プロローグ 絶望と希望
砂漠のように荒れ果てた大地。
人の事情などお構いなしに暴走する無慈悲な砂嵐が、隔絶されたような空間を作り出していた。
彩りのない景色。感情のない世界。
そこに、小さな影が揺れ動く。
少年は彷徨っていた。
ボロボロのマントを飛ばされないように抑え付け、風に負けないように前へと進む。か細い足跡を残し、それでもしっかりと先を踏みしめていく。
貧困の絶えない村や町を宛てもなく訪れる。目的のない、生きるためだけの旅が続いた。
そこは少年の祖国から遠く離れた戦場地帯。食料不足はどこも一緒であり、彼のように施しを受ける者は多くいる。
それ故か、どこへ行っても嫌悪にまみれた視線で追い返される。当然、余所者に施すような余裕はない。
――ここもダメか。次……
粘ることなく呆気なくその場を去っていく小さな少年に、険しい表情をしていた住人達も皺を寄せる。
村人でも物乞いでも、皆生きるのに必死だ。
少年にはその必死さが見受けられない。
同情の欠片すら見せなかった村人達も、不可思議なモノを見た、と困惑の色を浮かべていた。
少年は痩せていた。
貧しい村であっても、住人達はソコソコの食事は取れる。それでも彼らにしてみればギリギリの生活だった。
だが少年の細身はソレを大きく逸脱しており、今にも倒れそうな程だ。顔色も悪い。
にも関わらず、軽く「食べ物ください」と言って断られたら、縋ることなく即歩き出す。
フラフラと頼りない足取りは目的地など存在しないかのようであった。
――まるで自らの生そのものに興味が無いかのように。
その瞳に映るのは絶望。
例え空腹で苦しかろうと、そのまま朽ち果てようとも、全ての事柄に意味がないと言わんばかりの風体である。
この世に未練を残して漂う死霊のようであった。
少年の記憶に残るのは、おぼろげな故郷の面影と、攫われた組織から必要ないとばかりに捨てられた過去だけだ。
いや、最も大切な想い出――たった一握りの宝物はある。
それはある意味少年と似たような境遇の少女。共に組織を追い出され、この残酷な世界を歩んできた。かけがえのないパートナーだ。
だが、その彼女はもういない。
奪われた。
あの異端審問官共のせいで、あの"仮面"の男のせいで、彼女の笑顔を見ることは二度とない。
既に崩壊した精神の奥底から、獣のような荒々しい衝動が湧き上がる。
壊れそうな程の怒りが、狂気が、悲鳴が、痛みが、悲しみが――そして虚無が、少年の全身を駆け巡る。
おぞましい蟲が這い回るかのような、否定感――自己嫌悪。
「あ゛、ぁぁあああああああああああああああッ――」
頭を掻きむしり、何度目になるかの慟哭を撒き散らし、そこで彼は気を失う。
照らされる太陽の光が、僅かな体力をも削っていく。
命の灯火が刻一刻と消えていった。
気付けばまだ生きていた。
まだ死ねないらしい。
少年は自分でも分からない何かを求めて、再び足を踏み出していく。
ふと少年の足元に影が射した。何かが前に立ち塞がっている。
俯いていた少年は、今になってそれに気づく。
顔を上げ、虚ろな眼をソレに向ける。
ソレは頭上を覆う程の身長――大人であった。
――誰だろうか?
目の前にいたのは男性だ。それも、ガッシリとした体格の髭面の男だった。
彼からは蔑むような気配が感じられない。目の奥には優しい光が灯っていた。
男は何故か、安心する匂いを発していた。
不思議と包み込むような愛情を湛えている。
――何で?
男は声を掛けてきた。
「坊主、強くなりたいか?」
それは眩い光。それほどの衝撃。魂を揺さぶる希望の一言。
強くなる。
その言葉で、死んでいた少年の瞳に、理知的な色が戻り始める。
彼が宿すのは世界に対する怒りか、それとも……。
何かを確信したのか、男は無言で歩き出した。
彼は数歩程でふと立ち止まり、手を差し出す。
少年は、男の大きな手を握り締めた。