断章12話『衆生を照らす月』
「最後まで世話になったな、ザレン殿、ニムレット殿。まさか、見送りまでしてもらえるとは」
「閣下の指示ですので」
「ほほ、私は帝都の一住民として、ですかな。それに、フォレオス殿とフレディ殿、お二人と語らう時間はこの老木に久方ぶりの高揚を与えてくれましたからね。このくらい、お気になさらないでください」
集合場所に到着した一行を、片方は簡潔に、片方は紳士的に出迎えてくれた。
――その紳士的な方、ニムレットの姿を捉えたイリスが、ニコニコ笑いながら前に出た。
「――随分とお元気そうですね、ニムレットさん。いえ、ニムレット代理教皇猊下?」
「…………おや、知られてしまいましたか」
声を低くしたイリスの皮肉に、ニムレットは笑顔を崩さない。
「知られてしまいましたか、ではありません! 何で! あなたはいつも大事なことを私に隠すのですか! 何で、私の代わりに勝手に背負おうとするのですか!」
「い、イーたん、詰め寄るのもそのくらいに」
「すみません、今の私は配慮ができないので、陛下に対して黙ってくださいと、そう怒鳴ってしまいそうです」
「言ってる! 言ってるぞイーたん!?」
慌てふためく外野を黙らせ、イリスがすごい剣幕でニムレットに詰め寄る。そのあまりの迫力に、レティシアも一緒に怒りにいくのを躊躇してしまう。
「あなたはいつもそうです。私の苦難を先取りし、人知れず解決し、何食わぬ顔で笑っている。時にはナフィリン閣下やシスターの皆さんも巻き込んで――私だけ、蚊帳の外なんです。私の知らないところで、私はいつもあなたに守られる……私、そんなに頼りないですか?」
「……いえ。そんな事はありませんよ」
――イリスが唇を噛んだのが見えた。
「――っ! だったらっ!! 一言言ってくださいよ!! 教皇の座に代理という形で就くことになったと――っ、私の代わりに、代理教皇の責務を引き受けたと!! せめて……あなたの口から聞きたかった……っ」
肩を震わせ、拳を握り下を向くイリスの目から涙が流れ落ちる。
「イーたん……」
「陛下、お言葉ですが空気を読みましょう。主に呼称を」
「う、うむ…………」
そんなやり取りが交わされていたが、イリスの昂りは止まらない。
思いの丈をぶつけ、今もなお感情の奔流が渦巻いているイリスを、ニムレットは糸目――否、灰色の双眸で見つめ、つぐんだ口を開く。
「――イリス」
「……なんですか」
「私は神父である前にあなたの養父です。親は子を守るもの。あなたが望んでいようといなかろうと、私はあなたの身を案じ、つい過保護に道を舗装してしまう――そこは、飲み込んでください」
「……。受け入れられると、……今の流れで、私がそれを受け入れると、本気で思っているんですか?」
「ええ。イリスは自慢の愛娘ですから」
「……っ」
再び微笑み、しかしその目は薄く開かれたままそう答えるニムレット。イリスの機微をその目に映し、「ほほ」と困り顔で笑った。
「ただ、どうやら私は今のあなたをよく見れていなかったようですね。これでは人のことをとやかく言えません」
「人のこと……?」
「失敬。失言でした。――ともあれ、私は嬉しいのですよ。イリス、あなたが生まれ持った地位でも容姿でも力でもなく、自らの行いによって人々の心に刻まれたことが」
「? 突然何を……?」
「『純白の聖女』という異名は、先天的な『聖女』という地位と穢れを知らない真っ白な髪、そして卓越した治癒魔法によるものでした。そこにイリス・ミリネスは存在せず、この呼称は一人の『聖女』を創り出したのです」
「…………」
「私の望みはただ一つ。イリス、あなたが背負う必要のない重責を取り除き、年相応の幸せの中で生きること。教会内の権力争いも、国民の自分勝手な幻想も、あなたは知らなくていい」
「…………」
押し黙るイリスの顔に、様々な感情が表れては消えていく。
やがて感情を流したまま顔を上げ、灰と青を交錯させ、喉を振動させる。
「――ニムレットさん」
「はい、イリス」
「あなたの、その気持ちは、嬉しいです。思えばあなただけは、『聖女』のお役目に懐疑的でしたね。あの時、その態度に私がどれほど救われていたか。とにかく、そこは素直に感謝しています」
そこで一呼吸おいた後、「……ですが」と言葉を繋ぎ、
「――私は、目を開けていたい。隣で立っていたい。守られるだけの存在は嫌なんです。だって……何もしなかったから、マリーも、シスターの皆も、皆いなくなった。私が、目を瞑っていたから。立ち上がらなかったから」
レティシアは知らない名前だ。だが、イリスにとって大切な人だったのだろう。それが容易に察せられるくらい、イリスは苦しそうだった。
「だから、これからはちゃんと私に相談してください。一人で勝手に背負わないでください。私を――あなたの、じ、自慢の愛娘を……頼ってください」
頬を僅かに赤らめながら、しかし視線を逸らさず、最後まで言葉を言い切った。あ、今逸らした。これまでのも相当無理をしていたのだろう。帰りの馬車で膝枕してあげよう。
レティシアがそう思い定めたあたりで、長く続いていた沈黙が打ち破られる。
「――強く、なりましたね」
「当然です。誰の背中を見て育ってきたと思っているんですか?」
くすっと、涙を拭きながら笑うイリスに、ニムレットもほほ、と微笑で応じる。
レティシアの援護は必要なかったし、剣も要らなかった。――これが、望ましい親子喧嘩の終着点なのだろう。
「ニムレット殿」
「ええ、フォレオス殿――この子は"私の"娘です」
「くっ…………いや、余は諦めないぞ……そなたから二つ返事を貰うまで、イーたんを養子として迎え入れるのを……!」
「まだ言ってるんだ……」
「……陛下にお酒はまだ早かったようですね」
げんなり肩を落とすフレディの嘆息が、親子の和解を締め括った。
□ ■ □
「ほほ、ではご達者で。イリスのこと、よろしく頼みましたよ?」
「――っ、それは、余らに養子を認めてくださると……?」
「はいはい、酔っ払いはこっちでおねんねしましょうねー。うちの夫がごめんなさい、ニムさん。普段はこんな感じではないのよ?」
「ほほ、存じ上げております。それに彼も冗談のつもりなのでしょう。私とイリスの初喧嘩を、手に汗握って見届けてくれていましたから」
馬車に乗る前に、ニムレットとそうした言葉を交わした。因みにザレンは、親子喧嘩が終結したのを確認してから「もういいでしょう。さようなら」とそそくさと帰ってしまった。
「……ニムレットさん」
「何も案ずることはありませんよ。何かあっても約束通り、逐一手紙を出しますから。自慢の父を信じてください」
「……ずるいです」
目を伏せ、そう零し、馬車の前で佇むイリス。口が無秩序に動いている。手を握ってあげる。
「――レティシアさん」
「頑張って」「い、ちゃんと、つたえよう?」
「……はい」
レティシア達の励ましの言葉に、イリスがゆっくり頷いた。そして、勢いよく顔を上げ、
「ニムレットさん! 絶対に、近々会いに伺いますからっ! ――あなたは、私の自慢の父です!」
「…………。そうですか。では、私も愛娘にそっぽを向かれない程度に励んで休まなければなりませんね」
やれやれとニムレットは頬をかくと、薄ら覗く灰色の瞳孔で乗車を見守り、車内に座ったレティシア達を窓越しに見て、手を振った。
「王国の皆様、またお会いできる日を楽しみにしています。モーハルラント殿、頼みましたよ?」
「もちろんです、猊下。傷一つ付けさせません」
モーハルラントの頼もしい一言を合図に、馬車はゆっくりと走り出した。
――馬車の中、突如レティシアの膝の上に頭を倒されたイリスの悲鳴が響き渡ったことは結びに付け加えておく。
何であれ、帝国との和平交渉を見事締結させ、異文化交流の活性化を働きかけ、帝都観光を満喫した王国使節団は、若干一名の体調不良を除いて無事に帰国を果たした。
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「――閣下、貴様の予想通りでした。十五日前、帝国から出国した兵は一人としていません。同日王都で事を起こすなど到底不可能です」
「……やはりそうか」
来客が去り、日が落ち月が昇りきろうとする頃。手元の紙に目を通し、そう報告する側近――ザレンにナフィリンが首肯する。
「となると、考えられる線は二つだ。一つは過激派が軍の内部にも潜んでいる線。この場合、内通者が武器を過激派に横流ししていることになるが……軍の武器は人数分しか支給しておらず、譲渡は失職を意味する。そんな危険を背負うぐらいなら真正面から事を起こすのが帝国人というものだ」
十五日前の王都で起こったテロ。その不審点をレティシアに聞いてすぐ、ナフィリンはザレンに調査を命じた。その結果を元に、自身の推論を展開していく。
思慮に目を細めるナフィリンが、ザレンの注いだ紅茶に口を付け、更に続ける。
「そしてもう一つ――戦場の遺留品を過激派が勝手に持ち去った線。生存者は戦死者の遺留品を可能な限り持ち帰るよう指示していはするものの、死の象徴である『侵色』のいる戦場で自身の命より軍規に準じた者がどれだけいたか分からん。そうして残存した兵士の剣を、嘆かわしいことに我が国の民間テロリストが無遠慮に漁って我がものとした。――軍内部の内通者を疑うより、こちらの方が現実的だ」
「ですが閣下、一つ問題がございます。ここ一年の一般人の出入国者のリストを照合したところ、その一割が今も出国中であると分かりました。帰国者についても手荷物に軍備品の類は見当たらず、つまり帝国内では証拠が完結しません」
「そこだな。そも、今日までその存在を隠し通してきた連中だ。少し調べたぐらいで炙り出された一割の中に紛れ込んでいるなどと分かりやすい手は打たんだろう。十年――いいや、三十年分のリストを当たってくれ。人手はいくらか手配する」
「承知」
「さて連中の手段だが……出国したその足でそのまま王都へ移住した可能性もあるな。道中で帝国の剣を拾い、いずれ来る決起の際に帝国兵を装うことで、帝国を徹底抗戦の道に追い込む。一応の筋は通っている」
「ですが、王国側の検閲はどうします? 見切り発車の国外逃亡で所持品を隠す手立てまで用意できるとは到底思えません」
「だな。少なくとも使用された武器は彼ら自身で調達したものではない。それは確定していいだろう」
「――過激派は王都へ移住した後、王都内で帝国の剣を手に入れた。この仮説の方が現実味がない気がしますが」
「妾も同意見だ。だが、だからこそ連中が考えそうな事ではないか? ――この妾の目を誤魔化そうというのだ。非現実の一つくらい実現してみせなくてなんとする」
「……失礼、浅慮でした」
「気にするな。ともあれ一応の目処は立てられたな。ザレン、先程の仕事に加えてもう一つ任せる。ここ一年の王都内のモノとカネの流れを探ってくれ」
「……これまた無茶振りを」
「お前も帝国の重鎮だろう? テロリストができたのだ。妾の側近ができんと弱音を吐くのか?」
「――はぁ、返す言葉もありませんね」
嘆息。しかしすぐに切り替え、紙に筆を走らせる。
「王国の国王に文書を送ります。彼の人となりは信用に値しますから、きっと協力してくださるでしょう」
「ほう? 一人前に他国の王を品定めするとは。お前も偉くなったものだな、ザレン……いや、逆か?」
「滅相もない。私は私の盟約に従っているまで。私にとっての『品定め』は、ナフィリン・ランゴルマージ――貴様に対して行ったものだけを意味します」
「殊勝だな、ザレン。まぁいい。とにかく仔細任せた」
「仰せの通りに」
席に着き文書を記入しながら、ザレンは器用に頭も下げる。そうして再び視線を文に移して、
「他にご要件はございませんか?」
「あぁ。任せ――いや、全帝国兵の装備を抜き打ちで検査してくれ」
「――まさか、内通者をお考えで? 先程ご自身で破棄された線では?」
「そうだな。だが二つ気になる事があるのだ。一つ。どうにもカルギュレー元将軍の動きが不穏だ。妾に無断でイリス達『癒し手』を戦場に赴かせた時点で罷免したが、奴はそれなりに高名な勇士だった。奴ほどの能を持った者が一時の乱心で判断を過つとは到底思えん。妾の激昂を承知の上で『癒し手』を総動員したのにも、裏があるはずだ」
「ふむ。頷けますね。では、二つ目は?」
「先の戦争で、帝国兵が弓以外の飛び道具を使用したらしい」
「は?」
「そうだ。飛び道具など、帝国では弓を除いて流通していない。だが確かな情報筋だ。出鱈目とは考えがたい」
「……にわかには信じ難いですが。了承しました。では、私の方で手配しておきます」
「助かる――して、ザレン。アレをどう見る?」
事務連絡をそこで打ち切り、ナフィリンは王国の新たな騎士団長――『侵色』へと話を移す。
「我々を苦しめてきただけはあります。しかしそれまで。閣下には及ばないでしょう。私程度の気配も察知できないなど、お話にならない」
「……ふん。お前はあれだな、妾の偉大さに目を潰されているな」
「当然でしょう。閣下は瞬時に反応したと言うのに、あの小娘は私が口を開くまで気付きもしなかった。それが全てです」
「お前を物差しにしている時点でレティシアの実力は人の域を超えていよう。それにあの一件は偶然だ。妾とて、警戒を解いていれば感知できなかった」
「異なことを仰る」
苦笑し、筆を再開させるザレン。ナフィリンも会話の終結を察して紅茶に口をつけたところで、「まぁ」と文字を認めながら、一言。
「閣下を見る目だけは信頼していいでしょう。レティシア・パレット……名前も憶えています」
「――――」
「では、失礼します。書き終えましたので、王国へ手配してきます」
「あぁ、任せたぞ」
ナフィリンの信頼に一礼し、ザレンが立ち去る。
曇天が降り注ぐ執務室、皇帝が一人取り残された。
「……とは言ったものの、この一件、どうにもきな臭い。これだけの規模、民間の過激派だけで為せることか?」
冷えていく紅茶に口を付けながら、物憂げな表情で書類に目を走らせ、皇帝が呟く。
疑念を頭に浮かべたまま、窓の外を見る。
帝国を照らす月光も、執務室に差し込む月光も、分厚い雲が遮り透過しない。
黒く染まった曇り空を眺めながら、『妖舞帝』は最後の一滴に口を付ける。
「――他勢力の大きな思惑が渦巻いている。再建の道を歩み始めた王国に災いが訪れなければいいが……」
★次回、断章最終話です!




