婚約破棄された令嬢は、元婚約者の親友と結婚します
「エレノア・アシュフォード。君との婚約を破棄する」
祝宴の最中だった。
大勢の貴族が集まる中、婚約者のアレクシスは、まるで勝ち誇るようにそう言った。
私はグラスを置いた。
静かに喋り出す。
「……理由を伺っても?」
「僕には、もっと相応しい女性がいるからだ」
その言葉にアレクシスの隣にいた女性が、恥ずかしそうに頬を染める。
伯爵令嬢マリアンヌ。
最近、彼が頻繁に名前を口にしていた女性だった。
「僕は彼女を愛している」
「……そうですか」
「……それだけ?」
アレクシスが怪訝そうに眉を寄せる。
「君は何も言わないのか?」
「何を言えばいいのでしょう」
「僕を責めるとか、泣くとか」
「どうして?」
「三年も婚約していたんだぞ」
「ええ」
私は頷いた。
……だって知っていたもの。
彼とマリアンヌの浮気は。
注意をしても全く懲りずに逢瀬を繰り返す二人に、私の心は完全に冷え切っている。
「ですから、よく分かりました」
「何がだ?」
「三年間あったのに、最後まで私を大切にする気がなかったのだと」
アレクシスの顔が僅かに引きつった。
私はあなたを好きになる努力は惜しまなかったのですけれどね。
あなたは最初からどうでも良さそうにしていましたもんね。
私はため息を吐く。
「それなら、もう十分です」
私は席を立った。
「婚約破棄、お受けします」
会場がざわめく。
「お待ちください」
そんな時声を上げたのは、アレクシスではなかった。
彼の親友。
侯爵家の次男、セドリックだった。
「エレノア嬢」
「何でしょう」
「僕と結婚してください」
「…………はい?」
思わず聞き返した。
この人は一体何を言っているのだろう。
会場が今度こそ静まり返った。
セドリックは真剣な顔をしている。
「今すぐ決めろという意味ではありません。ですが、もしあなたが望むなら、すぐにでも僕はあなたとの婚約を申し込みます」
「セドリック!」
アレクシスが怒鳴った。
「お前、何を言っている!」
「君こそ何を言っているんだ?」
セドリックは淡々としていた。
「君が彼女との婚約を破棄したんだろう」
「だからって……!」
「なら、僕が求婚してはいけない理由はない。……モラルはないかもしれない。けれど、もう黙っていられないんだ」
私は二人を交互に見た。
正直に言えば、混乱していた。
セドリックとは、何度も会ったことがある。
アレクシスの親友だったからだ。
けれど、親しく話したことなどほとんどない。
困惑したまま声を絞り出す。
「……理由を聞いても?」
「理由?」
「どうして私なのですか」
セドリックは少し考えた。
「……あなたが、今まで僕に一度も媚びなかったからです」
「それだけ?」
「それだけではありません」
彼は一度、アレクシスを見た。
「僕は、君が彼女を雑に扱うたびに腹が立っていた」
「なぜだ」
「見ていて不快だったからだ。何度も君に言ってきただろう」
あまりにも率直で。
私は思わず笑ってしまった。
「……変な人」
「よく言われます」
「褒めていません」
「知っています」
そこで初めて。
私は少しだけ肩の力を抜いた。
その後はアレクシスとセドリックの言い合いが大きくなり、大混乱のうちに宴はお開きになった。
◇
「本当に、あの男と結婚するのか?」
屋敷へ戻る馬車の中。
父が尋ねてきた。
……父の怒りをようやく抑えてから、しばらく経ってのことだった。
いや、怒りはおさまっていない。
ひとまず聞いておくべきことを聞いておくか、といった形で尋ねてきたのだろう。
私は正直に答える。
「まだ決めていません」
「そうか」
父はそれ以上、何も言わなかった。
私は窓の外を眺めた。
不思議だった。
婚約破棄されたというのに、涙は出なかった。
悔しい。
腹立たしい。
それはある。
けれど、悲しいとは少し違った。
三年間。
私はアレクシスに好かれようとしてきた。
好きなものを聞かれれば彼の好みに合わせた。
夜会では彼の隣に立ち。
彼の友人には丁寧に接し。
何か問題が起きれば、婚約者として恥をかかせないように振る舞った。
それでも。
彼は別の女性を選んだ。
一度も私を省みる事はなかった。
だったら。
私も、もう自分の人生を自分で選んでいい。
「お父様」
「なんだ」
「セドリック様と、一度お話ししてみたいです」
「……わかった」
父は短く答えた。
「そうしなさい」
◇
三日後。
私はセドリックと二人で庭園を歩いていた。
そこで、私は気になっていたことを聞くことにした。
「率直に聞きます」
「どうぞ」
「あなたは私を愛しているのですか?」
「まだ分かりません」
即答だった。
私は目を丸くする。
「ずいぶん正直ですね」
「結婚する相手に嘘をつくほうが失礼でしょう」
「では、なぜ結婚を?」
「僕はあなたを尊敬しています」
「尊敬?」
「ええ」
セドリックは足を止めた。
「君は、アレクシスが他の女性に夢中になっていることを知っていた」
「……はい」
「それでも彼を表立って悪く言わなかった」
「婚約者でしたから」
「僕なら、あれほど我慢できません。人前だろうと何処だろうと、激昂してしまう」
少しだけ笑う。
「だから、あなたを強い人だと思っています」
「買いかぶりです」
「……そうかもしれません」
彼は頷いた。
そして、少し考えてから言葉を出す。
「だから、すぐに愛してほしいとは言いません」
「では?」
「まず、嫌いにならないところから始めませんか」
「……それは、かなり低い目標ですね」
「僕には大事です」
私は思わず笑った。
「分かりました」
その後。
何度か彼と会ってみて。
私はセドリックとの婚約を受け入れた。
◇
それを知ったアレクシスが激怒したのは、その翌日だった。
「どういうつもりだ!」
突然、我が家へやってきた彼を見て、私は呆れた。
「何がです?」
「セドリックとの婚約だ!」
「あなたには関係ありません」
「僕の親友だぞ!」
「あなたが私との婚約を破棄した時点で、あなたと私の関係も終わっています」
「それでも!」
アレクシスは顔を赤くした。
「セドリックは僕を裏切った!」
「婚約者を捨てた人が、裏切られたと言うのは面白いですね」
「僕は彼女としっかりと彼女と愛を育んできたから、あいつとは違う!」
「……」
「なのに、どうして……」
そこで彼は口を閉じた。
自分の感情に整理が付かなくなったのだろう。
私は気づいた。
彼は、私が別の男性と婚約したことが気に入らないのだ。
愛しているからではない。
自分が捨てた相手を、親友が選んだ。
そのことが気に入らない。
自分たちより惨めになってほしいから。
……まったく。
怒りを顔に出しながら、何かを言い続けているアレクシスに言い放つ。
「アレクシス様」
「なんだ」
「もう帰ってください」
「エレノア……」
「私は、あなたに捨てられたのです」
私は静かに言った。
「なら、次に誰を選ぶかくらい、私に決めさせてください」
アレクシスは何も言えなかった。
◇
数か月後。
私とセドリックの結婚式が行われた。
参列者の中にアレクシスはいなかった。
彼はその頃、父親から社交界への参加を禁じられていた。
理由は単純だった。
婚約者を公の場で捨てたこと。
そして、私とセドリックに最後まで文句を言い続けてきたこと。
貴族社会では、家同士の縁を軽んじる人間、表立って悪い発言を繰り返す人間は信用されない。
自然とアレクシスの周囲から人が離れていった。
さらに。
マリアンヌとも結局上手くいかなかったらしい。
彼女は彼が思っていたほど従順な女性ではなかった。
二人は半年も経たずに別れた、と噂で聞いている。
けれど。
私は、その話を聞いても何とも思わなかった。
◇
「緊張していますか?」
結婚式の前。
控え室でセドリックが尋ねた。
「少し」
「僕もです」
「あなたでも緊張するのですね」
「しますよ」
彼は苦笑した。
「あなたに嫌われたら困りますから」
「……もう嫌いではありません」
「それは良かった」
「まだ心の底から愛してはいませんけど」
「……それも知っています」
セドリックは笑った。
「ゆっくりでいいでしょう」
私は彼を見た。
この人は、私に何かを強要しない。
愛を求めることも。
過去を忘れろとも。
前の婚約者より自分を選べとも言わない。
「セドリック様」
「はい」
「私も、ゆっくりでいいと思います」
彼が少し驚いた顔をした。
私は笑った。
「あなたのことを知る時間が、楽しみです」
彼は何も言わなかった。
ただ、少しだけ耳を赤くした。
「……それは」
「はい?」
「反則です」
「何がですか?」
「今の言葉は、かなり嬉しいので」
私は笑った。
そして、差し出された彼の手に自分の手を重ねた。
婚約破棄されたあの日。
私は、自分の価値を否定されたような気がしていた。
けれど。
今なら分かる。
誰かに選ばれなかったからといって、自分の価値までなくなるわけではない。
そして。
誰かを選び直すことだって、許されている。
私を捨てた男は、もう私の人生にはいない。
彼が何を後悔しようと。
誰と別れようと。
私には関係ない。
私には私の未来がある。
隣にいる人と。
これから、少しずつ作っていけばいい。
「行きましょう、エレノア」
「はい」
私は笑って、彼の隣を歩いた。
今度は誰かに選ばれるためではなく。
自分で選んだ人生を歩くために。




