中編
エルがこっそり指さした方向を、僕もひっそり、視線の動きだけで確認した。このカフェレストランは、非常にこぢんまりとした造りになっている。二人がけで向かい合うテーブルが四つ、外の通りが見渡せるガラス面に沿って並べられている。四人がけのテーブルは店の奥に二つだけで、それで満杯。レジキャスターは、厨房と客席を隔てるカウンターに置かれていた。
そんな店内はまだ満席が続いており、その中の一席――二人がけのテーブルに注目する。二人がけの席であるが、どうやら女性客が一人だけで座っているようだ。
これは別に不思議なことではない。
女の子の友達などに話を聞いてみると、「一人では外食できない」なんて意見をずいぶん多く耳にする。確かに、ファミレスやラーメン屋、定食屋などで、男子学生やサラリーマンが一人で食事している光景は目にするが、女性が一人というのは珍しい。
とはいえ、ここは大学すぐ近くの学生街。
大学の昼休み時間にもなれば、構内はもちろん、近隣の飲食店でも一人で食事をしている女生徒の姿はあたり前に見かけられる。友達同士でにぎやかに食事している風景も、それと同じぐらいにあたり前のものだけど、大学生ともなればいつも友達といっしょというわけにはいかないし、授業やアルバイトの関係で急ぎ一人で食事を済ます必要がある時も多い。
それに加えて、このカフェレストランはお洒落なのだ。店舗全体がウッドテーブルとパステルカラーの椅子や小物でまとめられて、男子禁制の華やいだ雰囲気を作り上げている。
ひねくれた云い方になってしまうけれど、キャンパスライフにちょっとした夢や憧れを抱いているような女子にとって、まさにイメージを具現化させたような場所なのだ。こうしたお店でランチすること――学術書を片手に、食後のコーヒーも飲んだならば、一人ランチはむしろステータスになるぐらいだ。
まあ、そんなわけで。
この店で、女子が一人で食事していることは不思議でも何でもない。これが《日常の謎》としての出題ならば、お粗末もいいところだろう。
僕は首を傾げた。
「エル?」
彼女に尋ねる。
「どういう意味?」
「よく観察して。すぐにわかるはずよ」
僕はあらためて、ターゲットを眺めた。
二人がけの席で、女性は外の風景が見える方の位置に座っていた。足下の床にバッグを置いており、ちらりと見える分だけでも相当な量の本が詰め込まれている。辞典ぐらいの厚い本もあるようで、真面目な学生なのだろうと推測できた。
学生と瞬間的にわかったのは、バッグの本も判断材料だったけれど、テーブルの上にご丁寧にも教科書を置いていたからだ。『近代日本文学概論』で使用している定価三千円もする本である。僕やエルと同じ文学部の学生である可能性が高いだろうと思った。
さて、学生だとすれば何年生だろうか。正直、これは判断がつかない。ちなみに、僕とエルは入学してから数か月の一年生であり、ようやく大学生活になれて、余裕が出てきたところだ。物珍しさに、周囲をきょろきょろすることも少なくなった。そうした観点で見れば、彼女はやや落ち着きがないようにも思えた。窓の外の風景に時折、視線を向けている。
その見た目は、ごく普通の女子である。髪は長めのストレートで、色は染めていない。薄手のカーディガンにスカートという服装だ。アクセサリの類も見受けられないから、やっぱり真面目という印象を加速させる。
どこにも違和感はなかった。
何か見落としがあるのだろうか――そう思ってしばらく観察を続けたところ、僕はようやく《謎》にたどり着くことができた。
観察眼を研ぎ澄まし、何かを発見したわけではない。
しばらく観察を続ける――その時間経過が教えてくれた。
僕が眺めている間、彼女は目の前のランチに一度も口をつけなかったのだ。その手にフォークを持ち、時折、サラダの盛りつけを崩したりはするのだけど、それを口まで運ぶことはなかった。
「気づいたみたいね」
エルが楽しそうな声で云う。
「ちなみに、あの人は私達が入店する前から、あのテーブルに座っていたわ。私達は熱の入った議論をしながら、それでも食事は済んでいる。それなのに、話し相手もいない彼女は食事を終えるどころか、まだ一口も食べ進んでいないわ」
すなわち、一時間近くの間、彼女は料理を目の前にして何もしていなかったことになる。実際、今も食事を口にしようという気配は感じられない。
僕は了解する。
「まさに《日常の謎》ということだね」
◆
エルが主人公としての資質を備えていることに気づいたのは、僕らが第三世界テラ――こちら側の世界に戻って来て(エルからすればやって来て)、おおよそ一ヶ月ぐらいが経った頃である。
最初の一ヶ月は、やはり慌ただしかった。
そもそもエルの存在を抜きにしても、僕は一年も失踪していたわけだから、単純に「ただいま」と云って済む話ではない。警察沙汰になっていたし、地方ニュースとしてテレビでも報道されたらしい。
そんな風に大騒ぎになっていたところへ、エルという正体不明の美少女を連れて帰れば、それはもう大混乱は必至である。
僕も最初は、言葉だけで説得しようとがんばった。
でも、無理だった。
ごまかすには話の規模が大きくなりすぎていたし、本当のことを云おうものならば、精神病院にでも連行されかねない雰囲気だった。
そんなわけで、僕はいきなりルールを破ることになった。誰かに強制されたわけでもない自分ルールだけど、ちょっと情けない。
ルール。
すなわち、魔法の使用禁止。
【魔姫】と呼ばれたエル程ではないけれど、僕だって魔法を使える――いや、そんな云い方では謙遜を通り越して嫌味だ。異世界グラシアにおいて、僕の魔法の実力はエルに次いで世界二位だったのだから(総合の戦闘能力では、もちろん世界一位)。
攻撃性破壊魔法から感応性治癒魔法まで、幅広く使える。
ちょっとした記憶の改竄――正確には、限定的な過去改変も可能である。さすがに独力では不安だったのでエルの助けも借りたけれど、魔法は見事に、僕とエルの諸問題を解決してくれた。
一年間病気で入院していた――そんな風に、周囲の記憶や記録を作り変えた。
さらに、エルは遠い遠い親戚ということにして(外国人の親戚なんていないけれど)、諸々の事情があり、僕の家に居候することになったと《設定》を考えた。もちろん、怪しまれないように戸籍も準備した。
そんな風に、ばたばたと一ヶ月。
エルの高校入学手続きも済ませ、僕の家族ともなじみ始めて、ようやく肩の荷が降りたと感じるようになった頃である。僕の友達が遊びに来た。特に意識もせず、エルに紹介したのだけど――。
「はじめまして」
美人のエル相手に、目に見えてどぎまぎしている僕の友達。うわずった声で挨拶した彼に対し、エルはにっこりと笑った後、「こちらこそ、はじめまして」と返しながら、次のように言葉を続けた。
「ポチの小学生からの友達ですね。お兄さんがいらっしゃるみたいだけど、年は離れているみたい。気になる女の子がいるなら、早く告白した方がいいと思うわ。ええ、大丈夫、その子もあなたの事が好きよ。それと、朝は天気予報を確認して、午後から雨ならば傘を持っていくべきでしょうね。足の怪我は大丈夫かしら。そろそろ部活の試合があるからと云って、自主的な練習で無茶はしない方がいいわ」
友人はしばらく呆けた後で、じろりと僕をにらんだ。しかし、僕の方も驚いていた。友人は自分の情報を、僕があらかじめエルに伝えていたと思ったみたいだけど、それは誤解だ。
彼に兄がいることや隣のクラスに意中の相手がいることは知っていたけれど、この前日に夕立でずぶ濡れになったことや足を怪我していることは知らなかった。
僕がエルに教えたわけではない。
僕の知らないことまで、エルは知っていた。
「どういうこと?」
混乱して問い詰めれば、エルも戸惑った。
「この本に書いてあったことを、実践しただけ……」
何かまずいことをしただろうか――こちらの世界の常識や風習を勉強中であったエルは、非常に申し訳なさそうに気落ちしていた。そんな彼女が示した本は、実用書でもなければ新書でもなかった。
「シャーロック・ホームズ?」
国が違えば、文化も異なる。
世界が違えば、さらに差異は大きくなる。
異世界グラシアにも書物は存在する。だが、《小説》は存在しない。僕の本棚から適当に選んだ本で、エルは独学で勉強していた。エルの常識では、本は実用のためにあるもので、書かれている内容は実践するために存在するのだった。
もちろん、初めての《小説》に困惑したらしい。
それでも勤勉な彼女は四苦八苦の努力をして、内容を理解し、消化し、スキルとして取り入れた。シャーロック・ホームズを実在の人物と信じて、その《推理力》を吸収したのである。
僕は驚いて――驚きながら、感動していた。
「エル、これは小説と云って、楽しむためにある本だ」
「小説? わからないわ」
「大丈夫、たくさん読めば、自然とわかるよ」
僕はあえて《小説》がどんなものであるか説明することなく、本棚にあった作品を片っ端からエルに与えた。もともと読書家であった彼女は、これを苦にすることなく、むしろ生き生きとして、全てを読破した。
さて。
話はちょっと変わるけれど。
推理小説が抱える、とある大きな問題を紹介しよう。
推理小説における名探偵とは、謎を解き明かす存在である。読者の予想もしなかったトリックを暴きたて、華麗に犯人を名指しする。証拠も十分に揃いあげたならば、観念した犯人は自白を始めるかもしれない。
しかし。
犯人の自白が嘘だったならば――。
犯人は別の人間を庇って、証拠すらねつ造したならば――。
完璧と思えた推理に間違いがあり、別のトリックがあったならば――。
名探偵とは、そもそも何なのか。それは謎を暴く者である。それは犯人を見つける者である。それはトリックを見抜く者である。それは作品の主人公であり、物語を終わらせる者である。
名探偵は、絶対である。
名探偵は、神である。
だけど、それは読者が名探偵を盲目的に信じることで成立する――ぺらぺらの紙のように頼りない《絶対》なのだ。名探偵が間違っていないこと――名探偵が《絶対》なのだと、誰が証明できるだろうか。
解決されたように見える事件、終わったはずの物語が、実は読者の知らない場所でひっそりと最悪の結末を迎えているという可能性もあるのではないだろか。
そんな風に考え始めると、ミステリは破綻する。
名探偵による解答がどれだけ頼りないものか、露呈する。
後期クイーン問題――その名の通り、推理作家エラリー・クイーンが晩年になって遭遇した作品テーマである。結果として、彼(彼ら)は、それまで描いてきた超人的な《名探偵》を、時に間違え、大いに悩む《人間》に変化させている。
もちろん、この問題点が指摘されるようになって、それを打破するような作品が多く生み出されることになった。活発な議論が重ねられて、そうして次代の名探偵が誕生していった。
僕みたいな平凡な学生が、後期クイーン問題の解を出そうなんて分不相応もいいところだ。僕が示すものは、初めて後期クイーン問題を知った時に抱いた、幼稚な――あきれるように愚かな夢物語である。
僕は無邪気な子供のように、こう思った。
名探偵が正しいのか証明できないならば、別の名探偵を呼んでくればいい。とある事件――ひとつの提示された謎に対して、かませ犬のライバルなどではない、本当の名探偵が二人や三人、それこそ十人も集まって推理したならば、それぞれの推理が互いの答えを証明するだろう。
そんな《暴力的》な解答。
たとえば。
パリの没落貴族、ベーカー街の私立探偵、ニューヨークの推理作家、灰色の脳細胞を持つベルギー人、ロンドン郊外の村の老婦人、ロサンゼルスのハードボイルド、思考機械と呼ばれる大学教授、隅に座る老人、シャイクスピア劇の名俳優、カトリックの司祭、ミラノのレストラン給仕。
これだけの名探偵の推理と解答を前にして、後期クイーン問題が生き残れるのか――そんな風に、僕は考えた。もちろん、これだけの名探偵が一作品で共演することはないし、現実的に、それを書き切れる作家はいないだろう。
「エル、今日は何を読んでいるの?」
砂漠に咲いた、一輪の美しい花である。
枯れた砂の海しか知らなかった花は、初めて水という潤いを知り、浴びるように贅沢にそれを吸い上げていた。花はますます美しく、花弁を鋭利な刃物のように研ぎ澄ましていった。
彼女は、本棚にあった本を読み尽くした。
そうして、エルは名探偵になった。
ここに、僕が冗談のように考えた後期クイーン問題の解が存在する――エルという名探偵の夢物語が存在しているのだ。