですか、なら良かったです」
緊張しながらも、陽太君は嬉しそうに話す。さながら久しぶりに会えて挨拶をしているようだ。
「・・・お婆さん。僕は貴女よりも先に死んでしまった親不孝者です。そのことをずっと謝りたく思っていました。ごめんなさい・・・。そんな・・・いいえ、それは違います。確かにお婆さんの教育は厳しかった。小学生には少し辛いものだったかもしれません。でも、そこには必ずお婆さんの愛情が感じられました。両親を失った僕に、両親の愛ある厳しさを教えてくれました。貴女がいなければ、知ることのできなかった愛情です。教えて頂き、感謝しても足りない。・・・はい、本当です。だから泣かないで。・・・・・欲を言えば、まだまだお婆さんからたくさんのことを教わりたかったです。大きくなって、きちんとした学校や会社に行って貴女を安心させたかった。もっと手際よくお手伝いができるようになりたかった。凝った肩を叩いてあげたかった。もっと・・・もっと貴女と一緒に生きたかった・・・。ごめんなさい、ごめんなさい・・・・!貴女を一人にしてごめんなさい・・・悲しませてごめんなさい・・・!」
謝りながら抑えてきた涙をぽろぽろと零す。謝意だけでなく、感謝や離れる寂しさなども込められた涙だろう。陽太君は限られた時間の存在を思い出したのか、言葉を切ると袖で涙を乱暴に拭う。
「・・・ボクはこれから、死後の世界に行きます。でも・・・お婆さんのことが気がかりで、中々逝けずにいたんです。・・・・・はは・・・はい。そうですよね。きっとこれが最後のお叱りです。・・・肝に銘じます。それと・・・お婆さんに伝えたいことがあって留まってもいたんです。・・・はい、たくさんお世話になっていて、挨拶もしないで別れるなんて許せませんから。・・・え?この頑固なところはお婆さんに似たと思いますよ。ははは・・・冗談です」
そろそろ三分が経つ。この会話が尻切れトンボにならないか心配だ。落ち着かずにいると富助さんに背中を軽く叩かれた。大丈夫、と微笑みで諭される。
「お婆さん。まだまだ話したいことはありますけど、この継がりは時間に限りがあります。だから、本当に伝えたい言葉でお別れにしようと思います。・・・・・長く、お世話になりました。ボクは短命でしたが、お婆さんはこれからも元気でお過ごし下さい。短い人生でも与えられた時間を精一杯生きてください。貴女がボクが長く生きることを望んだように、ボクも貴女が長く生きることを強く望みます。・・・・・はい、どうかお元気で」
再び涙が溢れ出したのか、一際濃い涙声になる。流れる涙など気にもしないように、陽太君は頭を下げた。
「今まで・・・お世話に、なりました・・・!」
陽太君は受話器を耳から離した。受話器から電話が切れたことを教える無機質な音が聞こえる。その受話器を本体に戻して立ち尽くす。陽太君に声を掛けようかと迷っていると、富助さんがもう大丈夫でしょうと背中を押してくれた。
「陽太君」
「・・・ちゃんと、話せて・・・良かった・・・です」
「・・・・・うん」
しゃくり上げる陽太君の背中を撫でた。
「お婆さんがっ・・・元気そうで、安心・・・っしました」
「うん」
「電話・・・ありがとう・・・ござい、ました」
「うん」
きつく閉じた瞼から大粒の涙が赤い頬を伝っていた。時折、苦しげに呻いて肩を震わす。
一通り涙を流し終えると再び袖で涙を拭う。瞳に涙は張っているものの、吹っ切れたような顔だ。その顔で僕たちに体を向けた。
「もう、大丈夫です。思い残すことはありません」
「えぇ、そのようですな」
富助さんの言葉に続いて、ふわりと花の香りが漂う。夏も終わる頃だと言うのに、これは春に感じる香りのはず。
「これは・・・?」
「どうやら。お迎えの準備は整ったものかと」
開けられた窓や隙間から春の知らせが家に入り込む。心なしか、暖かいそよ風も感じられる。夏特有の熱を帯びた風ではない。冬の寒さを和らげる日溜まりの暖かさだ。
香りに惚けていると、富助さんと武之さんが玄関に向かう。




