終 『世界一の贈り物、彼は平穏を望む』
「おお、来たか」
某国の科学研究施設内。
国の予算の一部を注ぎ込んだその施設には、最先端の技術が揃っている。
この研究所はエリート達の集大成――世界中の開発成果の全てが集まってくる場所だ。国内からに限らず、世界各国から有能な技術者を募っていた。
開発というのは繊細さが求められる。奇抜なアイデアも必要だが、それを形にするためには数多くの話し合い、制作や実験、スケジュール管理などが必要なのだ。
しかし世の中には天才といった類の人間もいる。彼らは他人からの干渉を極力嫌い、一人篭って研究することで著しい成果を叩き出す。
一から十までを一人で担ってしまうのだ。
故に天才。不可侵の人材。
そんな変人と言われる研究バカが一人、ここにもいた。銀髪の青年だ。
普段は「面会お断り」とでもいうべきオーラを放つ部屋――生活感のない閑散とした研究室の椅子に、偉そうに座っている。俺に不可能はない、といった不敵な笑みを隠そうともしていない。
その彼に少年が一人訪ねてきていた。
本来であれば機密保持のため、厳重な警備体制が敷かれている。入るには何重もの手続きが必要になる。
そんな最重要区画に、少年は誰にも気づかれずに忍び込んでいた。彼はパーカー風の服装で黒髪を隠しており、目立たない格好をしていた。
「アレが完成したって本当か!?」
少年にしては珍しく、興奮した口調。アレというのは最先端の導化技術を指していた。
新時代になり、人々の生活に密着する科学の形も変容した。
電気エネルギーを使用する従来の製品は影を薄め、新たな科学が生まれたのである。
それが異能を用いた新しい科学――導力科学。
導力とは異能の別名を意味する。異を導くエネルギー『導力』。
それを科学に転用した試みが、全てのきっかけだった。
異能とは何なのか。
本来常人とは異なる能力、という意味を持っていた言葉。異能者が当たり前となった今の時代では、その意味合いも違ってくる。
しかし慣習とでも言うべき実態が、超常の能力を『異能』という名称で定義づけた。祖先より引き継いだ形だ。
では異能者とは?
異能を内包する存在である。それは人や動物などの矮小な生物だけでなく、世界そのものが異能者と言っても過言ではない。
そこに過去の偉人達は目をつけた。世界が内包する――すなわち大気中にも漂う異能の力を利用し、革新的な技術を生み出したのだ。
何世代もの研究の結果、導力科学は今では主流となり、欠かせない技術となった。
そんな導力科学の世界的研究チーム「ネクスト」。
次世代を担う人材の育成に力を入れたその集団は、数々の新理論を提唱して、世界中の科学者達の度肝を抜いていった。
近年ではその功績も讃えられ、世間の注目を集めるようになり、その知名度は瞬く間に世界へと広がった。
メンバー全員が超一流の研究者、そう認められる程のセンセーショナルな顔触れになったのである。
そのネクストのリーダーであり、導力科学の第一人者――世界最高峰の科学者、もしくは開発者として名高い人物が、黒髪の少年に反応して答えた。
「ああ、自動吸引式の異能貯蓄装置。大気に溢れる異能を一定量まで吸い取って、周囲に膜を張る。俺の最新作だ」
ついにやり遂げた、そんな自信が彼の発する抑揚から漏れていた。
彼――銀色の髪をなびかせたその青年は、打ち震えるような挙動を表し、全身で踊るような喜びを訴え始める。
俺、天才! 俺、最高!
彼は周囲から理知的と褒められる瞳を全開にして、狂喜乱舞でステップを踏む。
しばらく掃除してないであろう部屋の埃が舞い上がるが、お構いなしだ。
自画自賛。
彼は偉業を成し遂げたのだ。それくらいは当然だろう。
今まで異能の貯蓄などという技術はなかった。否、必要なかった。なにせ常時大気中から吸い取ってくれるのだ。貯蓄など意味を成さない。
だが青年はその無駄の極みを、趣味で創り上げた。
一見必要なさそうな貯蓄技術だが、できてしまえば考えようによっては新たな枠組みが誕生するかもしれない。
凝縮による濃度の向上、一斉展開による大規模システムなども考えられる。
それを暇を見て一人で達成した。感無量なのだ。
青年は一通りはしゃぐとスッキリしたのか、今度は一転して憂鬱を露にし出した。
「最も今はお前にしか需要がない代物だけどな」
「いや、ありがとう。これで俺も……」
「ふっ、お前が感情を露にするなんて初めて見たよ」
少年は手渡された完成品――七色の光沢を放つ指輪を羨望の眼差しで見つめていた。
これがあれば堂々と暮らせる。もう戦わなくても良いのだ。
彼が求めるのは普通の幸せだった。
凡人には当たり前な日々、失わなければ気づかないささやかな幸福。
求めるのはそれなのだ。
少年には珍しく、屈託のない笑顔が眩しく映えていた。
青年も、その貴重な横顔を宝物のように見守る。
彼はそっと話を続けた。
「あとこれも渡しておく」
引き続き少年に紹介されたのは、何の変哲もない眼鏡。
――二つ目?
予定外の代物に、彼は瞳の奥に戸惑いの色を宿す。
「眼鏡?」
「一種の催眠誘導装置だな。精神干渉の類ではなく、旧時代の"催眠術"っていう古典的な芸当を再現してみたものだ。まあ、気持ちの問題だ。お前に干渉は無駄だからな。要は大人しくしていろってことだ」
この眼鏡もまた未発表のオリジナル。青年が暇潰しに制作した導力科学の結晶であった。
大人しく暮らすのなら、精神安定剤のような道具も必要だろう。
青年の言葉尻に飛び出した余計な一言を捉え、少年は溜息と共に自嘲を零す。
「信用がないな」
少年が呟いたのは自虐の告白であり、罪に嘆き救いを求める祈祷者のようでもあった。
これも今に始まったことではない。
普段は冷静過ぎる少年だが、ふとした拍子に暴走することもある。彼にも譲れない想いがあるのだ。
それを鑑みての反省の意味も込められていた。
青年は悲しげな瞳を伏せ、優しく言葉を紡ぐ。
「静かに生きるんだろう?」
「そうだ……な……。世界に対するささやかな抵抗だ」
少年が躊躇いながら呟く。
その目は何を捉えているのだろうか。戻らない何かを掴み取ろうとするかのように、遠くを見つめていた。
自分に、世界に、そしてここにはいない誰かに言い聞かせるように、彼は固い決意の言葉を口にする。再び彼の目に光が灯り出した。
それでいい。
安心した青年は、心の中で納得する。そこで気になっていた事を質問した。
「アイツらには言わないのか?」
「言えば反対、いや笑われるだけだからな。お前にゃ無理ってな」
互いに苦笑いを浮かべる。
プライベートではそこまで入り込めなかったが、親しい仕事仲間ならいる。
少年を知る数少ない仲間達。そんな彼らが少年の願望を聞いたら、何と答えるだろうか。どう思うのだろうか。
バカ騒ぎをされて、やめろと忠告されるのが関の山。その光景が鮮明に目に映し出されるようである。大笑いされるに違いない。
そんなことを想い合った。
「もう五年か。早いもんだな」
「そうだな。あの頃のお前はガキもガキ。愛想のないクソガキだったからな。懐かしいな」
「俺は俺のままだぞ。変わったつもりはない」
「まあ、愛想の無さは相変わらずだけどな。ハハハっ」
二人が知り合ったのはとある仕事が始まりだった。
表と裏。分野は違うものの、相反する二つの世界において、それぞれが頂点に立つ者同士である。
永遠に交じり合わない可能性も、逆に出会う確率もあった。
だが二人は出会いを果たした。
それは運命のようであり、この先に必要な事象――"必然"だったのかもしれない。
それ以来、各々の友人や仕事を支えるための、持ちつ持たれつの日々が続いた。
自然と、共通の知人も増えたのである。
彼らとの思い出も、少年を此処に繋ぐ大事な欠片だった。
「ハッハッハ、その通りだな。まずはその可愛げのない性格を直さないとな」
「それは何とかするさ。それが俺の特技でもあるからな」
「"最適化"か。人格さえも制御するとは流石だな」
「それが"俺"だからな」
「そうだな」
――最適化。
少年が師匠から受け継いだ技と思想。それこそが可能とする少年を顕著に表す技術である。
あらゆる環境に最高の形で適応するための、人格&能力のカスタマイズシステム。
裏を返せば、精神の安寧を保つための自己防衛機構でもあった。
最適化などどいう尋常ではない技術は、少年の生き様そのものを表わしているかのようである。
それを思うと青年は、つい我が子を見守る親のような気持ちになってしまう。
せめて平穏に望むがままに生きて欲しい。
そのためにこんな道具まで創ったのだ。役立ってくれるのなら、創った甲斐があるというものだ。
研究バカの友人にしては珍しい微笑みを感じ、少年はしかめつらを浮かべる。
青年の生暖かい心情を察し、苦情を呈した。
「その顔はヤメロ」
「おっと、すまん」
憮然とした少年に対して、青年が素直に謝罪を入れる。口調では謝っていたが顔はニヤけていた。
ヤメロと言っているのに……。
痛い程に自分を労わる友人達に、少年は気疲れしてしまいそうになる。
そんな心の叫びが愚痴として、口の中から飛び出した。
「お前らは本当に過保護だな。全く、どいつもこいつも……」
「ふふふっ、それだけ慕われているってことだろ?」
「どうだかな」
少年は照れと困惑、そして自虐の篭もった感想を吐いた。
青年が断言した皆の想い。それは信頼の証。それは分かっている。分かってはいるつもりなのだが……。
信用したいけど、あと一歩が踏み込めない。
自分は異端者、という大きな壁が現実として立ち塞がり、彼は最悩んでいた。
「いい加減、自己嫌悪はやめろ。世界なんて糞くらえなんだろ?」
「そうだったな。俺の悪癖だ。習慣ってのは抜けないものだな」
治そうと思っても治らない性格に、少年も苦笑する。
過去は過去、それが全てではない。むしろ未来のために、自分は変わらなくてはならない。
分かってはいるのだ。
だが理解と納得は違う。
追い求めて止まない何か。それが手に入るまでは、少年の葛藤の天秤が定まることは無い。
このままじゃいけないな。弱い自分に少年は内心、強く叱咤した。
「で、何処に行くんだ?」
「ああ、祖国に行ってみようと思う。確か日本だったか? 俺も行くのは初めてなんだがな」
話は変わり、今後の少年の身の振り方に焦点が当てられる。
祖国という割には、彼には想い出も何もない。そんなおかしな状況が戸惑いを生む。
――日本。
幼い頃にいた筈の祖国。記憶にない生誕の地。
世界中を師匠と旅する中で、少年は祖国にだけは行った事がなかった。
あるいは師匠の気遣いだったのかもしれない。
だが少年は成長した。
もう一人でも歩いていけるのだ。
祖国への帰郷を胸に秘め、この日のために準備してきた今、彼に迷いはない。
「めぼしい知識は"記憶"した。もちろん言語もバッチリだ」
「相変わらず便利な技だな。なら、後は知識で身につけられない部分か」
「そんなもん、行けば何とかなるだろう?」
細かいことなど、機転を利かせればどうとでもなる。
少年はぶっきらぼうに答えた。
彼の「記憶した」は、通常とは異なるニュアンスを持つ。
それが彼の技術の一端でもあるが、青年にも既に知り得る情報であったため、軽く褒められる程度で流されていた。
あとは現地採集で大丈夫、と少年は気楽に考えていたが、
「いや――」
「何だ、その不吉な笑みは?」
その予定はあっさりと覆される。
二ヤッといやらしい笑みを浮かべる青年に、少年は嫌な予感が絶えない。
「コホンッ、何を隠そう、俺はジャパニーズ文化の崇拝者"オタク"だ」
「それは、えばって言うことなのか?」
「言うことだ」
「……そうか。で?」
聞きたくはないが、この展開で通らぬ訳にはいかない。
少年は嫌々その先の結論を問いかけた。
その内容は――
「ここでその一般常識を身に付けさせてやる」
自信に満ちた言葉が、オタク青年の口から紡がれた。
――想えばこれが始まり。
これより数週間、世界一の科学者の親切により、少年は日本での常識を叩き込まれることとなった。
――それが間違った解釈だとは知らずに。
ここが少年の運命の分岐点。
変人科学者による斜め上の説明で、誤った日本文化が彼の脳に吸収されていく。それはニッチ産業的真性オタク文化。
新たな変人類が誕生した瞬間でもあった。
こうして、かつて住んでいたであろう記憶にない祖国への、出立準備が着々と進行していくのであった。
この期間ばかりは、何事にも動じない少年も疲れ果て、ゲッソリと痩せこけていた。