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 数カ月が過ぎ、その間に私の誕生日も淡々と消化された。店内の装飾もクリスマスカラーと冬景色を意識した物になると、スタッフも皆どことなくうきうきした雰囲気をまとい始める。商品の入れ替わりも激しく、毎日現場で顔を合わせるものの、やはり私たちの会話は業務上必要な最低限に少し色が付いた程度だった。

 それでも、直後のように挨拶すら顔が強ばるようなことはもうなくなり、心に余裕が出来たのか、最近のあの人は少し疲れているように見えて心配すらしてしまう。

 繁忙期だからというのもあるだろう。プレゼント用のラッピングに余計な時間が費やされる私たちのために並んでいる人に声を掛けたりしては場を和ませてくれているのはいつものこと。

 そんなあの人を横目で窺っては、今までは四六時中微笑んでいたあの人が時折何か思い悩んでいる様子なのも気付いてしまった。

 最初からずっとそうやって見つめ続けてきた。たまたま、本当にたまたま、あの人が私に興味を持っただけで、あれは夢だったのだこれが現実で、ただ少し距離を置いて眺めているのが私らしくて身分相応なんだと戒めても、それでも声を掛けたくなるくらいに気になり始めている。

 元カノ、いやそんな大それたものじゃない。ただ、職場の同僚として、大丈夫ですかくらい声を掛けてもいいだろうか。なにか、あの人が好きな甘味の少ない焼き菓子でもそっとプレゼントしてみようか。

 でもそんなの気持ち悪いし、イヤだよね。

 振った女にまた寄ってこられたら、こいつ何勘違いしてるんだよって、怒るかな。

 そう思ったら、気後れしてしまう。

 休みの日に、ぶらぶらと一人で街を歩いてみた。あの人とよく訪れたカフェは、レジ横に焼き菓子も並べている。ここのが一番好きなんだと楽しみにしてたっけ。

 彼女とも来ているのかなあなんて少しだけ嫉妬しながら木製の陳列棚を眺めていると、レジの人の手が空いたらしく声を掛けられた。

「お久しぶりですね。最近おみかけしないなあと思っていたんですよ」

 真っ白な制服にエプロンだけ黒いものを巻いたギャルソンは、私たちのことを覚えていたらしい。接客業をしていると、頻繁に来なくても何かしら印象に残る客はいるものだから、きっとデコボココンビで意識に残りやすいんだろうなと苦笑する。

 適当にいくつか手に取りレジに置くと、ありがとうございますと華やかに言う。爽やかで、この男性もきっとモテるタイプだなんてほけっと見上げていると、微笑み掛けられてしまった。

「随分印象が変わりましたね。このクッキーはお連れ様のですか。是非またお二人でいらしてくださいね」

 もう二人では来られないんです、とは言えず曖昧に顎を引く。

「あの人、別の人とは来ていないですか」

「いえ、目立つ方だから見逃さないはずですが、ずっとご来店はないですよ」

 つい尋ねてしまった自分に驚いている間に、支払いと袋詰めを終えて差し出されたものを受け取った。

「とてもお似合いのカップルだなあって、スタッフ皆で話していたんです。またのご来店をお待ちしています」

 もう一度丁寧にお辞儀されて、はあと会釈してから店を出る。

 これも社交辞令なんだろうけど、それでも嬉しいものは嬉しい。大体、今まではこんなにスタッフと会話したことなんてなかった。

 あの人と一緒にいる時間は周りなんて本当にただの景色でしかなくて、私にはあの人しか見えてなかったし、だからきっとこうした声掛けもされなかったんだろう。

 別れてみて、離れてみて初めて分かった。

 あの人と居たときの自分、ひとりきりの自分。友達だって少ないけれど、居ないわけじゃない。だけど、それとはまた違う。

 ただひとりだけを世界の中心に据えて、私はその足下にちょこんと座っている犬のようだったんだ。

 この人は今どんなことを思っているの、何を見ているの。そんな風に一挙一動に気を配り、言われるがままに従って、ただ、ただ傍にいた。

 これで付き合っていたなんて言えない。そんな私が人間になるには、きっともっと私を知ってもらう努力も仲良くなるための言葉も必要だったんだ。

 さっきのギャルソンの言葉のように、声にしないと伝わらない。建前だったとしても嬉しかったのに、私は殆ど何も言葉にしてこなかった。

 紙袋の中で、焼き菓子たちがほんのりと温もり始めている。

 これをあの人に。どう思われてもいいから、今度こそ私からきちんと伝えよう。それできっちりとさよならしてもらおう。

 このままじゃ、私はきっと人形のまま、あの人の中では呼吸すらしていない過去の風景になってしまう。それは、なんて寂しいことだろう。

 こんな冴えない女でも、私は私。人間だよ、生きてるよって、ちゃんと伝えたい。


 どうせ渡すならきちんとラッピングしてからと思い立ち、隣の通りにあるカフェへと足を運ぶ。店名だけが印字された無漂白の手提げ袋は好きだけれど、贈答用に頼まなかったから、中身が丸見えだ。透明セロファンに包まれたクッキーが上から見えてしまうのは、流石に気が引ける。

 石畳の路地を抜けると、じきに見知った古民家に辿り着いた。改装された平屋は、開き戸を入ってすぐ右の二十畳ほどの和室がカフェになっている。

 あの人と通った先程のカフェとは真逆にあるような、レトロな雰囲気のお座敷をそのまま素通りすると、長い土間に雑貨が並べてある。その中に、地元メーカーのマスキングテープやメッセージカードが置いてあるのだ。

 スパイシーなカレーの香りに鼻をくすぐられつつも、その中からいくつか選んで、会計をしてもらう。その時に、レジ横に立て看板が置いてあるのが目に入った。

「和の押し花展」

 小さく漏れた声に、店員さんが土間の向こうを示して微笑んだ。

「はい。こちらを抜けると蔵がありまして、そちらで押し花の個展をされているんですよ。よろしければ足を延ばしてみられたら」

 食事中のざわめきを背に受けながら右手を見ると、確かに土間から一旦中庭に出て蔵へと続いている。

 以前友人とお茶したときには、開いていなかった。誘われるように、私は足を向けた。

 手押しポンプ付きの井戸をしばらく眺めてから、石の階段を数段上がり、そこだけ真新しい木の引き戸を開ける。

「いらっしゃいませ」

 右手に小さなカウンターがあり、白髪の婦人が笑顔を向けてくれた。

「あの、押し花って初めてなんですけど……」

「まあまあ、初めてが私だなんて光栄ですわね。沢山の方に見ていただくために飾っているので、好きに見て回ってくださいね。見て回るほど広くもないんですけど、ベンチもあるからお掛けになって見られてもいいんですよ」

 なかなかに切れの良い口調で話し掛けられ、その言葉に押されるようにして、ぐるりと中を見回した。

 蛍光灯が点いているからかもしれないが、蔵というと暗いイメージというのを払拭する明るさだった。壁は塗り壁ではなくてパインに似た明るい色調の板張りだからだろうか。

 額の中には様々な花と共に、絵が収まっている。平安調のもの昭和っぽいもの、時代を感じさせないもの、さまざまに。

 それらに眼を凝らせば、絵の部分も可能な限り植物で出来ているのが判り、私はつま先立ちになったり中腰になったりして、時折眼鏡のリムを指で押し上げながら、まじまじと見入ってしまった。

 入ってきたときにふたりいたご婦人が帰り、先程の婦人がそっと寄ってきた。

「これなんだと思います?」

 私が見ていた十二単を指して尋ねたが、私が思考するのを待たず、なすびなんですよ、と楽しそうに言われてしまった。

 押し花と言えば朝顔を電話帳に挟むくらいしかしたことがない私は作品を眺めるだけでも目から鱗状態だったのに、植物のありとあらゆる部分を使っているという説明にますます瞠目した。

「今回のテーマは身近な植物だし、野草が多いからどうしても見た目は地味になっちゃって。だけどなんとなく落ち着くでしょう。連れて帰ってもらえなくても、いまひととき癒しを感じてもらえたら本望ですねえ」

 ぐるりと一周して、出入り口にほど近いテーブルに息を飲む。

 おかげさまで。

 そう言って静かに微笑んでいるのは、お地蔵さまだった。

 苔むす地面にタンポポをお供にして、小さな錫杖を右手に佇む姿が可愛らしい。ほっこりしたお顔を眺めているだけで心が温かくなるようで、ふと尋ねてしまっていた。

「これって、買うことは出来るんですか?」

「勿論ですよ。殆ど材料費だけというか、額縁代なんですけどねえ」

 からからと屈託なく笑いながら、婦人は額縁の端に付いている作品名を指した。シールが貼ってあるものは売約済みだと説明され、落胆する。くだんのお地蔵さまにはシールが貼ってあった。

 おかげさまで。そう微笑むこの作品に買い手が付くのは当たり前だと納得する。

 このお地蔵さまなら、どんな私でも受け止めてくれる気がして――出来れば毎日眺めたかったけれど。

 後ろ髪を引かれつつ、丁寧にお礼を述べて辞去しようとすると、婦人がフライヤーを差し出した。

「最終日なのでもうこれしかないんだけど、良かったら持って行ってくださいな。ご縁があれば、またお会いしましょう」

 ぱらりとめくると、中に小さくお地蔵さまの写真が載っていて、私の口元は綻んだ。

 なにもかもを良縁ととらえる言葉。おかげさまで。

 私も、受け止めたい。そして、変わりたい。


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