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婚約破棄された令嬢は、元婚約者の親友と結婚します

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/10/04


「エレノア・アシュフォード。君との婚約を破棄する」


 祝宴の最中だった。

 大勢の貴族が集まる中、婚約者のアレクシスは、まるで勝ち誇るようにそう言った。


 私はグラスを置いた。

 静かに喋り出す。


「……理由を伺っても?」

「僕には、もっと相応しい女性がいるからだ」


 その言葉にアレクシスの隣にいた女性が、恥ずかしそうに頬を染める。


 伯爵令嬢マリアンヌ。

 最近、彼が頻繁に名前を口にしていた女性だった。


「僕は彼女を愛している」

「……そうですか」

「……それだけ?」


 アレクシスが怪訝そうに眉を寄せる。


「君は何も言わないのか?」

「何を言えばいいのでしょう」

「僕を責めるとか、泣くとか」

「どうして?」

「三年も婚約していたんだぞ」

「ええ」


 私は頷いた。


 ……だって知っていたもの。

 彼とマリアンヌの浮気は。

 注意をしても全く懲りずに逢瀬を繰り返す二人に、私の心は完全に冷え切っている。


「ですから、よく分かりました」

「何がだ?」

「三年間あったのに、最後まで私を大切にする気がなかったのだと」


 アレクシスの顔が僅かに引きつった。


 私はあなたを好きになる努力は惜しまなかったのですけれどね。

 あなたは最初からどうでも良さそうにしていましたもんね。


 私はため息を吐く。


「それなら、もう十分です」


 私は席を立った。


「婚約破棄、お受けします」


 会場がざわめく。


「お待ちください」


 そんな時声を上げたのは、アレクシスではなかった。

 彼の親友。

 侯爵家の次男、セドリックだった。


「エレノア嬢」

「何でしょう」

「僕と結婚してください」

「…………はい?」


 思わず聞き返した。

 この人は一体何を言っているのだろう。


 会場が今度こそ静まり返った。

 セドリックは真剣な顔をしている。


「今すぐ決めろという意味ではありません。ですが、もしあなたが望むなら、すぐにでも僕はあなたとの婚約を申し込みます」

「セドリック!」


 アレクシスが怒鳴った。


「お前、何を言っている!」

「君こそ何を言っているんだ?」


 セドリックは淡々としていた。


「君が彼女との婚約を破棄したんだろう」

「だからって……!」

「なら、僕が求婚してはいけない理由はない。……モラルはないかもしれない。けれど、もう黙っていられないんだ」


 私は二人を交互に見た。

 正直に言えば、混乱していた。


 セドリックとは、何度も会ったことがある。

 アレクシスの親友だったからだ。

 けれど、親しく話したことなどほとんどない。


 困惑したまま声を絞り出す。


「……理由を聞いても?」

「理由?」

「どうして私なのですか」


 セドリックは少し考えた。


「……あなたが、今まで僕に一度も媚びなかったからです」

「それだけ?」

「それだけではありません」


 彼は一度、アレクシスを見た。


「僕は、君が彼女を雑に扱うたびに腹が立っていた」

「なぜだ」

「見ていて不快だったからだ。何度も君に言ってきただろう」


 あまりにも率直で。

 私は思わず笑ってしまった。


「……変な人」

「よく言われます」

「褒めていません」

「知っています」


 そこで初めて。

 私は少しだけ肩の力を抜いた。


 その後はアレクシスとセドリックの言い合いが大きくなり、大混乱のうちに宴はお開きになった。








 ◇


「本当に、あの男と結婚するのか?」


 屋敷へ戻る馬車の中。

 父が尋ねてきた。

 ……父の怒りをようやく抑えてから、しばらく経ってのことだった。

 いや、怒りはおさまっていない。

 ひとまず聞いておくべきことを聞いておくか、といった形で尋ねてきたのだろう。


 私は正直に答える。


「まだ決めていません」

「そうか」


 父はそれ以上、何も言わなかった。


 私は窓の外を眺めた。

 不思議だった。

 婚約破棄されたというのに、涙は出なかった。


 悔しい。

 腹立たしい。

 それはある。

 けれど、悲しいとは少し違った。


 三年間。

 私はアレクシスに好かれようとしてきた。

 好きなものを聞かれれば彼の好みに合わせた。

 夜会では彼の隣に立ち。

 彼の友人には丁寧に接し。

 何か問題が起きれば、婚約者として恥をかかせないように振る舞った。


 それでも。

 彼は別の女性を選んだ。

 一度も私を省みる事はなかった。


 だったら。

 私も、もう自分の人生を自分で選んでいい。


「お父様」

「なんだ」

「セドリック様と、一度お話ししてみたいです」

「……わかった」


 父は短く答えた。


「そうしなさい」








 ◇


 三日後。

 私はセドリックと二人で庭園を歩いていた。

 そこで、私は気になっていたことを聞くことにした。


「率直に聞きます」

「どうぞ」

「あなたは私を愛しているのですか?」

「まだ分かりません」


 即答だった。

 私は目を丸くする。


「ずいぶん正直ですね」

「結婚する相手に嘘をつくほうが失礼でしょう」

「では、なぜ結婚を?」

「僕はあなたを尊敬しています」

「尊敬?」

「ええ」


 セドリックは足を止めた。


「君は、アレクシスが他の女性に夢中になっていることを知っていた」

「……はい」

「それでも彼を表立って悪く言わなかった」

「婚約者でしたから」

「僕なら、あれほど我慢できません。人前だろうと何処だろうと、激昂してしまう」


 少しだけ笑う。


「だから、あなたを強い人だと思っています」

「買いかぶりです」

「……そうかもしれません」


 彼は頷いた。

 そして、少し考えてから言葉を出す。


「だから、すぐに愛してほしいとは言いません」

「では?」

「まず、嫌いにならないところから始めませんか」

「……それは、かなり低い目標ですね」

「僕には大事です」


 私は思わず笑った。


「分かりました」


 その後。

 何度か彼と会ってみて。


 私はセドリックとの婚約を受け入れた。









 ◇


 それを知ったアレクシスが激怒したのは、その翌日だった。


「どういうつもりだ!」


 突然、我が家へやってきた彼を見て、私は呆れた。


「何がです?」

「セドリックとの婚約だ!」

「あなたには関係ありません」

「僕の親友だぞ!」

「あなたが私との婚約を破棄した時点で、あなたと私の関係も終わっています」

「それでも!」


 アレクシスは顔を赤くした。


「セドリックは僕を裏切った!」

「婚約者を捨てた人が、裏切られたと言うのは面白いですね」

「僕は彼女としっかりと彼女と愛を育んできたから、あいつとは違う!」

「……」

「なのに、どうして……」


 そこで彼は口を閉じた。

 自分の感情に整理が付かなくなったのだろう。


 私は気づいた。

 彼は、私が別の男性と婚約したことが気に入らないのだ。

 愛しているからではない。

 自分が捨てた相手を、親友が選んだ。

 そのことが気に入らない。

 自分たちより惨めになってほしいから。


 ……まったく。

 怒りを顔に出しながら、何かを言い続けているアレクシスに言い放つ。


「アレクシス様」

「なんだ」

「もう帰ってください」

「エレノア……」

「私は、あなたに捨てられたのです」


 私は静かに言った。


「なら、次に誰を選ぶかくらい、私に決めさせてください」


 アレクシスは何も言えなかった。









 ◇


 数か月後。

 私とセドリックの結婚式が行われた。


 参列者の中にアレクシスはいなかった。

 彼はその頃、父親から社交界への参加を禁じられていた。


 理由は単純だった。

 婚約者を公の場で捨てたこと。

 そして、私とセドリックに最後まで文句を言い続けてきたこと。


 貴族社会では、家同士の縁を軽んじる人間、表立って悪い発言を繰り返す人間は信用されない。

 自然とアレクシスの周囲から人が離れていった。


 さらに。

 マリアンヌとも結局上手くいかなかったらしい。

 彼女は彼が思っていたほど従順な女性ではなかった。

 二人は半年も経たずに別れた、と噂で聞いている。


 けれど。

 私は、その話を聞いても何とも思わなかった。









 ◇


「緊張していますか?」


 結婚式の前。

 控え室でセドリックが尋ねた。


「少し」

「僕もです」

「あなたでも緊張するのですね」

「しますよ」


 彼は苦笑した。


「あなたに嫌われたら困りますから」

「……もう嫌いではありません」

「それは良かった」

「まだ心の底から愛してはいませんけど」

「……それも知っています」


 セドリックは笑った。


「ゆっくりでいいでしょう」


 私は彼を見た。


 この人は、私に何かを強要しない。

 愛を求めることも。

 過去を忘れろとも。

 前の婚約者より自分を選べとも言わない。


「セドリック様」

「はい」

「私も、ゆっくりでいいと思います」


 彼が少し驚いた顔をした。

 私は笑った。


「あなたのことを知る時間が、楽しみです」


 彼は何も言わなかった。

 ただ、少しだけ耳を赤くした。


「……それは」

「はい?」

「反則です」

「何がですか?」

「今の言葉は、かなり嬉しいので」


 私は笑った。

 そして、差し出された彼の手に自分の手を重ねた。



 婚約破棄されたあの日。

 私は、自分の価値を否定されたような気がしていた。


 けれど。

 今なら分かる。

 誰かに選ばれなかったからといって、自分の価値までなくなるわけではない。


 そして。

 誰かを選び直すことだって、許されている。


 私を捨てた男は、もう私の人生にはいない。

 彼が何を後悔しようと。

 誰と別れようと。

 私には関係ない。

 私には私の未来がある。

 隣にいる人と。

 これから、少しずつ作っていけばいい。


「行きましょう、エレノア」

「はい」


 私は笑って、彼の隣を歩いた。

 今度は誰かに選ばれるためではなく。

 自分で選んだ人生を歩くために。

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