二人目の客-2
「え?陽太君、もう寝ちゃったんですか」
夕食の後片付けが終わって、澄江さんに風呂を勧められた。入るのが遅くなって後がつっかえるのは避けたい。二つ返事でさっさと入浴を済ませた。しかし足早に居間に戻ると陽太君がいない。洗い物をしている間に二階へ行ってしまったらしい。僕の時と同じ自己紹介や、この世界についての説明があると思っていたのに。いや、それを第三者の視点で見たかったとかじゃあないけど。座卓の上で麦茶を五人分注ぐ絹子さんが、いつもの微笑みで返事をする。
「はい。実はお客様とお会いになる前、陽太さんからのご所望で既にこの家についての説明を終えていたのです。陽太さんにはきちんとご理解頂きましたよ」
「あっしらは旦那と同様に自己紹介でもと思ってたんですがねぇ。ここに来てからの会話で全員の名前を覚えちまったらしいですぜ」
縁側で富助さんと団扇を扇いで涼む武之さんが付け足す。団扇は真新しい紙で継ぎ接ぎが施されている。恐らく澄江さんが昼に言っていたものだ。今度は後ろの廊下から切り分けたスイカを持った澄江さんが声をかけてきた。
「それと勝手ながら陽太様のお部屋はお客様と同室にさせて頂きました。陽太様の来訪は予想打にしていなかったものでして・・・。空き部屋を明日までに整理致しますので今晩に限りご理解頂ければと」
「あぁ、それは大丈夫ですけど」
彼はこの世界が生死の境と分かっているのか?分かっているなら自分自身がどうしてここにいるか話せるのでは?
「旦那、良い大吟醸が入りやしたぜ。どうです、一杯」
「ありがとうございます。でも、すみません。僕も今日は寝ますね」
「あらまあ、お客様まで」
「ややっ。今宵のご客人たちはお疲れですなぁ」
「そんなところです。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさいませ」
絹子さんが入れてくれた麦茶、富助さんが作って澄江さんが切り分けたスイカ、武之さんが貰ってきた大吟醸。どれも味わいたかったが、名残惜しくも洗面所に向かう。ここに来てから歯の病気の恐ろしさを富助さんからよく聞かされていた。故にどんな時でも歯磨きに余念がない。きちんと一本ずつ歯を綺麗に磨き、口をさっぱりゆすぐと足早に階段を上がった。上に行くにつれて足音を立てないよう、ゆっくりと歩を進め、襖を静かに開ける。
部屋に明かりは点っておらず、開け放たれた窓から差し込む月光が照らしていた。中央には敷布団が二組敷かれている。扉に近い敷布団に陽太君が寝ている、はず。上半身にタオルケットを被っていて顔は見えない。タオルケットから除く足は子供特有の丸みがあるから間違いはないと思うが。
「おやすみ」
返事は無い。寝ているつもりなのだろう。だが自然な寝息が聞こえない。あくまで寝ている陽太君を起こさないように、枕元から回って窓側の布団に腰を下ろす。朔夜もほどほどに目に収めて寝転ぶ。申し訳程度にタオルケットを体にかけて目を閉じた。
陽太君の後を追って寝ようとしたものの、まだ眠るには早い時間だ。中々眠れない。そもそも僕は陽太君から話を聞きたくてここに来た。美味しいものを蹴ってまでだ。この世界について理解しているのか?ここに来る前は何をしていたの?いや、死んでしまった子供に生前のことを根掘り葉掘り聞くのは気が乗らない。と言うかこの子は今、寝ているつもりだ。そこに何て話しかければ良い?
陽太君に話しかけるパターンをいくつか思い浮かべていると横から布が擦れる音が聞こえる。タオルケットの下の塊がもぞもぞ動いていた。
「眠れないのかい?」
寝返りを打とうと動いた体がぴたりと止まった。
「・・・すみません。煩かったですか」
「いや、僕も眠れなかったところ。気にしないで」
「はい」
「今日も暑いね。そんなにタオルケット被って大丈夫?」
「大丈夫です」
「すごいなぁ。僕はもう火照っちゃって。でも頭はそこまで熱くないな。あ、よくよく考えたら髪乾かしてないや」
「はい」
相変わらずそっけない返事を返してくる。この子はこちらから話をかけない限り話をしなさそうだ。眠そうなら話をかけずにそっとしておくべきだが、とても眠そうには見えない。このまま落ち着かない陽太君を放っておくのは、こちらも決まりが悪い。乗り気ではなさそうな陽太君を気にせず話しかける。
「僕、落ち着かないんだ。この先どうしたら良いかな、って」
「お兄さんも?」
「はは、やっぱり君もか」
「いえ、そういう訳じゃ・・・」
軸がまっすぐ伸びた声が微かに揺れている。やっぱり、この子はまだ子供。一人で知らない家でしばらく寝泊りすることになるなんて不安を抱えて当然だ。いや、それ以前にもっと根深いものを抱えているはず。
「心の重荷なんて、自分でもよく分からないよね。自覚しても、ここでどうやってその重荷を下ろせるのか想像もできない」
「はい・・・」
「っていうのも僕は記憶喪失だからでさ」
「・・・記憶、え?」
タオルケットを退けてこちらに顔を向けた陽太君はぱっちりと目を見開く。初めて子供らしい顔を見れて安堵した。同じ客人という通じるものがあるからか、初めて話す心の内がすらすらと口から出てくる。
「数週間前、僕は記憶を失った状態で清水の中で目を覚ました。とりあえず歩いていたら、いつの間にかこの家にたどり着いたんだ。それから自分が置かれた状況を何一つ理解できていないで、言われるままにおもてなしを受けてね。正直、怖かったけどとても居心地のいい歓迎だった。だから、僕は死んでいる人だって言われた時は怒鳴ってしまったなぁ」
今でも思い返すと苦笑してしまう。
「あの人たちは僕が死んでることを自覚している前提で接していたんだよね。話が噛み合ってなかっただけなのに、気が動転してた。今は反省しているよ」
「・・・・・」
賢い陽太君は僕が話したいことを察してくれているようだ。無理に明るく振舞う僕に対して深刻そうな表情をしている。まるでこれから話すことが陽太君自身に降りかかっているものみたいじゃないか。そんな彼に付け入るように本題を切り出すのは少し心が痛む。しかし、ここはその痛みを振り払った。
「重ねて言うけど、僕は記憶が無い。だから正直な話、この世界について半信半疑なんだ。半信半疑のまま、数週間をここで過ごしている」
「・・・・・」
「だから、さ。そろそろ確証が欲しいと思ってた」
「・・・・・」
「単刀直入に聞いてもいいかな」
「はい」
「・・・君は、本当に死んでしまったの?」
息を呑む音が静かな部屋にぽつりと響く。
「・・・・・」
暫く沈黙が続いた。この際、陽太君が眠ったふりを再開しても仕方がないとさえ思えてしまう。土足で踏み入るより無遠慮な質問だ。でも、次の陽太君の声を聞くまで耳を澄まし続ける。寝息だって構わない。寝たふりでも本当でも、寝息さえ聞けばそれが陽太君の、答えられない意の答え。僕は辛抱強く答えを待った。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・はい」
一度、頭を緩く締め付けられた感覚を覚える。それもすぐに消え失せて、何事もなかったような平常心でいた。平常心なんて、おかしな話だ。自分がどうなってここにいるのか、それをようやく知ることができたのに。幾分かは覚悟できていたみたいだ。
僕は、死んでいるって。
「そっか・・・やっぱり、そうだったんだ」
「あの・・」
「うん?」
「その、ボク・・・ごめんなさい、その」
陽太君は心配そうな表情で言葉に困っている。やはり利発な子だ。自分の死を知らされた僕の心中を察してくれているらしい。
「心配してくれるの?優しいね」
「いえ・・・」
そりゃあ記憶喪失の僕にとっては衝撃的な事実のはず。しかし、僕はこうして平常心を保てている。寧ろ納得さえしているし、もやもやが吹っ切れたくらいだ。だから陽太君がそんな心配を背負うのは無用。気にしないで、と声を掛けようとしたがこのまま湿った空気が朝まで続くのは勘弁だ。
「あのさ、僕たち考えていることは一緒だと思う」
「は、はあ?」
予想外の言葉に陽太君は気の抜けた返事を返す。
「死んでしまって、見知らぬ場所でしばらく過ごす事になって、心の重荷を抱えているみたいで・・・。それなのに知っている人は周りにいない。死んでるけど、これからやるべきことをどうやったらいいか分からない。もう、右も左も何とやらって状況でしょ?」
「・・・ボクは、別に・・・」
「大丈夫だって?嘘だぁ。強がってるでしょ」
返事はない。図星かつ嘘をつくのは苦手なようだ。
「でも、同じ状況に頭を悩ませている人がお互いの隣にいる。同じ悩みを抱えているなら話は合うんじゃないかな」
「そう、ですか?」
「そうだよ。だから僕のこと、似た者同士の仲間くらいには思って欲しいな」
「仲間・・・」
「うん。だからたまに相談事とかしようよ。言いづらいこととかあったら、僕も言いづらい相談をしたり・・・客人友達なんてどう?」
思っても見てなかった言葉の連続だったらしい。陽太君はきょとんとしつつも、しどろもどろしている。まさかの友達申請が来るとは思っていなかったのだろう。微笑ましい様子を見守りつつ返事を待つ。
「・・・いい、ですよ」
「ホント?やったね」
右手で小さくガッツポーズを決めて、悪戯っぽく笑ってみせた。すると少し呆れたような、それでいて安心したような笑顔が返って来る。初めて陽太君の気の抜けた表情を見れた。やっぱり、陽太君はこの家に来てからずっと全身に力を入れていたんだ。ここは心の重荷を下ろすための家。力を入れて生活しているようじゃ心の重荷なんて下ろせない。陽太君はようやく第一歩を踏み出せたといったところだ。そして僕も陽太君に歩み寄る第一歩を踏み出せた。
安心してしまった陽太君の寝息が聞こえる。今度は自然な音だ。
「明日から、よろしくね。陽太君」
蚊取り線香の溜まった灰が、ぽとりと落ちた。




