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地獄の使い

 外から小豆を洗う音が聞こえる。最初はそう思った。しかし、その音はあまりにも大きくて、かなり響く。この書庫全体に響いているようだ。


「・・・雨!」


 本を放り投げて一目散に書庫を出る。思っていた通り、外には洗濯物が干しっぱなしだ。大慌てで洗濯物を両手いっぱいにかき集めて、そのままの勢いで縁側になだれ込む。


「あちゃー。結構、濡れてる」


 なだれ込んだ衝撃でシワが増えてはいけない。縁側に上がって抱えた洗濯物のシワを大雑把に払い直す。すると廊下の奥からぱたぱたと足音が近付いて来る。


「大変大変・・・まあお客様!取り込んでくださったのですね。助かりました」

「絹子さん。こちらも一足遅れて気付いたもので・・・この有様です」

「いいえ、むしろこの程度で済んで安心しました。雨でもこの暑さならすぐに乾いてくれますよ」


 居間の隣の部屋に洗濯物を干す綱を張り渡しに行ってしまった絹子さんを見送ると、勢いが止まらない雨雲を見上げた。この様子では暫く止みそうにない。


「富助さんと陽太君、困ってるだろうなぁ」


 トウモロコシの収穫から一週間が経つ。陽太君は段々この家の人、全員と打ち解けられるようになった。特に富助さんには敬愛と尊敬がありったけに込められた懐きっぷりだ。積極的に畑の手伝いをしたり、富助さんの隣の席を確保したり、一緒に風呂に入ったり。夜、布団に入った時にその話題を振ると一日にどんなことを富助さんと一緒にやったとか話し続ける。陽太君が眠るまで話を聞き続けるのが最近の日課になりつつある。富助さんも、ただ和んでいるだけではなく大層嬉しそうだ。孫ができて喜んでいるのだろう。

 そんな二人は収穫できた野菜を富助さんの友人に届けに出かけている。僕の記憶が正しいなら、二人の両手には野菜がどっさり抱えられていた。傘を持てる余裕は無かったはず。今頃どこかで雨宿りをして足止めを食らっていることだろう。その時、綱を張り終えた絹子さんが駆け寄ってきた。


「お待たせしました。後は私が干しておきます」

「あの、富助さんたちは傘を持って行っていませんよね」

「あらあら、本当。そろそろ帰る頃だと思いますが、間の悪い雨ですこと」

「じゃあ僕がひとっ走りして傘、届けますよ。確か、神社の宮司さんのところだったかな。そこまで迎えに行ってきます」


 僕がこの前、澄江さんに悪霊から助けてもらった時に行った神社だ。そこの宮司さんと富助さんは長く続く悪友らしい。話に聞いただけで一度も会ったことがない。これを機に挨拶をしておこう。


「よろしいのですか?お願いします。お二人が雨に濡れては大変」


 僕は返事をしながら玄関に急いで向かう。靴を履いて、傘立てから傘を三本引っこ抜く。右手で自分の傘を、左手には赤と灰色、二本の傘を持って扉を開けた。玄関を出て直ぐに黒い傘を開く。屋根の影から歩み出ると細かい衝撃が傘を打ち付けた。

 出発しようと石畳を進むと絹子さんが縁側から声をかける。


「お客様―、お守りはお持ちになりましたかー?」

「ちゃんと持ってますよー」

「でしたら安心です、いってらっしゃいませー」

「はーい」


絹子さんに手を振りながら答えて門をくぐる。


 しとしと、ざあざあ。

 傘を打ち付ける衝撃も、靴を侵食する水もうんざりだ。時折、眼鏡に飛ぶ水滴を拭う。一定の勢いが衰えない雨が降り続ける。流石の人が賑わう商店街にも人はいない。店に店員の人影が見当たらないくらいだ。外に晒されている野菜や服などの商品にはビニールがかけられている。雨を理由に本格的に休んでいるのだろう。

 いや、これなら頭の中を整理するのにちょうどいい環境かもしれない。


「・・・どうしちゃったんだよ、僕は」


 一週間前から日記の白紙が埋まる速度がとてつもなく早い。今までは一日せいぜい二ページから四ページ。多くて六から八ページは埋まることがあった。しかし美幸が倒れた日記が現れてから必ず十ページ以上は読めるようになっている。その内容は急な展開が綴られていた。


『五月十日 見舞いに行った時、美幸は寝ていた。無理に起こしてはいけない。いられる限り、ずっと手を握って傍にいた。帰る時になっても寝ていた。このまま眠る時間が多くなって、さいごには死んでしまうのではないか。トイレではいた』


『五月十六日 美幸は折り紙を折っていた。千羽鶴じゃない。いろんなものを作っていた。動物や果物。何故かビーチチェアも作っていた。いつか元気になったら、三人で海辺で昼寝をしたいそうだ。僕は折り紙がうまくできなくて笑われた』


『五月二十三日 お腹が大きくなっている。体も弱いのに辛くないかと聞いたら、この子が元気に生まれてきてくれるなら安いものだと笑っていた』


『六月八日 みゆきの声が日に日に弱くなっていく。看護婦によると、逆に眠る量は少なくなった。体の不調で眠れないそうだ。美幸は苦しんでばかりいる。そんなか細い声で元気な姿を無理に演じようとしないでくれ。美幸。みゆき』


『六月十日 お腹の子供は僕に何の音も聞かせてくれない。美幸がお腹を蹴ったと教えた瞬間に耳を当てているのに何もしない。暫くずっと耳を当てても蹴ってこなかった。いつか聞いてみせる』


『六月十三日 美幸が緊急手術を受けた。つわりと一緒に吐血した。美幸も子供も無事だった。でも、これが最後だと医者は言う。次にこんなことがあってはどちらかがしぬ。美幸は死んではいけない』


『六月二十九日 八月の出産が迫ってきている。どちらかの負担を減らすために、切り捨てるしかない。出産をするなら美幸か、子供のどちらかしか助けられないという。どちらかの命が消える』


『     みゆき                』


『七月三日 美幸が子供を助けて欲しいと言い出した。ダメだ。いけない。認められない。だめだよ。君が死んでしまうんだぞ。僕は怒鳴って病院から逃げ帰ってきた』


『七月十二日 どうしてみゆき。どうして。どうして子供を助けてなんて言うんだ。君はどうなってもいいのか。いいわけない。僕は君がいないとだめなのに。お願いだよ。一人にしないで。そんなこと言わないで。いっしょに生きよう。ずっといっしょにいたい』


「・・・・・」


 この一週間で実に三ヶ月の日記が浮き出てきた。美幸は三ヶ月もの間、お腹に子供がいる状態で病気と闘っていたのだ。更に出産を間近に控えて、美幸か子供のどちらかの命を生かすかの選択を迫られている。僕は断固として美幸を助けて欲しいと懇願しているものの、当の美幸は子供を助けて欲しいと望んでいた。お互いが違う望みを主張している。文面からも、荒ぶる筆跡からも感じ取れた。僕はかなり切羽詰っている。読んでいるこちらも同調してしまう。


「っ・・・!」


 歩を進める足が自然と早くなる。水を踏む音が大きくなる。

 美幸の容態の悪化が僕の死に関係しているのか?この先、どちらかの命が犠牲になるのは確実だろう。僕か美幸が下した選択で心を病んで自殺?精神疾患で外を出歩いて事故死も考えられる。真実を知って、心の重荷を知って、それを綺麗さっぱり降ろすことはできるのだろうか。日記を読み終えても心が病んでしまう自信しかない。こんな時こそ、家の人たちに相談するべきじゃないか。でも、何て相談すれば良い?僕はこの日記の結末を怖がっているだけだ。これを何とかしてくれる方法なんて僕にも想像がつかない。


「あぁ・・・もう!」


 果てのない考え事にイライラする。それもこれも記憶を失っている自分の不甲斐なさが全ての発端だ。どうにもできない自分ばかりを見て憤りが止めどなく湧き上がる。これ以上、考えていたら頭が沸騰しそうだ。でも考えなければ、あの家にいる身として先に進めない。本当はもうこんなこと、考えたくないのに。


「そこの」


 頭から冷却水を浴びせられた感覚に足を止めた。自分でも驚く程に頭の熱が引いていく。後ろから雨音の中にも関わらず、しっかりと届く声をかけられた。こんがらがった考えを強制的に遮断されて思わず呆然とする。

 ゆっくり振り向くと、虚無僧の格好をした人物が後ろに立っていた。地を這うような低い声からして男だ。背丈は大きく、僕の身長に頭一つ分は抜きでている。黒い小袖に古ぼけた袈裟、頭には円柱の深編笠。腰には刀を引っさげ、手には頑丈そうな手甲がはめられていた。こんなにも存在感のある人影に気付かないほど考え込んでいたようだ。


「僕を呼びましたか?」

「他に誰がいる」


 そう言えば雨のせいで、辺り一帯は誰もいなかった。それにしても随分と威圧を感じる声と口調だ。


「この辺りに神社があると聞いた。しかし道を迷って困り果てている。案内を頼みたい」

「は、はあ・・・」


 ここらで神社といえば今、僕が向かっている神社しかないはず。


「奇遇ですね。僕も神社に用があったんです。そこまでご一緒しましょう」

「・・・・・」


 返事どころか一言も発せず微動だにしない。このまま案内していいという解釈で良いのだろうか。


「じゃあ、これ」


 とりあえず富助さんの傘を差し出す。


「・・・・・」

「・・・あの」

「どうしろと」

「はい?」

「その手に持っている物をどうしろと」

「へ?いや、使ってください」

「・・・・・」

「見たところ雨具を持ってなさそうじゃないですか。よければこの傘をどうぞ。雨に濡れ続けるのも良くないですよ」


 傘も差さずにずっといたのだろう。この人の服はびしょ濡れで、ありったけの水分が吸い込まれているのが見て取れる。このまま濡れ続けては風邪を引く。何が何でも傘を受け取ってもらいたい。相変わらず相手はぴくりとも動かないが、こちらも辛抱強く傘を突き出し続けた。すると、ようやく虚無僧の腕がこちらに近付く。


「おぉっと。道案内はあっしの仕事ですぜ」


 聴き慣れた声に驚き顔を向けた。虚無僧の腕がぴたりと止まる。

 帽章が輝く黒い制帽、肩章が施された黒の詰襟、腰には帯刀、手には白い手袋。普段知っている姿とはまるで別人だが、かっちりした軍帽の下には見知っている顔があった。厳つさの中にも人懐っこいその笑顔。


「どうも。どこかで道案内を頼む声が聞こえて参上仕りやした」


 どうして隣に立つ武之さんが警察の制服を着ているのか一瞬、理解できずにいた。


「奇遇ですね旦那。こんな大雨の中にお出かけですかぃ」

「た、武之さん」

「何です?」

「武之さんって・・・え、もしかして・・・お巡りさん?」

「へぇ。仰る通り」

「えー!」


 あまりの驚愕の事実に大声を上げると、武之さんは白黒させた目をまん丸にした。


「ありゃ。ご存知なかったと」

「全くの初耳です。初めて会った時に作業着を着てたし、てっきり肉体労働をやってるとばかり思ってました」

「あん時ゃ町からの依頼で大掛かりな修理工事を手伝う時期だったもんで。ほら、その後はちゃんとした格好をしてたじゃあないですかぃ。それに警察官なんて肉体労働みたいなもんでしょうよ」


 からからと笑い飛ばされる。傘を持たずに雨に打たれているのに屈託の無い明るさだ。

 確かに、ある日を境に武之さんは作業着を着なくなり、カッターシャツとスラックスをだらしなく着こなしていた。運動に適さない格好でいいものかと思ってはいたが、まさか警察官の職に就いていたなんて発想には辿り着けまい。


「生真面目たぁ言いやせんが、これでも市民の安全を守る頼れるお巡りさんですぜ。老若男女問わずの人気者でさぁ」

「接しやすいのは・・・まあ、そうですけど」


 いつもの武之さんと言えば澄江さんに怒られて悪態をついている姿。子供のような一面ばかりを見ていたせいで、どうにも受け入れ辛い。


「やっぱり武之さんがお巡りさんだなんて驚きです。工事現場の人とか大工さんにしか思えないなぁ」

「ははははっ!早とちりが過ぎますぜ!何も肉体労働者だけが」


刹那、一筋の風が吹く。

キィンッ

目の前で火花が散った。同時に耳を劈く金属音と一陣の風が巻き起こる。


「は・・・」


 目の前で何が起こった?


「こんな力を持ってるわけじゃあ、ありやせん」


 虚無僧の手に握られた短刀が、武之さんの鞘に収まった刀に受け止められている。何だ?この人は何故いきなり襲いかかって来た?まさか振り下ろした短刀は僕に向けられたんじゃ?


「やいやい、相変わらずの有無を言わせねぇ横暴さじゃねぇか」

「そちらは相変わらずの低脳な様だな」


 言いながら虚無僧は短刀で刀を弾いて後ろに飛び退く。武之さんは呆然と立ち尽くす僕を素早く背に隠した。

 突然どうしたことだ。まさかあの人も悪霊に体を乗っ取られてしまったのか?


「憑き物落としお得意の相手ならまだ可愛いもんでさぁ。旦那、こっから前に出ないでくだせぇ」


 いつもの楽しそうな表情を崩さずに、抜刀して斬りかかる。虚無僧も手馴れた姿勢を崩さず迎え撃つ。全速力で迎え撃つ二人は刀同士をぶつけ合う攻防戦を繰り広げた。一閃、また一閃と火花が散り、絶妙な駆け引きでお互い一歩も譲らない。この人達の太刀筋には一切の迷いがない。こんな迫真の剣戟が演技なものか。素人の目からでも、この場のビリビリした緊張感が痛いほど伝わる。


「ひ、ひぇ」


 また大きく刃物がぶつかり肩をすくめた。やっぱりあれは本物の刃物だ。それを堂々と振り回しているなんて、二人は一体どんな関係なんだ?さっきの口ぶりからして今さっき出会って間もないわけではなさそうだ。いや、それ以前に虚無僧は何者なんだろう。

 頭を駆け巡る疑問の嵐を沈めるが如く、武之さんの刀の切っ先が虚無僧の頭を捉えて横に切りつける。虚無僧の深編笠に長い切り傷が作られ、同時に短刀が宙を舞う。


「人様の前では被り物を取るのが礼儀だと、田舎もんは教わっていねぇのか」


 何で、躊躇いもなく、他人の頭を、切った?

 よく知っているはずの武之さんが恐ろしくなって、逃げるべきだと脳が喚き散らしている。だけど足腰に力が入らなくて地面に尻餅をついてしまった。布越しに伝わる水の感覚なんて気にもならない。

 しかし武之さんは挑発するようなしたり顔で刀を肩に担ぐ。


「はっ。どうよ?あっしとて伊達に帯刀の身じゃねぇんだ。まあ、てめぇのことだ。成長した、なんて褒めちぎるわけもあるめぇ。むしろそっちの方が末恐ろしいわ」


 武之さんは切り捨てた虚無僧に悪態をつく。あの切り方は確実に頭ごと切られている。死人に口なし、この虚無僧が話すことはないのに。

 その時、死んでいるはずの虚無僧の手が深編笠を掴む。息を呑む僕などまるで無視して、虚無僧は深編笠を脱ぎ捨てた。


「阿呆の分際で変に小賢しくなったものよ」


 虚無僧の顔が露になった。

 背筋が凍る冷酷な顔立ちだ。その顔には傷一つ見あたらない。目元はきつく釣り上がり、口の両端は一直線の角度を貫く。ピシッと後ろにかきあげられた暗闇色の髪は神経質さを感じる。赤い瞳はまるで炎が閉じ込められているようだ。


「生きてる・・・どうして」

「運が悪ぃや旦那。あんたはまだこいつと出会っちゃいけねぇってのによ」

「あの人は何者なんですか。斬られても生きているなんて普通じゃないですよ」

「普通じゃないのは、この世界の住人にも言えた台詞ですがね。まあ、中でもこいつは別格か。何せこの世界のその先・・・遥々、紅蓮地獄からのご来客でぇ」

「地獄、って・・・どうして」

「痺れを切らしておいでなすった。奴さんは心の重荷を抱えた死者がこの世界に留まるのをよく思っちゃいねぇ輩なんでさぁ。あーと、つまりは心の重荷を降ろす過程をすっ飛ばしてぇってこった」

「当然だ」


 虚無僧は鬱陶しそうに眉を寄せ、首に手を当てて左右に伸ばす。


「死者は死後の世界で極楽か地獄の行き先を告げられ、ただその声に従えばいい。心の重荷だと?その重荷が悪から来るものなら、我らが罰を与える。ただの思い残しなら菩薩にでも聞いてもらえ。心の重荷など死後の世界でどうとでもなる。貴様らがやっていることは滞りを呼ぶだけだ」


 軸のブレが一切感じられない虚無僧の言葉を、武之さんは鼻で笑う。


「心の重荷を消化しきれず現世に不浄の魂魄が流れ出る現状には耳も貸さねぇってか。いや、そこについては言及しないでやらぁ。てめぇ等の本職は亡者に生前の罪に値する苦痛を与えることのはずだからな。だからこそ、てめぇ等がここまで干渉してくるのは管轄外だと何度言やぁ分かる」

「こと亡者全般に関しては死後の世界の者が携わるべきものだ。むしろこんな世界で足止めを食らわす貴様らこそ管轄外だろう。我らの尻拭いなら余計な節介というものだ」

「あぁ?自惚れんのもいい加減にしやがれ」


 初めて武之さんの怒気を孕んだ声を聞いた。僕が怒られているわけじゃないのに、あの人の覇気は止めなく周りに畏怖の念を植え付けている。彼のそれは鬼を彷彿とさせた。


「誰がてめぇら悪鬼のためだぁ?俺たちは心の重荷を背負った死者のためにこの身を捧げてんだよぉ!」


 メキメキと渇いた音が鳴り始める。武之さんの左こめかみから何かが浮き出てくる。赤黒く染まっていくそこから音が聞こえていたのだ。


「ぐ、ぉ・・・っ!」


 武之さんの体が大きく震えた。同時に顳かみから黒い何かが皮膚を突き破って現れ出る。

 一本の角だ。

 角が生える衝撃に耐えて両足を地面に縫い付ける。そして刀の切っ先を真っ直ぐに虚無僧に向けた。


「あっしの力はてめぇ等如きに振るうもんじゃねぇことを、己の鮮血を以て知れ」


 切っ先を向けられた虚無僧はため息をこぼす。角が生えているのに驚かない。僕がおかしいのか。


「そうか。ならばこちらの力を楽観視する節穴を後悔させてやるとしよう」


 虚無僧が面倒そうに右のこめかみを指で叩く。すると、ズバッと勢いよく角が生えてきた。今度は驚く暇もない。角は武之さんと同じ形と色だ。帯刀していた刀を手に、武之さんの刀の切っ先と向かい合わせる。


「獄卒衆頭領、牛頭。彷徨える亡霊の道を示す裁きへと誘うため、馳せ参じた。亡霊よ、その魂を差し出せば安らかな眠りを約束しよう」


 牛頭、それは地獄の亡者を罰する獄卒の名だ。なら、あの角は牛の角。その牛頭と同じ角を持つ武之さんは、つまり。


「旦那。あんたと坊ちゃんには黙ってやしたがね、あっしも昔はあの野郎と同じ穴の狢だったんでさぁ。自分で言うのも何ですが中々の上物の位。あいつと同じ、この片角が不動の証拠でさぁ」

「じゃあ、武之さんは地獄の・・・」

「へぇ。牛頭になるべきだった元獄卒でさぁ。力を封印して、この世界に住み着いていたんでさぁ。あ、未来永劫に封印とかはご勘弁を。必要とあればこの力を振るってもいるんで悪しからず」


 真面目な口調の中におどけた言葉も混じっている口ぶりは、いつもの武之さんと変わりない。恐ろしく思えたこの人への畏怖は消えつつある。



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