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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
断章『エピローグ』
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断章6話『食の効能』

「ここだよ、イリス。入って」


「……お邪魔します」


 レティシアに促され、イリスは解錠後いの一番に室内の空気を吸う。


 薄黄色を主軸とした壁面、その縁や内側に黄金色に輝く線が入っている。殆どが淡色で彩られている客室内は、豪華絢爛な応接室よりは目に優しい内装となっている。

 お風呂と洗面台は備え付き、タオルも完備と至れり尽くせりだ。食事は給仕が運んできてくれるので、客人は一歩も出ずとも生活が完結する。


 招かれた客室を改めてそう概観していると、隣にひょこっとレティシアが顔を出し、


「イリスは見慣れてるんだよね」


「そこまででは。確かに、立場上皇城に出入りする機会も多かったですが……寝泊まりまでは数えるくらいですよ」


 実際、頻度を考えても前回宿泊したのは四年前のことなので、イリスの宿泊経験は少ない。居心地の良さが追求された客室に対しても懐かしさを覚えるほどだ。


「それに……誰かと一緒というのは、初めてです」


「……そっか」


 顔を背け、息の多く混じったイリスの付言に、レティシアの目尻が下がる。


 そうしてしばらく感慨と恥ずかしさに浸っていると、つんつんと、背中をつつかれる。片側を編み込んだ桃髪の少女――サンドラだ。


「さ、おなかすいた……たべたい、いい?」


 躊躇いがちにそうお願いするサンドラに、イリスは自身の空腹を思い出した。


 お昼前に始まった会談もつつがなく進行し、当初の想定――四時間を遥かに下回る一時間程度で閉幕が宣言された。

 二国間だったからというのもあるが、時間短縮の要因はやはり、ナフィリンの姿勢と迅速かつ質の高い討議だろう。


 ナフィリンとフォレオスは、討議内容について決して否定から入らなかった。両国の最善を追求している二人は、互いの意見を更に高次のものへと、あるいは他の選択肢を提示し質を高めようとする姿勢が一致していた。

 応答も早く、二人が会談に臨むまでにどれだけ熟慮を重ねてきたのかが窺える。


 かくして、現在時刻は正午を過ぎたあたり。フレディは「良い夢を」と言っていたが、カーテンを締め切った部屋で療養に専念する彼に指摘するのは酷だと思い、言葉を飲み込んでいた。



 ――余談だが、編み込みはイリス仕様だ。というのも、一度髪を手入れしてあげて以降、時折「い、むすんで!」とお願いされるようになった。

 イリスとしても、彼女の桃髪を触る時間は――というより、可愛いもの好きなイリスにとって可憐な子の髪を好きに弄れるのは役得だった。


 最近は、翌日の手入れをあれやこれやと妄想するのが日々の楽しみの一つとなっている。


「そうですね。そろそろ昼食にしましょうか。レティシアさんも、それでよろしいですか?」


「うん。お腹も空いてきたし、良いと思う」


「い、ありがとう!」


「お気になさらず! では、お呼びしますね」


 サンドラの破顔に和みつつ、扉付近の壁面に張り付いているボタンを押す。


「昨日は驚いたよ。そのでっぱり――ぼたん、だっけ。それを押しただけなのに、食事を運んでくれるんだから」


「自動無線機ほどではありませんよ。これは、『押された』ことだけしか伝えられませんから」


 それにボタンは商業大国ネヘランドミルで開発されたものだ。帝国で運用されているボタンの多くが輸入品だ。――皇城のものは帝国製だが。


 帝国では――恐らく商業大国でも――ボタンは日常の一部に取り込まれている。王国民であるレティシアに馴染みが無いのは、自動無線機という上位互換の存在が大きいと、イリスは睨んでいる。


「――そうでした。帝国の料理はお口に合いましたか?」


 椅子に座り、ふと昨日――宿泊一日目を思い出したイリスは、そう尋ねたのち、二人の表情を窺う。


 曇り一つなかった。


「やっぱり水の味が変なのは気になるけど……サンドラとはしゃいじゃったぐらい美味しかったよ」


「さ、ぴらふがすき!」


「それは良かったです! ――推測ですが、王国は軟水が流通しているんだと思います。帝国は、硬水が一般的ですから」


「こう…………え、水って、種類があるの?」


「ええ、そうです! 軟水はまろやかな口当たりで、硬水は……確かに慣れていないと抵抗があるかもですね」


 幼い頃から硬水を飲んでいるイリスにとっては、王国の軟水の方を変な味わいと感じるのだが――ともかく。


「国によって、水も違うんだね」


「因みに軟水は火山が多くて斜面が多い場所、硬水はその逆で、火山が少なく平地な場所で主に採取されるそうですよ」


 指を立て、以前書物で読んだ知識を披露する。サンドラはぱーっと口を大きくあけていて、レティシアも興味深げに聞き入っている。


 ――ならば。


「そしてここからが重要です。――なんと、使用する水によって、紅茶の味わいが変わるんです!」


「え」「えっ!」


 食い入るように傾聴する二人の予想通りの反応に味を占め、イリスは本格的に帝国文化の紹介へと舵を切る。


「硬水――これが一般的ですね――それを使用した紅茶はどんな味になると思います?」 


「……なんか苦かったから、苦い味?」


「そう思いますよね! サンドラさんはどうです?」


「さも、れとおなじ!」


「――ですね。そう思いますよね!!」


 目論見通りの回答にほくそ笑む。次の言葉を溜めに溜めて、二人の体が自然と前のめりになっていくのを堪能し――、


「実はその逆で、渋みが軽減されるんです!」


「……謎」「い、すごい!」


「んーっと、実はまだ原理は解明されていないので私も謎です……ひとまず置いておきましょう」


 レティシアの疑念を解消できなかったのが悔やまれるが、切り替える。


「まろやかな口当たり――といっては聞こえがいいですが、裏を返すと紅茶本来の味わいが失われていることになります。加えて、濁ったような見た目になり、香りも軟水のそれよりは劣ります」


「そうそう、お二人が昨日飲んだのは軟水のストレートティーですよ。帝国では流通量が少なく、嗜好品と位置付けされています」と補足しつつ、計算通り二人の表情が曇っていったのを確認し、声の調子を落として「そう。硬水の紅茶は軟水より懸念点が多く、飲み手を選びます」と続ける。


「そこでミルクの出番です! この場に現物がないので明日実演しますが、硬水のストレートティーにミルクを混ぜると――」


「「――――」」


「硬水の欠点が利点に反転し、コクのある味わいに変貌するんです! 見た目も良くなり、口当たりも良好。このように、紅茶にミルクを混ぜたものをミルクティーと呼びます」


「すごい!! い、かしこい!! みるくてぃー、おいしそうっ!」


 瞬間、サンドラの手を叩く音が室内に鳴り響く。レティシアも、感心のあまり目を見開いていた。

 二人の快い反応に口角が吊り上がり、それを隠すように軽く頭を下げる。


「ご清聴、ありがとうございました」


 幕引きの言葉も優雅に決まり、会場は大盛り上がり。講師イリスの活躍は、まだ始まったばかりだ。


「えへへ……では、次は何をお話しましょうかねー」

「――失礼いたします。昼食をお持ちしました」


 完全に頬が綻び、有頂天となっていたイリスの出鼻が、食事を運んできた給仕の割り込みにより挫かれた。

 立ち上がり、扉の方へとふらふら足を進める。


「え、あ、あ……はい、ありがとう、ございます……」


「落ち込まないでよ、イリス。後でまた聞かせて?」


「レティシアさん……!」


 意気消沈するイリスの肩に手を置き、そう声をかけてくれるレティシアの心遣いに救われる。そうしてイリスは給仕――見慣れない若めのメイドを部屋に招き入れ、昼食を机に運んでもらう。


「わぁ…………! いいにおいっ!」


 その最中、あまりの芳醇な香りに、お行儀よく椅子に座るサンドラが口元を蕩けさせていた。

 給仕に促されレティシアと共に席に着くと、メイドがワゴンに乗せた品々を一つずつ紹介し始めた。


「こちら、高品質のシャラド鶏卵を使用したオムライスでございます。トマトソースもお付けいたしますので、ご自由におかけください」


「……すごい。この卵焼きの中には何が入ってるの?」


「トマトソースと塩胡椒で炒め合わせた米が入っております。なお、米は帝国有数の名産地であるファーモルドから取り寄せています」


 メイドの流暢な説明に、思わずイリスも聞き入ってしまう。

 そうした一同の注目をものともせず、推定新人メイドは淡々と料理を机に置いていく。


「こちらはトマトサラダです。――恐らく、王国と同様の味わいだと思われます」


 本人の説明通り、トマトサラダとしか表現できないほど見事なトマトサラダがそっと乗せられる。レティシアの質問がないのを見るに、レティシアも既知の品だったのだろう。


「――そして、こちらがトーマネリ牛のステーキとなります。トーマネリ牛は帝国内で最も高級な牛肉で、僭越ながら私の大好物でございます」


「……もしかして、ここでメイドとして働いているのって?」


「トーマネリ牛の賄い目的です。ここだけの話でお願いします」


 恍惚と頬を赤らめるメイドにもしや、と感じ思わず聞いてしまったが、やはりそうだった。まぁ、下心がどうあれ、職務を全うしている限りはナフィリンも文句は言わないだろう。むしろ、彼女の性質からして一緒にトーマネリ牛を食べて反応を楽しむ可能性だってある。


「こちらは国産玉ねぎを使用したオニオンスープです。玉ねぎについては今朝採取されたものを使用しています」


「……とれたて、あってる?」


「うん、合ってるよ」


 メイドの文脈から意味を推測したサンドラを、レティシアが撫で始めた。幸せな光景に、イリスも思わず心が温かくなった。


「最後に、帝国産かつ最高純度のな「軟水ですね!」……軟水を使用したストレートティーでございます。閣下が普段召し上がる茶葉と同品種を用いております。遠慮なくご堪能ください」


 消化不良のまま講義時間が中断してしまったため、思わず上に被せてしまった。「す、すみません……」と謝るイリスにメイドは「お構いなく」と応じ、


「以上となります。なにかご質問等ございましたら、気軽にお呼びください」


「うん、ありがとう」


 レティシアの感謝に、メイドは軽く頷いた。


「では、ごゆっくりお寛ぎくださいませ。失礼いたします」


 職務を終え、そそくさと部屋を離れようとするメイド。彼女のお辞儀を見届けてから、イリスは視線をご馳走に移す。



「……では、いただきましょうか」


「いただきます」「いただきますっ!」


 お行儀よく手を合わせ、各々フォークとスプーン、それとナイフに手を伸ばす。

 

 まずは濃いめの塩味で喉を潤そうと、イリスは湯気の立つオニオンスープにそっと口付ける。


「「美味しい」」


 自然に零れた感想がレティシアと重なる。顔を見合わせる。同じくスープを飲んでいた。



「――あははっ」「――ふふ」


 どちらからともなく、吹き出してしまう。


「あははっ、ふふっ!」


 その笑い方を真似したサンドラが、やはり同じく吹き出した。



 □ ■ □



「ごちそうさまでした!」


 帝国内でも上澄み中の上澄み料理を堪能し、イリスは手を合わせ、自分のお皿に視線を落とす。


 ――食べ残しは存在せず、高級料理の数々は今やイリスのお腹の中だ。

 特にトーマネリ牛は絶品で、口に入れるや否や比喩抜きに溶けていき、濃厚な肉汁が口の中を満たしていった。

 食べるのはこれで三回目だが、帝国最高級の一品というのも頷ける。文句なしの一皿だった。


 レティシアは初めてのオムライスに興味津々といった様子で、スプーンを口に運んでいた。


『これ、王国でも作れそう?』


 と話していたので、明日にでもナフィリンに意見を伺う予定だ。文武ともに優れているナフィリンは、料理にも一家言あり、美食家なだけでなく料理人としての腕前も一級品である。

 今後、両国間の交流が再開していくにあたり、食文化の交換は重要な役割を果たす。そうした面でも、きっとナフィリンは快く受け入れてくれる。


 ――それに、イリスの方からも切れる……いや、切りたい札はある。


 

「うん、ごちそうさま。……イリスはいつもこういうのを食べてるの?」


 満足感に体を楽にするイリスに、レティシアが素朴な疑問を投げかける。それに首を横に振って応じ、


「いえ、私も皇城にお招きされた時以外は食べませんね。私達には、ニムレットさんの手料理がありますから」


「……そうだね。それなら納得」


 そう首肯するレティシアに「えぇ」と頷き返す。


「そういえば、サンドラさんはまだ食べていませんでしたよね」


「……やさしいひとの、たべもの?」


「はい。昨日私たちを出迎えてくれた、あのお爺さんの料理です」


「――たべる、いいの!?」


「本人に聞いてからですけどね。十中八九、二つ返事で作ってくれると思いますが」


「に、たのしみ!!」


 そう席から離れて飛び跳ねるサンドラに危なっかしさを覚えつつも、心地いい気分で席を立つ。




 ――途端、前触れなくくらっと、一瞬だけ意識が持っていかれた。


「あれ……?」

「イリス――っ!」


 体制を崩したイリスの身体を、常人離れした速度で先回りしたレティシアが受け止める。


「……ぅ、すみません。夕食まで、仮眠をとってもいいですか?」


「うん、いいけど……血、飲む?」


「飲みませんっ!! ……そこまでではありませんが、どうやら自分の思っていた以上に疲弊していたようです。寝れば良くなりますから。メイドさんを呼ぶ時に起こしてください」


 思い返せば、肉片となったサンドラの治癒に徹夜を重ねて以降、まだ数日しか経過していない。あの時の、昏睡しない程度に死力を尽くした影響は、自覚していなかっただけで残っていたようだ。


「い、ねるの?」


「はい。でーも、夕食は一緒に食べますので、安心してください」


「そう、なら、よかった!」


 レティシアの口癖を学習している様子のサンドラに微笑み、二つあるベッドのうち、手前の方に横になる。


 夕食への期待、二人との楽しい会話、初めてのお泊まり会、想像するだけでも水に沈みたくなる一緒に就寝…………様々なことに思いを馳せていくが、次第に思考が緩慢になり、イリスは深い眠りへと落ちていった。

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