表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第二章『波紋に歪む理』
39/41

第二章1話『招かれざる来訪者』


「ま、魔女……が……」


「――――」

 

 何かを発した肉の胸元から剣を引き抜く。鮮血が宙を舞い、舞って、舞い踊って、頬に付着した。


「……次」


 漆黒に染まった大地を蹴り、次なる『侵色』対象へと疾駆する。

 接近、両断、疾走。繰り返す。繰り返す。


「……次」


 なんのことはない。流れ作業だ。斬って、舞って、走って、刺して、薙いで、『侵色』する。ただそれだけの簡単な作業。思考は不要。行動指針である「訓戒」に従うだけでいい。

 次なる標的に向かって足を動かす――。



「――どうして!」


 ――ふと、そんな金切り声が聞こえ、思わず振り返ってしまう。無駄を、してしまう。



「どうして、なの……レティーっ!!」

「――ぇ」


 見ると、さっき『侵色』したはずの肉の姿が、血塗れの少女に変化していた。


 荒れに荒れ、見る影もない桃髪。狂乱に飲み込まれて鈍い光を放つ薄桃の瞳。苦痛と絶望に塗り潰された絶叫。――ボロボロになった黒いケープ。


 変わり果てたサンドラ・ミリエスタが、そこにいた。――否、そうではない。変わり果てたサンドラ・ミリエスタ"達"が、レティシアを囲っている。


「なんで、こんな酷いことするの……?」

「痛い、痛いよ……っ」

「さ、しにたくない……いたいの、やぁ……」


「……ぁ、い、嫌……ち、違うの。わた、私は……」


 視界が滲み、声の音程が揺れ、気付けばレティシアの足は後ろへと退いていた。

 ぐにゅ、と不思議な感触。恐る恐る視線を落とす。ギョロっとした桃目と目が合った。


「い、嫌ぁっ!!」


 その場から離れ――尻もちをつく。無意識に地に付けた左手が少女の柔肌を強く押し付け……またギョロっとした桃目を見た。


「ひ」


 全身を悪寒が駆け巡り、地面サンドラから逃れようと顔を上げ――後悔する。


 地面は『侵色』されたおびただしい数のサンドラで埋め尽くされていて、ゆらゆらと揺れ動くサンドラ達がレティシアを二重三重と取り囲み、退路を断っていた。


「アンタに、幸せになる資格は無い」

「惨たらしく死ぬべきだよ。死んで償って」

「れ、しんで」


「な、なんでそんな酷いこというの……? なんか、おかしいよ……?」


 込み上げる絶叫を喉を締め上げ物理的に抑えつけ、数え切れないサンドラに問いかける。返答は無い。黒く光る桃色の視線が、四方八方から突き刺さるのみだ。


「……っ。サンドラ、私はただ生きているだけ……肉を斬っただけだよ……! 誰も、殺してない!!」


 うるさい心臓を突き刺し物理的に止めて、血塗れのサンドラに問いかける。返答は無い。底冷えのする絶望が、憎悪が、重くのしかかるだけだ。


「あなたのことも、傷付けたことはないでしょ! なのに、どうして……」

「――どうして、泣いてるの?」

「ぇ」


 重ねる問いかけに、意識外からの問いかけが重ねられた。

 姿は見えない。けれど確かに耳元でそう聞こえた。


 左胸を貫いた剣から手を離し、目元に手をやる。得体の知れないその水に触れた――瞬間、記憶にない記憶の奔流が一気に押し寄せた。


「――うっ……くぅ……!」


 白髪の少女との邂逅、桃髪の少女の死、白髪の少女との再会、抱擁、入浴――『……あなたの言う帝国肉も、あなたと同じ人です。肉などという無機質な物体ではなく、悲しい時には泣き、嬉しい時には笑い、斬られたら痛みを感じて――そして、感情を分かち合える。人間、なんですよ』




「――そう、だ。私は……」


 「人」を、数え切れないほど殺めてきた。「人」の人生を個性を可能性を肉体を精神を命を、どうしようもない「黒」で塗り潰してきた。「人」を、この手で幾度も殺したのだ。

 だから、帝国の人からの謗りは正当だ。彼らの怒りを、恨みを、死の請求を、レティシアは否定できない。だが……。


「ちが、違うのサンドラ!! 確かに私は帝国の人たちをたくさん殺した……殺したよ? でも……でも……っ、私はあなたを殺してないっ!」

「殺したよ。アンタは確かに、アタシを見殺しにした」

「違うのっ!! 必死に、手を伸ばしたんだよ……でも、届かなかった…………どうしようもなかったのっ!」

「違わない。結果が全てだよ、レティー。アンタはアタシを救えなかった。アタシが死んだのは、アンタのせいだ」


 違う。嘘だ。それは間違っている。

 あの時レティシアは、むしろ死に向かうサンドラをなりふり構わず止めようとした。


 サンドラの死の原因はテロリスト。それ以外の誰にも罪はない。これは自己擁護ではなく、純然たる事実だ。

 サンドラを殺したのはあの爆弾。間に合わなかったのはレティシア。見殺しになんて、していない。


 だから、サンドラの言い分は因果関係が間違っていて――、



「――死以外にも、私を救う手段はあったのではないですか?」


「お、父様……?」


 再びの意識外からの問いかけに、思考が強引に揺り戻される。

 辺りを見回すも、イリス同様姿は無い。だが、声が、脳髄に響く――。


「代理教皇と聖女のように、剣を使わなくとも望んだ結果は得られたのでは無いですか?」


「そ、れは……」


 ないと、断言できる。先に王城に乗り込んで呪縛を解き払ったとしても、お父様の自責の念が希死念慮を一層増大させるだけ。生という名の呪いが強まるだけだ。

 レティシアが物心ついた時には既に手遅れだった。対処療法すらも打つ手がなかった。あの時のお父様が最も救われる方法は、あの時点でのあの一撃しかなかった。だからレティシアは、イリスに我儘を言ってお父様に――。


「――それは、あなたが一番楽な方法に逃げただけなのでは無いですか?」

「……っ! 違うっ、そんなのじゃないです!」


 あの結末は、レティシアの本意ではなかった。本当は、お父様を殺したくなんてなかった。あの日のように、お父様の笑顔を見たかった。お父様に幸せになって欲しかった。


 でも、お父様にとって生きることは際限ない苦痛に苛まれることと同義だった。だから、どうしようもなかった。


「違わないじゃん。だって、アンタはアタシを見殺しにした」

「サ、ンドラ……違う、違うの。誤解だよ? サンドラは知らないかもだけど、私は走って……」

「でも、アタシは死んだ。アンタが間に合わなかったから」


 冷たく突き付けられる事実、それは正しい。レティシアが間に合わなかったから、サンドラは死んだ。間違いは含まれていない。

 ――でも、サンドラが自己犠牲に走った原因はあのテロリストだ。非難されるべきはあの少年であって、レティシアではない。サンドラの叱責はお門違いだ。


 ――なのに、どうしてこんなにも胸が苦しくなるのだろう。


「は、は、は、は……っ」


 止めたはずの心の臓が激しく脈打つ。息が苦しい。

 喉を強く握る。余計に苦しくなった。剣を捻る。余計に鼓動が早まった。


 乱れた呼吸が止まらない。身体の震えも止まらない。全身の悪寒も額の汗も止まらない。向けられる悪意も、止まらない。


「やめて……そんな目で、見ないでよ…………っ」


 



「被害者気取りですかぁ、『侵色』さん? 俺はあんたと『紅光』さんを讃えただけだったってのに……あんたに殺されたんだぜ?」


「――」

 また、声だけが、聞こえた。


「味方を殺すなんて、イカれてるよ、お前。おかげで俺はこんなになっちまった」


 見ない。見れない。見たくない。もう、何も見たくない。


「――クソったれが。お前に生きる価値はねぇ。とっとと死んじまえ、大量殺人鬼」


 聞かない。聞こえる。聞きたく、ない。

 胸に刺したままの剣を引き抜き、融通の利かない耳を削ぎ落とし、煩わしい目を潰し、蹲る。


 それでも視界に変化はなく、聴覚にも異常はみられない。逃げられ、ない。


「――レティシアさん」


「イ、リス…………わたしは……」


 耳元、はっきりと聞こえた純白の声に、恐る恐る顔を上げる。そこには見たこともない――いや、再会した時レティシアが直視しようとしなかった表情を浮かべるイリスがいて。


「私の前から消えてください」




「……………………え?」


「シスターの皆さんを――友達を殺した怨敵の顔なんて、誰が見ようと思うんですか。もう二度と、私の前に現れないでください」


 煮えたぎる殺意の込められた一瞥を最後に、イリスの背中が遠ざかっていく。


「待って……待ってよ……っ」


 追い縋る言葉と裏腹に、全身から力がすとんと抜け落ちた。へたりと座り込み、段々見えなくなっていく背中に、それでもひたすら声を投げかけ続ける。


「お願い、待って、待ってよ、ねぇ、イリス……」


 ひとりでに震える唇で何とか発した声は空中に霧散し、音にならなかった。気付けば辺りは静寂に包まれ――沈黙を保っていたサンドラ達の歩みが再開した。


「イリス、ねぇ、行かないで、お願い、こっちを見てよ、そばにいて――一人に、しないでぇ……っ!」


 レティシアの悲痛な叫びも、誰にも届かない。地面にへたりこみ、左胸、両耳、双眼が欠損したレティシアの身体は、ドス黒い怨嗟の集合に晒された。


「「「死んで、死んで、しんで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んでしんで死んで死んでしんで死んで死んでしんで死んで死んで「嫌……嫌ぁ……っ!」死んで死んで死んでしんで死んでしんで死んで死んで死んでしんで死んで死んで死んでしんで死んで死んで死んで死んで『ううん。レティーは生きてていいんだよ』死んで死んでしんで死んで死んで死んで死んで死んでしんで死んで死んでしんで死んで死んで死『死は何ももたらしません。私と一緒に生きましょう、レティシアさん』死んで死んでしんで死んで死んで「――死を受け入れろ「――れっ!!」

   ■■■          ■□□

「――いやぁぁぁぁッッ!!   は、は、は……」


 …………。

 ………………。


 飛び起きた視界には、白色のふかふかな毛布が映っている。首に触れる。繋がっているが冷や汗がすごい。左胸に手を当てる。不眠不休の心臓がつつがなく働いている。


「……夢?」


 荒い息を整え、辺りを見回す。

 正面、自分の姿が映る鏡。机の上に飾ってある粘土人形。柔風に揺れる、おさがりのピンクのカーテン。

 紛うことなき、騎士団寮にて貸し与えられた自室だ。


「――は」


 そこまで認識したところでふっと全身から力が抜けた。強ばった肩がすとんと落ち、短い吐息が口から漏れる。


 脱力に任せて視線を落とし、左隣、眉尻を下げてこちらを見つめているサンドラを確認し――、


「ひ」


 刹那、背筋が凍った。


 思い起こされるのは先の悪夢。怨嗟に飲み込まれた無数のサンドラに死を望まれる光景。

 あれは夢なのに。目の前のサンドラは違うのに。血に塗れ憎悪に塗れたあの姿が無垢なサンドラに重なり、全身が粟立ってしまう。


 再び早くなる動悸に胸を抑え、震える身体が無意識に仰け反る。

 サンドラが怖い。あの目が怖い。あの髪が怖い。あの口が怖い。あの声が怖い。サンドラを構成する全てが、怖い。


 そして何より、親友に対して恐怖を抱いている自分が怖い。自己に対する戦慄、困惑、軽蔑、恐怖、不信が、レティシアの脳内を埋め尽くしていた。




「……れ、だいじょうぶ……?」


 ――そうした呪いが、優しく紡がれた言の音によって丁寧に溶かされていく。


「…………ぇ」


 左手から伝わる温かい熱に遅すぎる気付きを得て、愕然とする。


 サンドラはレティシアが飛び起きる前から、その手を握ってくれていた。ずっと、レティシアの身を案じてくれていたのだ。


「――ぁ」


 瞬間、全ての「黒」が霧散した。 


 ――そもそも、あのサンドラに恐怖を抱くなんてどうかしている。夢は所詮夢、あの場にいたサンドラもレティシアも偽りに過ぎない。

 レティシアの背負っている罪と、捨てきれない償いの手段、そして奪ってきた命に対する罪悪感。

 それらが歪んだ形で結合し投影され、あの荒唐無稽な悪夢が上映された。


 最近の、記憶に残らなかった悪夢も同じだったのかもしれない。レティシアの消化しきれない罪悪感が無自覚に精神を蝕み、溜まっていく一方のその淀みが限界を迎え、涙のように悪夢の中に排出していった。そう解釈することもできる。

 偶発的でなく、必然的な悪夢。レティシアが抱えるべき業。有頂天になるレティシアを幸せから隔離し、現実を直視させてくれる調整弁。


 そしてあの死を望む声はレティシアの願望で、それを拒絶するレティシアはレティシアの弱い部分の反映。今こうして考えを巡らせているレティシア本人の意志は介在していない。

 そうした確信が持てて、胸のざわめきが静まった。

 

「……うん。ありがと、サンドラ」


「むりしてる……? ほんとーに、だいじょうぶ?」


「大丈夫だよ。ちょっと怖かっただけだから。それも、サンドラのおかげで無くなったよ」


「……さは、れをたすけること、できた?」


「――うん。いつも私を救ってくれて、ありがとね」


 サンドラの気持ちに感謝を伝えると、心配げな顔から次第に笑顔が咲いていき――、


「うんっ、どういたしまして、だよ!」


 ニパっと咲き誇ったサンドラに、レティシアもまた頬を綻ばせるのだった。



   □■□          □■□



 イリスと合流し、騎士団寮の食堂で手短に朝食を済ませた三人は、燦々と照る太陽の下、賑わいを見せる大通りを歩いていた。


「それにしても、今日はいい天気ですね」


「うん……ちょっと眩しいかも」


「同意です。帽子を持ってきていれば話は変わってきたんですが……角を曲がるまで、手をかざして凌ぐしか無さそうですね……」


「てを、かざす…………こう?」


 手でかさを作り、つぶらな瞳でこちらの顔色を伺うサンドラに自然と頬が緩むのを自覚する。


「合ってるよ、サンドラ。ふふ、もうすっかり大人になったね」


「えへへ! さは、おとなっ!」


 無邪気に破顔するサンドラは太陽にも負けないくらい眩しかった。


 ――現在レティシア達は仲良く横一列で街路を歩いている。左手にサンドラ、右手にイリスという並びだ。

 言うまでもなくサンドラとは手を繋いでいて、イリスにはいつものように辞退された。――のだが、今回は断られるまでの間がいつもより長かった。何やら考え込んでいるような素振りを見せていたので、あと少し押せばイリスとも手を繋いで歩けると思う。

 ただ、急ぐことでもないため今回は見送った。誰に強制されるでもなく、イリス本人の意思で手を取ってくれるその時を、レティシアはゆっくり待つことにした。


「ふふ、サンドラさんももうレティシアさんの介護は必要なさそうですね」


「や! さは、れとずっといっしょ!」

「そうだよ、イリス。変なこと言わないで」


「え、えぇ……?」


 自明の理である返答に何故かこちらを凝視してくるイリス。様子のおかしい彼女にサンドラが握った手を離し、すたたっとイリスの前に回り込んで、


「でもね、さはね、いともいっしょがいい!」


「へ?」


「私も同じ気持ちだよ。ねぇ、イリス――私達と一緒に住まない?」


「〜〜〜〜っっっ!?!?」


 レティシアとサンドラの心からの提案に、イリスの顔は一瞬で真っ赤になった。

 閉じた唇がプルプルと震えている。


「……ひゃぅっ!?」


「イリスの唇、ぷにぷにしてるね。弾力もあって触ってて心地いいよ」


「も、もうっ、か、からかわないでください!! ……あと、一緒には住みませんから」


 なんだかおかしくってついイリスの唇に右指で触れてしまったことを怒られ、提案も断られてしまった。

 残念だが、イリスがそう言うのなら仕方ない。お泊まりの言質は取ってあるので、それで我慢しよう。


「れ、さのも、さわる?」


「いいの? じゃあ――うん、サンドラのもぷにぷにだね。ずっと触っていたいくらい」

「れ、レティシアさん……!?!?」

「えへへ〜、うぇの、ゆひも、あうぁうぁかくて、きもひいいよ!」


 そうして心ゆくまで右指でサンドラの唇を堪能している最中、何故かイリスの可愛い悲鳴が隣から聞こえてきた。イリスは見ているだけで、サンドラとじゃれ合っているだけなのに、イリスの顔は茹で上がる一方だった。


「――うん。このくらいかな」


「……れ、なんかこれ、ふわふわする…………。またやってねっ!」


「レティシアさんの人差し指が…………私の……く、唇に…………サンドラさんの…………っ」


 口元を手で覆い、ぶつぶつ呟いているイリスに吹き出してしまいそうになり、「ふふ」と耐え切れず吹き出してしまった。


「な、何笑ってるんですか!!」


「ごめんごめん。やっぱりイリスは可愛いなって」


「かわっ……!? ――ですから、そうやって私をからかうのはやめてくださいっ!!!」


 遂に爆発したイリスの絶叫が、辺り一帯に響き渡った。



 □ ■ □



「――そろそろですね」


「だね。ここの角を曲がって……」


 から少し歩くと目的地が見えてくる。再び手を繋ぎ直したサンドラも、期待に足が弾んでいるようだ。


「……喜んでくれるかな」


「えぇ。きっと気に入ってもらえますよ」


 レティシアの憂慮に、すっかりいつもの顔色に戻ったイリスが優しく微笑んでくれる。


 ――レティシアの背中には帝国で購入したお土産が背負われている。帝国印の木刀とシャラド酒、それと『シャラドクッキー』。これから会いに行く人達に渡す予定のものだ。


 なお、『ネルの威光』などをフレディへ渡すのは彼の体調が良くなってからだ。昨日の馬車酔いを引き摺って王城で寝たきり生活を送っている光景が容易に想像できる。彼の極度の馬車耐性の無さを考慮するに、実態も近しいものなのだろう。

 故に、フレディが元気になって、喜びをめいっぱい味わえるようになってから、渡すことにした。


 などと考えていると、正面、見慣れた建築物が見えてくる。子供たちのはしゃぐ声、荘厳な門、緑溢れる庭。

 ――サンドラ蘇生後も足繁く遊びに行っている、パレット孤児院だ。


「――あ! 三百九十六ねぇねたちだー!」

「わぁい!! おかえりなさい、姉さん! 今日はお花さんを眺めて遊ばない?」

「あー! シャルミばっかりズルい!! 僕も僕も! ケンマトイやってよ、イリス姉ちゃん!」

「おあえり!! ともあち、たくさん!」


 重厚な門を皆で押してくぐると、庭で遊んでいた孤児たちが一目散に駆け寄ってきた。


「ふふ、数日ぶりですね、皆さん! 元気にしていましたか?」


「うん! シファニ、良い子で待ってたよ!」


「そうですか! それは良かっ……しふぁに、ですか?」


 再会の喜びを伝え合うのも束の間、レティシアに粘土人形を渡してくれた四百五十二の一人称に、イリス同様レティシアも引っかかりを覚える。

 パレット孤児院の孤児達は、家族になった順で番号という名の名前を授けられる。例外は一つもない。

 如何せん長いため、各々あだ名という形で工夫して呼び分けているのだが、「シファニ」はそれとは質が異なっている。


 以前の呼び名の面影を残しつつ、人名としても問題なく通用する名前だ。それを九歳の四百五十二が考案できるはずがない。それに四百七十五が四百三十一に「シャルミ」と呼びかけていたことから、孤児たちそれぞれに同様の呼び名が与えられていることが推測できる。

 以上、そこから導き出される推論は――。


「ヴァインが名付けてくれたの?」


「うん! そうだよみくろ姉さん! わたしはシャルミ! ……このヨロイムシヨロイムシうるさいバカ、もとい四百三十一はシュヴェルナ」

「はぁ? バカはシャルミの方でしょ? お花さんお花さんって、頭の中までお花で埋め尽くされてるんじゃないの?」

「シャルミ姉さん、でしょ? そーいうシュヴェルナこそ、いつかヨロイムシになっちゃうんじゃない?」

「え、それは普通に嬉しい」

「は?」


 仲がいいのか悪いのか、睨めっこを始めるシャルミとシュヴェルナを後目に、シファニが五百十四に後ろから抱き着いて、


「シファニはシファニ! ゴフィアちゃんはゴフィアちゃん! ここにはいないけど、四百四十四くんはシャスティスくんなの!」

「……しー、あつい。はなれて」

「んー、やだ! ねぇねぇ、三百九十六ねぇねはねぇねは? ヴァインさんからどんな名前もらったの?」


「えーっと……私には、サンドラがくれたレティシアっていう大切な名前があるから」


 胸に手を当て目を閉じ、その単語の音色に心を委ねる。思い返せば、レティシアが絵筆としての道を逸れ始めたのはあの瞬間――サンドラが三百九十六に「人」としての名前を与えてくれてからだった。

 レティシアが三百九十六という名前のままだったら、きっとサンドラを助けようと「訓戒」に背くことも無かったし、イリスのことも無心で『侵色』していただろう。

 そう思うと、ぶわっと身体が熱くなってくる。目頭が危うくなるのを何とか押さえ付け、ゆっくりと目を開ける。


「そうなんだー。じゃあ、三百九十六ねぇねは、レティシアねぇねだね!」

「れちしあ! だいすき!」


「ふふ、私も大好きだよ、ゴフィア」


 無邪気にとてとてと駆け寄ってくるゴフィアをしゃがんで抱き留め、背中を撫でてあげる。

 四歳児の身体は小さく温かく、壊れないように優しく丁寧に抱擁する。

 レティシアの横腹辺りにちょこんと回された両手も、レティシアの真似をするように動いていた。



「――サンドラ姉ちゃん上手!! シャルミなんかとは段違いだよ!」

「ふふん! さは、けんまといの、たつじんだよっ」

「……言ってくれるわね、シュヴェルナ。生意気な口を叩いたこと、後悔させてあげるわ!」


 少し目を動かすと、喧嘩をやめた(?)二人の中に溶け込んでいるサンドラを確認できた。腰に手を当て自慢げに胸を張っている桃髪の少女の横で、シャルミが意気揚々と「ケンマトイ」をして――あ。こけた。


「あははっ! シャルミ、だっさいのー」

「ぐぬぬぬぬ……わたしより六つも年下のクセに……!」

「しゃ、けんまといはね、こうやるの!」

「……サンドラ姉さん……。……ありがとう」

「えへへ〜、どういたしまして、だよ!」


 地べたに這いつくばって悔しがっている十三歳の少女の肩をサンドラがぽんと叩き、お手本を見せてあげている。


 ――この数日間で、サンドラは見違えるほどに成長した。それが窺えて、レティシアの『侵色』の方向性が間違っていないことが分かって、胸がすく思いだ。


「……皆、こっちに来て!」


 サンドラの成長を見とってから、レティシアは今回の訪問の主目的を果たすべく行動に移した。

 ゴフィアから手を離し、立ち上がって孤児たちを呼びつける。イリスと楽しく会話していたシファニも、サンドラと拳を突き合わせているシャルミも、院内にいて顔を見せていなかった他の孤児たちも、レティシアのそれなりに張った声に手を止めてわらわらと集まってくれた。


「レティシアねぇね、どうしたのー?」


「ふふ……私達からのお土産だよ」


「おみやげ……? イリス姉さん、おみやげってなぁに?」


「旅行先の美味しい食べ物のことですよ、シャルミさん。ランゴルマージ帝国の首都、シャラド名物『シャラドクッキー』です! どうぞ、美味しく召し上がってください!」


 首を傾げるシャルミに応じたイリスの威勢のいい声に、困惑に包まれていた孤児たちの顔に光が灯る。


「らんごるまーじ帝国!? なんかかっけーヨロイムシが沢山居そう!!」

「そこじゃないでしょう!? まったくこのバカは……」

「これ食べていいの!? みくろ姉ありがと!!」

「ゴフィアちゃん、ゆっくりだよー」

「ん。しー、ありあと」


 総勢三十二名の孤児たちが各々の反応を見せ、その微笑ましい光景にイリスとサンドラと顔を合わせる。


「ふふ」

「くす」

「えへへっ」




「――懐かしい声が聞こえてきたと思えば。やぁ、おかえり、ミクロ」


「あ、うん! ただいま。久しぶりだね、ミハナ兄さん」


 そうして笑いあっていると、孤児院の玄関の方からレティシアにとっても懐かしい声が聞こえてきて――目が合った。

 レティシア達の方にゆっくりと足を進める金髪の青年を見たイリスに肩をとんとんされ、


「レティシアさん、こちらの方は?」


「紹介するよ。この人は三百八十七兄さん。私より四つ上の兵士で、よく面倒を見てもらってたんだ」


「今はミハエルと名乗っています。二人とも、よろしくね」


 レティシアの紹介に爽やかな笑顔で応じる好青年――ミハエル。極薄の水色を嵌め込んだ双眸がイリスの方へ向く。


「イリス・ミリネスと申します。こちらはサンドラ・ミリエスタさん。私の友達で、レティシアさんの親友です」


「よろしくねっ、み!」


「イリスさんにサンドラさん、だね。うん、よろしく!」


 朗らかに手を差し出すミハエルに、サンドラは元気よく、イリスは凛然と握手を交わした。

 そうして一段落ついたあと。


「それにしても感慨深いな。あのレティシアに、こんなに素敵な友達ができるなんて」


「……兄さん、それ、何かむずむずする……」


「――ミクロ。まさか、感情が戻ったのか?」


「戻った……というより、勉強中かな。この感覚も、何て言うのか分からないし」


「……君達の、お陰なんだろうね。妹を救ってくれたこと、それに弟妹たちと定期的に遊んでくれていること、兄として礼を言わせてくれ」


「……あはは、返答に困りますね…………。私は大したことはしてないですし……」

「うー……よくわからないけど、どういたしまし、て?」



「ところで、ミクロもヴァインさんから名前を貰ったみたいだね」


「ううん。これはサンドラが考えてくれた名前なの。レティシア・パレット、いい名前でしょ?」


「そうだったのか……! うん、素敵な名前だ! なら俺もミハエル・パレットと名乗らないとだね」


 はは、と笑うミハエルの視線が、そこでレティシアの背後に移る。


「ところでレティシア、その袋は何だ? 察するに、剣の類だと思うけど」


「あぁ、これはヴァインに渡そうと思ってるの。帝国のお土産」


「帝国だって!? じゃあ、レティシアは本当に騎士団長に?」


「そうだよ。あ、ミハエル兄さんにもこれ。多分美味しいと思うから食べてみて」


「ん、ありがとう! 美味しく頂くよ!」


 レティシアの差し出した『シャラドクッキー』を丁寧に受け取り、ミハエルがポケットに仕舞う。


「あ、そうだ。ヴァインさんは今席を外しているから、日を改めるのを勧めるよ。君達が来た事は俺から伝えておくから安心して帰るといい」


「うん。ありがとう、兄さん」


「はは! これも兄として当然のことだよ。――察するに、他にも用がある人がいるんだろう? 引き止めて悪かったね」


「謝らないでよ。私も……私たちも、兄さんと話せて嬉しいんだから」


「レティシアさんの言う通りです。今度お話する時は是非、昔のレティシアさんについて色々聞かせてください」

「い、イリス……? うーん……それもなんだか……むずむずする……」

「あなたも私の聞いたじゃないですか! おあいこです! そのくらい我慢してください」

「さも、ききたいな! み、いい……?」


「もちろんだよ! じゃあ俺の方からも、その時は君たちの知るレティシアについて教えてくれ!」


「わ、分かりました」「うんっ!」


 全身を駆け巡るむずむずと格闘中のレティシアを置いてけぼりにして、三人が意気投合する。


 その後、ミハエルは門の前まで見送ってくれた。


「――じゃあ、気を付けて。イリスさん、サンドラさん、妹をよろしく頼みます」


「えぇ。お任せください」「さ、がんばるよ!」


 レティシアとしては複雑な気持ちのやり取りを最後に、三人は孤児院を後にした。 



   □■□          □■□



「ミハエルさん、いい人ですね」


「うん。『訓練』の後も、兄さんはこっそり手当てしてくれてたんだ。兄さんがいなかったら、私の身体には消えない傷跡が残ってたんじゃないかな。ふふ、ミハエル兄さんには頭が上がらないよ」


 実際、一切遠慮のないお父様の『訓練』で負った負傷の治りが早かったのは、ミハエルが適切な処置を施してくれたからだった。

 肉を『侵色』する絵筆だった頃は傷の数や深さなど気にも止めていなかったが、そんな当時のレティシアの意向を押し切って、傷一つない綺麗な身体の維持に尽力してくれたミハエルには感謝してもし切れない。



 ――復路の最中も、レティシア達はそのように往路同様仲良く話しながら街道を歩いていた。

 地を照らす太陽も天高く昇ろうとしている時間帯、そろそろお腹が空いてくる頃合だ。


「イリス、何か食べたいものある?」


「そうですねー……キノコシチューは特別な時に取っておきたいので、ハンバーグなんてどうです?」


「はんばーぐ! やったー! さも、さもそれがいい!」


「決まりだね。じゃああのお店がいいかな……」




「――おややー?」


 そうしてレティシア達の昼食議論が煮詰まった時、

正面、こちらに歩いてくる男性から声をかけられた。


「あなた、もしかしなくても『侵色』では? そちらの御仁はもしや戦死した『紅光』殿!? 何が何やら摩訶不思議ですがともあれ生きた姿でお会いできて光栄です!」

「う、うん……」


 突然のまくし立てに脳の処理が追い付かない。とりあえず敵意は無さそうだと見て、返答を何とか絞り出した。


「みみ、いたい……」

「あっははーこれはこれは僕としたことがすみやせんも少し音量下げやすねー」

「……多分、そういう事じゃないと思う」


 そのズレた対応に眉を顰め、苦言を呈する。


 不信感しか抱けない雰囲気の男だ。常にヘラヘラと笑っていて、橙色の髪が彼の一挙手一投足に合わせて忙しなく踊っている。声がうるさい見た目がうるさい行動がうるさいと三拍子揃っており、率直に言ってレティシアの苦手な人物というのが第一印象だった。


 底の見えない紫紺の瞳の片方を瞑り、男はレティシア達に満面の笑みを見せる。


「自己紹介が遅れやした。僕はモヴティックと言いやす。どうぞお見知り置きを」


 満面の笑みで優雅に頭を下げる男――モヴティックの肩に寄り掛かる形で、虚ろな目をしたフレディが引き攣った笑みを浮かべていた。



大変お待たせしましたっ!!

本日より第二章開幕です✨✨

……開幕早々大変申し訳ないのですが、本章は三日周期での更新を基本とさせてください。


では、『極相色彩のケイオスライン』激動の第二章をどうぞお楽しみください!!

そして皆様、良い三連休をお過ごしくださいっ!!✨✨


ーーーー


よろしければ評価・ブックマークの『侵色』お願いします。

感想もお待ちしております。一言でもとんでもなく嬉しいです!泣いて弾んで跳ねて舞って喜びます……!✨✨


執筆の励みになります。

よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ