門の番人 - はじまりの章
僕の幼馴染のジェニーは長い黒髪と青い眼を持つ、ちょっと神秘的な雰囲気を持つ美少女だ。
僕らは小さな頃からよく一緒に遊んだ。同じ学校に通っているのに、それでもほぼ毎日、学校が終わると一緒に遊んだ。
「ほぼ毎日」なのには理由がある。
毎年、何故か10月になると、ジェニーはどこかに行ってしまって会えなくなる。
小さな頃はそんなことは無かったのに、八歳くらいになった頃からか、ジェニーが学校にさえ来なくなる時があった。それは段々長くなり、十四歳になった今、ジェニーは学校を休んで既に1週間が経っていた。
ジェニーは両親、お兄さん、おばあちゃんの五人家族だ。だけど、この時期になるとジェニーの家にはおばあちゃんが一人で留守番しているだけで、他の人たちは旅行に行っているのだと言われる。
こんな時期に、何故? 学校だって、まだ休みじゃないのに。
ジェニーは今日も学校には来なかった。
僕はいつものように学校で渡されたハロウィン・パーティーの案内やパーティーでのボランティア募集の紙を持ってジェニーの家に立ち寄った。
その日は珍しく、ジェニーの家の二階にも明かりが付いている。明かりの付いている角の部屋はジェニーの部屋のはずだ。
(帰ってる?)
僕は少し興奮気味に玄関のベルを鳴らした。
「どちら様?」
インターフォンのスピーカーから、ジェニーのお母さんの声が聴こえた。
「僕です。ダンです」
「あらぁ。今、開けるわね」
ドアの向こうから「私が出る」と言う聴き慣れた声が聴こえた。ジェニーだ。
「ハイ、久しぶり」
「う、うん…。ひ、久しぶり」
開いたドアの向こうでニッコリと微笑むジェニーを見て、僕は何故か口籠もってしまった。そんな僕見て、ジェニーが笑う。
「どうしたの?」
「あ、えっと、あ、そうだ。プリント…。ハロウィン・パーティーの…。ジェニー、今日も学校に来なかったから」
「ああ。ありがとう」
ジェニーはハロウィン・パーティーのチラシを僕から受け取ると、それを見てフッと寂しげに微笑んだ。
「ジェニーは、今年はパーティーに来られるの?」
僕はジェニーがハロウィン・パーティーにいたという記憶が無い。だから多分、ジェニーはパーティーには来たことがないのだと思う。
「うーん…。どうだろう。多分無理、かな…」
「あ、あのさ」
僕は思い切って尋ねてみた。
「ジェニーって、どうしていつもハロウィン・パーティーには来ないの? クリスマスやイースターの時はいるのに」
ジェニーは僕の質問に少し驚くと、ちょっと間を開けてから答えた。
「ハロウィンの時は、旅行してるから」
僕はもっとジェニーの言う「旅行」について訊いてみたかったけれど、ジェニーの瞳から僕を突き放すような光を感じて、躊躇った。
「あ、そうなんだ…」
「じゃ、またね? 持って来てくれて、ありがとう」
ドアを閉めようとするジェニーに、僕は言った。
「明日は学校に来る?」
その問に、ジェニーは哀しげな目で、ただ微笑んだだけだった。
翌日、ジェニーは学校に来なかった。
僕らが16歳になった年。十月に入って、ジェニーがまた学校に来なくなった。携帯もメッセンジャーも、何も繋がらないし、いくらメッセージを打ってもジェニーからの返事はない。
ある日の午後、僕が自転車で町外れを走っていると、遠くの方に見覚えのある人影が見えた。
(ジェニー?)
僕がジェニーを見間違えるはずが無い。
僕は自転車をジェニーが立っていた辺りに走らせた。
その場所に着いた時、既にジェニーの姿はどこにもなかった。そこは以前、砂糖工場があった場所で、工場を経営していた会社が倒産した後、買い手が付かないまま放置されている場所だ。
どの扉も南京錠で固定されていて、中に入ることが出来ないようになっている。だが、僕は歩いているうちにゲートの一つが外れて、人が一人通れる位の隙間が開いているのに気が付いた。
(どうしよう…)
辺りは薄暗くなってきているし、僕は懐中電灯を持っていない。そんな中で中に入ったら、危険だと思う。でも、どういうわけかジェニーが中に入っていったという確信が僕にはあった。
「よし!」
僕はその場に乗っていた自転車を停めると、ゲートの中に身体を滑り込ませた。
しばらく廃工場の敷地内を歩いていたら、どこからか物音が微かに聴こえた。
(中か…?)
しばらく壁伝いに歩いていくと、一箇所、工場の窓が開いている場所を見つけた。僕は思い切って、中に入ってみることにした。
工場の中には大きなさび付いた機械が置かれていて、その周りに段ボールの箱などが転がっていた。気になる物音は、工場のさらに奥から聞こえてくる。
僕は何となく物音を立てないほうがいいような気がして、そっと足音を立てないように歩き始めた。自然に息も潜めていく。
(こっちか…?)
遠くから聴こえる微かな物音と同時に、異臭と生暖かい空気を感じるようになった。
(何だ、これ…)
そこは、以前は従業員の更衣室だったのだろう。縦長のロッカーが壁にずらりと並べられた奥に、誰かがこちらを背にして立っているのが見えた。ジェニーだ。
ジェニーは黒のジャケットに黒いジーンズを履いていたが、何故か彼女の周りだけうっすらと光っているように見えた。僕が全身黒ずくめの彼女をこの暗闇の中でも見分けることができるのは、その光のせいかもしれない
そこは不思議な空間だった。室内なのに、何故か風がそのさらに奥の壁から吹いていて、ジェニーのポニーテイルにしている長い黒髪が揺れていた。その風の向こう側から、金属の軋むような鈍い音と誰かが唸るような声が漏れてきて、僕の背筋には何とも言えないような悪寒が走った。
(な、何だ…?)
「ジ、ジェニー!」
思わず叫んでしまった僕の声に驚いて、ジェニーが後ろを振り返った。
「ダン? どうしてここに?」
「君を見かけたから…。でも、これ、何だよ?」
まるで地の底から響いてくるような唸り声が、より一層大きく聴こえてきた。
「オオオ、オオオ、オオオオオオ…」
そして、壁の向こう側に誰かの金に光る眼を見たような気がして僕は竦みあがり、その勢いで尻餅をつきながら床に倒れた。
「な、何だよ、あれ?!」
ジェニーは再び壁の向こうへ視線を移すと、僕を見ずに答えた。
「説明は後! 今はここを閉じるのが先よ!」
そう言ってジェニーが右手を奥の方にかざすと、ジェニーの身体から白い光が溢れ出した。
「緩みし境界よ。元の姿に戻れ。歪みし空間よ。あるべき場所に戻れ」
凛としたジェニーの声が部屋に響き渡り、ジェニーの身体から出る白い光が一層強くなった。
「閉じよ! 魔界の門!」
ジェニーの言葉と同時に、かざされたジェニーの右手の掌から眩しい光が迸り、それは壁に向かって一気に注がれた。僕は光の中に、大きな黒い門を見た。
門は鈍い音を立てて軋みながら、徐々に閉じられていく。それは完全に閉ざされると空気に溶けるように消え去り、それと同時に風と唸り声が止んだ。
「はい、お仕事終了」
ジェニーは軽くそう言うと、床に尻餅をついた状態の僕を見下ろした。
「ダン。何か情けない格好ねぇ~」
クスッと笑うジェニーの声で、僕はようやく我に帰った。
「う、うるさいな! それより、何だよ、さっきの門は!」
「ああ~。あれ? あれが見えたんだ? ふーん」
ジェニーは物珍しそうに僕を見ると「素質があるのかもしれないわね」と呟きながら僕に右手を差し出した。
「ほら。立って。ここから出るわよ」
「あ、ああ…」
僕はジェニーの手を握ると立ち上がった。ジェニーの暖かい手が、先ほどまでの光景が現実だったのか夢だったのか、さらにわからなくする。
「大丈夫?」
「あ? ああ、うん…」
「ふーん」
ジェニーは「心ここにあらず」な僕の顔を覗き込むと、「行こ!」と言って、僕の手を引っ張りながら出口に向かって歩き始めた。
「と、いうわけで。ダンに全部見られちゃったの~」
何故こうなったのだろう。
僕は今、ジェニーの家で、ジェニーの家族全員に囲まれている。
その僕の横で事の一部始終を説明していたジェニーが「てへ」とか言いながら微笑んでいた。
「てへ、じゃねーよ。どうすんだよ」
ジェニーの兄のダグが眉間に皺を寄せている。その横ではジェニーの両親が明らかに困ったという顔をしていて、さらにその横ではおばあちゃんがケラケラと笑っていた。
「あ、でもね、ダン、門を見たんだよ?」
ジェニーの言葉に「ほお?」と全員が感嘆の声を上げる。
「素質があるのかねぇ~」
「なら、場合によっては…」
「人手も足りないしことだしねぇ…」
「俺は面倒なことはイヤだからな」
全員が勝手なことを口走っている。相変わらずだな、この家族は。
「ダン君、ちょっとそこで待っててもらってもいいかな?」
ジェニーのお父さんがそう言って家族を促し、全員で別室に入っていった。
(家族会議にかけられてるよ…)
一抹の不安を抱えたまま居間でそのまま待っていると、しばらくして全員が別室から出てきた。苦虫を噛み潰したようなダグの顔とは対照的に、ジェニーは何だか嬉しそうな顔をしている。
「ちょっと長い話になるから、今日はうちで晩御飯を食べて行きなさい。いいね?」
ジェニーのお父さんがそう言うと、お母さんが携帯電話をポケットから取り出しながら言った。
「お家には私から電話入れておくわね~」
「は、はあ。恐縮です…」
「さて、本題に入るか」
ジェニーのお父さんがそう言いながら僕の向かい側に座った。
「君に我が家のことを話すことに決まったんだ」
ジェニーのお父さん曰く、彼らはこの世界で「門の番人」と呼ばれる一族なんだそうだ。
「門の番人」は魔界とこの世界を繋ぐ「門」を監視し、それを閉じて魔物がこの世界に出てこないようにする役目を担う。
門は神出鬼没で、一定の場所には現れない。その上、ハロウィンが近付くこの時期には、どういうわけか門が緩んで開きやすくなる。だからこの時期にはいつも大忙しで、現れる門を察知し、片っ端から閉じ、封印しなくてはならないそうだ。
「だからね、私、この時期によく学校を休むのよ」
ジェニーがレモネードを飲みながらそう言った。
彼らは物心ついたときから門を閉じる技を親から子へと伝授され、それが出来るようになると一人前の番人として門を閉じる作業を行なうようになる。
ジェニーは素質があるらしく、かなり小さな頃からその作業を行なっているが、通常は十四・五歳辺りで一人前の番人になるらしい。
「普通の人間には門は見えないんだ。ただ、暗闇がそこにあるだけで。僕らが閉じる時にさえ、何も見えない人や感じない人がほとんど何じゃないかな」
「そう、なんですか…」
「ダンはね、声も聴こえたんだって~」
ジェニーの言葉に、ジェニーのお父さんが満面の笑みを浮かべた。
「ほお! それはすごい! やっぱり、素質があるんだねぇ~。そこで物は相談なんだが」
「はい?」
「うちで修行しないか?」
「は?」
「君も番人にならないかい?」
「へ?」
「ダンも番人になって、一緒に門を閉じようよ!」
「な、何でそうなる!」
「だって、見えたんでしょ?」
「だ、だからって…」
ジェニーのお父さんは「いやいや」と言いながら、真面目な顔になった。
「僕らの一族でも、最近では門が見えない者もいるんだよ。そういう人たちは、たとえ番人の一族に生まれても、門を閉じることが出来ないんだ。だけど、君は門を見ることが出来た。だから、閉じる能力もあると思うんだけどな。どうだろう?」
「ど、どうだろうって言われても…」
「大丈夫、大丈夫。私にだって出来るんだしね?」
(やけに乗り気だな、ジェニーの奴…)
「そうそう。それにね、これは、この地域に住む人たちを助けることになるんだよ? 君だって、大好きな友人や家族が魔物に襲われるのはイヤだろう?」
(今度は脅しか?)
はっきり言って、僕は迷っていた。大体、何なんだよ魔物って…。魔界の門、はさっき見たけど、でも、本当にあそこから魔物が出てくるってのか?
でも、僕は同時に彼らの話が本当だと、頭のどこかでわかっていた。あの声、あの感覚。あれは紛れも無い「異質」の存在。あんなものがこの世界にはびこったら、どうなる?
僕が迷っていると、ジェニーが僕の隣に座って、僕の肩に手を置いて微笑んだ。この笑顔は、まずい。
「私がついてるから。一緒に頑張ろう? ね?」
…女は、ずるい。
結局、僕は修行とやらを始めることになってしまった。
毎日、学校帰りにジェニーの家に行き、瞑想と集中の練習をする。時々、緩んだ門を誰かが感知すると、それを閉じるのに同行して実際に閉じる練習をしたりもした。
あれから1年。
駆け出し番人の僕にとって、初めてのハロウィン・シーズンがやって来る…。