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 梅雨の合い間の晴れた日に、美術館のある観光客の多い地区をそぞろ歩いていた。

 以前そこで知り合った手ぬぐい屋さんに、うちの店舗で出てきたリクエストを伝えて後日詰めていく段取りをして、今まで素通りしていた和傘屋さんで足を止める。木の引き戸が開放されて、デザインコンテストの小さなポスターが貼ってあった。

「和傘のデザインだって。素敵な企画ですね」

 例として飾ってあった和傘は、水草と金魚の図柄だった。水にたゆたう緑の草は濃淡があり、その隙間を二匹の金魚がつかず離れずといった距離で泳いでいる。

「涼しそう……」

 白い傘に描かれたそれらへと手を伸ばし、指先だけでそっと触れた。

 黙ってしばらく眺めていたあの人は、ごめんくださいと声を掛けて中に入っていく。慌てて暖簾から頭だけ店内に入れてみると、コンテスト用の応募用紙を数十枚分けてもらっているようだ。

 コンテストについて質問をしているあの人とお店の人の会話は頭の上を素通りし、私は店内の傘に視線が釘付けになった。

 梁に吊られているのは、透け感のある素材で出来た傘。絹で出来た扇子のように、檜の木目が透けて見える。若々しく太い枝の周りには、濃淡のある紫の小花たち。傘の四割くらいは無地になっていて、絶妙のバランスに感じる。

 部屋の隅の暗がりには橙色の照明があり、その手前にあるシンプルな柄が浮かび上がっている。陰をなす思い切りの良いラインと無地にまたがるトンボ。反対側には、そこだけ桃色に着色されている一輪の花。

 窓の桟には、畳んだままのものが数本掛けられており、上がり込んで片端から開いてみたい衝動が沸き起こる。

 気付いたお店の人が店長兼職人だったらしく、勧められて遠慮なく全てを堪能させてもらった。

 移動しながらまだ興奮の冷めない私の隣で、あの人は優しく微笑んでいたっけ。

「和のスペース増やしてもいいかもしれませんね。地元の職人さんのものを少しずつ置かせてもらって、広告代わりにどうですかって提案するのはどうでしょう」

 拳を握って鼻息を吐きそうな勢いの私の案を受けて、うちの店舗に和雑貨のスペースが増えた。

 元々そういうカラーの棚はあったものの、メインは若い子向けのカラフルな食器や小物が多かった。そのうち通路側の見せ棚を和テイストに切り替えたのだ。

 試してくれた店長は、あの人の意見だから取り入れてくれたのであって、これが私個人が直接提案したのであれば通らなかっただろうと思う。

 当初私からの提案として出そうとしていたあの人は、私の言い分を渋々聞いてくれた。

 私には、取り立てて出世欲はない。それに、潰れてしまうよりも確実に取り入れてもらえて、それがあの人の成績になるのならまったく不満はなかった。

 思ったより盛況なそのコーナーのために、また私たちは店を回り、その時にアートフェスタの情報を得て、今度はそちらに足を向けることになった。

 和傘工房の場合は、それ一本で生きていく覚悟と店舗を構える資金力があった。けれど、殆どの作家は、本業を別に持っていて、趣味の延長でものづくりをしている。そうしないと生活が成り立たないからだ。

 そういった人たちが利用するのが、定期不定期に開催される大規模な露店だ。普段はひとが歩くだけの道端や公園のような広い場所を借りて、区画分けして数時間限定の店舗を開く。

 多くは露地で催されるので、商店街と提携していると聞く。そのフェスタは異種の作家で繋がっての割と規模の大きなものだった。

 普段は音響目的の催しがメインの会館の外周を貸し切り、タープを張ったり机だけ並べたり。芝生と煉瓦で舗装された広場は、活気に満ちている。観光客が近くの美術館へと足を運ぶこともあり、人目に付きやすい。地元では耳にしないイントネーションの人々の合間を縫って、私とあの人は隅々まで見て回った。

 切り株と大差ない外見の椅子、丁寧に磨き上げられた木製の食器たち。大きなビヤ樽に腰掛けて、備前焼のジョッキで乾杯するひともいる。

 その横では、地元の小麦で焼いたという自然酵母のパンに行列ができ、白桃やマスカットをふんだんに使ったスイーツが売り切れ寸前だ。

 昔懐かしい素朴な玩具で遊ぶ子供たちを見守りながら、似顔絵を描いてもらっているカップルは夫婦だろうか。寄り添って腰掛けている真ん中で重ねられた手が羨ましい。

 ふと足が止まってしまった次の瞬間、私の手が包み込まれた。

「こっち」

 大きな温もりが、私の右手を優しく促す。ひっきりなしにあれこれ触れる癖のあるあの人は、お茶を飲んでいる最中に触れてくることはあっても、外ではそれをしない。ひくっと変な呼吸をして上目に見つめると、困ったように微笑まれてしまった。頬が熱い。手が汗で湿らないかと俯いてしまった。

 そのままあの人に合わせて向かったのは、重厚なガラス細工のあるブースだった。

「え? なんですか、これ」

 会議用に広く使われている長机には、厚手の布が掛けられている。盆のようにどんと置かれたステンドグラスの浅い入れ物に厚手のフェルトが敷いてあり、短い試験管のようなものが数本入っている。同じ入れ物には、孔雀の羽を連想する扇形のステンドグラスが飾られていた。

 値札は付いていないが、恐ろしくて手が伸ばせない。少し腰を屈めて、ガラス管の中身を見つめた。

「綺麗……」

 息を吐くのすら遠慮してしまう。この煌めきを損なわないようにと、細心の注意を払いつつ観察する。

「どうぞ、お手にとってください」

 観ていただかないと、作品が完成しないんですよ、とブースの女性は笑った。

 別の場所にあった長方体の作品を持ち上げると、その端にあるリングに先ほどのガラス管をはめ込み、私に差し出す。

「万華鏡ですから、まずはそのまま覗いて、ゆっくりと管を回してみてください」

「万華鏡、でしたか」

 丸い紙筒のものしか知らなかったから、改めて女性の手のひらを見て、それから顔を見て、慎重にそれを受け取った。ずしりと重い。

 凹凸のあるガラスで出来た長方体の筒を目の高さに持ち上げ、三角の穴からそうっと覗き込む。

 そこにあったのは華やかだけれど透明感のある小さな世界。セットされた管を指先で回すと、くるりくるりと世界も変わる。透明と白、そして赤の後ろに透ける青。

 しばらく回して、その青は空の青だとようやく気付いた。手が疲れて少し下げたとき、透け感の向こうが暗くなったのだ。

「紙筒のものは底が閉じてあるから、随分雰囲気が違うでしょう」

 少し誇らしげに説明する声を聞いて、促されるままに最初の皿へと筒を向ける。

 瞬間、視界に飛び込んできたのは、まさに色とりどりの世界。ピースごとに異なるガラスを組み合わせて繋いでいる孔雀の求愛の姿が、新たな世界を創造する。

 ずっと覗いていたとしても、同じ瞬間には一生出会えないかもしれないんですよ。だから作り続けてしまうんです。新しい世界が見たくて。

 女性の声に軽く頷きつつ、夢中で覗きながら筒を少し移動させては管を回した。

 我に返ったときにはどれくらいの時間が過ぎていたのだろう。肩に触れる体温の向こうに高い声が複数上がっている。

 どうやらバス旅行の団体客のグループが足を留めているらしく、ブースの女性はそちらへの答弁に忙しそうだ。

 邪魔にならないよう、けれど聞こえるように丁寧に礼を言ってから、私はその場から離れた。

「凄い食いつき具合だったね」

 くすくすと笑うあのひとの揶揄も気にならず、私は大きく頷いた。

「買ったら絶対家でずっと眺めちゃいますよ」

 ふうんと顎に手を遣り、思案気な様子。ちらりと見えた小さな値札には、普段私たちが扱う商品と比べものにならない数字が書かれていた。

 本体にもシリアルナンバーが刻印されている、全て一点もののステンドグラスだ。ガラス代だけでも相当な値になってしまうのも頷ける。

 普段は畏れ多くて手に取るのもためらうような、そんな作品。自分なら、と空を見上げた。

「ボーナスで、自分へのご褒美とか。贈答品向けですね。だって自分じゃまず買えないですよ。でももらって嫌なものじゃない」

「なるほどね」

 視線を少しだけ下げると、あの人が頷いた。

 あ、この眼は何か閃いたときのだ。

 まっすぐに向けられる視線に籠められた熱に胸が高鳴ったその時。

 あの人の名を呼ぶ声が、私たちの間に亀裂を生じさせた。


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