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氷のソーサラー

作者: 深川 火鼠

 氷の世界を支配する魔法を操る、ソーサラーたちが棲まう霊峰。

 彼らの手の一振りは呼吸を止め、肉は熱を失い、草は枯れる。

 山に近づく者は皆、氷という死の棺へ。


「……なーんて言われてた絶対氷期アイス・エイジも今は昔。おれたちのじーさまも知らない頃か」


 夏のドロワシティの一角にあるカフェで、フリザは目の下の傷をイジりながら依頼人を待っていた。

 テーブルに置かれたコーヒーはホット。この暑さでだ。温かいのが好きなのだ。

 そこへ近づいてくる女がいた。金の髪は絹糸より細く、その眼差しの魅力はケーキより甘く人を溶かす。いつもの蒸し暑そうな鎧は身につけていない。

「待たせたかね、フリザ。今日もキマっているよ」

「神と王に仕える聖女騎士様がおべんちゃらかい」

「いや本心さ。女ばかりの世界で男どもに睨みを利かせていると、イイ男と会うだけで心躍る」

「そりゃどーも」

「嘘じゃあないぞ? そのジャケットも似合っている。そうだな、女が放っておくまい?」

「男の評価の仕方がカーチャンみてえだぜ、アンタ。あるいは親戚のオバちゃん」

「……私はまだ一九だ」

「一個上か。十コ上かと思った」

 どことなくショックを受けたような女騎士エーメを無視し、フリザはポケットから小さな石を取り出しテーブルへ置いた。

 フリザの呪文は、恐らく抱き合った耳元でしか聞けないほどに小さい。石を媒介にした力が発動するのは一瞬。

 ピキピキピキ……と薄氷がテーブルの表面に広がり、文字と絵、そして地図を描き出す。コーヒーカップを慌てて持ち上げつつ、フリザは先日の依頼を確認する。

「で、このお嬢ちゃんが囚われてるのが、その何とかっつー貴族の館なんだな?」

「いつかキミの呪文を耳元で聞いてみるのが私の夢の一つだな」

「へえ、何なら今夜でもいいけど?」

「えっ」

「で、侵入ルートはおれのやり方でいいわけね。近衛騎士団サマも大変だね。政治だのなんだの」

「ま、待てフリザいま……」

「あ?」

「……な、なんでもない。そう、そうだな。相手は位の高い貴族で、対立していた相手の家が没落したのをいいことに、残った息女を妻として強引に迎え入れようとしているのだ」

「没落っつってもどーせソイツが手ぇ回してお嬢ちゃん以外暗殺したとかそういうベタなやつだろ?」

「…………私は騎士だ。そういう見解を口に出来る立場にはない。だからこそ手も出せないし、公的機関が動くわけには」

「いいよいいよ。その点おれは何でも言えるしできるフリーだしな。フリザだけに」

 寒い、と言われるのも無視し、マイペースな口調でフリザは立ち上がる。

「報酬さえいただけりゃ、何でもござれさ。ソーサラーの生き残りなんてこういう仕事か大道芸人になるしかねーしな」

 ニッと人を喰った顔で、エーメに勘定を押し付けた。


 月もない闇夜だ。

 氷の蔦が走った壁を登る人間がいるなどと、警備兵でなくても誰が思うだろう。

「こういうとき、ソーサラーで良かったと思うよホント」

 ソーサラーは常識を上書く。人に見えないものが見え、人に思いつかないことを思いつき、人にできぬことを行う。

『人』の定めた法に則って生きる『人』にとっては、山奥で暮らしていた猿のごときソーサラーはまさしく法の概念を超えた存在であろう。

「それでやるのがこそ泥ってのがこう、ダサいけど」

 コンコン、と窓をノック。レディの部屋に入るにはそれなりの礼儀がある。シティー派のフリザはそこをよく弁えて窓から入る。

「だ……誰……?」

 震えた声。

「鳥です」

「と、鳥さん?」

「そうです。こけこっこー」

「あの……ニワトリさんが来るには、まだお時間が早いと思うのですが……」

「間違えました。くるっぽー」

「ハトさんって、夜目が利くんですか?」

 そもそも鳥が喋るのはいいらしい。なかなか浮世離れしたやり取りを交わしつつ、フリザは窓に覆いかぶさるようにして姿を見せた。

「人……さん?」

「残念、すこし違います。おれは人の身を半分はみ出した者。薄汚きソーサラーでございます」

「ソーサラー……さん」

 暗い部屋の中にいたのは、青い目をした、お人形のような娘だった。

 ふわりと裾の広がったドレス、波打つウェーブの金髪に華奢な肩。

「あなたをさらいに……いえ、さらい返しに来ました」

 窓の隙間に氷の蔦を伸ばし、錠を押し開けるなど造作も無い。

 ひとりでに開いていく窓。後ずさる少女の元へサッと駆け寄ってフリザは膝をついた。

「どうかこのソーサラーめにあなたを、さらわせてくださいませ」

「あ、あの、ええっ」

 有無を言わさず取った細い手首は子犬のようで、くちづけすると「ひゃっ……」と少女は身を震わせた。

「サフィー・アコラダム様ですね? 突然の来訪と無礼をお許し下さい。おれは女王騎士様から依頼されたのです。あなたをかの貴族の手より奪い返し、保護せよと」

「まあ……でもいけません、ここには、」

「ネズミを退治するソーサラーがおりますからな。サフィーどの」

 ドアが開くと同時にしたのは、第三の声。

「おいアンタ、レディの部屋はノックしてから入るモンだぜ。貴族のクセにそういうマナーも知らねえのか」

「人の家に勝手に上がり込む不法侵入者にマナーを問われるとは、失笑」

 入ってきたのはチョビ髭を生やした四〇すぎの痩せぎす男だ。貴族の証である紋章をあつらった悪趣味な赤コートが廊下の明かりでギラギラと映えた。

 その後ろから入ってきたのは、真っ黒な鎧。

「ソーサラー、やれ」

「御意に」

 黒い鎧の奥で、小さな声――呪文だ。

 フリザが失礼、とサフィーの身体を抱えて窓から飛び出したのと、部屋の暗がりから無数の人型の影が襲いかかってきたのはほぼ同時。背中スレスレで影の手が空を切る。

「きっ、ゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「あ、しまったここ四階だった」

 重力に引かれたフリザとサフィーはしかし、氷の蔦に絡め取られた。落下途中で壁から這わせた蔦をフリザが呼び寄せたのだ。

 減速する形で館の裏庭へ着地した二人を追って、人型の影が降り立つ。

 影は顔の造形を持たぬ塵の塊――塵人形であった。

「アッシュ・パペットか。この数……けっこうな腕前だな。里はソラフの山か?」

 口もないので答えることはなく、五指を伸ばしてくるパペットたち。

「おれ、おしゃべりできない奴ってキライなのよね」

 サフィーを傍らに横たえたフリザは、掌を地面に叩き付けた。途端、伸びた氷の蔦は人形たちの足元からその身体に巻きつき、

「ハラワタ煮えくり返ってるみたいだから、冷やしてやるよ」

 蔦はトゲとなって、塵人形の腹を胴を貫いた。ズガズガズガッと地面から生えた氷のトゲに縫い止められた塵人形はじたばたと、もがくだけになった。

「馬鹿めが! 貴族の館に忍び込んで無事で済むと思っておるのかァー!」

 窓から叫ぶ悪趣味な貴族の言葉は無視したが、いつの間にかフリザたちの近くに降り立っていたアッシュ・ソーサラーは無視できなかった。

「ソラフのソーサラーさんよ、あんたも山を追われたクチ? 雇い主は選んだ方がいいよ、マジ。おれも一時期はヤンチャだったけど今は立派な雇い主を得て更正――」

「ソーサラーは、言葉を重んじろ」

 アッシュ・ソーサラーは鎧の奥から声を響かせ、手を振るった。再び出現する塵人形たち。

「無駄口はソーサラーらしくない? なら、無駄口叩かずやろうか?」

 フリザが気取って指を鳴らせば、またも氷のトゲが塵人形を縫い止めた。

 サフィーは自分を救いに来たソーサラーと、相手の技の応酬に割り入る形で叫ぶ。

「ソーサラーさん、だめです。わたしをさらうなんて、できません」

「サフィー様、そういうことはさらった後で聞きますよ」

「だめなんです! お相手のソーサラーは!」

 鎧が、両手を掲げた。

 ザラ……ザラ……ザラザラザラザラザラザラ……!! と周囲の空気が擦れた。いや、厳密には、館の周りにある『塵』が、どこにでもある塵という塵が、鎧ソーサラーの求めに応えて震えているのだ。

「あの方の力には、誰も……誰も敵わないんです。私の家に仕えていたソーサラーたちも、あの方に……」

 ソーサラーの使う力は、応える精霊の数に比例する。

 塵の精霊と交信する鎧のソーサラーは、その鎧の中で精霊言語――呪文をブツブツと唱えていた。その声に応える形で、周囲の空気中に舞う塵たちは、いまやその腹の中にフリザたちを、館全体を取り込んでいたのだ。

「ククク……高い金を払って雇っただけのことはある。おい、ソーサラー、そのクズの山猿は細切れにしろ。アコラダムの娘の方はそうさな、服だ。服だけを切り刻め。羞恥の中で警備兵たちに両側から引っ張らせ、館中を連れ回したのちに私の元へ来させるのだ」

 赤コートの貴族は下卑た目で見下ろしていた。

 その状況で、サフィーは、

「待って……待ってください! 人死にはもうたくさんです! この方は逃がしてあげて!」

 フリザの身を、案じていた。

「……うれしいね」

 フリザは思わず、笑ってしまった。

「ソーサラー……さま?」

 鎧のソーサラーと赤コートの貴族は、奴は狂ったのだと思った。

 サフィーは、思った。どうして――どうしてこの人は、こんなに『楽しそう』なんだろう。

「山を降りて、人間サマに『魔物混じり』なんて罵られ、それでも生きてきたのってさァ、こういう娘に会いたかったからなんだよな」

 少女がぶるりと身を震わせた。楽しそうに笑うフリザが怖かったわけではない。ただ――寒い?

「冷気……? おい、おまえ……おまえの山はどこの……」

「おいおいおしゃべりはしないんじゃなかったの? まあ、俺は大歓迎だけどね。しゃべるの大好き。ソーサラーとも人間とも……精霊とも、さ」

 その日、その国の気温は、普段よりずっと低くなった。

 館に押し寄せた寒風は、やがて耐え切れぬほどに。

 ささやき声にも似た呪文は凄まじい数の精霊たちを喚び、塵の精霊たちを凍えさせ。

「おまえ……っ、アイス・エイジの……!」

 館に、冬を訪れさせた。

 北国の冬というのはたとえ雪が降る日がなくとも――凍る。

 氷のソーサラーは、冬を支配する。

 絶対氷期アイス・エイジと呼ばれる世界の危機を支配した魔の長。

 その生き残り。

 おしゃべりな便利屋として現代を生きる、フリザ。

 彼の真の精霊言語を聞いた者は――二度と覚めぬ眠りにつくのだ。

「さあ、しようぜ。おしゃべりを。一晩中。なんなら三日三晩寝ずにしたっていい。眠らずに、いられるならな」

 黒い鎧に亀裂が走った。表面は薄白の氷が覆っており、その圧力が金属の鎧を曲げ、割っているのだ。

 館全体を、氷が包んでいた。フリザが一言告げるか、手を振って精霊に合図を送るだけで、歯を鳴らして怯える貴族もろとも館は崩壊するだろう。

「けど、今日は運が良かったねあんたら。人死にはナシだからさ。しばらくその場で……凍っててよ」

 四肢を凍らされた貴族と鎧は、その『呪文』に従う他はなかった。

 ニッと。人を喰った顔で笑うフリザは、傍らにへたり込んでいたサフィーの腰を抱く。

「精霊たちには女の子の腰を冷やすなって言っといたけど、大丈夫でしょうか、お嬢さん?」

「え、ええ……わたしのところだけ、氷が避けてくれて……でも、あの」

「はい」

「ソーサラーさんの手って、あったかいですね」

 これにはフリザも、きょとんとした。

「だって、氷のソーサラーさんなのに。こんなに……ポカポカ」

 少女は言いながら、フリザの頬を撫でた。

「……温かい飲み物が好きなんで」

「あら、頬が赤いです。もしかして、寒いのですか」

「いえいえ、これはアレです。自分から行くのはいいですが、相手から触れられると弱いってやつです」

「?」

 サフィーの腰を抱いたまま、氷の上を滑らないように気をつけながら、フリザは歩き去った。


「依頼、ご苦労だった。女王陛下もお喜びだったぞ」

「あ、そ」

 カフェでミルクティーを飲みながら、フリザは報酬を数えていた。もちろんカップの中身はホットだ。

「彼女は女王陛下の庇護下に置かれ、然るべき家督の相続と再建を行う。もともと女王陛下の従妹筋だからな。本来はあのような爵位の者に出し抜かれることなどあってはならなかったのだが……助かった」

「いいよいいよ。ソーサラーってのは、そういう抜け穴に対処するための生きモンだから」

「サフィー様は、またお前に会いたいと仰っていたそうだが」

「パス」

「なぜだ? 恩赦のひとつくらい受けても……」

「いーから。あの娘は、ちょっとアレだ。苦手」

「かわいい女の子だったではないか。少しはいい気分だったのではないか? 私よりおしゃべりが弾んだのではないか?」

「調子が狂うんだよね。それならエーメと喋ってた方がいい」

「そ、そうか……! それではなフリザ、この間の件だが、そのう……夜というのは本気で……?」

「あー、パスで」

 ショックを受けているらしい女騎士を無視して、マイペースなソーサラーはミルクティーをすすった。

 氷というのは、熱に触れられると弱いのである。

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